261、たとえ届かずともこの愛は本物であり
一体目が倒れると、これを皮切りに死者達の襲撃が始まった。
屍とはいえ、死した者が襲いかかってくる姿は恐ろしい。普通ならば恐れをなして逃げるところだが、ジェフの猛攻は凄まじかった。
手加減、遠慮、そんなものは知らぬと言わんばかりの力で圧倒する。数十体を相手にしても怯むどころかなぎ払う。この勢いならすぐにリューベックさんにも追いつけるだろう。私はせいぜい邪魔にならぬよう、自身を守るための魔法の盾を展開する。傍らに真っ二つになった骸が斃れたが、その瞬間、見てしまった。
断面がぶくぶくと膨れ、新しい肉を生み出している。スピードこそゆっくりだけれど、泣き別れとなった半身に向けて赤黒い肉片が蠢くのを確かに見たのだ。
「ジェフ、これ!」
私は叫んだだけだが、彼はこの事態を理解した。エレナさんはこれに立ち止まるか迷いを示したが、サミュエルが動き出すのと同時に決意を固める。私とジェフから離れ、サミュエルを追ったのだ。
壁のように立ちはだかるかつての仲間の群れ。これらを突破するのは難しいと思われたが、驚くべきことに彼女はこれを実力で突破した。姿勢を低く走り抜けた瞬間、白刃がひらめき、すれ違った者達がバランスを崩し転倒する。とどめを刺したわけではなかったが、どのみち再生能力を持っているなら動けないようにした方が早いだろう。これだけでも大分ジェフが楽になるはずだ。
ただ、いくら彼女が訓練を受けているとはいえ、この素早さは群を抜いている。余裕を見せていたサミュエルも堪らず叫んだ。
「うっそだぁ!?」
「なにが嘘ですか頭ぶち抜きますよ」
言うなり突き出された長剣が見えない壁に阻まれるも、予測してたといわんばかりに表情一つも変えやしない。
「あ!? その髪あんたまさか……」
「うるさい、とっとと死ね」
まるで聞いたことのない声。エレナさんを助けたくはあるが、彼らに目を向ける余裕はなくなりつつある。エレナさんがいなくなったことで私の守り手はジェフだけになり、そして私も隙間を縫い襲いかかってくる手から逃れるのに精一杯だったからだ。死者達は私には剣を向けないのでこれ幸いと逃げるが、この時、私の内面でもいくらか異常が発生している。
「ジェフ、ごめん前に進むのを優先して――!」
私の中にいるルカの声が遠くなりはじめている。存在は感じるのに、無理矢理繋がりを断たれている。彼女に声をかけ続ける傍らで地面に張りついた肉の床を歩けば、一歩進むごと、『エル』に近寄るほどに目に見えぬ糸が体に巻き付き、締め上げてくる感覚に襲われた。
魔力が吸い上げられている、と気付いたのは、私に触れた死者が帯電し仰け反った直後から。威力が弱くなっていたためだ。
おそらく対魔法使い用の仕掛けだ。
「おかしい。普通の魔法使いであればとうに動けなくなっているはず」
彼の言ってることはあっている。とっくに私自身の魔力は吸われて枯渇寸前。それでも魔法を行使できるのは、間借りしている魔力がシスのものだから。
でもこれは無限ではなく有限。先ほどから交換した目が熱を持ち始め、痛いくらいになっている。
ほんのわずかな時間でこの有様だ。
私は長く持たないし、ジェフもいまでこそ意気が勝っているが、再生能力を持った屍相手では圧し負ける。それは彼も同意見だったのか、二撃三撃と火花を散らすと、リューベックさん目がけて躍りかかった。
相手も覚悟していたが、しかし予想外の力でにわかによろめいた。手首をひねってそれを受けたが、ジェフは足を踏みしめ、剣をたたき落とすべく力を込めるも一歩下がった。直感的に横から割り込んだ死者の刃を避け首を落としたのである。
リューベックさんと死者を同時に相手取るつもりなのだ。
彼に背後の私を守る余裕はない。異様に疲れる体に鞭打ち、エル目がけて走り出した。私を妨害しようとした屍は、触れる直前で悉く体を弾かれる。魔法を何度も重ねがけした結果だ。目が痛いとか弱音を吐いている場合ではない。
なのにあと少し、と言うところで見えない壁にぶつかった。
リューベックさんやサミュエルは難なく超えていたけれど、私にはどうしても超えることの出来ない壁だ。
後ろの喧噪と迫り来る死者達が気になるけれど、集中を乱されないよう、深く息を吸い込み、壁に両手をつく。
『箱』は封印されかかっているが、防護魔法と同じで魔力を借りるのはまだ有効。片目はとっくに焼けただれていそうなくらい熱いが、それが逆に意識の喪失を妨害した。『力ある言葉』を呟くと同時に『壁』が崩れる。倒れかけた上体を右足で支え、走り出した。
――エル。
目指すはひとつだけだった。この血と死にまみれた狭小の庭にありながら、まるで聖母がごとく虚ろに微笑むだけの彼女に手を伸ばす。あと少しで彼女に手が届くのだ。
なのに。
『エル』に触れようとした瞬間、痛みが指先を襲った。思わず腕を引っ込めると、指先が赤く焼けただれている。
エルを守る結界はもうひとつあった。いまは咄嗟のことに失態を侵してしまったけど、破れないわけじゃない。肉体にかかる負荷を承知で魔力を行使しようとしたときだ。
「そこまでです、いますぐそれから離れなさい」
冷淡な男の声が掛かった。嫌になるくらい通る声に嫌な予感を覚えて振り返ると、リューベックさんを相手取っていたはずのジェフに肉の蔦が巻き付いていた。その体に死者が乗り、あるいは腕に噛みついている。
「抵抗は止しなさい。騒ぎ立てればその瞬間に彼の首を食い千切らせます」
ジェフが呻きを上げた。肩の肉が食い千切られたのだ。
ようやく目前にした『エル』の体。一見無防備でも、シスの目を通すのならわかる。その肉体を覆う魔力密度は高く、これを壊すには先ほどの見えない壁以上に時間と集中を要する。
『エル』によって妨害されている状態で、なおかつリューベックさんを無視して作業に取りかかるのは難しい。
それでも頭の片隅で私が「やりなさい」と言う。それもそうだ、このチャンスを逃したら後がない。ジェフを見殺しにしてでも、賭けになるとしても私は『エル』を破壊するべきだ。
だいたい死者達が起き上がってきた時点でこの事態はある程度想定済みだったのだ。誰の犠牲もなく遂行するのは難しい。そんな予感はあった。
……けれど同時に、ひとつ、疑問が生まれた。
『エル』から少しだけ距離をとった。
指示に従ったからか、リューベックさんは満足げだ。歩を進めてくるが、その動きに隙はなく、いつでも剣を振るえる範囲内に私を捉えている。
「よろしい。そのまま『箱』から距離を……」
「最後に教えてもらえませんか。どうしてあなた達……いえ、あなたは死者達にこれほど惨いことができるのですか」
エレナさんはサミュエルを抑えるのに精一杯だったみたいだけれど、私が彼に刃を向けられたから動きを止めている。
「……なにを問うかと思えば、そんなことですか?」
「そんなこと、とは思いません。エルにしてもそう、彼女をここまで変えたのは命令だった……からなのかもしれない。だけど、どうしてそう平然としていられるのか、わからないんです」
本来リューベックさんは私の問いに答える必要はなかった。けれどジェフを止め、私には後がないのは気付かれている。だから余裕があったのだろう。
「……彼女をこんな風に変えたこと、あなたはどう思っていますか」
いま聞くべきではない質問だけれど、どうしても気になったから尋ねた。
彼が私に執着しているのは知っている。後ろから斬りつけることもできたのに、しなかったのがその証拠だ。
「御友人のことは残念でしたが、国、ひいては陛下の御心に沿えない以上仕方のない結果だったと」
「それだけ?」
「はい」
「……あの姿を哀れと思いはしない?」
「冒涜者に相応しい有り様だ。もはや木偶に成り果ててはいますが、死してなお陛下の役に立てるのなら塵なりに使い道はあったのでしょう。汚らしい魔女に相応しい処罰です」
澄んだ瞳はどこまでも真っ直ぐで迷いがない。
私には理解できない忠誠も果てを行けば狂気と化すのだ。
「……では、私のことはどうでしょう。私もいまや魔法を使う、彼女と同郷の魔法使いです」
「そうですね、その身はいまや穢れきっている。いますぐに浄化すべきでしょう」
笑顔でさらりと言い切るではないか。
それでも愛情に満ちた瞳に曇りはない。
「ですがそれ以上に私は貴女を好いています。いまこのような事態になってなお、生かしたいと思うほどには運命を感じている」
意外な言葉とは言わない。この想いがあるから、私は五体満足で立てている。
「正直に言いましょう。陛下の命であれば命果てるのも仕方ないとすら思っていた。だが、こうして私が地下に赴き、そしてやってきたのはカレン、貴女だ。これが我らの絆でなくしてなんだと言うのか。いまは真実、心から守りたいと思っています」
「……私を守る?」
「貴女のことはこの身に代えても命を守ると約束しましょう。いくら貴女とて、手足がなくばどこにも行けなくなる。私の助けなしでは、なにもできなくなるでしょう。これからは私の館に留まり、安らぎを得ると良い」
……いままで、だ。
アヒムしかり、異性から直接的な愛情を向けられることに慣れていなかった。特にリューベックさんは向き合うたびに恐怖を感じていたから避けていたのだけど、ことこの状況に及ぶと、怖いよりもこの人の愛し方に聞き入ってしまう。
「現皇帝陛下の政権が続けば、これからもたくさん国民が弄ばれ続けるでしょう。あなたはそれを間近で見続けていたはず。それでも構わないとおっしゃるのですか」
「それが陛下の御心なれば、我らに考えることなど不要です」
「まわりを見てください。再度言いますが、あんな風に自らの兵を、死者を冒涜してでも信じられるものなのですか」
「逆らう者に人と同じ扱いは必要ない。奴等は家畜だ」
嘘はなかった。これがヴァルター・クルト・リューベックの本質なのだ。彼はどこまでも皇帝を崇拝する信奉者であり狂信者である。
だとしたら私とは相容れないのも納得だし、この先も理解するのは難しいだろう。
妙に冷静になってしまったが、厳しい状況は変わらない。それでも話をしていられたのは、たぶん、生まれて初めて抱く明確な感情と向き合っていたからなのだと思う。
「あなたは私を見てはいないんですね」
「不思議なことをおっしゃる。私ほど貴女を想っている男はいない」
リューベックさん――リューベックはどこまでも私をみていなかった。崇拝した偶像上の「カレン」を愛している。近くに在るのに、どこまでも遠くの幻想を見つめながら得物の柄を握っていた。
私の手足を斬り落とすために力を込める。
「私は貴女を愛している故に断罪するのだ」
こんな時に抱く感想ではないのだけど、少し、羨ましいなと思えるくらい情熱的な告白だった。
なぜなら私はこれほどの熱を持った愛や恋を、あるいは執着を知らない。傷つけてまで欲しいと願うほどの狂気にたどり着ける気がしないけれど、こうまでしてなにかに一途になれるのなら、ある意味彼は幸せな人間なのだろう。
……そうね、この人の愛に私の意思は必要ない。
愛しているのは本当かもしれなくても、そこに『私』としての個は重要ではないのだ。もし彼が私を手に入れたら、たとえ理想の女でなかったとしても、そうなるように彼は努力する。意思も、心も、体もなにもかも彼の虜になれるよう献身的な愛を捧げ、そして私の心を殺す。
確信はないから断定はしないけど、間違っているとも思わない。
「私はあなたを愛していない。一生そう思うこともない」
言えるとしたら、生まれて初めて「あ、殺そう」と感じた事実が寄り添っていたことだけ。
ぽんと浮かんだだけだから理性のブレーキはなかった。ヴァルター・クルト・リューベックをただただ見据え、これから自分を襲うであろう痛みを見上げている。
「安心なさい、その木偶は貴女を必ず生かす。陛下の怒りに触れたでしょうから多少見世物にされるが、なに、一時的な罰だ。私の愛は揺るがない」
リューベックの背後には、いつのまにか丸々とした鳥がぱたぱたと飛んでいる。
とても可愛らしい姿だ。小鳥にしてはふっくらしすぎた姿も、なにを考えているかわからないつぶらな瞳も人々の愛嬌を誘う。その体を構成する闇と、眼窩の向こうは無機質なままでだ。
……これの存在がなにを意味するのか、ルカの言葉がやっとわかった。
それをみながら、言った。
「あなたが木偶と呼んだ彼女はここで死にますし、私とあなたはこの先もわかり合えない」
黒鳥が口を開いた。元々外見から判別できないほど真っ黒な体だから、本来くちばしを開いても横から見ない限り「口が開いた」とはわからない。
けれど今回は違う。正面から見てもはっきりと「口が開いた」と理解できるのは、その小さな体積に比べ何倍、何十倍もの縦に開いた嘴が存在していたためだ。雛が母鳥に餌を求めるように開かれた最奥には、これまでと違い口内や喉といった部位が存在していた。ハァ、と生暖かい息がリューベックにかかり、そこで彼はようやく振り返る。
彼が見たのは喉の奥に存在するひとつの大きな縦長『目』と、ヒトの歯だ。
……まるで化物だろう。
それでもこれを気持ち悪いとも、怖いとも思わない。
「さようなら、ヴァルター」
ばくん、と。
黒鳥だったものがリューベックの上半身をくわえた。如何に彼が体を鍛えていようと、鋭利な歯は胴や内臓を噛みちぎり、生々しい咀嚼音がその場にいた人々の脳に刻まれる。
それで、終わり。
上半身を失った足が床に落ち、ヴァルター・クルト・リューベックは永久に帰らぬ人になった。彼に手を下したのは黒鳥だが、同時に私でもある。
自分でも驚くほど感情が湧かなかった。
じわりと広がる血の染みから、もう一人の「敵」に視線を移した。呆然と佇むサミュエルだったが、目が合った途端に両手を挙げる。「降参」と言って抵抗を諦めたのだ。
おっかなびっくりこちらの様子を伺う黒鳥は大きかった。
「ん……どうしたの。こっちおいで?」
呼べば安心したらしく顔を覗き込んでくる。
喉にあった目はいつのまにか胴体に移動している。目は胴体ほどもある大きな単眼だったけれども、怖くないと思った瞬間に、大小様々なぐるぐる目が生まれて蠢いた。羽の先には鋭く長い三本の爪。丸っこい胴は発達した細長い足が支えていた。ぺたりぺたりと歩く様はおよそこの世のものではなかったが、頬に寄せられた胴体は本物の羽毛みたいでふわりと温かい。
そうだ、怖くはない。
どんな姿だろうと、この子が私に懐いているのは変わらないのだから。
早川書房公式noteで2巻の登場人物イラスト先見せです。
よろしくお願いします。




