289、大陸事情
そう、リリーの守備範囲はとても広い。オルレンドルに来た父さんを紹介したら、それ以来事あるごとに父さんの身を気にかけている。この半年の間、他の人ともお付き合いを繰り広げているリリーだけれども、隙あらば狙ってくるから油断できない。
そりゃあ父さんがリリーがいいって言うなら、だけど……本人がエミールの教育を頑張る方針を掲げてるし、なにより父さん自身が本能的にリリーを怖がってるので近づけたくない。
「とにかく貴女の本心を聞いていなくてよ。答えを教えてくださらないかしら、それとも言いたくなるまであたくしに喋らせたい?」
ああもう、彼女といいエルといい……本当に言い逃れさせてくれない。
誰も戻ってこないことを確認し、彼女にだけ届く声で言った。
「……おっしゃるとおり片思いは認めますが皇后になる気はありません。無理と思うだけの理由があります」
「その理由はなによ」
「秘密です」
「まさかいまの立場でご身分や敗戦国出身であること気にしていらっしゃるのかしら」
「いいえ違います。でもそこまで明かすほどリリーとは親しくございません」
「じゃあ側室……」
「それもありません」
リリーは不服そうだけど、だからって私の心の内まですべて明かしたくはない。
彼女の言いたいことはわかってる。なにせ片思いの身だ、実際もし『そういう』事になったとして……考えたことくらいはある。
だけど身分や他国出身だからって問題を差し引いても、私自身が納得できなければ意味がない。そして私はこの難題を超えられると断言できないし、超えられないと思うから現状維持を望んでいる。
「じゃあいつかライナルトが誰か皇后を立てるときも黙って身を引くのね?」
「……そうなります」
「意気地の無い子だこと」
「好きに言ってください。私の恋愛です」
リリーをがっかりさせたけど、彼女の意に沿わねばならない理由はない。そっぽを向いてお茶を飲んだところで、ふと思った。
……私は変わった。ファルクラムにいた頃だったら、こんなこと言われても相手に合わせて苦笑いだけで誤魔化していた。
お互い無言になったから、普通は気まずくなると思うだろう。だがこの手の話題は後まで引っ張らないのがリリーという人。私がライナルトに想いを明かす気がないとわかるや否や、再びクッションに沈んだ。
「貴女がその気がないのなら仕方ないけど、だったら誰を皇后に推薦しようかしらね。おば様みたいに話が通じない女は嫌だし、肝心の皇帝陛下さまは跡目に興味がない、まったく面倒ったらないわ」
「蒸し返して申し訳ないですが、リリーは本当にそのおつもりがないのですか?」
「ないわ、ない。さっきも言ったでしょう、皇后など好みではありません」
先ほど語った言葉が皇后を望まない理由だ。だがそれとは別にもうひとつ、今度は領主らしい貌を覗かせていた。
「あたくしは公爵として国を、ひいてはあたくしの民を守ってくださる方を厳選しただけだもの。やたらと勘ぐってくる連中がいるけれど、まったくいい迷惑です」
先の皇位争い、リリーがライナルトに味方したのはトゥーナの稼ぎ頭となっている麻薬原料を守るためだったと噂されている。ひとえに麻薬と書くと聞こえが悪いが、実際は精製される薬が鎮静効果を持つので、この大陸においては大事な痛み止めのひとつだ。薬目的以外での乱用が目に余るから、ヴィルヘルミナ皇女統治下では規制される懸念があるのでライナルトに味方したのだと言われていた。
私もてっきりこれが大元の理由だと思っていたのだけど、彼女自身からはっきりと聞いたことはないものの、質問すれば教えてくれた。
「収入源を守るのは当然だけど、それは決め手に欠けていてよ。あたくしはライナルトとヴィルヘルミナ、どちらが王として将来性があるかどうかを見極めたの」
彼女は高らかに言った。ヴィルヘルミナ皇女が皇帝になったところでいくらでもやりようはあった、と。
「ヴィルヘルミナは綺麗事を好むけれど、濁流を併せ呑むくらいの許容はあります。あたくしとて現状を保つための手段はいくらでも考えていたし、用意もしていたわ」
「……ではどうしてライナルト様にトゥーナ公の天秤が傾いたのでしょう」
「それは先も言ったでしょう。もちろん国を守るためよ」
さも当然とばかりと言われるが、いまいちピンとこない。そんな私にリリーは呆れつつも教えてくれた。
「貴女は国内の方が忙しかったから仕方ないのかしら。ファルクラムだと中央の情勢はいまいち理解できないのかもね」
「よろしければご教授願えますか」
「いいわ、授業料に次の交易品を安くしてね」
「それはできかねますが、リリーには特別に厳選したファルクラムの特産品をお贈りします」
「干し杏を入れてくださるかしら。あとあなたバーレと親しくしてるからクレナイの食材が手に入るわね? 棗も入れてくださらない」
「できる限り大量に」
「いいわ、それで手を打ちましょう」
たかが杏、されど杏。リリー曰く「甘さが違う」らしく彼女のお気に入りだった。棗は乾燥させたものが美容にいいとかで欲しいみたい。
……トゥーナ公の美貌と美容にあやかるとか銘を売ってドライフルーツでも売り出したら儲かるかな。
新しいアイデアが浮かぶ傍らで、リリーの話が始まった。
「そうね、正直ヴィルヘルミナは悪くなかった。例えばライナルトが十……五年前に皇太子として擁立されていたとしましょう。そのときにカール陛下がヴィルヘルミナに皇位を譲ると言っていたら、あたくしは迷わず彼女を応援しました」
「その理由は?」
「五大部族の均衡が崩れたヨーの立て直しが定かではなかったから」
彼の国はいまようやく立ち直りつつある状態で、ヨー連合国が前皇帝カールに爪痕を遺される以前の大陸の状況を説明をしてくれた。この授業の規模はオルレンドル一国では納まらない。
「よく考えてご覧なさいな。あたくし達が住むこの陸にある国は三つ。我が国オルレンドル、ヨー連合国、ラトリア。この内に小民族はいくらか残っているけど、はっきりとした国は三つしかない」
「……昔はまだたくさんの国があったと聞いています。随分減りましたね」
「昔は他にも無数の国が存在した。あたくしのトゥーナだってどこかの小国だったと聞いているけど、それがこんなにも減ったの」
ほんの少し前までは生存国の中にファルクラムが名を連ねていたけれど、結果は知っての通りだ。
それぞれの強国が、あらゆる形で他の部族、国、人を呑み込んでいった。そうした結果がこの時代に集約されている。
「ヨーは前皇帝陛下が起こした騒動で、ラトリアの詳細はわからないけど内紛が起きたせいで国がごたついていた。これってとっても運がよかったのよ。各国それぞれに偶然が重なって他国への侵略を中断せざるを得ないくらいの問題が起こっていたの」
「……けれど最近はコンラートへ侵略しましたね」
「そ、あの様子を見るに外に目を向けられるくらいには回復したのでしょう」
……リリーの言いたいことがわかってきた。
つまりこの数十年の平和はかりそめだったと彼女は言いたいのだ。
「ヴィルヘルミナは好きだったけど、政の姿勢は保守的だった。外敵に備えた守りなら固めるけれど、他国への攻撃は避けるべしと……方針はわかってた。ああ、誤解なさらないで。あたくし平和的な考えは好きよ? でも彼女の考えってあくまでもこのグノーディア帝都民の守りに限っての話。トゥーナを守る公爵としては別の答えになってしまうの」
「みえてきました。ヨーやラトリアに近い地方では状況が違いますね」
「あたくしも兵は抱えているけど、いざとなれば本国の助けがないと持ちこたえるのは難しい。少しでも外国に面している地方領主なら大抵は同じ考えになるでしょうよ。そうでなくてはただの能無しね」
いざ戦を仕掛けられたとき、真っ先に被害を受けるのは外国に近い地方領主達だ。
「帝都にいると気付きにくいのでしょうけれど、あたくしみたいに外に土地を構えてると外敵への備えも考慮しなければなりません。ヨーもラトリアも侵略に躊躇のない国だってこと、中央の方々はすっかりお忘れになられたの」
ヨーは連合国の名の通り各部族がまとまっているから平和に見えるが、その実部族間抗争が熾烈で、各々が勢力を増やすための土地争奪に余念が無く、新しい土地に飢えている。
ラトリアは国自体が資源に乏しいためか、ファルクラムといった豊かな土地が必要だ。また強い戦士を尊ぶため、戦そのものが欠かせない国民性となる。
大陸に残っていたのはいずれも強国。それでも様々な事情が重なった幸運で長らく争いはなかった。当分は国内を平定する王がいればよかったが、近年になってラトリアとヨーに回復の兆しが見え始めたのである。
いままではラトリアとオルレンドルの間に小国ながらもファルクラムがあったから幾分マシだった、とリリーは語る。
「けどもう彼の国はオルレンドルの一部だし、もし攻め込まれたとあっては放っておけなくなります。……特にオルレンドルは二国に挟まれているのよ、同時侵攻されては苦心するのは目に見えてるの。そうならないようにライナルトも努めるでしょうけど、とにかく示し合わされては厄介なのよ」
「リリーはラトリアとヨー連合国がオルレンドルに侵略を始めるといいたいのですか」
「そうよ。特にヨーなんてこの半年の間に五大部族のうち二つも入れ替わってしまったし、早く功績を示したくて仕方ないでしょう」
「ファルクラムのコンラートはカール皇帝陛下とラトリア間で発生した約定のため譲られた……とはご存知でしょうか」
「あら、そうなの。でも譲っただけなのよね。その後はなにか約束したのかしら」
「……いいえ、聞いておりません」
からからとリリーは笑う。
そして言った。コンラートを足がかりに侵略を始めるに決まっている、と。
……だからコンラートは復興に時間がかるよう、壊滅的な打撃を与えられた。
嫌がらせだとは聞いていたけど、こうして改めて事情を聞けば、また新たな視点で見えてくる。
「早くて五年、遅くて十年の内にはオルレンドルのどこかへ侵略がはじまる。その時に帝都はおろか、あたくし達を守ってくださらない王では困るの」
「よかったのですか、リリーなら陛下の野心もお気付きでしょうに」
「国を強くしてくださらない王よりはずっと良いわ」
ゆえの彼女が選んだのはライナルトだった。
……ここまで聞いて、背もたれに深く身体を預けた。
ここは現代日本があった世界とはまったく異なる世界だ。だからそれぞれ歴史や国民性があることを知っていた。実際皇位争いを目の当たりにしたからわかっていたつもりだけど、いざ改めてこんな話になると、元の『私』の育った環境がいかに平和だったか実感せざるを得ない。
「そこまでは考えが及びませんでした。お恥ずかしい限りです」
「貴女はファルクラム出身だし、なにより奪われた側だもの。あたくしみたいに考えるのは難しいでしょうから責めるつもりはありませんが、皇后となれば忘れてはならない問題よ」
「……リリー」
仕方ないと言っておきながらそれですか。
苦言を呈したいが、タイミングよくライナルトが戻ってきたのできな臭い話は終わりだ。リリーも黙ってくれるだろうと気を取り直した……ら。
「ライナルト、貴方コンラート夫人を奥方に迎える気はある?」
リリー、リリー。あなたにはオブラートというものがないのですか。ないのですね。
この質問に私はおろか、同時に入室した文官までもが固まっていた。恭しく両手で持った髪飾りを落とさなかっただけ素晴らしい。
ところが肝心の質問されたご本人はどこ吹く風。まるで堪えていない様子で、再び私の髪に触れた。
「なぜそんな質問に?」
「貴方がいつまでも独身でいるのが悪いから」
「そうか」
「答えは?」
「ない」
……リリー。
たしかに告白するつもりはないし、わかってた回答だけど、流石にこれは恨みます。




