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330:閑話 とある復讐鬼の結末・後

 オルレンドルの前々皇帝時代、父親は戦の名残でヨーに置き去りにされたことで奴隷商に捕まり、ヨー連合国はドゥクサス氏族の首長に買われた。


「……あれらの死に様は、いまでも笑えるな」

「まさか二世の奴隷に裏切られるなんて、って顔をしてたねえ。もっとも、きみの裏切りに気付いたのは死ぬ寸前だったけどさ」


 同じ奴隷であった母との間にこの男が生まれた。父はオルレンドル人としての誇りを捨てきれなかったのもあり、息子は外見がオルレンドル人そのままだったせいで蔑まれながら育ってきた。

 だから恨んだ。

 ドゥクサス氏族を恨んだ。この境遇に己と父を追いやった前々皇帝、ひいてはオルレンドル帝国人達を憎んだ。父と所帯を持ちたくなかったと泣いた母を恨んだ。

 ゆえに男は必死になって父の汚名をそそぐべくなんでもやった。働いて、働いて、汚れ仕事も引き受け続けてドゥクサス首長のお気に入りになった。努力が報われると首長の傍付きになることで国外にまで同行できたのだ。何度かに渡りカールの人となりを調べ上げると、今度は時間をかけてカールに接触し、彼の正義を揺さぶる賭けに勝った。綿密に内通を図って主人を殺させた。

 ドゥクサス氏族首長の殺害は、世間的にはカール皇帝陛下の失政と名高い話だ。

 一見思いつきじみた行動に思えるが、その実慎重な裏切りの果てにあの事件が起きている。


「カールのあの失策は有名だけど、いまでも笑えるのは誰もきっかけになった『奴隷の若者』のその後の行方を考えないことだ。もっとも、それはお前が頑張ったのかな。なんにせよ、関わり合いにならない方が良かったんだろうけど」

 

 実際はこうだ。

『奴隷の若者』はとある貴族を乗っ取った。

 騎士の家柄であるものの、当時は世間からあまり注目されていない家柄の男だった。新たな主の協力のもと若者を殺し、そのまま顔の形をそっくり作り替え、毒を盛られて声の質が変わったと周囲に言い張った。やたら用心深くなった男だが、疑心暗鬼に陥ったのだろうと納得させたのだ。親しい友人はいたが、告発するより前に彼らはどこかへ消えてしまった。賢い者は自らに危害が及ぶ前に国外へ逃げた。

 あるいは彼らには消せない誰かがいたとして『箱』の協力もあって記憶があやふやになった。

 この男はそうやって「バルドゥル」になったのだ。

 シスは顎をつく。

 馬鹿だなあ、と本気で呆れていた。

 間違えてはならないのは、いまのシスならいざ知らず、『箱のシクストゥス』は自らの解放のためにはなんだってやる存在だった点だ。

 自由になれるならなんでもよかった。この男が本気でオルレンドルを壊し、例えば皇帝の座を狙ってもよかった。『箱』を壊してくれるなら協力してやったのだ。だからわずかなりともチャンスがあると考え、誰にも男の秘密を話さなかった。


「お前はどこまでもカールに従順だったから、もうその気なんてないと思ってたよ。カールの元に居続けておいて、なんで最後に見捨てた」

「……はっ」

「あの時もどうせあとで迎えに来るとか、退路を確認してくるとかいって置き去りにしたんだろ。あれはびっくりしたんだぜ。とうとう身も心もカールの部下になってたのかって思ってたからさ」

「あの皇太子は、オルレンドルを強固にしそう、だったのでな。まだ……皇女の方が、周りを見ていない。ヨーに……」

「はぁ、将来的にヨーに進軍の隙を与えそうなのはヴィルヘルミナの方か。それにコルネリアもお前についてるからやりやすいもんなぁ」

「……どうせ私は、あの皇太子の信用がないのでな」

「なんだ、よくわかってんじゃん」


 げらげらとかつての『箱』を思わせる笑い声が木霊する。その間も壊れた女が彼らに反応を示すことはなく、ひたすら在りし日の栄華を繰り返し呟いていた。


「お前の誤算はカールが無能じゃなかったことか。次代に賭けられず、そりゃご愁傷様」

「…………思ったより馬鹿ではなかったな」

「んじゃさー、ついでにもう一つ教えて欲しいんだけど」


 これはシスではなく「もし男が生きていたら聞いておいてくれ」といった者の問いだ。


「侍医長と侍女頭に皇妃の件を話したのは誰だい」


 返事が無かった。

 知らないわけではない。あえて黙っているのだとわかっていながら続けた。


「周りがぼやいてたんだぜ。あの子を皇妃にするってのは限られた人間にしか話さなかったはずなのに、いつの間にか侍医長と侍女頭に話が回ったせいでややこしくなっちまった」

「宮廷に遮れる噂はない」

「嘘つけ。あの二人が皇太后派ってのは周知の事実だ。そのせいできみにまで話が行っちまった」

「察しはついているだろう」

「僕が聞きたいのは予測じゃなくて確実な名前だよ」

「……知らんな」


 その笑みの意味は誰にもわからない。

 だがそんなことはシスには関係ない。すがすがしいまでの笑顔を見せるシスは、バルドゥルの心境などどうでも良いのだが、相手が今も格好付けていることは鼻につく。

 そこでもう一つカードを切った。


「でもさあ、お前がそうしていられるのって、いつか自分の出自が明るみになって、オルレンドルとヨーの諍いの原因になればって目論んでるのもあるじゃん?」


 無言は肯定だ。この男はどんな些細なきっかけでもオルレンドルとヨーが戦争を起こし、両国が疲弊し、いつか朽ち果てるのを期待している。

 無論、将来的にヨーとオルレンドルは戦を起こす。ライナルトが皇帝である以上、それは絶対に避けられない道だが、それはバルドゥルが知らぬライナルトの野心だ。異母妹であるヴィルヘルミナこそライナルトの本性を見抜いたが、この男は最後まで見抜けなかった。新皇帝はただサゥ氏族を引き込み、オルレンドルとヨーの仲を強固にする存在として忌避したのだから。

 バルドゥルはヨーとオルレンドルの仲に亀裂を生みたい。

 カールはヨーとの国交回復を良しとしたが、バルドゥルとしては不本意そのものだったのだ。だから少しずつでも良い、あの事件はただの裏切りではなく、ヨーの裏切り者をオルレンドルが匿い続けていた事実が残って欲しい。

 いつか彼自身の名がヨーに渡り、世の中が乱れて欲しい。それが男の置き土産でもあるし、公開するための準備と機会はしっかり用意している。

 シスは笑顔で彼の企みに抉り込んだ。


「ところでさ、なんのために僕がお前のことを誰にも喋らず、それどころかライナルトにも伏せていたと思う?」


 シクストゥスが優しい表情を向けるときほどろくなことは起きない。

 そして常にカールの影にあったバルドゥルがこの表情を向けられたことはなかった。


「貴様、何を企んでいる」

「企むも何も、わかんないかな。僕はお前が嫌いなんだよ」


 両手を広げ道化師じみた仕草で大仰に言った。


「お前の存在自体をここから先、ぜーんぶ消すために決まってるじゃーん」

「なに……」

「なにって? 栄養が回ってないせいか? うん、そうだな。だから教えてやるよ。僕はお前のアテを全部潰してやった。もうすぐ明かされるはずだった皇室の尊厳を失うほどの不祥事の数々、ヨーの本国じゃオルレンドル人がどんな扱いをされているかを記した文書と、それらを真実とするための証言者として立てるつもりだった連中! お前がヨーの人間だって知ってる数少ない人間、ずうっと罪悪感を残してた医者と、顔を治療した魔法使い!」


 そこではじめてバルドゥルがまともに顔を上げ、シスはようやく満足感を得たのだ。


「特に医者なんて無理矢理手術させられたもんな。僕なら記憶を消してやれるって言ったら、喜んで了解したよ。よっぽど死体を参照にしながらお前の顔を刻めって言われたのが堪えてたんだろ。……怖かったろうなあ、いつ殺されるかわかったもんじゃないって恐怖にさらされ続ける生活はさ!」


 やっかいだったのは魔法院の長老シャハナか。

 当時手術に加わったのはシャハナの師もいたが、弟子である彼女も加わっていた。

 あの老女はどんな苦い記憶でも自らの行いを手放す気がなかった。おまけに長老だけあって常に魔法に対する防護を備えている。無理矢理記憶を消せなくはないが、抵抗されるのも面倒だと考えていたところで、思いがけないチャンスを得た。

『いいよ、魔法院の所属になってあげるよ』

 魔法院、ひいては彼女からの要請を承諾した時だった。

 いくらか渋るふりをしてから説得に応えた。ほっとしたシャハナが気を緩めた隙間を縫って、記憶を奪ったのだ。

 そしてバルドゥルの文書を預かっていたのは、名も無きオルレンドル帝国騎士団第一隊の者だ。いまもライナルトの目をくぐり抜け第一隊に所属しているが、その者を含め市井に交じっていた『従順な部下』の記憶を弄くった。


「でもさ、僕の証言だけじゃちょっと信じ切れないだろ。だからちゃんと持ってきたんだ」


 懐からある文書を取り出すと、バルドゥルがまともに立ち上がった。


「ほぅら、これがお前の撒くはずだった火種だよ。……おっとぉ」

「貴様!」

「ぶつかってくるなよぅ、危ないったらありゃしない」


 シスの手の平で文書が燃えていく。かつてないまでの男の咆哮が部屋に轟いたが、反応する者はいない。異様な速さで文書は燃え、燃えかすが足元に落ちると男が震える手でそれらを掬いだす。

 そこに声をかける。


「お前は失敗したんだよ」


 優しく、慈悲を持って、これまでの皇族に対する怨みを八つ当たりに変えて言った。


「長い間、裏の支配者気取りでせせら笑ってたんだろ? まだ皇帝は入れ替わったばっかりだ、お前の文書が公表されたら世間に混乱が生じるのは目に見えてる。騒ぎに乗じて、残した部下がお前の居場所を見つけ出して救出しにくると期待してなかったか」


 それは到底不可能だし、ライナルトはそこまで甘くないけどな、と内心で付け加えて。


「…………うんうん、安心しなよ。私は元『箱』だぞ。どんなに嫌だろうとお前の行動はちゃんと知ってたさ。信頼する部下は全部処理済みだ」


 そしてちょっと小首を傾げた。


「元奴隷として相手してやるより、前皇帝カールの“忠節者”バルドゥルと言ってやった方が嬉しいか? オルレンドルの人々とヨーの復讐のために名前を捨ててオルレンドル人になったきみは、いまやわずかに残った前皇帝カールの支持者にとっては英雄だ。嬉しいね、もしかして念願を叶え……」


 皆まで言えなかった。突如駆けたバルドゥルが斧を拾い、シスに斬りかかったためである。しかしながら斧は空を斬り、シスもまた無事だった。


「ああ、ああ、そうか。そいつはよかった。きみが生きてたからこそ僕もこの知らせを届けられて嬉しいよ。やっとのことできみのことが少しだけ、爪の垢程度は好きになれそうだ」

「私の……いや、そんな、そんなはずはない!」

「心配するなよ。きみの希望の芽は全部潰してきたから、これから先はわずかな光に縋って期待しなくていいんだ」

「ふざけるな、あれは私の希望だ! 私のすべてだ、ヨーで虐げられている奴隷達の光だ!」

「希望を見せてやりたいならとっとと助けに行ってやりゃあよかったんだよ。大言壮語を吐くだけなんて大分カールに感化されたな。結局ぬるま湯に浸って好き勝手するのが楽しかっただけだろ」

「違う!!」

「違わないよ」


 理由は後付けでなんとでもなるとシスは疑っていないが、おそらくこの男の中では今の言葉が真実なのだ。

 ――この男も大分変わった。

 だからこれ以上の会話は無意味だと、落胆を隠しもせず別れを告げる。


「お前はもう、名前は取り戻せないし、かつて憎んだオルレンドル人そのものだ。だからさオルレンドル人、息子と愛人を食った畜生として、飢えに苦しみ怯えながら死んでくれ」


 男は他にもなにか言っていたが、シスは斧を取り上げると颯爽と部屋を出て行った。刃物がなくとも死のうと思えば手段はあるが、どちらにしてもバルドゥルにはもう未来はない。

 来た道を戻り、月に照らされた大地の元に戻るとぐっと背伸びをした。


「案外すっきりしないもんだな」

 

 これは歴代の皇帝に復讐できなかったシスの八つ当たりである。

 これまでの鬱憤を考えれば到底足りるものではないが――あとはまぁ、可愛い弟子を苛めてくれたお礼も含むだろうか。

 正直なところ、愛しいシスティーナを殺し、相互理解を得られるはずだったエルネスタを殺したオルレンドルに未練は無い。ライナルトがオルレンドルをどんな風に持っていこうが、彼は時の流れとして受け入れるつもりであったが、彼を『箱』から出した転生人の行く末は気になっている。きっと放っておくこともしないだろうとも予感している。

 もっともこれは彼なりの友愛行動なので、あらゆる行動は人間の基準には当てはまらないのだが……。


「ああ、めんどくせぇ。馬鹿弟子め、なんて男に惚れて、おまけに惚れられてやがるんだ」


 などと悪態を吐いても簡単に関係を切れないのは知っている。

 再び中空に浮かぶと森を見下ろした。

 

 森が消える、神秘の名残がまたひとつこの世界から去っていく。


 そんな中で取り残される半精霊のようでちがうものになったシクストゥスは、せめて繋いだ縁を、厭だ厭だと言いながら捨てられない宝物みたいに抱え込む。

 だったら……だったらせめて、面白おかしく、強烈に記憶に刻まれるくらいに楽しく騒いでもらわないと、あまりにも寂しいではないか。

 いまごろ地下で絶望している男や、とうにこの世を去った愚か者なんて片腹で笑えるくらい、強烈に、鮮やかに。

 いつでも、どこでも、どれだけ時間が経っても思い出せるように。


 

 思い出という名の記憶の共有を図っていこうではないか。



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― 新着の感想 ―
[一言] バルドゥル、リュを基準にしたら意外と人間らしかった。しかし、奴隷の若者の行方がこの閑話でわかるとは伏線のはり方と回収がすごい! この作品は読み直すたびに新しい発見があって読みごたえがある。読…
[一言] 自己陶酔して死んでいったカールや、急に綺麗事を言い出したバルドゥルといい、死に際の小者臭がすごいな! それに比べてリューベックさんのブレない狂気とそれに続く死に方の見事さよ… いや、前者二人…
[一言] バルドゥルは、闇の中で引き続き希望を持ち続けていたかったのかな…。ヨーで虐げられている奴隷たちを助けに行ってたら、別の道があったのだろう。 シスの感情とバルドゥルの回に、接点余り感じてなか…
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