宮廷記録皇妃簿①下し薬混入事件・前
彼女達はしくじった。
あってはならないミスを犯し、彼女達は侍女頭たるルブタン婦人を筆頭に跪き、頭を垂れている。
「申し開きはあるか」
ベティーナに皇帝の尊顔を拝することは許されない。
ゆえに彼の皇帝の怒りようは声でしか察しようがないけれども、自分たちに後がないのは嫌というほど思い知っている。
「すべてわたくしの監督不行き届きでございますれば、申し開きしようがございません」
「潔いのは結構だが、それをどう対処するか、なんと責任を取るつもりだ」
「それは……」
強制されてもいないのにルブタン婦人が深く深く頭を垂れる。
「わたくしの教育が行き届かなかったのがすべてにございます。何卒、この者達には寛大なお許しいただきたく……」
「裏切り者に気付けずにおきながら私に懇願するか」
こう言われてしまってはルブタン婦人はなんとも言えない。自ら首を差し出すとでも言えれば良いが、そう言ってしまったら最後、この皇帝陛下はためらいなく彼女の首を刎ねる。仕事に誇りを持つ彼女だから、それはまだ言い出したかもしれないが、口を閉じたのは後ろにベティーナ達が控えていたからだろう。彼女は召集前に、なんとか彼女達は守ってみせるからと言っていた。
――ああ、どうしてこんなヘマをしてしまったの。
ベティーナは深く後悔した。
己が情けなくて仕方ないが、自身を含め皆の認識が甘かったのは認めるほかない。
怖くて奥歯が震えそうになるのを必死に堪える。
国民は知る由もないが、オルレンドル帝国新皇帝ライナルトはある意味前帝カールよりも苛烈で、血を見るのも躊躇いがないと囁かれ始めている。
家柄より能力を優先する姿勢は人々に希望を持たせたが、反対に無能であれば誰でも仕事を追いやられる事実は、確かに宮廷内を恐慌状態に陥れていたのだ。
ベティーナ達はそんな中でも、大変ありがたいことに仕事への勤勉さを認められた。食うや食わずだった下級貴族でありながら、次期皇妃たるコンラート家のカレン付きとなったのに、よりによって同僚の裏切りでこんな事態になっている。
皇帝陛下に申し開きしたい衝動は、いまだ不機嫌な皇帝の圧によってすべて封じられている。
こうなったのはつい昨日、いや今は真夜中だから今日の出来事なのだけど、昼間の事件が関係している。
次期皇妃が宮廷を訪ねたのだ。
目的は宮廷の視察と、皇帝陛下との逢瀬のため。
はじめは順調だった宮廷巡り、ひととおり用事を済ませると陛下との時間になったが、途中からカレンが不調を訴えた。はじめは単なる体調不良かと思われたが、それにしてはどうも様子がおかしい。手洗い場から出られなくなり、ライナルトは決して近づけるなと懇願された。
突然の腹痛にしては様子がおかしいし、あまりに症状がひどいから侍医長が呼ばれた。
診察したところおそらく下剤の類ではないかと判断され、彼女が口にしたものを改めたところ、飲み物から強い下剤作用を持つ薬が使われたとわかった。この時点で現場は大慌てだ。もしや皇帝にも一服盛られたのではないかと検査が入り、薬はカレンが使用したカップに塗られていたと判明した。
つまり犯人の狙いは初めからひとり。
この間に謹慎を命じられた彼女達に事情聴取が行われ、犯人が判明したのが夜。全員互いの無罪を訴えていたが、よりによって犯人は侍女達の、しかもベティーナ達の同僚だと知らされたときの絶望は計り知れない。
皇帝はルブタン婦人に言いきかせるように声を発する。
「作用が強いものだったらしく、カレンは未だ部屋から出られず終いだ。侍医長の話だと他の毒性は確認されないらしいが、あれは身体が弱い。他に影響が出ないとは言い切れん」
「はい」
「幸い命に別状はなかったが、それはただの結果論だな」
「左様にございます」
そうだ、下剤だから籠もる程度で済んだが、これが毒薬だったら彼女はとっくに亡くなっている。そんな事態を皇帝ライナルトが容認するはずもない。この皇帝が彼女のためだけに後宮を廃し、法律さえ変えてしまったのは有名だ。その上、この場にいる全員は彼女を売った前侍医長と侍女頭を斬り伏せたことを知っている。
……ふたりとも、長く宮廷に尽くし、かつ良家の出身であったにも関わらず、だ。
だからベティーナ達は恐ろしい。皇太后クラリッサの侍女達も毎日こんな気持ちだったのだろうかと、わけもない考えが浮かんだりもした。
「さて、侍医長の推薦によりルブタン婦人を採用したが、代わりを探すのもそれなりに手間なのだがな」
皇帝の呟きにルブタン婦人の肩が震えた。
この言葉は相当堪えているはずだ。なにせこの人は本当に身ひとつで現在の地位まで上り詰めた。夫と家という後ろ盾が必要な宮廷侍女の世界において、そんな昇進の仕方が許せないと独身を貫いた。かといって誰かを利用するのは良しとせず、ベティーナといった後輩達にも良くしてくれたのに、半生を宮廷に捧げた人生が、ここにおいて躓いたのだから。
他の者ではルブタン婦人以上に仕えられる人はいない。
そんなベティーナ達に共感したのだろうか、「恐れながら」と前へ出る者がいた。
側近のジーベル伯だ。
「陛下。陛下のお怒りと、カレン様への愛情は我らにも伝わっております。ルブタン婦人を処断したいとおっしゃるのも無理らしからぬことと存じておりますが、ルブタン婦人以上に侍女達を纏め上げられる人物はおりませぬ」
「では許せと?」
小声ながらも、底冷えする恐ろしい響きだった。
ジーベル伯が一瞬怯むも、ここでは下がれないと頷く。
「許せとは申しませぬ。婦人の失態は釈明できるものではありませぬが、かといってここで処断されてはカレン様がなんとおっしゃるか、想像できぬ陛下ではありますまい。ですな、サガノフ様」
ここでジーベル伯が近衛のニーカ・サガノフに助けを求めたのは英断だったろう。ことここにおいて、皇帝を止める手段はひとつしかない。本来関係のない彼女が返事をしたのは、ジーベル伯の意を汲んだためであり、彼女もまたルブタン婦人を惜しんだためである。
「陛下。ジーベル伯のおっしゃるとおり、いますぐに決断されるのは如何かと存じます。婦人の部下の不始末です、管理者たるルブタン婦人や仲間に連帯責任を取らせるのは結構ですが、それであの方が納得するとは思いません」
「……ニーカ」
「それでもよろしいなら私が剣を抜きますが、おそらくバッヘムや宰相閣下も進言してくるでしょう。二度手間を繰り返すおつもりか」
皇帝の中指がコン、と机を叩く。
長いようで短い時間、まるで生きた心地がしなかったベティーナ達だが、ここで救いの手が入った。
「失礼します」
話題に上がったばかりのモーリッツ・ラルフ・バッヘムだ。
この人物は昼でも夜中であっても普段通り変わらない。相変わらず不機嫌そうな顔で一同を一瞥すると、皇帝に頭を垂れる。
「例の侍女の尋問が終わりましてございます。ゼーバッハが報告したいとの由、陛下に伝えに参った次第ですが……」
チラリ、と視線がルブタン婦人達に向く。
「コンラート夫人が侍女達を呼んでいる。如何されますか」
いまだにカレンのことを「コンラート夫人」と呼ぶのはこの人くらいだろう。他の者が夫人呼びを避けるのは、皇帝の寵愛を一身に受ける彼女が他の男のものだった事実を連想させないためだ。
「他の者を当たらせろ」
「すでに侍医長が同じ事を申し上げたが、婦人達でなければ駄目だと」
「……ならば仕方あるまい。行け」
おかげでほうほうの体で場を切り抜けた。
書籍5巻描き下ろしは「戴冠式後パーティ」「シス封印後の彼の仲間達」の二つになります。
詳細は早川書房公式noteをご確認ください。
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