336:どうせ反対しても無駄なのだし
新しい場所に移っておくべきだったと後悔したのは翌日だ。
「お引き取り下さい!」
「あら、あたくしと貴女の仲なのに連れないことをおっしゃるわ」
「どんな仲ですか!」
「皇妃の座を競い合った仲」
「記憶の捏造は困ります」
「そんなのはどうでもいいのよ。ところでアレクシスはいないのかしら」
「父でしたら義息子の保護者参観に行きました。帰りは子供達と一緒ですから、ひとりになる時間はありませんよ」
「長居する理由がなくなってしまったわねえ」
リリー来襲である。
「皇帝陛下を袖にした稀代の悪女は元気そうね、よかったわ」
「なんてこと言うんですか」
「貴女のいまの世評を踏まえたらそんな感じよ? もっとも、これからそれらしい詩歌が作られるだろうからどうなるかわからないけど。ところでその反応は皇妃になる覚悟ができたのかしらね。早すぎてつまらないわ」
「違いますやめてくださいそのまま回れ右してもらいますよ」
「貫禄が出てきたじゃないの。あら、そちらが噂の使い魔さん? 随分少女趣味なお人形だけど、嫌いじゃないわ。黒い鳥さんは……ふくふくしてやぼったいわね。こちらの扇子に乗ってはいかが?」
「ちょっとリリー! ここは人の家なんですけど!」
「当然でしょう。我が家はもっと色彩豊かな明るい内装でしてよ」
扇子に飛び乗った黒鳥を従え、誰に案内されるまでもなく上がり込んでしまう。
この力業系を伺わせる態度、じつにオルレンドル貴族らしい貴族だ。それとも私の周りが特殊なだけだろうか。もっとまともな貴族もいるはずだと思いたい。
「まったく、ただでさえ忙しいのにライナルトの皇妃騒動に巻き込まれているのよ。あたくしに関係ない話じゃないから手伝ってあげているけど、少しは労って欲しいものだわ」
「……まさか陛下になにか言われて来たのではないでしょうね」
「心外ね。あのろくでなしが振られたと耳にしたから、面白そうだし見に来ただけよ」
椅子に深く腰掛けくつろいでいた。疲れているのは本当らしく、エリーザに肩を揉ませている。
「はぁ……」
「あたくしを前にしてため息なんて贅沢な子ね」
「深い意味はありません。それよりも、なんでわざわざ家に来られたのですか。面白そうだからなんて、信じませんよ」
「疑い深くなっちゃってまぁ」
「リリー」
余裕がないのが伝わったのか、肩をすくめる彼女は揶揄うのをやめた。
「とはいってもねえ、興味があったから来たのは本当なのよ。だって妃なんて不要と言ってたライナルトが皇妃を持つ決断を固めた上に、それがまさかの貴女だっていうじゃないの」
「……私は了承しておりません」
「知ってるわよ。でも彼が決めたからにはそうするでしょうし……ねえ、今朝の宮廷がどれほど慌ただしかったか教えて差し上げましょうか」
「……どうなってるんです?」
「うふ。秘密」
「怒りますよ」
「怒った顔も素敵。年下の女の子に叱られるのも好きだけど、その様子じゃ何も知らないのかしら」
「それどころじゃなかったんです。リリーがどこまで把握しているかも……」
「大体知ってるわよ。貴女が攫われた理由とか、最近の動向あたりまででいいのなら、だけど」
「ほとんど全部じゃないですか……」
「やあねえ、人の心の内までは読み取れなくてよ」
これだからリリーを相手にするのは疲れるのだ。
彼女は私がまだ何も知らないことを疑問に思ったようだが、そう、私はまだなにも聞いていない。
なにせライナルトのこく……あれは昨日の出来事で 昨日は始終頭がパニック状態で、ライナルトが何をする気なのかすら聞きそびれてしまっている。
彼が帰った後だって父さんに言われるままに一休みして、気を落ちつかせていたらあっという間に朝だ。おかげでニーカさんとは話すタイミングを逃した。
そんなニーカさんはいまは軍服じゃなく私服姿。監視兼護衛を買って出てくれたらしいが、リリーが来ていなかったら、いまごろ彼女から話を聞き出していたはずだった。
「シュトックに向かうにあたってはあたくしのところの手練もお貸ししたのも知らなかった?」
「……知りません」
「そう、じゃあ余程貴女に知られたくなかったのでしょう。だったらいずれバーレにも礼を言っておいた方がよろしくてよ」
「待ってください、バーレも絡んでるんですか」
「だって貴女が攫われてからすぐ動く必要があったのよ。即日秘密裏に腕利きを集めるとなったら、正規兵だけではちょっとね」
このあたりの交渉は宰相リヒャルトが行ったものらしい。そこで思いもしない話を聞かされた。
「あたくしやバーレを使うよう進言したのは宰相閣下よ。特にバーレの前当主と顔見知りだったのもあって、老体に鞭打って直接掛け合いに行ったと聞いてる」
「どうして宰相閣下が」
「さて、何故かしらね。一般的に考えたらあたくしたちの親愛なる皇帝陛下の助けになるべくとした進言でしょうけど……どちらにせよ、あたくしには宰相閣下のお考えはわからないわ」
含む物言いは引っかかるが、憶測で聞くよりは、確実に彼女が知っている部分の話を聞きたい。
ここまでの話に相違ないかニーカさんに確認を取ったが、すべて間違いない、と彼女は頷いた。
「どちらにせよ、複数の方面から確認を取るつもりでした。せっかくですからここでお聞きしたいのですが……」
「エリーザは大丈夫よ。この子、口が軽そうに見えて律儀ですからね。まして恩人の悩みは吹聴しないわ」
にっこり笑顔のエリーザにも微笑み返して言った。
「私が攫われた理由、陛下が私を……その、皇妃に据えたいと言ったからで間違いないのですよね」
「あら、それなの。だったらあたくし喜んで話しちゃうけど、サガノフはいいの?」
「どうぞ。間違いがあれば私が訂正します」
「許可が出たし、じゃあせっかくだから教えちゃう。アレクシスの顔が見られたらと思ってきたけど、これなら来た甲斐があったわ」
「父は駄目です」
「あたくし、これでも殿方は大事にする女よ。浮気とか、横領とか、公の座を狙うとか、あたくしのお気に入りに手を出さない限りはね?」
「駄目ったら駄目。早く別の人を見つけてください。大体、あなたにはベルトランド様を紹介したじゃないですか」
「おかげさまで楽しいひとときを過ごせたし、バーレとも良いご縁が繋がったけど、あの人とはもう終わったわ。いまはアレクシスほど真面目で苦労性な影のある殿方が見つからないの」
これまでのリリーの夫が早くに亡くなっている理由が見えた気がしたが、それよりも早くリリー好みの別の男性が見つからないものか。
父さんの身は私とエミールで守らなければ。
それともいっそ彼女の好みに合う人を探しだし贄……じゃない紹介を……違う違うそうじゃない。
「そうねえ、まあ、攫われた理由はそれで合ってるわよ」
「理由は?」
「少し順序立てて話しましょうか。ある日ね、ライナルトがあたくしや宰相閣下、それにアーベラインを呼び出していったのよ。コンラートのカレンを皇妃に据えるって」
リリーが絡んでいるのは、彼女が次期皇妃に近い人物だったのもあるが、皇位簒奪における立役者であり、遠縁ではあるものの皇族と縁続きだ。皇妃になる気がないならば、と宰相閣下と協力してふさわしい女性を探していたと聞かされた。
「待ってください。リリーはその話を聞いて反対しなかったのですか」
「問題はいくらでもあるかもしれないけど、だからといって反対する理由はないのよ」
「どうしてですか。自分で言うのもなんですが、私は移住してきたばかりの外国人です。そのうえ身分も高くない、一度結婚だってしてるのに」
「そうねえ、アーベラインもそのあたりとっても強調して、諸侯に示しが付かないと力説していらしたけど、あたくしそこはどうでもいいのよね」
……どうでも、いい?
国外からの侵略を心配し、国の未来を憂いていたリリーらしくない発言だ。
ところが彼女は「だって」と扇子を一振りする。黒鳥はリリーの胸の谷間に落下した。
「どちらでもよかったのよ。そもそも陛下は唯一なんて求めはしない。あたくしほど弁えた女は他にいないし、他人があんな人間の意思を変えるなんてできない。いてもいなくても変わらないお飾り皇妃に期待するものなんてなにもなかったの」
「国内のまとめ上げはどうするのですか。彼らの輪が乱れては……」
「仮にも前皇帝陛下に反逆し皇女殿下を追い出した皇帝よ。決断した以上はそのくらいどうにかするでしょうし、できなければ論外よ」
彼女が探していたのは面倒事を起こさない、あるいは起こしたとしても与しやすい、操りやすい皇妃候補。
「宰相閣下はもうちょっと違うお考えがあったみたいだけど……。あたくしは貴女が皇妃になるのは反対しない。なぜって? あたくしがそれでいいと判断したからよ」
理由になってない理由を堂々と述べ、不敵に笑ってみせる美女だが、次の瞬間には両手の指を合わせながら、うら若き乙女みたいに唇をとがらせた。
「でも問題はここからだったのよね」
前回分ライナルトの抱擁イラストはしろ46さんのところにあります




