352:転生令嬢と数奇な人生を歩む人々の物語
影から姿を現したのは黒鳥、次いで外からはルカがやってきて、興奮気味に言った。
「マスター、すっごい、すっごいのよ!」
人形の体じゃなかったらいまごろ頬を赤く染めていただろう。ぶんぶんと手を振り回していた。
「落ち着いて、なにがすごいの」
「大猫! 大猫よ、すごいわ。素晴らしいわ。ワタシ、存在は知っていたけど、直に目にして言葉を無くすほどに美しいって言葉が当てはまる生き物を初めて見たの!」
サゥの贈り物がお気に召したらしい。詳細を聞こうにも手を付けられない状態で、ようやく落ち着いても、なぜかライナルトに対して不敵に鼻を鳴らす始末だ。
「マスターの髪型可愛いわね。なぁに、そこの男にやってもらったの?」
「ふふふふ。似合ってるでしょ」
「世間様の常識じゃ皇帝陛下サマにやらせることじゃないと思うけど、好きねぇ」
「一番綺麗に整えてくれるもの。私が知ってる中で最高の髪結い師よ?」
「……そ。ああ、暑い暑い」
「気温なんて感じてないくせになにいってるの」
ルカも今度やってもらったらいいのに、と言ったら二人から拒絶されてしまったのが残念。
「そうだライナルト、忘れないうちに言っておいてあげる」
「手短にな」
「はいはいはいはいワタシはマスターの一部なんだからちょっとは優しくしなさいよ。……で、話だけど、ワタシなりに真面目な意見よ」
「……私、席を外してた方が良い?」
ただならぬ雰囲気を感じ取った。ルカも悩んだ様子を見せたが、腰を浮かせたところで「マスターにも自覚が必要だから」と言われてしまう。
机の上に仁王立ちになったルカ。その後ろで黒鳥がぽーんと跳ねる緊張感のない空気で、少女人形は言った。
「いいことマスター。アナタ、家族や権力抗争に、あとはそこの顔だけ男のせいで感覚が麻痺しているけど、自分が思ってるよりもずっっっっと、かなり、相当に! 他人に羨まれるくらいには容姿に恵まれてる」
「は、あ……?」
「鈍い! ライナルト! ここまで言えばわかるでしょ!」
「大体は察したが、その手の危惧は既に多方面から言われている。わざわざ言われるまでもない」
「馬鹿」
皇帝にここまで真っ直ぐ言う子もいまとなっては珍しい。
「本人の危機感が薄かったらなんにもならないのよ。この人ねぇ、リューベックのみならず、昔っから変なのばっかり引っかけてるんだから」
「ちょっとルカちゃん」
「マスターはね、自分が思ってるよりずっーとモテるのよ。エルネスタがいなかったら危なかった時だってあるくらい、変なのに目を付けられてたことだってある」
「なにそれ、私なにも聞いてないんですけど」
「エルネスタも言ってないわ。アナタの記憶からそうとしか思えない記録を見つけただけよ」
本当にどういうこと!?
ルカは私の危機管理が乏しいと言いたいらしい。……そりゃあ、命が危うかった、身の危険って観点で言われたらぐうの音も出ないが、恋愛方面の危機感がないと言われて納得できるわけない。
「モテるって言うけど、私がいままでその方面に縁なんてなかったわよ。大体婚約だって決まったし、ライナルト――っていうより、陛下がいて変な気を起こすような人はいないと思うわ」
「いいこと。いままでは噂や他国民、寡婦って事実がある程度盾になってたけど、これからは皇妃候補として表に出るだけ顔が知れ渡りやすいの」
「ライナルトもなにか言ってください。私、他の人に目移りなんてしないし……」
助けを求めるも、彼もなにやら難しい顔のままだ。
「世の中ってのは好きな男がいる女の子は輝くらしいじゃない。アナタ、誰よりもそれを知ってるんじゃないの」
「ル――」
「……わかった。助言感謝する」
「ふん。シスやコンラートの使用人達からの助言でもあるからちゃんと心にしまっておきなさい」
ええ……私が納得してないのに勝手に話が進んでいる。もちろん転生したときから、この美少女顔――いまは大人へ成長途上だけど――は知っているけど、そんなのリリーといった美女に比べたら霞む勢いだ。褒められるのは嬉しいけど、それはそれとして迂闊に舞い上がらないようにしたい。ライナルトの隣で自意識過剰になって、我を顧みない恥ずかしい言動なんて晒したくない。
「ま、いいわ。ワタシ達が来たのはマスターに大猫を触りに行きましょうって誘いに来たからよ」
「触っても大丈夫なの?」
「宮廷で飼ってるんだから触れるわよ。でしょ、ライナルト」
「一応はな。だが調教が完璧である保証がない、決まった人間以外、近づける許可は出していなかったはずだがな」
「やあねえ、なんのためにあの半精霊がいると思ってるのよ。自然と大地との調和を司る生き物よ。最低限手を出さない人間を伝えるくらいはできるわよ」
「待って、シスってそんなことまでできるの」
「カレン、待――」
「行きましょう!」
元々興味があった大猫。ルカがそこまで言うなら俄然興味も湧いてくる。
いまだ行き渋るライナルトの腕を引っ張ると、仕方なくという感じで立ち上がった。
「お外は嫌でした? それともお疲れでした?」
「そうではないが……カレンは見に行きたいのだな」
「もちろん。でもライナルトが行きたくないならいまは残ります。……後で見に行くだけはするかもしれないけど」
「……見たいのなら付き合う」
そんなに嫌だったのだろうか。疑問に感じつついるとルカと黒鳥が先行しはじめるのだが、廊下に出る直前、一瞬視界が塞がれた。
唇に柔らかいものが触れたのだ。
ふんわりと軽い感覚、いつかあるだろうと思っていた恋人同士の儀式は想像よりもずっとあっさりで、すぐに終わってしまった。金髪が頬に掛かって、少し機嫌を取り戻した微笑が翻る。
「これで良しとしておこうか」
「なんっ……!」
「騒ぎ立てるのはやめたほうがいい、もう二人きりではなくなる」
顔に血液が集まっていくのを止められない。低く喉を鳴らすライナルトに手を引かれながら、無駄に火照った顔を必死に取り繕う。
後ろを振り向いたら、静かに合流していたジェフが穏やかな笑みを浮かべている。どことなく保護者めいているのは気のせいじゃないはずだ。
「次はもうちょっと雰囲気を大事にしてください」
「なるべくな。――行くか」
「……いいの?」
「いいもなにも、この腕を預けられるのはカレンしか居るまい」
ちょっと恥ずかしいけれど腕を組んで歩ける。隣り合って歩いても誰にも眉を顰められず、咎められないのは、少し前を考えたらまるで考えられない光景だ。
ライナルトの髪結いに続きご褒美はまだあった。
ご機嫌のルカと黒鳥に案内してもらった先には大型の猫型動物が座していたのだ。その姿に私は感嘆を上げずにはいられなかった。
「虎……!」
「オルレンドルではその呼び方だけど、ヨーでは大猫って呼ぶのよ。素敵よね!」
以前は四妃ナーディアが住んでいた区画に大きな虎がいて、芝の上にだらりと横になっている。お腹の上に頭を乗せているのはお馴染みの半精霊で、近寄るなりへらりと笑い手を振った。
「やあ、なかなか良い寝心地だぜ。きみらも背中にどうだい」
「どうだいっていわれても……」
ルカとシスが呼ぶから近寄ったものの、いざ間近にすると、初めて見る巨大肉食動物には緊張を隠せない。ヨーでは「大猫」と呼ばれている生き物、確かに間違ってはいないかもしれないが、ぱたん、ぱたん、とゆったりした動作で尻尾が波打っている。ライナルトがいつでも引けるよう肩に手を寄せていた。
「大丈夫大丈夫、オルレンドルに来てからというもの、こちらの美女は大変機嫌がいい。なにせ檻に閉じ込められないし、隠れ家に緑に泉、食べ物を満足に与えてもらえる環境だ。僕がいればきみでも背中くらいなら許してくれる」
「機嫌を損ねて引っかかれるなんてごめんよ。わかった風に言うけど、言ってることわかるの?」
「なんとなくな。ああ心配するなよライナルト、彼女は傷つけたら駄目だって教えとくから、間違っても噛まれる心配は消えるはずだ」
「また精霊とやらの御業か? ここで奇妙な業を残すのはやめてもらいたい」
「なにいってんだ自然由来の優しい成分しかない守護者だぞ。で、寝るの寝ないの。そこの弟子は乗り気みたいだけど」
「ライナルト、この子の背中を借りましょう」
ライナルトは厭々だったものの、熱心に勧誘したためか腰を下ろしてくれた。さすがに横たわりはしないが、毛の上に手を置くくらいはしている。
で、私は想像以上にがっしりしている虎の背中に身を預けた。思った以上に綺麗だし、獣臭さがなかったためだ。驚いていたら今朝温泉に入れたばかりらしい。巨大生物はちらりとこちらを見やったものの、私の重みなどものともせず、素知らぬふりで横になって伸び動作を行った。
……大きさや牙と爪の凶悪さはともかく、ほんとに猫科だぁ。
虎もとい大猫に名前はないという。サゥとしてはライナルトに名付けを任せたが、肝心のライナルトが放置しているせいだ。
「名前付けましょうよ」
「名が必要ならカレンが付ければ良い」
動物嫌いではないのだが、興味を示さないのだ。
「シス、この子――彼女? サゥではなんて呼ばれてたの」
「知らね。なんとなく感情が伝わるだけで、言葉が通じるわけじゃないんだ。名前が欲しかったら適当に呼びなよ。彼女は頭もいいから、呼び続けるうちに伝わるさ」
こちらも無頓着。仔細を聞き出せば、この区画を与えているのも人気が少なく飼育に便利だから、新たに檻を作るのも手間だからとの考えだった。
もしここで飼い続けるなら手軽に撫でにいける距離がいいんだけど、それを言ったらライナルトは怒るかなあ。
黒鳥は虎の上で草木をかき分けるように移動する。ぱたん、と強く尻尾が叩かれて、その歩みはルカに止められた。
大型動物を刺激しないため最小限の人間しか近寄れないせいか、親しい人しかいない環境は心地良かった。シスは謳うように言う。
「また外に出たら、今度はあちこちできみたちの恋歌を歌ってやるよ。だからさ、その先は悲劇にならないように頼むよ」
夢の内容を知っていた、と考えるのは穿ち過ぎだが、この台詞は彼もまたライナルトの危うさを間近で見てきたからなのかもしれない。
眠気に誘われたのか目を閉じるシスと、じゃれ合うルカと黒鳥に、のんびり横たわる大猫。一見おかしいが穏やかな光景だが、隣のライナルトを見て思った。
「ねえ、ライナルトは私を幸せにしたいって言ってくれたじゃないですか」
……私のやりたいこと、もうひとつ見つかったかもしれない。
「でもね、幸せにしてもらうばっかりじゃなくて、私もあなたを幸せにしたいなって思うの」
「私は充分に幸福を享受しているが、カレンの語る幸せとはそれとは違うものか」
「ですね、ちょっと違うかもしれない」
夢を思い出している。
たかが夢の産物と言えど、いまだにあれは笑えない。嫌なものほど理由を探し続けてしまって、なんであんな結果になったのかと原因を考えれば、理由は簡単に見えてくる。
ライナルトが大事にしているのは私であって、私以外の人はその限りじゃない。
これだけはうぬぼれじゃなくて、絶対の事実だ。彼は自分を含めて命に無頓着だから周囲を顧みない。
だから戦は始まる。目標を前にしたライナルトは止められない。
その事実はまだいい。でもライナルトが孤独のまま終わるのは認めない。
「だからね、私だけじゃなくて、ライナルトにとっても大事なものを増やしていきたいんです」
私はもう大事な人に置いていかれたくない。だから本当は、彼が逝くときには連れて行ってもらうのが一番なんだけど、そうそう都合良く運が巡るとも考えがたい。
無論彼を置いて死ぬ気なんてさらさらないけど、それでも万が一、例えば私が亡き後も民を大事にしてくれるような存在がひとつでもあるのなら何かが変わるはずだ。
これははっきりいって無理難題。計画だっていま思いついたばかりで上手くいくかもわからないが、もし成功したら、彼に滅びを見出した人々に胸を張って言ってやれる。
年老いた彼の隣で、私も同じだけ年を取って、しわくちゃな顔で笑うのだ。
「私の愛した人は国を滅ぼしたけれど、同時に誰よりも人々を栄えさせたのです」と。
――うん、悪くない未来だ。だってライナルトは賢王としての資質だって備わっているのだから難しいはずがない。
「さて、どうだろうな。自分で言うのもなんだが、カレン以上の大事なものとは難しいかもしれん」
「いいの。そういうのは私が頑張るから」
「無理はしてほしくない」
「無茶はしませんけど、でもそうなっても助けてくれるでしょ?」
無理せず、嫌がられない範囲で、ゆっくり時間をかけて。
シスの前でこれを語ったのは、長い時を生きる私たちの友人に、私の決意を知っておいてほしかったから。寝たふりをしているけど絶対聞いているはずだ。
こんな風に考えるようになったのも彼と婚約したからなんだけど、それにしたって壮大な話になってしまった、と他人事のように思う。
別れと破壊と殺戮を経て、好きな人を追いかけていたらオルレンドル帝国の皇妃候補になっていたなど、転生前の私だったら絶対信じなかった。
物語で言えば、それこそ正真正銘のめでたしめでたし。王様とお妃様は幸せに暮らして本は閉じられるが、生憎と私の恋人は覇道か、或いは修羅の道を行くしかない人だ。
あの夕陽に染まる孤独な姿が脳裏に焼き付いてしまったが、私はあんな終わりを諦めない。「狂王の御代」は起こさせないと、たったいま決めた。
「私の顔になにかついているか?」
「んー……大好きだなあって」
「真意を隠そうとするのはよくない癖だが、まあいい。許そう」
「見なさいよシス。皇帝陛下ったらマスターが可愛いからってほだされちゃった。あら……砂糖を吐くってこういうのを言うのかしら。ワタシ、またひとつ賢くなっちゃった」
「けっ。ひとり身の前でいちゃつきやがって」
なにせこの人は私の手を掴んでくれた、私が彼の手を取れた事実がここに在る。
私の数奇な人生は続く予感がするけれども、ライナルトが傍にいてくれるのなら世界は眩く輝き続けるし、何度だって立ち上がれるだろう。
まだまだやるべきことがたくさんある。ほんとうに、成さなければならないことばかりで、先々だってめまぐるしいばかりだ。
助けてもらう分だけ、私もたくさんこの人を抱きしめて――。
お互いを補い合いながら、過去より未来へ多くのものを紡ぎ、繋げていく。
新たな歴史を目前にひかえた、いっときの休息だった。
お付き合いありがとうございました。
書籍は色々書き足していますのでよろしくお願いします。続編もあります。
また、2025年1月にて小説公式イラストレーターより漫画化します。
別作→悪女の妹が、前世なんて呪いを抱えてた(書籍化)




