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341:優しさは巡る

「……わかりません」

「あなたは情の深い人です。雇い主だからと、そういうのに配慮してるのだったら……」

「違います」

「ジェフ」

「違うのです。恨みとはまた違うはずだ。ですがこうも怒りを覚えるのは……」


 ゆっくりと首を振る。

 

「こればかりはどうしようもない。私が苛立ちを覚えるのは、あの日、貴女がたの元から離れた私自身に対してもだ」

「……本当に?」


 言葉はそれだけではない気がした。問いかけにピタリと固まると、やがてのろのろと顔を上げたのだ。

 ああ、顔立ちは変わっても、この人はたしかにジェフだ。

 

「カレン様に何故、と思わなかったわけではありません」

 

 ズキリと胸が痛む。

 それははっきりと口にしなかったけれど、それは「何故守ってくれなかった」だ。


「ゾフィーに対してもそうだ。だがそれも彼女が悪いのではない。なぜ妹が死んで……彼女が生き残ったなどと、そんなのは問うてはならない。そんなことを口にすれば、他ならぬ私があの子の行いを否定することになる」


 眼差しが、あの雨の日のチェルシーと重なる。ジェフは苦しげに胸の内を吐露している。


「元を正せば私も油断していたのです。正しく考えるなら、貴女がた三人だけで行かせるべきではなかったのに、私は……」


 深い、深いため息。

 ここにあったのは後悔だ。


「誰も……悪くは無かった。私の知っている妹であればそう言っていたはずだ。それに私ももし同じ立場であったなら、ゾフィーを生かす。何故なら彼女は子供達を待たせる母親だ、悲しむ者が少ない私よりよほど生きる価値がある」


 命は価値で図れるものではない。

 まして私たちにとってはジェフは大切な人だが、それを言っても、いまのジェフには無意味だ。わかっていながら言わずにはいられないだけなのだから。


「……ジェフは、チェルシーをどう思ってる?」

「誇りです」


 拳を握る力が強くなる。


「無謀と知っていながら立ち向かった。ゾフィーを守った、希望を与えた。……最期、どんな顔をしていたかは聞きましたか?」

「……いいえ」

「安らかでした。幸せそうでした。まるで宝物を抱えた満足げな笑みです。そんな顔を見てしまったら、とても貴女方を責めるなどできはしない」

「そんなに苦しいのに?」

「貴女に怒りをぶつければ楽だとはわかっています。……だからどうかそれ以上は言わないでほしい。私のために、怒りを引き受けるなどしなくていい。貴女とて充分苦しんでいるのだから」

「そう。……ごめんなさい、あなたを見誤った」

「……いいや……その心を、私は嬉しく思う」


 ……ジェフの苦しみは少しわかる気がする。

 正確には何に苦しんでいるのか、だけど、得心してしまった。

 ジェフには憤りをぶつける先がない。

 チェルシーの想いを汲める人だったから、なおさら私やゾフィーさんを責められない。本当の犯人たるバルドゥル達は彼の知らぬところで死んでいる。かといってこの様子ではライナルトに牙を剥くこともできない。

 悔しい、悲しい、つらい。そういった気持ちを吐き出す先がないのなら、私に出来ることは少ない。


「だからここでチェルシーの守ったものを見ようとしたのね」

「……悔しいくらいにいい子達だ。少なくとも、あんな年で両親を亡くしていい年頃ではない」

「チェルシーはすごい人ね。長い微睡みから目覚めたばかりで、誰かの命を優先できるなんてできることじゃない」

「本当に……聡明だった。ひとりの人間として彼女を尊敬します」

「いつか完全に目覚めた彼女と話をしてみたかった。私はあの状態の彼女しかほとんど知らないけど、きっと良い話し相手になってくれたと思う」

「チェルシーはお喋り好きで、流行ものを追いかけるのが好きだった。きっと良い侍女になってくれたでしょう」

「あなたの妹さんだもの。ちょっと時間を取り戻すのは大変かもしれないけど、皆も手助けしたはず。休んでいた空白期間もすぐに埋められたはずよ」


 何を話し始めたかわからなかったのだろう。

 ジェフは放心したように口を半開きにしたが、やがて俯き、口元を押さえる。


「……そう、です、ね。皆の……助けがあれば、きっと」

「私は流行を追いかけるのが疎いし、それに裁縫も好きじゃなくて。彼女はそういうのが得意なのでしたっけ。彼女くらいの年の人がいたら丁度良かったかも」

「い、え。意外と」

「意外と?」

「流行にすぐ飛びついては……飽きて、の、繰り返しで困ったこともあり……」


 声が霞み、声にならなくなり始めている。

 そこには触れない、知らない振りをして話し続けた。

 

「じゃあやっぱりちょうど良かったのかも。マリーは流行は知ってても興味がないと目も向けないし、マルティナはまだそういうの気後れしちゃうみたいだから」

「な、にが、ちょうど……」

「話題に飛びついてくれる人がいた方が賑やかでいいのよ。だってうち、すこし静かすぎるもの」


 ……本当に、そうだったらどれほど輝かしい未来が待っていたか。

 嗚咽と共に涙がこぼれ落ちていく様を、私はただ見守り続ける。

 大の大人が泣き続けていても情けないとは思わない。

 時に人は、年月を経た大人になってしまっただけ泣くのが難しい時がある。誰かを守る側だったこの人はたぶん、いつも頑張りすぎていた。そういう人だから私はたくさん助けられてきたけれど、同時に前に立つばっかりで泣きどころを失っていたのだと思う。

 それがわかるから、私も切りだした。いつかコンラートの地で泣かせてもらったように、下手ながらもやり方を見習って。


「……死んでは駄目よ」


 誰ともなく言った。


「あなたは死んでは駄目。もし死にたいなら、目標がないのなら、彼女の守ったゾフィーや子供達、それに私を見届けてからにしなさい」


 これが功を成すかは誰にもわからないが、少なくとも、子供達に手を引かれた彼の救いになってくれたらと切に願う。

 ジェフはしんしんと泣き続け、やがて涙も落ち着いた頃に私たちはお暇した。

 別れ際、ジェフはこう言った。


「もうしばらくしたら役目に戻ります。それまで、私の席は空けておいてもらえるでしょうか」

「まだ休んでていいのよ?」

「いいえ、ここでは大分休ませてもらった。私もいつまでも世話になるわけにはいかない。それに子供達も、役目をこなしながらでも会えるはずだ」


 泣いたためか、目にわずかながら光が宿っている。

 完全に吹っ切れたわけではないが、自然な笑みを浮かべていたのだ。

 だったら私が返すべき言葉はこうだ。


「いまの護衛はニーカさんなんですけど、ちょっと怖いところはあるけど、護衛としてはとっても優秀なんです。役目を奪われないよう急いでくださいね」


 生意気を言ったせいか髪を乱暴にかき混ぜられた。

 そこには見知らぬ顔の、よく知った私の守り役が微笑を交えながら口元を歪めている。


「じゃあ、またね」

「また」


 満足とは言い難い結果、充分とはいえない感情の置きどころ。そんなものを呑み合わせたジェフと別れ、私も歩く。

 つかず離れず付いてくるのは、やっぱりと言おうか赤毛の女傑。彼女は言葉通り何も言わず、存在をなくしてついてきた。


「ニーカさん、なにか言いたいことあります?」

「ありませんよ」

「そうですか。でも私はあります」


 人と人との付き合いって、当然だけど回数を重ねる毎に印象が変わる。いい人だなと思ったのが苦手な人で、怖いなと思った人が実はいい人で。たまには見た目そのままの人もいるけど、大体はそんなことの繰り返し。

 ニーカさんの場合は、好きだけど新しい側面がひとつわかった。


「ニーカさん、ライナルト様のためなら、相手になんでも捨てさせる人ですよね」

「はい」

「私が嫌だっていってもライナルト様と一緒にさせる気ですよね」

「ええ、その通りです」


 軽やかだった。

 いつだったか彼女は自分を「悪い人」と評した。その答えはこれだ。

 彼女はライナルトを大事にしている。

 はじめそれは大切な友人だからと思っていたが、いまは少し違う。それは極端なまでの一種の歪み。彼が決めたこと、彼が大事にしたいと思ったことのためなら、何がなんでも手に入れる人だ。


「ですから一つだけ謝罪しなければならない。私はライナルトが貴女を特別な対象として見ているとは思っていましたが、真実心から揺り動かされたほどの存在なのだと至ったのは、皇妃の話をされた瞬間ではなかった。誘拐された後です」

「それって……」

「誓って、皇太后側には情報を漏らしていません。ただ気付くのがもう少し早ければ、私にも動きようがあった。力なき市民が命を落とさずに済んだ、貴女が苦しむ必要はなかったと、それだけは悔やんでいます」


 ……ああ、そうか。

 アヒムに連れられ森を駆け抜けたとき、すれ違った彼女の表情の意味がやっとわかった気がする。

  

「愛情でしょうか」

「それはないですね。私はライナルトを好いてはいても、愛してはいない。少なくとも男としての愛情は向けていません」

「家族、みたいな?」

「残念ながらあんな家族は嫌です」

「……すみません、私には少し分かり難い感覚かもしれない」

「不安にさせるのは本意ではありません。ですからせめて申し上げるとすれば、そうですね。恋や、愛。そういった感情は、十代の頃に消え去っています」

「どうしてそこまで尽くすんですか」

「尽くしてる……とは違いますが、説明が難しいですね。ただ、血塗られた道以外の幸せを見つけてもらいたかった気持ちはあります」


 だから安心しろというのか。言っておくが断じて安心していない。

 ライバル視してるのではなく、意外とこの人は怖いぞという意味でだ。


「ですがカレン嬢、貴女はひとつ誤解されている」


 ……呼び方が変わった。嫌な予感がする。

 ぎくしゃくした動きで振り返れば、そこには困ったなあ、といった様子を隠さない笑顔だ。


「貴女は私がライナルトと一緒にさせると言いましたが、正直なところ、あいつがああも本気になって決めてしまったら私が手を貸す必要なんてないんです」

「ほ、んき……」

「覚悟してください。絶対にあいつは貴女を諦めませんし、どんな手段を用いても口説きに来ます。なぜなら貴女はライナルトの心をどうしようもなく掴んでしまった。なら、手放せるはずがありません」


 笑顔が、笑顔が怖い……!

 この言葉の意味を知ったのは、さらに数日経過してからになる。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 確かにチェルシーの死は辛い事でしょう。 でもカレンがいなかったらとっくに2人は死んで幸せな時間はなかったと思います。 それについてジェフが全く言及しないのはちょっとなぁと思います。 …
[一言] 将来、ジェフがゾフィーの素敵な旦那様になり、彼女の子ども達にとっても頼りがいのある愛情深い父親となって、温かい家庭で幸福に暮らしてほしいなぁ。
[一言] ジェフとの会話は思わず涙が溢れてしまいました。それぞれが、相手を思いやる気持ちが伝わってきて、あったかもしれない未来を想像すると切ないです。優しさが伝わってきます。 ニーカさん、ブレないです…
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