343:口説くための包囲網
キルステンの庭には屋根付きの東屋がある。
コンラートの家にも備わっているけど、あちらは庭の広さに適したそこそこの大きさで、かつそれなりに年数も経っている。
そちらに比べたらこちらは天と地ほども差がある。ヴィルヘルミナ皇女が兄さんのために用意した設備だけあって、東屋からの景色も美しく、くつろぎ空間として役割を果たしている。難点は石造りであることだけど、東屋を使いたいとお願いすれば、厚めの敷物にはじまりクッションや膝掛けと設置してもらえる。寒さ対策に足元には火鉢も完備で、まさに至れりつくせりだ。
コンラートではちょっぴり難しい贅沢に、せっかくだからと利用させてもらった。最近は肌寒くなってきたけど日中は羽織があればまだ凌げるし、長椅子に横たわりながらウェイトリーさんの報告書に目を通したり、エミールのお勧めの本を読んでいる。
コンラートに戻っても良かったのだけど、ウェイトリーさんに、もう少し父さんとの生活を楽しんでもいいのでは、と勧められたのだ。
確かに父さんと和解後に一緒に過ごす時間がなかった。エミールにも私がいると父さんが嬉しそうと言われてしまったし、帰るのはもうちょっと後でもいいかなと思い始めている。
「ジルー、寒かったらお部屋に戻りなさいねー」
昼のジルは私が占拠し放題。準備してもらった敷物の上に寝そべっているが、最近毛量が増えて若干ふさふさが増した。
動物の力は偉大で、ジルが傍にいてくれるだけで笑う機会が増えた。狭く暗い部屋でも緊張はほとんどなくなったし、それを思えば、ウェイトリーさんが帰宅を避けさせたのは正解なのかもしれない。昨日の先生の検診は「あともうちょっと休むことを頑張ってみましょう」だったしね。
風は穏やかで肌を刺す寒さもない。こんな日に外でゆっくりできるなんて贅沢で、心地良さにジルと一緒にあくびをこぼす。
おもわず鼻歌も出てこようというもので、読みかけの本を手に取った。
すっかり冷めたお茶を飲み干し、チョコレートをひとかけら摘まむ。
次に使用人さんが来たらお代わりをもらおうと顔を上げたときだった。
「なんっ!?」
私が焦ったのは無理もない。何故なら誰もお客様の存在を知らせなかった。彼が来たときのために心構えが必要だったから、お客さんがきたら教えてね! と使用人さんにお願いしていたのに、こんな再会は心の準備ができていない。
ここからどう行動すべきか迷っている間に相手は近付いてくる。
何故か正装に身を包んだライナルトが!
「どっ、どどどうして……!?」
「どうしてもなにも、数日待っていてくれと伝えた。遅れてすまなかった」
「確かにそんなこと言ってましたけど、だからって別に待ってないですが!?」
「五日と予想以上にかかってしまった。元気だとは聞いていたが、息災でなによりだ。前よりも顔色が良くなった」
「ですから待ってないですから! ……ああもう勝手に座るし……」
そりゃあ数日と言った割に三日も過ぎた頃にはちょっと遅いかなーとは思ったけど、だけど断じてライナルトは待ってない!
何度も断っておきながら待ってる自分がいるのは認められない。
ちょっとそわっとしたり服をそれなりに気をつけてたけど、それだって三日目くらいまでだ。
私はもう取り乱しはしない。逃げても追いかけられるなら、真正面から戦うのだ。
あれから何度も考えた冷徹な「お断りします」を胸に座り直す。
「だいたいなんで正装なんですか。予定があるなら早く帰ってどうぞ、うちに来ている暇はないはずです!」
「ここに来るのが用事で予定だ。……いい休息所だ、意外と暖かい」
「感心するところそこじゃないです!」
「ああ、服の趣向を変えたか、たまには実用性を捨てても良いだろう。よく似合っている」
「服を褒めるなんてしたことなかったくせに、なにをいまさら」
「それは悪かった。次からは気をつけよう」
「違いますが!?」
段々と私を黙らせるのがうまくなってきてるのは気のせいではない。
マリーが持ってきてくれた服は見た目を優先したものだ。首元や肩が空きすぎかなーとは思うけど、肩掛けがあるし、なによりこれがお洒落ってやつだからそれはそれ!
突っぱねようとしてみるも、ライナルトは私が言うより早く書簡を取りだした。やや古めで年期の入ったそれを丸めていた紐を外したが、サインやいかにも立派な押印がされた、いかにも重要そうな書面をここで出すのは如何なものか。
「なんですかこれ」
「前回の話の続きだ」
「……ですから何度も申し上げますが、あれは誤解です。変な風に受け取らないで下さい」
「なにも間違ってはいない。私が好きで不安だからこその叫びだったろう」
「ご自分に都合のいいように解釈されるのが得意みたいですけど、断じて違いますから」
「ならばそれでいい、ともあれそれに目を通してもらえるか」
「……会ったばかりでそれですか」
「話せることはいくらでもあるが、そうなるとまず貴方を怒らせることから始まる。それでもいいなら雑談に興じよう」
「読みます」
読みたくない。
あれからニーカさんに、ライナルトは何をしようとしているのか、何度尋ねても不敵な笑みを浮かべるだけで教えてくれなかった。その意味が明かされるのを恐れているが、ここで逃げては勝てない。書簡を受け取ってしっかり目を通す。
見るに後宮の皇妃、皇室における側室の扱い等を記した書面だ。皇妃が皇帝に次いで後宮における権限を有する旨が記してあり、他には第二、第三における順列、各自の権利、果ては夜の順番まで載せてある。予算決めの基となる書面でもあるようだが、読み進めるだけで嫌な気分にしかなれない。
「簡易版だが、それがおよその者が参照にしている歴代の皇妃や側室の扱いの基になる。もっと細かい取り決めは別に記してあるが、それを持ってくる必要はなかろう」
「……なんの嫌がらせですか」
「まだ話は終わっていない。本題はこちらだ、目を通してもらいたい」
しかめっ面を隠さず言えば、嬉しそうになるのはいったいなんなのか。
次に取り出したのは比較的新しめの書状。こちらは古い方と違い、ライナルトや宰相のサインはあるものの印がない。
こちらの文字量が少ない分、目を通すのは早かったものの、段々と言葉を失ってしまった。
ライナルトはだめ押しのようにわざわざ中身を指を指して説明をはじめる。
「まずは皇妃について。最初に見せたのは前帝時代まで採用されていたものだが、私はそれらすべて破却する。これまで認められていた皇室の一夫多妻制も同時に改案だ。以降はその書面の改案法に従い、たとえ皇帝であろうと婚姻できる異性を一人に限る制度で整える」
読みやすくなったのは、側室の項目がなくなったからだ。
偽物じゃないだろうか。まだ法案は通ってないし騙されてるかもしれない。そんなことを考えた矢先に、ライナルトは古い書簡に、机にあるクリームで汚れたナイフで切り目を入れ、指を差し入れると二枚に割く。
びりびりと破れ、さらにさらにと丁寧に破られていく重要書類。見せつけるように紙くずになる様を、私は呆然と見つめるしかなかった。
「あ、あ、あ……」
「改案の正式な施行は明日から成される。これで側室問題は解決され、私が他に女を抱える心配はなくなる」
「しょ、正気ですか。え、これ改案しちゃったら、他国からの受け入れや国内の均衡が崩れるんですよ」
「それのなにが問題がある。側室がいては応えられないと言ったのはカレンだ」
「い、言いましたけど、側室制度が担ってた安全策を自分から手放すってわかってるんですか」
「あれば使う程度のもの、なければないで問題ない。私にとっては貴方が手に入らぬ方が深刻だ」
迷いすらない。真っ直ぐに私を見つめてきたから、まともに見ることができなくて俯いた。なにか策を仕掛けてくるかもとは思っていたけど、法を変えてくるなんて。
「ここまでやらなくても……」
「やるとも。もう一度言うが私は貴方を愛している」
やめて、それを言われると泣きそうになる。
「私のこれまでの態度が貴方に不安を芽吹かせたのならば、それを解消し、不安を取り除くべく働くのは当然だろう」
「ほ、法はどうにかなるかもしれません、もしかしたら今後もそれでやっていけるかもしれませんが、でもですね。もっと根本的な問題を言いますよ? オルレンドルの皇帝がファルクラムの、か、寡婦を帝室に迎えてどうなさるんですか」
ライナルトはオルレンドルの最高権力者だから法は整えられるが、そんな女を帝室に迎える国民は良い気分はしないはずだ。もっと言えば有力貴族の反感を買うのは目に見えている。
けれどライナルトは笑う。そんなことか、と言いたげに微笑むが、まったくもって「そんなこと」で済まされる問題じゃない。
「今度はそうきたか。ただ断ると言っておきながら、オルレンドルのことをよく考えている」
「笑い事じゃありません。いいですか、私の評判は最悪です。ほとんど悪評の方が目立つと言ってもいいでしょう。ファルクラム時代から付き添った印象が、どれほど根深いかおわかりですか」
「功績が大きく目立つほど、民衆は囃し立てるもの。その点で踏まえれば、貴方の悪評など実に私好みだがな。なにせ虫が寄りつかなくて済む」
「馬っ……!」
すでにあなたのもの扱いされてるのは如何なものか。
「……も、もう一つ重要な問題が残っていますよね」
「何かな、言ってもらいたい」
「貴族です。彼らの中には政を担っている者も少なからずおりますね。オルレンドルに来て間もない、王族でもなんでもない私が彼らに受けいれられるのは難しい。それこそ自分たちを差し置いてよそ者が……なんです、これ」
「そちらも読んでほしい」
途中でスッと出された書面。中央に数名の名前が記されており、そちらへ先に目が移った。
「リリー、宰相閣下にベルトランド様と……モーリッツさんですか。直筆の署名みたいですが……」
「その上の文面だ」
相手が意地悪く喉を鳴らした。
だけどいまは文句を言ってる場合じゃなかった。嘘でしょう、と目をこらして何度も読み返す。
リリー・イングリッド・トゥーナ
モーリッツ・ラルフ・バッヘム
リヒャルト・ブルーノ・ヴァイデンフェラー
ベルトランド・バーレ
いずれも爵位を賜り、オルレンドル帝国にて地位を築き上げる以上四名が、私が皇妃として立つことを推挙する後見人として名を連ねる旨のサインが記されている。
「商業、金融、政治、軍事。それぞれの方面に強い者達が貴方の後見人として立つ。彼らの後押しが成されれば、もはや口出しする者などいるまい」




