268、誰かを想い贈る難しさ
私に課せられた役目は終わったものの、成すべき事が終わったわけではない。
……成すべきよりは、自分で勝手に決めた決意みたいなものなのだけど。
朝、隣家から戻ってきたのはゾフィーさんと料理人のリオさんだった。
「朝からありがとう。様子はどうでしたか」
「昨日よりは回復しています。元通り話す分にはすっかり元気ですよ」
「食事も喉が通るようになりました。あの分なら次の検診にはお墨付きをもらえるんじゃないですかね」
「分量が増えて大変なのではない?」
「余りものをお裾分けしてるだけです。それに二人分の量が増えたところで作るもんには問題ありませんわな」
ゾフィーさんは早朝から足を運び、がははと笑うリオさんはいまの情勢では人を雇うのも難しいからと、隣家に食事を分けたいと申し出てくれたのだ。ヘリングさんの容体を確認していると、困った様子でハンフリーが入室した。
「カレン様、ヴェンデル様とシスさんが外に出たいと言ってまして、朝から散歩がてら出てきてはだめかと言ってます」
「駄目」
「自分やヒル師匠もそう言ったんですが……」
「駄目ったら駄目。次ごねたらお説教よ、シスにくれぐれも悪い遊びを教えるなと伝えて」
「かしこまりました。……聞いてくれるかなぁ」
オルレンドル帝国皇帝カールの崩御から十日ほど、帝都は落ち着きを見せ始めている。
当初は皇帝カールが命を落としたので帝都グノーディアは騒然としていた。ライナルトには批判の声が集まったが、彼はこれは一蹴し、皇帝と皇女側に忠誠が厚かった有力貴族には謹慎を命じた。
これにはトゥーナ公、新当主が決まったバーレ家がライナルトに協力を示したのも周囲に多大な影響を与えただろう。ライナルトが宮廷を制したいま、敵対派閥だった者達は気が気でない思いで家に籠もっているだろう。
ライナルトは有力貴族の頭を押さえつけると同時に、帝都内に留まっていた軍人にも声明を出した。この戦は皇族の争いが発端によるものであり、一介の兵士に責任を問うものではなく、投降しても処罰は課さないと宣言したのだ。これにより末端の人間から脱落し、最後には上官クラスが投降せざるを得ない状況に追い込まれた。
中には連日に渡る外出自粛等で不満が溜まった市民から密告や暴力で突き出された者がいたから、早々に降った者は運が良かっただろう。特に市民の生活を担う市に多くの兵を派遣し、再度商業の場を安定させたのも効果的だったかもしれない。現在許可された人間以外、塀の外に出るのが禁止されているが、そんな最中でも徐々に安全が取り戻されはじめたのだ。
さらにライナルトは驚く速さで反乱軍の主謀者を収監した。これはあとから知ったが、はじめこそ大人しかった反帝国組織は段々と活動が激しくなったと聞いている。へとへとになって家で休んでいた間に、反乱組織の主謀者格は早々に公開処刑になったとクロードさんに教えてもらった。
「彼らの罪に動乱中に生じた商家の盗みや火事騒ぎ。それに要人の殺害が容疑に加わっていたが、さて、どこまで本当だったのかね」
少なくともそう発表されているから真偽は確かめようがない。
「処罰されたのは悪い噂しかない者が多かったが、カレン君はどう思うかね。殿下に真相を確かめたいと思うかな」
「聞いたから教えてくれるかはわかりませんね。ただ、そうですね、彼らとの関係を踏まえると悪い人だとは思いますけれど」
「ふむ。ま、私も善い人間ではないからね。君がそう言うのならそれで構わんよ」
「大事なのは帝都が普段の日常を取り戻すことですから、そういうことなのでしょう」
「おかげで街は早くも殿下を陛下と呼び始めている。現金なものだな」
なんて会話もあったくらい。
こういった背景からヴェンデルが外に出たがっているも、私としてはまだ外出は認められない。
なぜなら帝都の外ではいまだ戦が続いている。
ヴィルヘルミナ皇女がまだ負けを認めていないためだ。
彼女は父たる皇帝亡き後、出兵した帝都外でいまだ軍幕を張って沈黙を保っている。いまや正規軍となったライナルトの軍勢に挟まれながら孤立していたのだ。
ライナルトの立てた使者は皇女の右腕たるヘルムート侯の親類であり、皇女を説得するには十分な人材だ。降伏勧告は皇帝崩御の翌日から行われており、ライナルトは彼女に相当優しい条件を出したと聞く。その猶予期間は十五日もあるが、彼はその期間に帝都の掌握を済ませてしまった。長い期間を持たせたのはこれが理由だったのかもしれない。
だから現状を正しく述べるのなら膠着状態なのだが、世論はもはやライナルトに傾きつつある。
袖をまくったリオさんが気合いを入れていた。
「それじゃ昼の仕込みでもしてきますか」
「まだ朝食がおわったばかりですよ、休む時間もあるんだから無理しないでくださいね」
「いやぁ、なんでか昔っから作るのも食べてもらうのも好きなんですよ。趣味みたいなものなんでお気になさらず。休むときは休んでますんでね」
どこにでもいそうなおじさんといった風貌なのに、チェルシーを助けた際は庭用の鍬で軍人数名を倒したらしいから驚きだ。その軍人は怯えるチェルシーに狼藉を働こうとした不届き者だったが、その後は隣家にいたエレナさんのお仲間が注意を引きつけてくれたので助かった。ただこの経験があったためかチェルシーは再度不安定になり、いまはジェフがつきっきりになっている。
「……シスも最初の数日は大人しかったのに」
「ヘリングの治療が落ち着いたからでしょう。二人とも不気味がってましたが……」
「まだシスに慣れない?」
「違和感はあります。ですがヘリングを治療してくれる誠意は本物ですから、失礼な考えを抱くのはやめようと……難しいですが、そう考えている最中です」
「そんな風に考えられるだけでもすごいと思うの。うちに連れて帰る間際のモーリッツさんなんて、彼になんていったとおもう?」
「アーベライン殿ですか……。あの方は色々後始末に追われていましたからね。良くて出ていけとか?」
「半分正解。暇つぶしに留まられるのも迷惑だから、とっとと出ていって、そして二度と戻ってくるな。野垂れ死んでしまえですって。そのあと笑顔で肩を組まれてたけど……」
「さぞ効果的だったでしょうね」
「こう、目元をピクピクさせながら奥歯をギリィ……って噛んでた」
シスはコンラートに居候している。堂々と三階に居室を構えて、毎日遊び相手を求めている最中だが、彼に対するゾフィーさんの言葉は、率直だが拒絶はなかった。
彼女はうちが押しかけにあった際に、ウェイトリーさんを庇って顔を殴られた。いまは腫れも引いているが、数発では済まなかったと聞いている。今後もし後遺症になったら、とウェイトリーさんと相談している最中だ。本人はけろっと「では給料を上げてくだされば」なんて茶化し言ってのけたが、彼女のお子さん達を不安にさせてしまったのは要反省だ。
「一時はどうなるかと思いましたが、貴女様もヘリングも無事で良かった。事態はまだ終息していませんが、すっかり気が抜けてしまいましたよ」
「帝都内は大体そんな感じかも。少なくとも昼間で周りに怯えながら出かける必要はなくなったみたいだし……」
「油断は出来ませんが、子供達が安心できるようになったのは喜ばしいです。ひりついた空気はなくなりましたし、おかげで医者も足を運んでくれます」
ヘリングさんの救出劇だが、やはりと言おうか発見されたのは憲兵隊舎ではなかった。シス主導のもと、エレナさんとコンラートの皆を助けてくれた部隊で救出したそうだ。
その場所はなんと憲兵隊隊長ゼーバッハの自宅で、隠された状態で寝かされていた。
状態は悪かった。仔細は述べたくないが所謂拷問の痕があり、とてもではないが歩ける状態ではなかった。発見当初は皆が頭に血を上らせたそうだが、意識のあったヘリングさんが自らゼーバッハ氏の弁護をしたのだった。
曰く「彼が自分を殺そうとする連中の目を誤魔化し助けてくれたのだ」と。立場が危ういにも関わらず医者を探し、治療してくれたと説明した。これにより誤解は解け、いまは本人の強い希望で自宅療養。医者に通ってもらいながらエレナさんが看護している。夫妻の実家が看病を手伝うべく通っている。うちも先ほどのように差し入れ等をしている状況だ。
一時は危うかったヘリングさんも、シスが様子を見ながら着実に治療を進めているから、少なくとも最悪の心配はないだろう。
ただエレナさんは無理をしている。それもそのはずで、皆の手助けがあってなお、今後ヘリングさんが歩けるようになるか不明なためだ。
「そういえばマリー嬢ですが、今朝サミュエルを連れて行きました」
「え、あの二人進展があったの?」
「進展と言いますか、あれは進退ですね」
新たな話題に食いつきかけたとき、ウェイトリーさんが包装された花束を持ってきた。
なんと送り主はライナルトだと言う。たかが花と思うかも知れないが、選別された花はもちろん、包装に使われる染色された柔らかい薄紙なんかは高値になる。人によっては花より包装代の方が高くつく、なんて揶揄する人もいるくらいだからお察しいただきたい。
「ご用件を伺ったのですが、言伝はなにも預かっていないとのこと。他には医薬品類を賜りました。茶葉や菓子類もいただきましたので、よろしければいまからお淹れしましょう」
「お願いします」
ライナルトとはあれから会っていない。会話もなく別れたし、音沙汰がないのは少し寂しいとも感じたけれど、忙しい身だから事後処理に駆け回っている中で、こちらに気を回してくれたのが予想外だった。
あの時のことを思い返すと、あたたかくて嬉しいような……でも悲しい不思議な気持ちになる。心が定まらなくなって、淡い色とりどりの花束を抱きしめた。
「お花をくれるほど余裕があるとは思わなかった。しばらく連絡はないと思ってたのに」
独り言みたいになってしまったが、これにウェイトリーさんとゾフィーさんは目を丸める。二人はまさか、と揃って口にしたのだ。
「陛下の心配はもっともと存じます。お帰りになられた時のことは理解しておられるでしょうか。ヴェンデル様に泣かれたことは覚えておいでですか」
「僭越ながら、殿下が連絡を寄越さないのはお休みになってもらいたいからだと思います」
「まあ、もう長く休ませてもらいましたよ」
「私に言わせれば足りません。正直、午後の外出もやめてほしいくらいです」
「やあね、ちょっと話をしに行くだけよ。あ、お花は持っていくわね」
「カレン様、まだ話は……」
ゾフィーさんは休息を勧めるけれど、私はそろそろ動き出さないといけない。クロードさんから定期的に情勢を聞いているのはこのためだ。




