333:これほど言葉を尽くした人は他にいない
「私、帰ってくださいって何度も言ってますよね!」
「話があると何度も言った」
「話なんてありませんけど!?」
しつこい。
怒りをぶつけるも平然としているのが憎らしい。斧はすぐにすてられたけれど、そんなのいったいどこから持ってきたのか。
「大体、ドアを蹴破ってくるなんて乱暴です! 暴力に訴える人は嫌い!」
「ではもし私が言うことを聞いていたらどうするつもりだった」
「どうって」
「オルレンドルを出て行ったのではないか」
「なんっ……!?」
「初めの出会いと別れはなんだった。一介の貴族だった頃の私が貴方に逃げられたのがきっかけだったと、もう忘れてしまったか」
「そ……そそそんなことありません。いくらなんでもそんな、ことは……」
「否定するならそれもいいだろう。だがああも目の前で悲鳴を上げられては、黙って帰るなどできはしない」
「あなたは人に興味なんて示さないじゃないですか! なんでこんなときだけ!」
「貴方だけが特別だからだ」
一歩踏み出して近寄ろうとした。それが駄目。彼は話し合いとやらが望みなのだ、一度でも捕まって座らせられたら、どうやったって逃げられなくなる。咄嗟に目に飛び込んでいた枕を掴んで、そして投げる。目標は当然ライナルトだが、彼は避けもしない。胸のあたりでぼふんと跳ね返って、枕は無残にも床に落ちてしまった。
「ひ」
また一歩踏み出してくる。二つ目の枕を投げて、次は机に置いてあったペンを掴んで……そうやって投げ続けると、やっと動きが止まるけれど、なんともいえない悲しげな目をされる。
「だ、大体ですね、なにが話し合いに来たですか。話し合うもなにも、その前に人のこと騙してたのはそちらでしょう!」
「宮廷に連れて行った件なら、他に良い療養所がなかった」
「治療のためでしたっけ? わかってます、感謝してます! 私の治療には宮廷が最適でした、あそこ以上にきっと良い環境なんてなかった。そのくらい知ってますけど!?」
本を投げた。ぶっちゃけ私の行動は乱暴だ。大変よろしくないし怒られたって仕方がない。悪いとしかいいようがないけど、それよりもライナルトに近付いてほしくなかった。
「だからってあんなのあります!? 気付かなかった私だって悪いけど、皇妃なんて勝手に決められて喜ぶとでも思った!? そんな女に見えてましたか! いくらなんでもあんまりです!!」
「わかっている」
「わかってない!」
「正式に話を通すのもカレンの承諾を得てからだ。本来ならそのつもりだった」
「ぜんっっぜん承諾なんて得てない!」
「その通りだ。すまなかった」
「すまなかったというなら帰ってくださいます!?」
もういやだ、ライナルトと話していると頭がおかしくなりそう。こんな風に怒りに身を任せて話したくない、怒鳴りたくない、キィキィ叫びたいわけじゃない。
なのに、私の思いと裏腹にライナルトは迫ってくる。
ある種の覚悟を決めた様子で一歩を踏み出してくる様が怖くて、手当たり次第にものを投げた。ペン、インク瓶、本、身体に当たっていて痛くないはずがないのに、投げても投げてもまるで引かない。
「そもそも正式ってなによ! なにそれ、なんで私が了承する流れができあがってるんですか! 大体それが原因なのに、そのせいであんな目に遭ったのに――」
「言葉もない。すべて事実だ」
「なに、私には言い訳する価値もないって言いたいの!?」
「違う、そうではない」
「ええ、ええ、わかってます。わかっております。あなた様は皇帝陛下です、そして私は臣下! もちろん臣下が王に従うのは当然のこと、それに皇位を手にされたのですもの、もう私なんて不要なのかもしれませんが……でも!」
腹が立って自分でも何を叫んだのか不明だ。完全なる八つ当たりだが、ただただ彼を見ているだけでも次から次へ怒りがわいてくる。
いまでも思い出せる。
宮廷に匿われてからの対応は、すべて「未来の皇妃」のためだったとわかったときの悲しさが。
「ひどい」
蔑ろにされた気になっていた。
親切にしたいと言われて、実際優しくしてもらってきた。この人と時間を過ごしてきた。この感情を大事にしながらあたためていた。なのに皇妃なんて決められて、なにもかもが用意されたら、それらがすべて駄目にされたみたいで――こんな関係は長続きするはずもなかったしライナルトが守る必要もなかったのに――それが壊されたのだと勝手に悲しんで、怒っている。
いやだいやだ。こんなわめく姿、ライナルトの臣下に相応しい態度じゃない。無様でみっともなさすぎて、洗練のせの字だってないではないか。
「どうしていまの関係を壊したんですか!」
こんな自分は見て欲しくないから帰ってほしいのに。
手の中に固い感触があった。なにも考えずに投げたのが小型の文鎮だとわかった瞬間は背筋が凍ったが、ライナルトに当たることもなく落下すると安堵の息が漏れる。
その合間を狙われた。
「貴方を愛しているからだ」
――――。
心と体の均衡を保つのに失敗して、身体が言うことをきかなくなる。彼は私を捕まえると、今度こそ逃がさないと言わんばかりに言った。
「カレン、貴方に私の傍にいて欲しい。他の者では替えなどきかない人だと伝えるために今日は来た」
「う」
「嘘などついていない。こんな状況でいまなお嘘をつく真似はしない」
視線を逸らそうとして失敗してしまう。
情けない話なのだが、この瞬間に出回った噂のあれこれや、詳細とか、そんなものが吹っ飛んだ。
……怒りがしぼんで、足から力が抜ける。
「なんで、そんなこと言うの」
「離したくないからだ、それ以外になにがある」
ずるい。
許せなかったはずなのにこんな単純な一言で決意が揺らいでしまう。
怒りと逃げの反動は凄まじい。立つのに失敗して寝台に座らされるが、それでもやっぱり私は諦めが悪い。布団の上でもあうあう呻きながら上半身だけで這って逃げようとするも、ちょっと進むと引き戻される。逃げて、戻って、逃げて、戻されて……力尽きたところでもう一度座り直す羽目になった。
真正面にはしゃがみ、斜め下から視線を合わせてくるライナルトがいる。
「もっと早く言うべきだった。私の対応の遅さが原因だ、悪かった」
そうやって謝られると、本当に何も言えなくなる。こうなるのが目に見えていたから顔を合わせたくなかったの、彼はわかっているのだろうか。
「シスの助力があったとはいえ慌ただしく脱したはずだ。きちんと寝たか」
「関係ないです」
「その様子では寝ていないな」
「誰のせいですか」
「私だな」
少しだけ嬉しそうに笑うから、それがちょっと憎らしいと同時に可愛いとも感じる。
まだ言われた言葉がうまくかみ砕けない。上手に呑み込むにはなにもかもが突然すぎて、そのせいか照れとか恥ずかしい、なんかよりは疑惑が勝っている。
「意味がわからない……なんで……」
「わかるまで伝えてもいい」
「いい、いらない」
泣きそう。そして情緒不安定すぎて我ながら感情の起伏が激しくて、百面相もいいところだ。
「……妻なんて、家庭なんて興味ないって言った。あなたが見ているのは果てぬ夢ばかりです。違ったんですか」
「違わないな。そして認めよう。本音を言えば、私の本質は変わらない。おそらく変えようがないのは事実であり、貴方も私のどこかが壊れていることを知っている」
そうだ。ライナルトは誰かひとりを求めない、家庭を顧みる人じゃないと抱いた疑惑はいまもかわっていないし、本人からも肯定された。
だが、とライナルトは続ける。
「この世にただひとりだけ、私が人らしく気にかける存在がいるとすれば、それがカレンになる。貴方といるときだけは、私に欠落したなにかが埋まる。ゆえに触れたいとも感じるのだ」
果たしてそれは愛とよべるものなのか。ただ欠落した感情を埋めたいのだとしたら依存とどう違うのか。この問いを彼は否定した。
「依存とは誰か、あるいは他のものに寄りかかり、それによって成り立つものだ。ならば到底そうとは言い難いだろう。私は貴方がいなくとも立っていられるのだから」
「なら私がいてもいなくても変わらないじゃありませんか」
「かもしれないな。だがそれでも傍にいて欲しいと感じたことが重要だ」
目尻に伸びた指が涙を掬った。
「泣かれたら笑って欲しい、悲しむ顔は見たくない。そして笑顔を向ける対象は私であってもらいたい。そう考えるのは、一般的に恋というものだ。そういう意味で言うなら私は貴方を好いている」
「ま、まって、まってください。頭が追いつかない」
「ではこれだけは知ってくれ。あなたと過ごすうちに大切な人だと自覚した」
ライナルトから熱の籠もった言葉が出るのは衝撃的すぎて、さらに熱意を向けられるのが私である事実に冷静になれずにいる。
彼は私をよく知っていた。どんな言葉が、どんな感情がこの心を傾けるのに必要なのかを。
「皆が言う愛とやらは私には到底理解できぬものだが、私に人を慈しむ心とやらがあるとすれば、それが生まれ、感情が向く対象は貴方だけになる。そして欲しいとは思いこそすれど、傷ついてもらいたくないと感じるこれは、愛ではないだろうか」
私の知る愛がどんなものか思い返そうとしたが、よくよく考えれば私だって恋愛経験豊富なわけじゃない。転生前の記憶は薄れる一方だが、それでもここまで強く相手に焦がれ、想われたことはないはずだ。
いまの生ですら恋や愛なんて縁遠く、身近な例で比較しようにも、只人と一線を画す相手と比べるのは難しい。
だからライナルトの語る言葉は遠いのに、その言葉を理解したい、信じたいと願う自分がいる。
「臣下じゃだめなんですか。お側に仕えますって、そう約束したんだから」
「それでは不十分だ。それに皇帝となった以上はいずれ皇妃を立てねばならない日が来るやもしれない。初めこそ仮初めの皇妃で良いと考えていたが、いまは違う。いまの私が必要とし、傍にいてもらいたい人は貴方だけだ」
「そんなのを、信じろと」
「これを信じられないと言えるほど私たちは浅い付き合いではないはずだな」
真っ直ぐ言われるから逃げ場がない。
従って私が視線を逸らす先は自分の膝ぐらいしかなかった。
4巻に必ず付く書き下ろし
私が御使いになった日:在りし日の『山の都リト』に召喚された「辻本葵」の物語。本編中わずかに出ていた「御使い様」です。他1点




