339:いなくなった人達を少し懐かしんで
ヴェンデルはラスクにたっぷりの薔薇や林檎のジャムを塗りたくる。こうして見ると、この子の味覚は亡きヘンリック夫人に育てられたんだなあ、といなくなった人を懐かしんだ。
「別に黙ってたわけじゃないよ。でもさ、カレンの容体を考えたらああするのが得策じゃん」
「それは一応だけど納得した。だけどね、問題はその後です」
「ああ、黙ってたこと?」
「そう。一体いつから知ってたの」
「知ってたって、へーかがカレンのこと好きだってヤツ?」
「う……そ、そう、それ」
この場にはウェイトリーさんのみならず、父さん、エミールだっているのにヴェンデルはお構いなしだ。しかしここで恥ずかしがっては負けてしまう。何に負けるかはわからないけどとにかく負けるのだ。
「知ってたもなにも、攫われて宮廷に行ったときには原因を説明されて謝られた」
「そ、それでそのままにしてたの!? 私が宮廷預かりになったときも!?」
「そうだよ?」
私の義息子は悪びれた様子がない。
「無事を確認するまでは僕も怒ってたけど、ちゃんと看てあげなきゃならないし、あそこが安全なのは本当だったじゃないか」
「そうだけど……」
「まぁさ、明かしてあげても良かったけど……」
机の上には一枚の絵がある。
これは今日の保護者参観のためにヴェンデルが描いた家族の肖像画だ。
そこにはコンラート面々に加え父さんやエミールが描かれており、これに感激した父さんから帰ってくるなり報告されてしまった。
ファルクラムじゃ市井、貴族の学校どちらにしても保護者参観なんて行事がない。従って父さんが学校で子供達の発表なんて見学する機会はなく、すごーーーーく興味を持っていたので交代をお願いしたのだ。
父さんはいたく喜んでいたが、ちゃっかりお小遣いをせしめたヴェンデルは抜け目がない。
……ちなみに来月はエミールの番で、父さんは早くもその日の予定を空けているが、エミールの学年になると課題が研究発表と成り代わり難しいらしい。
「考えてみてよ。僕らがカレンに告げ口して、今回みたい飛び出されたら、どうしたらいいのさ」
「なによそれ」
「どうかんがえたって悪い方に運ぶじゃん。誘拐に関しては文句もたくさん言ったけど、滞在中はカレンだって安心してた。ああいうの見てきて、余計な口を挟もうとは思わないよ」
「……い、言いたいことはわかるけど、相手が相手なのよ。もっと大事に考えた方がいいと思うの」
「恋愛に第三者が割り込むのが一番ややこしい。言って良いのは仲が拗れた場合の責任を最後まで取れるヤツだけだってクロードが言ってた」
「ぐ……」
「僕は無理。家の誰でも無理。じゃあ見守るしかない」
クロードさん、いつの間にそんな教育を……。
「父さんもそういうの大変そうだったしさ、僕だって黙っておこうかってなるよ。僕たちだってどうなるかわからなかったんだし、そのことを言われてもなー」
なので堂々としているのだ。
しかし言いくるめられるのは悔しくて、私も無意味にジャムを塗り重ねた。
「どうなるか、って、どうなるのよ」
「だってカレンと陛下、くっつくの時間の問題だったし」
「そんなことありません。立場と常識を考えなさい」
「立場と常識をわきまえる人だったら、当主代理には落ち着かないし、国の存続がかかってるときに、隣国の確実かどうかもわからない皇太子に保護をもちかけたりはしなーい」
味がしない。
「姉さん、砂糖を入れていないのに混ぜすぎです。落ち着いてください、こぼしてます」
「僕、そのあたりもう覚悟してたよ。皇妃様って聞いたときは流石にびっくりしたけど、でも側室よりはいいよ」
「なぁ……!」
「……それはお母上が……なんだ、正妻ではなかったからかい?」
「あー……誤解しないでねお爺ちゃん。僕は……それに母さんや兄ちゃんも気にしてなかったよ。でもそうじゃないと大変そうだなあっていうのはなんとなくわかる」
それは伯の愛情がエマ先生のみに注がれていて、二人共お互い良く在ろうと努めていたからでは……と思う時がある。ちらりとウェイトリーさんを見れば、なんとも言えない表情でうっすら微笑んでいた。
なお、私が伯と夫婦関係で無かったことを父さんは知っている。
私がきちんと話したのは父さんがこちらに来てからだけど、父さんはずっと前から知っていたと教えられた。
いつから、と問えば、兄さんの当主就任の昼会のときから。
あのとき伯は父さん達のところに挨拶に向かっていた。その時にざっくりとだけど話を聞いていたそうだ。その頃には母さんもいたはずだけど、彼女が何と答えたかは私は知らないし、父さんも語ろうとはしない。
「いま思うと地方のコンラートでさえ、僕が知らないところで色々あったんだろうなってことがたくさんあった。だからオルレンドルだったらもっと、ね」
「こんなことを聞くのはなんだが、カレンが……その、皇妃になったら」
「禁書も読み放題だよねー」
うまく誤魔化すものだ。
「とーにーかーくー。そっちについては僕は関わらないよ。でも誘拐についてはちゃんと怒っておいた。陛下も気をつけるからもう大丈夫だよ」
「怒っておいた?」
「そ。ちゃーんと叱っておいたからね」
なんてことないように言った傍ら、ヴェンデルから見えない位置で、ジルと寛いでいたエミールが何か言いたげに首を振っている。そしてぐっと拳を握りしめ、シュッと拳を突き出した。
…………なるほど。
「……よく陛下を叱るなんてできたわね」
「だって約束を破ったし」
「約束?」
「ひみつー」
後からエミールが教えてくれたのだが、ヴェンデルは結構な間お怒りが解けなかったらしく、私の保護後はライナルトに相当愚痴を言っていたらしい。
「それはともかくさ、僕はひとことカレンに言っておきたいんだけど」
「今度はなに」
「そろそろ会えると思うよ」
誰が、とあえて言ってこないのがこの子の優しさだ。
「……元気にしてる?」
「前よりは大分元気。といっても、コンラートにはほとんどいなかった。最近顔を出すようになったから、そろそろ会って話せると思う」
「うちにいなかったのね」
「うん。でもこれは話さなかったんじゃないよ。本人が希望したから話題にしなかったし、聞かれても黙ってるつもりだった。あのときはいま会っても困るからって言ってたけど、いい加減会っておかなきゃ、陛下にどんな返事するにしたって、カレンは踏ん切りつかないんじゃない」
落ち着いたとの報せは安心するけど、直接会える状態ではなかったと推察される言葉が気にかかる。
いまなら不在にしていた事情なども聞けば教えてくれるだろうが、なんとなく、それはやめた。それは自分が直接確かめる必要があると思ったのだ。
逃げて逃げて逃げ回ったから、とうとう向き合わねばならない。
チェルシーの死と、妹を失ったジェフに。
「ほんと、よくできた義息子だこと」
「義母が頼りなさ過ぎなんだよ。そのせいで僕がしっかりしなくちゃならないし、もうちょっと子供でいさせてほしいよね」
「その役目はしばらくお爺ちゃんに譲る。私、もうしばらくはあなたに頼らないと駄目そうだわ」
「いいよ、任されてあげる」
迷惑をかけるのに嬉しそうに言うではないか。
「冷えてきたからかしらね、今日はやたらと皆を思い出すわ」
「奇遇~。僕も昨日父さんの夢見た」
「伯はなにをやってた?」
「母さんと庭でお茶してた。兄ちゃんやニコもいたけど、僕やカレンの席はないでやんの。それに給仕はヘンリック夫人だったけど、お茶淹れはウェイトリーの方が上手だし、ぜんぜんなってない」
「薄情な人たちねぇ」
「でしょ。だから腹が立って虫を投げちゃった。弱った蝉に、カマキリに、団子虫。コオロギもいた。ほかにもたくさんいたからそれも全部」
「怖い子ねぇ。で、虫嫌いのニコはどうだったの」
「花嫁衣装が虫だらけで半べそ。兄ちゃんがすごい顔で追いかけてきた」
「……そこは花嫁衣装なんだ」
「夢だし。でも僕たちを無視するのは許せない。でしょ、ウェイトリー」
「わたくしを差し置いて給仕はなっておりませんね」
夢の中だからやりたい放題だ。私は飛んでくる虫の恐怖に腕を撫ですさったが、同時に安堵と寂しさを覚えている。
私たちはとうとう故人の悪口を言って、笑い合えるまでになったのか。
死に様よりも笑っている姿を思い出すことが多くなったのは良いことのはずなのに、存在が少し遠くなった気がしてしまう。
――君は君らしく己が目で確かめ、そして自分の道を決めなさい。
その言葉をいまも覚えている。
あれがなかったら、私はここには立っていない。ライナルトに賭ける可能性は考えても、決断には至れなかった。
「カレンは?」
「ん?」
「エルねーちゃん」
「あっちはだめ。全然だめ。昔を思い出すことはあっても動いてくれるなんてしてくれない。きっとばかみたいに矜持が高かったせいよ。私の思い通りにすらなってくれないし、出てきたらふりふりのレースを着せて飾ってやるのに」
「うわ、嫌がりそう」
「それがそうでもないのよ。ルカによれば、レースがたくさん付いたお洋服とかって、エルの影響があるみたいだし」
エルは、まだその境地には完全に至れないけれど、少なくとも彼女が遺してくれた子達が私の味方になってくれている。助けてくれている。
……ライナルトとの恋を、見守ってくれている。
「で、ヴェンデル。ジェフはいまどこで寝泊まりしてるの?」
「ゾフィーの家。いつでもいると思うよ」
「ありがと」
「どういたしまして」




