二番目の姉が婚約を決めたので
二番目の姉が婚約した。
その時エミールは姉とその婚約者が家にいる間に帰ってこられた。いや、学校は普通にあったのだが、何故か家から使いの者が来て「急用だから」ということで父に呼び戻されたのだ。
当の二番目の姉……カレンはエミールの帰宅に驚いていたから、おそらく父は予感があった時点でエミールを呼び戻していたのだろう。真面目だか浮かれているのかわからない雰囲気の中、父と向かい合う二人の影に、子供心に「あ」と至った。
「ええとね。……姉さん、陛下と婚約しようと思います」
膝に乗せた手に力を込め、顔を真っ赤にして報告する姿は、身内の贔屓目を抜きにしても可愛い。
実際姉は綺麗だ。
長女ゲルダは勝ち気な美女で、次女は控えめそうだが清楚な人だ。あくまでも見た目だけの話だが、ともあれ外見においては権力者に望まれても驚かない。
カレンは本命以外目が向かないし、自分に向く男は富が狙いか裏があると決めつけているせいで、口説く相手は誰も彼も範疇外なのだが、あれでちゃんと異性の目を引いている。
度重なる誘いも、手紙の選り分けも、たいしてカレンの耳に届かないのはコンラート家の人々が頑張っているだけだとエミールは知っていた。
だからむしろ驚いたのは長女と違い、最初から好きな人と婚約できたことだ。元々カレンが陛下を好いていたのはヴェンデルから聞いていた。陛下からも特別扱いされていたし、皇妃の件も聞いていたからいまさらなのだが……。
それでも「婚約」と形になり、隣にオルレンドル皇帝がいると奇妙な感覚だ。
「あ……おめでとうございます。陛下、姉をどうかよろしくお願いします」
「任されよう。君にも苦労をかけることになるが、なにかあれば気兼ねなく相談してもらいたい。解決にあたり出来る限り手を貸そう」
「はい、そのときはお願いします」
いまさらだよなー、とは流石に言わなかった。
エミールの中では二人の姿を認めた瞬間から周囲の対応や人間関係の変化が頭を過っている。これが初めてであれば「すごいすごい」とはやし立て、わずかなりとも鼻高々になっただろうが、いまはそんな気になれない。どれもファルクラムで長女が側室になったときから大体を経験していた。
――流石に友達が変わっても陛下には相談できないだろうしなぁ……。
そして少年なりにファルクラムとオルレンドル帝国の規模の違いは肌で理解していた。人口の差はもちろんとして、帝国民に染みついた皇帝を絶対とする制度、側室が廃された唯一の皇妃、内乱の果ての慶事となれば民は否が応でも盛り上がる。
ただ、エミールはそういった変化は慣れている。
「式はいつになるのでしょうか」
こら、と父が叱りつけるが、ライナルトは直球な物言いを好む。姉はまだ報告することだけに手一杯だし、あっさりと教えてくれた。
「一年以降を目安にしている。準備しながら様子を見る形だ」
「ありがとうございます。姉さんがあまり身体が強くないので、無理のない早さで支度が出来れば良いと思ったんです。ゆっくりできるならほっとしました」
「そうだな。あまり無理はさせたくない」
意味深に姉を見る。なおさら姉は視線を逸らしてしまうが、エミールのいない間になにがあったのだろう。詳細は後に父アレクシスから教えてもらえたが、予想していたよりも少ない恋愛方面の経験のなさに首を傾げてしまったのだった。
皇帝陛下が帰った後も、キルステン邸全体がどこか落ち着きがなかった。皆に粛々と仕事に取り組むよう言ったアレクシスとて、壁に頭をぶつける失態を見せている。
カレンは始終ぽわっとしているし、使い魔のルカが話しかけても三回に一回は返答を間違える。そのせいでルカは不機嫌、変わらないのは黒鳥くらいで、腹をみせつつジルの上で寝ていた。
夜になって時間が出来るとエミールは腕を組んだ。相棒はカレンの傍にいるから、最近の夜はひとりっきりだ。
先ほどからずっと悩んでいるのは姉の義息子についてだ。
エミールの弟分は、皇帝の義弟になる自分よりもっと重要な立ち位置になる。
きっと学校側も相当慎重になるはずで、エミールの考えが間違ってないなら、しばらく大騒ぎになるはずだ。
エミールはヴェンデルほど真面目じゃない。学校を数日休むくらいなら諸手を挙げて歓迎するが、今回はそうも言っていられない。
「……校長には先に相談するかなぁ」
これからヴェンデルを襲う環境や友人、露骨に変化する格差は間違いなく少年を傷つける。なんでもない顔で振る舞ったとしても、じくじくと心が痛むのはエミールが経験している。
後日、アレクシスとライナルトには内々に許可をもらうと、エミールは早速学園長室をノックした。相談の内容に学園長は腰を抜かすほど驚いたが、学校は続けたいと語ったエミールの説得に共感を示してくれた。婚約発表が成されると素早く学年長、担任を伴ってコンラートを訪ねたのである。
その間に根回しするのはエミールの役目だ。まずは「皇帝の義弟」が学園を闊歩しておけば、周囲は少なからず慣れてくれるだろう。先生達は気を使ってくれたが、やはり教室内の環境の変化は否めない。わざわざ用事を作って下級生の学年まで歩くのは面倒くさかったが、弟分を守るためならやる気は出る。違う学年の先生達にも積極的に声をかけ続け「いつも通りでいい」と思ってもらうのは大変だった。
けれどもこれは将来的な話。
婚約の話を聞かされた当日の夜は、思い出したかのように机に駆け寄った。
アレクシスからも報告はいくだろうが、エミールも長女ゲルダに手紙を書かねばならないためだ。
一人分の便箋を取り出そうとして……もう一人宛先を思いついた。
「母さんも、知りたがるか?」
ファルクラムにいる間は過干渉が嫌だった母。しかしこうやって離れてみると、やっと首を傾げる点がいくつか出てくる。
記憶喪失になる前だ。上三人は自由にさせていたのに、エミールだけはアンナが厳しく口を出してきたものの、それも冷静に思い返せばカレンの存在を喪失してからになる。
それに厳しく将来なんかに口を出してきた割には、出発の別れはあっけなかった。アレクシスが説得したから渋々了解してくれたが、それでも挨拶時はもっとお小言が振ってくると覚悟していたのだ。
だというのに、母アンナは簡潔だった。
「カレンさんに迷惑をかけないようにね」
この時のアンナは間違いなくカレンという人物を真っ直ぐに捉えていた。
あまりにも普通の態度には拍子抜けして、逆に若干の寂しさを覚えてしまったくらい。カレンの話となれば一見静かにしていても怒っていた母が、ある意味末っ子が彼女に取られる状況でも始終冷静だったし、父との離婚を呑んだのも、普段のアンナを知っているなら信じられなかった。
確かに別れは母の自業自得かもしれないが、いざ両親が離婚となれば寂しさを覚える。いまはゲルダと交流があると聞いてほっとしている自分がいた。
母については、正直エミールはなんともいえない。真相はなにもかも大人達の胸の中だし、肝心の次女は、この件に関してはカラッとしているせいで何も掴めない。けれどもアレクシスとの会話で、彼女の現状を尋ねる回数が増えたのは確かだ。
ペンの後ろで頭を掻く。
「家族って難しいな。なんで思うようにいかないんだろ」
それでもエミール達は彼らなりにうまくやっているし、あの姉や陛下が婚約を決めたくらいなのだから、世の中なるようにしかならなさそうなのだが。
いつか帝都を訪れる甥っ子のためにも家族関係は円滑にしておくべきだが、カレンとライナルトについては、ゲルダには控えめに報告しよう。カレン単体ならともかくライナルトをよく思っていないゲルダが、彼がカレンに向ける目だけは居心地が悪くなるくらい柔らかかったとか、恥ずかしがりながら初々しく微笑むカレンが嬉しそうだったとかを知ったら、たぶん、いや確実に激昂する。手紙を破り捨てる姿も容易に想像できる。
よし、と気合いを入れてペンを持つ手に力を入れた。




