250、皇女の想い
「……まさかあんなものを見る羽目になるとはね」
「お力添え感謝いたします。おかげで友人夫妻が揃って連行されずにすみました」
「感謝は不要だ。憲兵隊に連行されるのはそれだけの理由があるし、猜疑が事実だとみなされれば、コンラート夫人といえど咎められるだろうし、覚悟しておくのだね。今回はゼーバッハが困っていたから手を貸しただけだ」
「そういえばお知り合いのようでしたが、名の知れた方なのでしょうか」
「表に出てくる男ではないが、少なくともバルドゥルのように無実の人間を虐げはしない人物だよ」
こちらに手を出そうとした人を抑えてくれたし、言葉に偽りはなさそう。ただ彼女の言うとおり、今回は運が良かっただけとは胸に留めておかなければならない。
「失礼ながら、皇女殿下は憲兵隊の動きはご存じなかったのですか」
「知らん。私たちのことは聞き及んでいるだろうが、知っての通り仲睦まじい親子ではないのでね」
不機嫌な彼女に、兄さんが寂しそうに微笑んだのが印象的だ。
「皇女殿下には助けていただきましたが、うちにお越しになられたのは偶然ではございませんよね」
「君に用があったから来たが、その前に茶をもらえるかな。ああ、ミルクは多めで、できれば食べるものも頼む。連中の相手をするとどうも疲れる」
「君は休んでいるといい。私もカレンと話したいからね」
小休止を入れる間は兄さんにバトンタッチだ。アヒムも同室だけれど、皇女を差し置いて出しゃばるつもりはないようだ。
「久しぶりに顔を見れると思って来てみれば、軍人に囲まれているから何事かと思ったよ。いくらコンラートでも彼らを相手取るのは厳しいだろうに、無茶をする」
「反省してます。ヴィルヘルミナ皇女のおかげで難を逃れられましたが、かといって友人の危機を見過ごすわけにはいきませんでした」
「……変わったね」
しみじみと言われたが、そんなに変わっただろうか。
「エミールとジルは元気かしら。ヴェンデルから近況は聞いているのだけど、兄さんの目からみてどんな感じ」
「武芸に身を置くようになって勉強嫌いに拍車がかかった」
「あら、やっぱりそっち系が好きだったのね」
「しかし習い事を続ける条件は成績を落とさないことだから頑張ってはいるよ。そのぶん息抜きのジルの躾に力が入っているようだけどね」
「剣は随分上達したってヴェンデルに自慢してたみたいだけど、そうなの?」
「私からすればかなり上達したと思うのだけれど、どうなんだい、アヒム」
「実戦に出てないので言えませんが、型どおりに振る分には十分です」
「お前達容赦がないからな」
最後はヴィルヘルミナ皇女の一言である。
エミール、思ったよりも鍛えられているらしい。ジル共々毎日走り回っていると教えてもらった。
「父さんからはゲルダ達も元気にやっていると手紙が来ている。お前のところにもきているだろう?」
「ええ、向こうは平穏に過ごせているみたいだからほっとしてる」
仲直り以降、筆まめな父さんは細かく向こうの状況を教えてくれる。私はといえば事実ありのままにはなすわけにはいかないのだけれど、とにかく元気でやっていることだけは連絡していた。私たちが両殿下にそれぞれついた件については気を揉んでおり、文面からは解決を願っているのが窺い知れるのだけれど、兄さんがこの話題に触れないのなら、きっとそういうことなのだろう。
ひととおり雑談は政治や立場に関係のない話題に興じていた。実際兄さんとの会話はとても楽しかったのだけれど、そうしてばかりいられないのもまた現実だ。
徐々に会話に混ざるようになってきたヴィルヘルミナ皇女が本題を切りだしたのだ。
「これは完全に私の私情なんだがね」
そういった皇女の表情は憂いを帯びていた。
「話というのは他でもない、我が愚兄ライナルトのことさ」
「……どういった用向きでしょう」
「あいつにこちらに下るよう説得してもらいたい」
率直かつ簡潔な言葉だった。皇女の発言の意図、はじめこそはぐらかすべきかと過ったけれど、真摯な眼差しに言葉遊びを望んでいる様子はない。私の迷いは見抜かれていた。
「あいつのことだから、この先なにが起こりうるか、自分になにが待ち受けているのか予想しているに違いない。なかなか帰ってこないのもなにかわけがあると踏んでいるのだけど。コンラート夫人、君もアーベラインやトゥーナ公が謹慎しているのは知っているな。これから何が起こるのか、予想できるだろ」
「明確な返答は避けさせていただきます」
「構わない。先も言ったがこれは私事で、皇女としては許される頼みではないから」
だから家紋つきの馬車を利用せず、更には供も減らして歩いてきたのだろうか。
「つまるところ、あいつのことだから最後まで私と陛下に抗うだろうと予想している。そうなったらほら、絶対に降伏なんかしないだろう。自分が死ぬまで抗うのが私の知るライナルトだ」
「その口調ですと、まるでライナルト様に未来がないとおっしゃりたいようですが」
「ない。あいつに勝ち目はない」
ライナルトは負けると断定していた。
このままだと彼は死ぬ。政敵であるはずの皇女がそれを拒んでいるのが不思議だった。
「なぜ争いが表面化したいまさらになって、と思います。ヴィルヘルミナ皇女は皇位を望まれていた、だからライナルト様と争うことはすでに視野に含めていたのではないでしょうか」
「無論望んでいるさ。だがそれは、たとえ綺麗事では難しいと言われても血で血を洗う争いを望んでいるわけじゃない。どうにも、私は親が親だからと誤解されているが……」
「……と、言われると?」
「私自身はライナルトを死なせたいなどと思ったことは一度もない」
信じてもらうのは難しいが、と自嘲気味に笑う。
「もちろん悪戯に民を死なせたくないと皇女らしい理由もあるが、いま大事なのは私は兄に死んで欲しくないと、それだけさ。あいつの生き方は君から見ても危ういのは知っての通りだろう?」
「……もしかして、それ故に皇女殿下が皇位を継ぐとおっしゃる?」
「おいおい、元々は私が皇太子だったのを忘れてくれるなよ。ああ、昔ほど皇帝になりたいとも思わないが」
ここで、一瞬だけ兄さんに視線が移った。
「私が良い皇帝になれるかは知らん。だが、私が継いだ方がずっとずっとましだろうよ」
こうして心中を語るのだから、説得したい気持ちがよほど強いのだろう。ライナルトを死なせたくないと言ったヴィルヘルミナ皇女に偽りはない。
彼女と皇帝カールの間でどんな同盟が結ばれたのか、私には知る由もないのだけれど、いわば、これは皇女の悪足掻きなのだ。
「あの方は、ヴィルヘルミナ皇女の思うような生き方はできないと考えています。それは以前もお話ししましたね。それを承知の上で話されてるのでしょうか」
「あの時とは逆で、今度は私が説得しに来た形になるな。いまもあいつの生き様は疑っていないが、生きていれば価値観も変わるかもしれない。私は可能性に賭けたいんだ」
「なぜ、私なのでしょうか」
「およそ私の知る限りにおいて、心を許しているのが君くらいだからだ」
「モーリッツ……アーベライン様にそのお話はされましたか。あの方やサガノフ様もライナルト様の古い友人です」
試しに尋ねれば、思い出に浸るように目を閉じ、首を横に振った。
「彼らもまた大事な存在なのは知っているが、それ以前に軍属であり忠実な臣下でもある。……大体の者はそうなんだ。なにもなしに懐に飛び込んだ子は多くない」
そしてライナルトが「説得」に応じてくれるのであれば相応の待遇で迎え入れる用意があること、コンラートを帝国の大貴族として取り立て、皇帝やリューベック家から守ってくれることも明言した。
「そのお約束が果たされる保証はどこにあるのでしょう」
「陛下にはこの後継者問題が解決した暁には早々に退位していただくと約束を取り付けた。私の名にかけて君たちの命と財産を保証しよう」
「難癖をつけるようで申し訳ありません。陛下は約束を守ってくださる御方でしょうか」
「わからない。だから反故にされれば今度こそ私と陛下の戦になるな。故にこれはお願い、というやつだ」
信用もなにもあったものではないが、それでもこうして訪ねたのは、差し出せるものが隠してきた心しかなかったからと思いたい。
彼女が皇女殿下であるのを踏まえれば、あまりに率直で愚直で、しかしすべてを疑うほどには嫌いにはなれなかった。兄さんが選び、そしてこれまで私が見聞きしてきたこの人ならば、この期に及んで策を弄し人を貶める人物ではない。
「コンラート夫人、君とてライナルトを死なせたくはないだろう」
返答には長い時間を必要とした。そもそも皇女のお願いは安請け合いできる問題ではないし、私と彼女では前提が違う。彼に生きてもらいたいのは一緒だけれど……。
……困ったことに、見たいのは皇帝となったライナルトなのだと言ってしまえたら、どれほど楽だっただろう。




