329:閑話 とある復讐鬼の結末・前
バルドゥルの結末です。
念のためお食事中の閲覧はご遠慮ください。グロさはないですが耐性ない方にはキツいです。
■避けたい人へ■
シスがバルドゥルに会いに行きます。
下20行目くらいからやや裏話に入り、後半は完全に大丈夫かと思われます。
好きな方向けですのでお楽しみください。
古い友人に会うため、ヒスムニッツの森にいた。
シスとしてはまだまだゆっくり身を休めたかったが、嫌なことは早めに済ませてしまうに限る。
未熟な使い魔から解放されたためか、それともこれから見つけるあるもののせいか、機嫌の悪さを隠そうともせず宙にあぐらを掻く。
その眼下に広がるのはヒスムニッツの広大な森、そして脆くも崩れ落ちたシュトックの城と、焼け落ちた屋敷だ。
「あの野郎、好き勝手やりやがって」
クラリッサの屋敷はどうでも良かった。
彼が悪態をついたのは遠方に見える木こり達の天幕で、早くも森を伐採する不届き者達の明かりが小さく灯っている。
ライナルトがヒスムニッツの森を捨てると決めたのだ。またひとつの森が人間によって消え去ってしまう悲しみに怒りを乗せていた。
邪魔をしてやりたい反面、しかし時の権力者に逆らう愚かさも知っている。個としてはいくら強い生命であろうとも、群れにはいずれ大敗を喫すのだ。それを知らぬシスではないから口を噤むしかない。彼に出来るのは人の営みが変わりゆく様を、厭だ厭だといいつつ昔を懐かしむくらいだ。
屋敷の上を飛んで回った。ニーカからもらった見取り図を開き、地上と地図を交互に見る。あたりをつけたのはしばらく経ち、それも瓦礫に埋もれた厨房跡を見つけ出してからだ。
彼が腕を一振りすれば屋敷の残骸は取り除かれる。厨房の床を探ると、目的のものを見つけ出した。
本来ならあり得ない場所に鉄の扉があったのだ。一人では決して持ち上げられない分厚い鉄の扉。これまた指先ひとつでこじ開けると、暗い穴を覗き込んだ。
古めかしい臭いが漂ってくるが、空気は通っている。梯子を必要としない彼は垂直に落ち、狭い通路に着地した。
幅としては人が三人並んで通れたら良いくらいの通路だ。長らく使われていないのか、こもった空気に苔と埃の臭いが混じっている。
道は一本道であり、真っ暗闇の中、明かりすら必要とせず真っ直ぐに進んだ。
三叉路ではためらいなく右の道へ進むも、その先は分厚い鉄格子が立ちはだかっている。奥にも道はあったが、足元にはどこからか流れ込んだ水が溜まっている。
普通ならここで引き返すところだが、シスに限ってはその必要はない。
顔を顰めたものの、まっすぐに進むと肉体に鉄格子が埋まり、そのままするりとすり抜けた。
不気味な光景だが、なんらおかしな話ではない。
いまでこそ半精霊を名乗りその本質も取り戻しているが、この体が作りものであるのは変わりないのだ。少し肉体を弄ってやれば霧化程度容易であり、壁や鉄格子なんてものは障害にすらならない。
裏を返せばいまの人に近づけた肉体である必要もないのだが、この形状に拘り、手間を愛おしむのは半精霊であった己を忘れないためだ。肉体あってこその不便を愛するからこそ、ライナルトからの帰還の要請すら、人間が本来かける時間の通り帰還したのだ。
シスの足はある場所を目指している。
そこは行き止まり、上階が崩落した影響で床が沈み、瓦礫が地下まで流れ込んでしまった区画。
ここは本来シュトック城からクラリッサの屋敷までの隠し通路として使われるはずの道だった。屋敷が抜け道の脱出口だった場所に後付けで建てられたのだと知っているものは少ない。
「おーおー見事に塞がれてらぁ。これはもう絶対自力じゃ脱出できないなあ」
ニーカによれば、外側から鍵をかけ、扉に封をしたと言うから元より脱出できないはずだ。
さて、青年の目的は崩落した瓦礫の先にある。彼にとってはやはりこの程度は問題にすらならず、身体ごと黒い霧と化しわずかな隙間をくぐり抜けた。
抜けた先で実体化した瞬間、彼は思わず鼻を塞ぐ。
「うわくっせ」
まともに顔を歪め、到底耐えきれる臭いではないと、嗅覚を切り取った。普通であれば五感は削らないが、どうせこの場においては人外でしかありえない。
そう彼に考えさせるだけの理由が目の前にいる。
「…………わぁお、まだ生きてやがったのか」
狭い部屋だ。樽の上に置かれた蝋燭の炎がゆらゆらと部屋を照らしている。古い木とボロ布でできた寝台と、備え付けの箪笥が一つだけ。大量の蝋燭と松明、火打ち石、それと油に、食料が入っていたと思しき容れ物の痕跡。それらすべて『彼ら』を閉じ込めた者が悪意のもとに置いていった。
寝台に腰掛ける男がゆっくりと顔を持ち上げる。
「よー、死体を拝みに来たんだけど、あれか、水が流れ込んできてたからか。きったねぇ水だったろうに、腹壊さなかったの?」
「……『箱』か」
「残念ながらそれはもう僕の名じゃない」
バルドゥルだった。
立派な騎士の体をした男が、いまや汗や埃まみれとなり、浮浪者もかくやな姿で腰掛けている。
バルドゥルがシスに拳を振り上げるも、その手は虚しくすり抜ける。いくら鍛えていたと言えど、もはや最低限の体力しか残っていないのだ。バルドゥルは正面から倒れ込むと、やがて時間をかけて壁に背を預け座り直す。
もはや満身創痍なのは傍目にも明らかだ。
「あははは、まだそういう目ができるのは褒めてやるよ。コルネリアとは大違いだなと言ってやりたいが……でもさぁ、いっそ壊れた方が楽っちゃ楽だったろ」
そういって、先ほどから壁に向かって座り続けている女に目を向けた。
「……それは、もう、壊れている」
「コルネリアー? おーい、僕の声きこえてるかーい。聞こえてないなー…………うん、そうだな。完全に逝っちゃったかー。まあここ厠もないし、正気じゃきっついもんな」
女の姿はもはや見る影もない。
豪奢だったドレスはすでに捨てられている。下着姿で何かを呟き続ける女には男に強姦された痕跡があったが、シスは無感動だ。どちらかと言えばこんな時にも男としての本能を隠さない獣に呆れていたし、ある意味感心もしていた。
その最大の理由が、蝋燭の光すら避けるように置かれたある塊だ。
「お前人食に忌避はないの?」
やや俯きがちのバルドゥルの口元がわずかにつり上がっていた。それはようやく誰かと話せる機会を得たからなのか、少なくともカールの元にいたときの従順な騎士の姿はない。
「生きるのになにを躊躇う必要がある」
「息子だったんじゃん」
「薄汚れたオルレンドルの女が生んだ子だ、躊躇う理由は、ない」
「はぁ。まあ、もしかしたらお前ならやるかもしれないって思ったけどさ」
残されていった食料、流れ込んでくる水で飢えを凌いだとしても、この長期間を生き残るにはまだまだ足りない。人が生きるのにもっとも必要なものは水といえど、腹は減るのだ。
彼が未だ目から光を失せていない理由が、シスが視線を向ける塊にある。
それはある残骸と、使い古され錆びた斧だ。
ここに収容されたのは三人。しかし生きているのは二人。
「まともだった息子娘はお前の本性に気付いてよかっただろうな。父を捨てて、オルレンドルから逃げて正解だったよ。まさか親に生きながら食われて死んでいくなんて人生、誰も想定しないじゃん」
シスが部屋に入るなり臭い、と言った理由はこれだ。集められた糞尿の臭いに混じって、腐った肉の臭いが充満している。
今度はクラリッサに視線を移す。彼女がずっと座っているのはなにも体力がないからだけではない。本来そこにあるはずの身体の部位がなく、血の滲む切断面には、汚れていながらも丁寧に包帯を巻かれていた。
ご丁寧に傷口を火であぶり止血したのだろう。
クラリッサの身に何が起きたかを踏まえれば、元皇太后の人格が崩壊したのは当然かも知れない。時折咳き込んでいるし、こんな不衛生な環境にいるのだから、なにかしら感染症か病気も併発している。バルドゥルも同じ状態のはずだが、男の場合は彼自身を持たせている狂気がその人間性をまだ保っていた。
「誰も彼も憎くてたまらないって目は懐かしい。カールにあったばっかりのころ以来じゃないか?」
「……ふん」
「顔を変えて、バルドゥルを乗っ取って……うん。奴隷がよくぞまあそこまでやったもんだよ」
少なくとも生きることに対するバイタリティーだけは褒めてやっても良い。この男はヨーの奴隷であった時代から、生きて復讐を果たすことにかけては誰よりも暗い炎を燃やしていた。
「で、どうよ」
「…………とは?」
「楽しかったかい」
宙に浮き、男を見下しながら足を組んでいた。
「わざわざ言ってほしいのか? 父親をヨーに置き去りにしたオルレンドルへの復讐だよ。元のご主人様であるドゥクサス首長の首をはねてやった。上手くカールに取り入って忠義を尽くすふりをして、あいつの狂気を加速させる手伝いもした。カールの目がコルネリアに向かないのをいいことに愛人関係にもあったっけ。いや、すがすがしいまでの屑だな。僕も箱だった頃は引けを取らない自信があるが、お前も同じくらいには張れるかもしれないよ」
『箱』はオルレンドルの闇を知っている。ライナルトに、そして他の者にも決して語らなかった秘密を思い返した。
この男はオルレンドル人の父と奴隷の母を持つハーフである。




