287、羞恥心vs喜び
かっ、髪!? 髪ですか!?
「かっ、髪!? 髪ですか!?」
ちがあああう心の声がだだ漏れー!
「な、なんでまた髪なんでしょう。わわ私、手入れ失敗してます? 確かにこの間まで枝毛ができてましたが最近は間違いなんかしてませんよ」
なにせ美容の女神マリー様がいらっしゃるから!
「それはあまりよろしくない。……が、以前より手入れは怠っていなさそうだ」
「見てたんですか!?」
自分から恥をさらしてどうする、ちょっと落ち着こうか私。
「く……あ、ああ、そうだ、ライナルト様、昔は髪結いをされてたのでしたっけ。ええと、もしかしてそれで髪を弄りたいとか?」
「いまとなっては無心となってやれることも少ないが、私が櫛を握ろうものなら周囲は驚くだろう。モーリッツにも皇帝が髪結いなどするべきではないと言われ控えている」
「モーリッツさんはそのあたり気にしそうですね。でも控えるって……言われるまではやってたんですか?」
「軍学校を出るまでの短い間だな。ニーカがいい暇つぶしだった」
「……ニーカさんも大変」
いまはきっぱりと断られているそうだ。確かに彼女が断りたくなる気持ちもわかる。主君と仰いだ人物に髪を触られるのも、その趣味をオルレンドル人に広げるのもよろしくない。
「断りたいなら断ってくれていい」
理解を示してくれているが、いえ、でもあなたいかにも不満げに見てくるじゃない!
手伝うといった手前、腹を括ると席を詰めて後ろを向いた。ライナルトが後ろに座ると、髪に指が触れていた。
「……髪留めとか道具はなにもありませんけどどうするんですか」
「なくても纏めるくらいはできる。必要になったら取りに行かせよう」
「それはしなくていいですやめてください」
ううう、パーティに出席したのは大分前だから、うなじの産毛を剃っていないなんて余計な事を思いだした。やだぁぁ首に指が触れた絶対見られてるぅぅぅぅ……!
するすると髪を梳かす感触は心地良いのに、顔が熱くて不自然な汗が流れる。数年前にライナルトに髪を直してもらった時があったが、その時とはまるきり心の持ちようが違う。
「髪を結えるって知ってる人が少ないと、なかなか趣味に手が出せませんね」
「趣味……だろうか。長年なにもやっていない。ただふと思いついただけでしかない」
「趣味でもいいじゃないですか。少なくとも私は二回も結ってもらってます」
話して心を落ち着けねばならない。必死になって話題を探すけれど、頭の中はもうパニックだ。
「以前も話した気がしますけれど、またなにかきっかけはあったんですか」
「この間リリーが最近流行だという髪型を自慢しに来たが、正直あれなら私でも結えると思った……からだろうか」
「手先が器用すぎる……」
「いくらか試してみるが下手になっている、その時は許してもらいたい」
「い、いいえ、許すも許さないもライナルト様の腕前は知っていますし……」
結ってもらったのならできる限り解きたくない。
……と、声に出来たらどれだけよかっただろうか。もちろん言えない言えやしない。
「あの櫛は相変わらず現役ですか?」
問えば後ろから手が伸び、木櫛が姿を見せた。
持ってもいい……のだろうか。受け取るとしゅるしゅると髪を弄り出す感触がする。
あっ、ちょ、黒鳥、やめなさいいまはライナルトの邪魔をしちゃだめ!
浮かれて飛びながら踊り出しそうな丸鳥を捕まえるけれど、これが自分の感情に反映されやすい存在だと思うととても複雑だ。いくらなんでもここまで浮かれてないもの。
「サ、サミュエルが最近顔を見せていません。彼は元気にやっていますか」
「時折抜け出しニーカを苛立たせているが、仕事ぶりは真面目だ」
「あ、それはたぶんマリーに呼びだされてるときです。抜け出してたんですか」
「一隊にいるときよりも明るくなったと言っていた」
「……そうですか」
「しこりが残るようなら処分しても構わない」
「駄目です。……そうやって血生臭い方法で片付けようとするの悪い癖ですよ。少しは平和を学んでください」
「平和か。私からはもっとも遠い響きだ」
「いまも私の知らないところで苦労されているのは聞き及んでいます。それでも簡単にそんなことを口にしないでください」
「貴方がそう言うのなら控えよう」
これはわかってないけどわかったと約束するやつ。絶対に理解してくれていない。
欠けた櫛は途中でお返ししたけど、見た感じと手触りは以前よりも艶があった。良質な油で拭き取りながら長持ちするよう手入れしているのだろう。それだけ大事にしている証拠だ。
ぽつぽつと北の地に到着した兄さんとヴィルヘルミナ皇女の話をしたが、ライナルトは私が知るよりも多くのことを教えてくれた。
「手紙には本当に寒くて驚いていると書かれていました。あと、薪割りが追いつかなくて大変だって」
「物資が少ない地域だ。作物が育ちにくいから苦労するだろうが、野生動物が残っているから狩猟が主になるだろう。忠義の厚い召使いもいる。生活するだけなら問題なくやっていけるだろう」
「現地の人に野菜の保存方法とか聞いてみるつもりみたいです。少しずつですけどヴィルヘルミナ様も元気になったみたいですから、交流に本腰を入れ始めたら領民を掌握してしまうかもしれません」
「ヴィルヘルミナならあり得る話だ」
出立前のヴィルヘルミナ皇女には目も合わせてもらえなかったけれど、兄さんの手紙とライナルトの話で彼女が立ち直りかけていると知れたのは大きい。
「ライナルト様、嬉しそうですね」
「貴方ほどではない」
……新しい髪型にチャレンジするのだろうか。すっかり遊ばれている。
「私には何故貴方がヴィルヘルミナを生かそうとしているのか不思議だったが、もしやこれを見越していたか」
「なんのことでしょうね、さっぱりお話が見えません」
「……そう言うのならそれでいい。私はあれらが反旗を翻さない限りは手を出さん」
保険はあくまでも保険。
いまは髪に触ってもらえる感触を楽しむ方向に頭を切り替えて目を瞑る。
……エレナさんの忠告通りライナルトを訪ねて良かった。
このまま穏やかな時間が過ぎると思っていたけれど、そうは問屋が卸さないのが宮廷というもの。乱入者はすぐにやってきた。
「ライナルト、入るわよ」
ノックも報せも無しに扉を開けさせた、トゥーナの大領主リリーである。
あらま、と目を丸めた彼女と目が合った。
この間にもライナルトはせっせと手を動かしており、ろくな反応を返さない。
「どうした」
「どうした、ではないわ。これは一体どういう状況」
「見ての通りだが」
「それがわからないと言ったのよ。……ああ、いいわ、いらない、状況はおおむね理解したから。まったく、あたくしの髪を梳いてといっても無視したくせに、いけ好かない男だこと」
拗ねてみせるが本気じゃないのは一目で伝わった。
ちょっと、と叫ぶと控えていた文官が入室したが、そこで私の髪を弄るライナルトを目撃して固まってしまう。
「女ものの飾りを集めてもってきてくださる。そんなに数はなくていいから……そうね、十点くらいで足りるかしら」
反応のない文官。トゥーナ公はパチンと扇子を畳み彼の正気を引き戻す。
「あたくしの声が聞こえないのかしら、躾のなっていない犬は嫌いよ」
「は……はっ、か、髪飾りでございますね。至急集めてまいります」
「ちゃんとコンラート夫人に合うものを選んできてね。似合わない物をもってこられても困るわ」
「か、畏まりました」
ほうほうの体で文官が出ていくと、クッションをぽんぽんと投げて移動させると、それらを背に長椅子に横たわった。本当に自由すぎではないだろうか。
「ああ、疲れた」
「お疲れさまです、リリー」
「ありがとう。今日の約束を反故にしてしまってごめんなさいね」
「約束など滅多に破らないあなたです。きっとなにか理由があったのだろうとお察しします」
「助かるわ……。その手に持ってるのが滅多に見ることの叶わない噂の使い魔かしら。あたくしに触らせてくださいな」
彼女の要望に応えた黒鳥がリリーの手の内に収まった。手触りが良さに、リリーはむにむにと黒鳥のフォルムを弄り出す。
スリットから艶めかしい太ももが露わになるのも厭わず、深い溜息を吐いていた。
「今日はね、おば様に呼びだされて行かざるを得なくなってしまったの。いくら親戚とはいえ仕事を中断されるのは困るのにね」
「皇太后様のお呼出しならそちらを優先するのは当然でしょう、こちらとの時間はまた作れば良いのですから……」
「本当に重要な話ならおば様を優先するけど、いつまでも皇后気分でいられるのは迷惑なのよ」
リリーには意味を成さないお呼び立てだったみたい。前皇帝カールの妻、つまり元皇后にあたる女性に呼びだされていた彼女は愚痴を吐きに顔を出したらしかった。
相手はリリーとある人を会わせる目的だったようだが、彼女は話の途中で早々に切り上げた。
「あの方とお前が会うのはあまり好ましくないな」
「充分理解していてよ。だけどどうしてもって言われてしまったら、親戚として顔を出さないわけにはいかないでしょうよ。実体はなんだろうが、世間一般的にあの人は夫を早く亡くした傷心の元皇后なんだから」
「それで、誰に引き会わされた」
女、とトゥーナ公は言った。
「ニホンコクってところから来たまでは記憶したわ。他にも長ったらしく言っていたけど、発音も変だし知らない名前ばかりで覚える気もしなかった」
に゛。




