269、ごめん、のひと言すらも
自室に落ち着くと改めて花束を見た。飾るのは後でいい、包装やリボン結びが可愛らしくて好きなのだ。椅子に座って、子供みたいに花束を抱きしめれば心が落ち着いた。
花、花か。
シスがうちに留まる理由はいくつかある。治療等もそうだが、なにより隣家の地下にある地下墓地跡、そこにご厚意で隠させてもらっている二つの棺だ。
棺はひとつがエル、もうひとつが『箱』から出てきたシスティーナの遺骨。エルの亡骸はシスによって処置されているので、いまのところ腐る心配はない。
いずれ折を見て火葬する予定なのだが、そのときにたくさんの花を添えようと思ったのだ。
いつかコンラート領の墓参りをするときも、同じようにたくさん飾り立てたい。
コンラート領でひとつ思いだした。あの土地はいま、少しずつだがラトリアの人が入りつつある。ただ建物等の損害が大きかったためか修復が上手く行かず、祖国とも離れてるため建材の入手がままならず、資材は当然近隣に頼らねばならない。しかしファルクラム、つまり帝国が売り渋っているので遅れているそうだ。かつてライナルトが語ってくれた帝国からラトリアへの『嫌がらせ』がここで効いているらしい。
そのうえ悪い噂が立って苦労は増えるばかり。
曰く、夜な夜なたくさんの人の悲鳴が聞こえるだとか、コンラート邸を根城にしようとした野盗、休息に立ち寄った商人が呪われた等々。いまやすっかり呪われた土地だと噂されているみたいだが、あの地を知っている身としては、失礼なとしか思えない。
なぜなら私は一度崩壊後のコンラート領に留まっている。伯達のお墓を移し替えた折、一斉に葬るしかなかった領民達の墓に花を添え、クロを捕まえるためにしばらく留まったが、そんな現象は一切起こらなかった。悲惨な最期を迎えたコンラートを面白半分で口さがなく言っているのだ。人が寄りつきにくくなるのは都合がいいけれど、いつかコンラートを再建する際には邪魔になる。
そんなことを考えていると、控えめなノックが響く。ドアを開くと、足元からクロとシャロがするりと入り込んできた。
「猫用扉壊れてない? シャロが入れなくて鳴いてたよ」
「直してもらったのに駄目だったのかしら」
ヴェンデルが行儀悪くも足で小さな扉をつつくと、確かに猫の力では開きそうにないくらい固かった。襲撃のとき、部屋の扉が壊されてたから修復してもらったのだけど、その時から入れなかったみたいだ。
「大声で呼んでたのに、鳴き声が聞こえなかったの?」
「……ごめん、ちょっと寝ぼけてたかも」
「花持ってたし、寝てたようには見えないけど」
シャロは軽い足取りで長椅子を占拠してしまう。クロはふんふんと鼻を動かして、結局ヴェンデルの足に体を擦りつけた。
「で、どうしたの。お出かけなら許可しませんからね」
「そっちはもうちょっとしたら落ち着くだろうしそれまで我慢する。それにお向かいさんのところで遊ぶくらいは許してくれるんでしょ」
「うん、まぁそれくらいならね」
はす向かいの奥さんに迷惑をかけないならの話だけど、と言いかけて口を噤んだ。あまり口煩く言ってもよろしくない。そのあたりの心配はウェイトリーさんと分担だ。
「あのさ、午後から出かけるって聞いたんだけどどこ行くの」
「ん。ちょっと人に会いに行こうと思って……」
「誰?」
じっと顔を見てくるヴェンデルの口調は非難めいていて、思わずぼかす。ライナルトに会いに行くとはいえなかったが、そんなのお見通しだったらしい。
「殿下?」
「……そうだけど、面会の約束は取り付けてないの。一応話を伺いに行ってみるって感じかしら」
「何しにいくのさ」
「なに? 今日はつっかかるのね」
おどけてみせたが、ヴェンデルは茶化されてくれない。私が出かけるのが不服な様子で、一体なにがこの子をこんなに不愉快にさせているのだろうと悩んでしまった。
「くたびれて帰ってきたのってついこの間だよね。殿下からもゆっくりしていいよって言われたって聞いたんだけど、間違ってた?」
「それ誰から聞いたの?」
「シス。カレンの仕事は終わったって聞いた」
あのお喋りめ。他に余計な事は話していないでしょうね。
「僕が聞き出したんだから、シスに文句言ったら怒るからね。……で、うちが大変なこんなことになって、隣の兄ちゃん姉ちゃんが大変な事になったのもちゃんとわかってる。カレンだって帰ってきたらすぐ寝込んでたのに、なんでまた出かけるの」
「なんでって、ちゃんとお休みしたからよ。仮にも当主代理だし、気になることは他にもたくさんあって……」
「それでまた怪我して帰ってくるんだ?」
刺々しかった。
これまでこの子とは口喧嘩みたいなことはしてきたけれど、これほど激しい怒りをぶつけられた記憶はない。
「あのね、確かに私は与えられた仕事は終えたけれど、それでハイ全部おわりですってわけにはいかないのよ。この情勢だし、気になることはたくさんある。せめてお話だけでも聞かなきゃならないの」
「無理してたら意味ない」
「無理はしてな……わかった。ええ、ごめん。わかったからそんな目で見ないで。そうねあった。あったかもしれないけど、なるべく休むようにしているし、いまだって元気になったでしょ」
「だからさ、じゃあなんでまた出かけるのかって聞いてるんだよ」
説明しているのにまったく通じない。あからさまな苛々がこちらにも伝わって、どうしてわかってくれないのだろう、と私の口調も固くなっていた。何度かに渡って説明したけれど、私たちの話し合いは平行線。とにかくヴェンデルは私が出かける行為そのものを非難している。
「ねえ、話を聞いて。こうして何日も休んだからこそ……」
「聞いてないのはそっちじゃん!」
爆発したのは向こうが先だった。声を荒げて、地団駄踏みそうな勢いで捲し立てる。
「だからさぁ、休んだ休んだって馬鹿みたいに繰り返すけど、どうしてそんな状態でまだなにかしようとすんのって僕は言ってんの!」
「ヴェンデル、ちょっと」
「ぜんっっぜん駄目じゃん、おかしいままじゃん! 帰ってきてから一度だって本気で笑ってないくせにさぁ!!」
ヴェンデルの叫びに驚いたシャロがピンと耳を立てている。クロは机に香箱座りで縦長の瞳孔を開いていた。
「ずっとずっと、無理させてごめんって思ってたよ! でも大丈夫って言うから信用してた僕も悪かったけど!」
「そんなに怒らないで。ねえ、ヴェンデルは何も悪くないってば。そんな風に思い詰める必要……」
「立ち直ったこともあるからって思ってた、今回は違う! 全然駄目だ、なんで元気になったって嘘ついてまで動こうとするの。カレンはいまの自分がどんな状態か客観的に説明できる?」
捲し立てられて困っていると悔しそうに言われてしまう。
「ちゃんと言ってよ、エル姉ちゃんのときよりひどいのわかってないだろ!」
「エルの件はもういいのよ」
「よくないだろ!」
「そうじゃない。詳しくは言えないけど、ちゃんと納得する形で埋葬できそうだから……」
「だからエル姉ちゃんの話じゃない、僕はカレンの話をしてる」
この子にはあんな話できるわけない。だから知らなくて当然なのだけれど、いけないとわかっていても苛々が募る。それを抑えようと極力口調を押さえようとした。
「私は大丈夫だから」
「それがおかしいって、だからさぁぁ!」
「じゃあ何!? 私は大丈夫なの、平気だってそのくらいわかるし、ちゃんと休んだって言ってるでしょ!」
そうして失敗を悟った。怒りたかったわけじゃないのに、勢いで怒鳴ってしまった自分に驚いたのだ。けれどそれで吃驚したのも、傷ついたのも私ではない。
大きく目を見開いたヴェンデルが、ぐしゃりと顔を歪めていた。
「……なんっ……でわかんないかなぁ!」
違う、といいたかったけれど、ではなにが違うのかと問われても答えられる自信がない。自分でもどこか鈍いのはわかっているのだけど、それが突き止められないだけなのだ。
……こんな顔をさせたかったわけではないのに。
「話は帰ってから聞く。だからいまは出かけさせて、ヴェンデルの言いたいこともわかるつもりだから」
「結局聞いてくれないじゃん……!」
「そうじゃないの。いまはまだやらなきゃいけないことが残ってる。これを逃してしまったら後がないの」
「もういいよ」
震える声で、ぐずぐずと鼻を鳴らして踵を返してしまった。追いかけようとしたら、喧嘩を聞きつけたのかシスが顔を覗かせる。あまつさえ私を止めてしまい、その間にヴェンデルは階下へ降りて行ってしまう。
「なんで止めるの、あなたには関係ないでしょ!」
「そりゃそうだけど話が聞こえたんだから仕方ない。上辺だけわかったふりするくらいならやめとけよ。ヴェンデルがもっと泣くだけだ」
「だからって放っておけないじゃない!」
「ふーん。でもヴェンデルってベンのところに行ったんだろうし、病人の前で喧嘩する気なのか」
なんて言われてしまう始末。確かに寝たきりのご老人の前で仲の悪いところは見せられない。
しかしあまりにもしれっと言うものだから、この間まで『箱』だったくせにと浮かんで、一瞬後に自分に嫌気が差した。シスとヴェンデルは仲が良い。元々解放前だって仲良くしていた節はあったし、家に籠もって鬱屈しがちな世情と毎日で気晴らしになっているのは彼のおかげでもある。それに彼とて好きで閉じ込められていたわけではないのを私は知っているはずなのに。
深呼吸をして、自分を落ち着ける。
「……出かけないのは無理。悪いけどヴェンデルを慰めておいてもらえない?」
「ライナルトの所に行くなら僕も近況を知りたいんだけど」
「今日行ったところで会えるとは限らないし、無駄足になるかもしれないのよ。だから帰ってから教えてあげる」
「は? きみが行くんならライナルトなら通すだろ」
「自分でも功績は立てたと思います。でももう仮にも皇帝の座が約束されてる人だもの、そんな時間が取れるかもわからないでしょ」
「んなわけないだろ。あいつならコンラートですっていえば大体の約束は押しのけて会うって」
シスほどお気楽にはしていられない。邪魔をされてしまったし、これ以上話していると頭痛がしてくる気がして離れたら後ろから声が掛かる。
「行くんならその汚い顔どうにかしときなよ。それと後悔で自分を下げ続けたっていいことないぜ」
余計なお世話だった。




