340:おじさんは泣いていなかった
ゾフィーさん宅がある区画は賑やかで、集合住宅や一軒家が混沌として集う場所だ。家賃はお手頃であるものの、治安はそれなりに良く、ちょっと歩けば子供達が駆けっこしている。湧き出る温泉を利用して洗濯物に勤しむ主婦達が愚痴や噂に大盛り上がりだ。
やや造りは古いものの、庭付きの一軒家。
日中のゾフィーさんは仕事。子供達は学校だから、家の中は居候のジェフひとりと聞いている。
「ニーカさんはいつからジェフがここにいるって聞いてたんですか」
「はじめからです。コンラートの状況はヘリングから逐一報告をもらっていたので」
「……それ、ジェフが良からぬ企みをするかもしれないって疑惑もあります?」
「それが役目ですから」
ニーカさんも包み隠さず言うようになってきた。
でも、たしかにそうだ。一連の誘拐事件は元を辿れば宮廷の諍いが原因。犯人は割れているものの、ジェフの怒りがどこに向くかわからない点では、ニーカさんはジェフを警戒せねばならなかった。
護衛は彼女ひとりだが、正直これは疑わしい。ゾフィーさん宅に行くと言ったときのニーカさんは渋りもしなかった。頷き一つで返事をし、歩いて行くという私に反対もしない。それどころか同行を申し出て並んで歩く始末だから、周囲を探れば他にも誰か見つかるかもしれなかった。
「行かないのですか?」
「心の準備中です」
玄関前から進む勇気が出ない。
ちゃんと向き合おうと覚悟を決めていたはずなのに、いざ会うとなると足が震える。
すう、はあ、と深呼吸を繰り返しノックのための金具を掴もうとしたときだった。
「カレン様?」
聞き慣れた声だった。
中年の男性、ゾフィーさんの家にいておかしくなくて、私の名前を知っているとなれば、それはもう一人しか該当しない。
拳を握りしめて振り返った……ら……。
…………誰?
知らない人だった。
端的に表現するなら美中年だ。顔の彫りが深く、ややつり目がちの端正な顔立ちをしている。
武芸を習っているのか、薄手の作業シャツ越しでも鍛え上げられた体躯が見て取れる。片手に食料品の詰まった紙袋を抱えているのだが、その姿には見覚えがあった。
「ジェフ?」
兜の存在を除けば、ジェフの姿にそっくりそのまま重なる。顔の作りこそ私の知っているジェフリー、もといジェフと正反対だが、髪と瞳の色は記憶と一緒だ。
伸びた髪を後ろで一括りにした男性は「ああ」と自身の頬を撫でた。
「顔を変えたことは知らされてなかったのですか」
と言って、ポケットから鍵を取り出し扉を開けた。
「まだ片付いていない。中は散らかっていますが大丈夫ですか」
「あ、はい。私は、どこでも」
つい縮こまってしまうのは彼が纏う雰囲気が違ったせいだ。
期待していたわけではなかったが、やはりにこりとも笑わない。憎しみや怒りといった感情はないが、喜びも感じないのだ。兜がないから、なおさら相手の表情を気にしてしまうのもあった。
淡々と事務的に対応しているのが伝わってくるし、ニーカさんに話しかけるときも同様だった。
「貴女も入られるかな?」
「もちろんだ、入らせてもらう」
「警戒せずとも害は加えない」
「それを信用していては私の仕事は立ち行かないよ。貴殿なら理解できるはずだ」
「……わかった」
「なるべく口出ししたくない。凶器になりそうなものからは距離を取ってくれ」
「了解した」
「貴殿が手出ししない限り私は壁だ。いないものとして扱ってくれ」
ゾフィーさんの家は家主のゾフィーさんとお子さん二人が住んでいた。子供は両方男の子で、エミールやヴェンデルとも仲良くしてくれている。やんちゃ盛りだが、お母さん思いで正義感も強い。そして元気が有り余っているぶんだけ、同じくらい家が散らかっている。食堂兼応接間はゲーム盤をはじめとした玩具類、木刀や洋服が散らかっていて、中にはゾフィーさんの上着も置きっぱなしだ。
ジェフは玩具等を慣れた様子で拾い、片付けながら言う。
「家事などは、いまは世話になっている私がやっています。朝は洗濯物と朝食を優先したので、片付けがまだでした。見苦しいですがお許しを」
「ジェフが全部やってるんだ……」
「世話になっているので。……ああ、なるほど、彼女が部屋の片付けを優先して欲しいと言っていたのは、カレン様が来るからだったか」
……あ、なるほど。ゾフィーさんはジェフに私のことは伝えていなかったのか。
きっとゾフィーさんは見せたくなかったであろう散らかったお部屋を目撃してしまったが、これは責任をもって記憶を消去しよう。
慣れた手つきで片付けを終えた彼が席に着いたとき、剣は遠く、両手は膝の上にあった。
「い……いつ、顔を、変えたの?」
話題を求めた結果、出たのはこんな質問だった。
目を見られない。ジェフも私をみようとはしないし、顎も俯きがちだった。
「貴女が保護されて、すぐ。ゾフィーの元で世話になっていたら、街中でファルクラム時代の知った顔を見つけました」
「え!? あ、でもそのときは兜を被っていたのよね」
「ええ、向こうは私に気付きませんでしたが、これからファルクラムから流れてくる者は増える。ゾフィー達に迷惑をかけるやもしれなかったので、シャハナ長老に頼み、そのまま施術を」
普通に考える整形なら何ヶ月もかける大手術だが、そこは魔法のあるこの世界。物理的な傷で患者に魔力が充実しており、腕の良い魔法使いと医者さえいれば治りも早い。
「……無事に終わって良かったです」
「ゾフィーも安心していた。彼女は私が自ら命を絶つのではないかと考えていたので、顔を変えたいのであれば多少なりとも生きる意思があるとみなしたのでしょう」
「そっか……。そういえばどうしてこの家に?」
彼女の家にお世話になることを決めたのか、私はその経緯を知らない。
ジェフはぽつりぽつりと話し始めた。
「チェルシーの葬儀の後……特にやることもなく、いつも通りに過ごしていたのですが」
話では身体に染みついた日常生活を送っていたらしいが、これはあくまでも本人談。周囲からすれば違和感があっただろう。
彼は公園に座っていたところで子供に話しかけられた。
「ゾフィーの長男レオです。葬儀の時に会って話もしていたそうですが、私は覚えておらず……」
「何を話したの?」
「なんだったでしょうか。正直なところ、そのときの記憶ははっきりしていない」
ただ、最後の会話は覚えている。
レオくんはジェフの手を掴んで言った。
「やることがないなら、うちにきてはどうか、と」
「――それで決めたのね」
「従うつもりはなかったのですが、いつのまにか弟のヴィリもいて、手を引っ張るので……振り払うわけにも、いかず……」
そうして兄弟はジェフを自宅に連れ帰ったそうだ。
家で休んでいたゾフィーさんは彼の姿に驚いたらしいが、絶句している彼女を息子達が説得する姿に、ジェフは久方ぶりに思考した。
「チェルシーが最後に何を守ろうとしたのか、私は聞いていても知らなかったなと……」
それでコンラートを出て、ゾフィーさんの家に世話になるとを決めた。ウェイトリーさんに話をしたときは、なぜかすべて了承済みだったそう。
「話してくれてありがとう。元気だとわかってよかった」
「……いえ」
だがこれ以上が続かない。
しかしここまで話させておいて、私が黙りなんてこともできない。言わねばならない場面だと意を決して顔を上げた。
「今回は、私が――」
「詫びでしたら不要です」
考えていた台詞が全部頭の中から飛んだ。
「失礼。強く言ったつもりはなかったのですが、驚かせたのなら申し訳ない」
「あ、い、いいえ」
「ですがいま言った通りです、詫びは不要だ。謝罪もやめていただきたい」
「……それは何故でしょう」
「…………チェルシーが貴女を守ろうとしたからです。それを、無駄にしたくない」
絞り出された声量だった。上半身を前のめりにしながらうつむき、固く両手を握りしめている。
「情けない、もう少し穏やかに話せるつもりでしたが、このような醜態を晒すとは」
「当たり前の反応ではないですか。私が原因で馬車が襲われたのですから」
「何が原因だったかはすべて聞いています。本当に悪いのは愚かな企みをした悪人共だ。私とてかつて国に仕え、守る御方を頂いた身。どうしようもない理不尽な死があるくらいは承知しています」
それでも、と言う。
「お許しを。貴女達は悪くない。悪くないとわかっているのに、私は未だにどう向き合ったら良いのか、はっきりと自らに答えを出せないのです」
「まだ、会うのは早かった……?」
「追い返すつもりはありません。カレン様とて、今日は勇気を振り絞ってこられたのでしょう」
自分に余裕がないのに、私を慮ることができるジェフは素直にすごい人だと称賛したい。ただ、だからこそ聞いておかねばならなかった。
「ジェフは私を憎いと思う?」




