244、外伝:ヴェンデルくんの平和な一日/後 +即重版決定
待ちに待った昼休み。二人は校舎裏の角に隠れて相談している。
「あそこの連中か?」
「うん、五人いるけど、もう少ししたら一人は離れるから四人になる」
「なんでわかるんだよ」
「いつもお昼を買いに行かせてるんだよ。だからその一人だけは、本気で僕に悪意があるわけじゃない」
「よく見てるなぁ」
「絡まれるのが嫌だったから、避けたくて自然にね」
ヴェンデルの指輪を奪った少年達は大声で笑い楽しそうだが、混ざりに行く同級生はいないし、見かけた途端に離れていってしまうために校舎裏は人気がなかった。最近の悪戯は目に有り余っているし、素行からして近寄りたいと思えないのだろう。
「でも喧嘩っていったってどうする。正面から行ったって人数差があるし、こっちだって強いわけじゃないぞ」
「でも一人で行くよりは上級生で、身体の大きなエミールがいたほうが箔がつくじゃん」
「あんまり派手にするなよ。うちは誤魔化せるけど、ウェイトリーさんの目を誤魔化せるとは思わない」
「だよねー。だから最初は穏便に行こうと思う」
「合図さえくれたらやり方は任せるけど……。その本も持っていくのか?」
「必要なんだって。じゃ、行こっか」
使いぱしりにされた少年が離れたのを見計らって飛び出した。ゆっくりとした足取りで向かうのは、当然残された四人のところだ。はじめこそ談笑していた少年達も、ヴェンデルの姿を見るなり眉を顰める。彼の後ろにいる上級生の姿に驚きはしたものの、まだ虚勢を張る元気はあった。
「はぁ? 何だよお前、まだ昼休みだろ」
「上級生まで連れて何のようだよ」
「おい、こいつ多分同じ田舎から来た……」
この台詞を聞いたエミールは天を仰ぐ。
世の中には怖い物知らずがいるとは聞くけれど、彼らはとびきりの恐れ知らずだ。確かに自分たちは田舎者だけれど、家の背後関係を洗うなら子供といえど喧嘩を売っていい相手ではない。
もっとも、学校じゃそんな力を自慢しても御山の大将だ。彼らに関しては保護者が偉いのであって自分たちの実力ではないから、そういう意味では対等だし間違っていない。
「僕の指輪返して」
「校則違反がなにか言ってやがる」
「校則違反じゃない。ちゃんと学長や先生の許可をもらってる。君たちに違反だなんて言われる筋合いはない」
彼らはエミールの姿をちらちら確認しつつも、奪った物を返すつもりはなさそうだ。エミールもだんまりを決め込んでいるから、段々と調子づいてきた。
子供っぽい罵倒もヴェンデルは根気強く聞いているが、先生が耳にしたらいますぐ駆けつけていただろう。
「あのね、僕、すごく怒ってるんだ」
「怒ってるぅ? うるせえ田舎者。売国奴の母親と一緒に、とっとと国に帰れよ。ここはお前みたいなヤツがいていい場所じゃないんだ」
リーダーの言葉は行き過ぎた。数名がさっと目を泳がせたが、それも一瞬だ。
「忠告はしたからね」
ヴェンデルが右手を振りかぶり、持っていた本で少年の頬を叩く。
躊躇はなかったし、タイミング共に完璧である。少年は横殴りに倒され、体ごと地面に転がった。
ポカン、と対応できなかったのは残された少年達だ。
「僕、暴力は嫌いだけど、別に喧嘩苦手じゃないからね」
言うなり本を落とすともう一人に肉薄し、襟元を掴んで頭を振りかぶった。ごつん、では済まない音が響いて、少年がもんどり打ってかえる。額をやや赤くしたヴェンデルだが、ふん、と鼻息荒く睨み付けた。
「この……!」
反撃を試みることができたのは一人だけだった。ヴェンデルに掴みかかろうとしたものの、後ろからエミールに羽交い締めにされてしまう。決して彼に手をあげようとはしないエミールは、困って転がった二人を見た。
「なあ、こいつら暴力慣れしてないよな。それだとあんまり手を上げたくないんだけど」
「元々そっちは期待してない。取っ組み合いで服がぐちゃぐちゃになるのが嫌なだけだったんだ」
残った最後の一人に目を向けたところで、ひっ、と声を漏らした少年は逃げ出した。
冷めた眼差しで彼を見送ると、呻き声をあげるリーダー格の少年に近寄った。
「ねえ」
「いだ、いたいよ……。うあぁ……」
呻くリーダー格の少年の肩を掴み無理矢理目を合わせる。
「返して」
「なん……」
バチン、と音が立った。まともに話を聞こうとしない少年に平手をうち込むと、少年は今度こそ涙を流す。
けれどそれで許すヴェンデルではない。そもそもこれで心が揺さぶられるようなら、喧嘩をしようとは思わないし、暴力など決意しなかった。衿を掴み引き寄せたのである。
「父さんと、母さんの形見。返して」
泣き出す少年はポケットから鎖を取り出した。指輪に雑に絡まっているけれど、それは確かにヴェンデルから奪った父母の形見である。
指輪に傷がついていないことを確認すると、衿を離した。たちまち泣き出す少年には目もくれず立ち上がると、エミールに「ありがとう」と礼を言ったのである。
「戻ろう」
その頃には羽交い締めにされた少年も戦意を喪失していた。思ったよりもあっけなく終わった喧嘩に、ヴェンデルは大事そうに指輪を撫でていた。エミールは放課後になってヴェンデルを訪ねたのだが、迎えを待つ間に二人は話をした。
「あれからあいつらにはなにかされなかったか?」
「こっちを見るなり逃げていったし、目も合わせてこないから、次から何かしてくることはないと思うよ」
「……告げ口されないといいな」
「誰かに言ったところでどうにもならないと思う」
このあたりはヴェンデルの方がずる賢い。相手が何を訴えたところでなかったことにされると知っていたし、むしろ虐めを行った側として叱られる側になる。表沙汰になるのを喜ぶ保護者はいないはずだ。
暴力に訴えたのは良くないことだけれど、日頃ヴェンデルがちょっかいをかけられているのは周知の事実だ。もしこれでヴェンデルの保護者が乗り出した場合、事はもっと大きくなる。
「ヴェンデル、どこか痛いところはないか」
「全然大丈夫、反撃されなかったし、痛くないよ」
「余裕そうだな」
「ホントはもっと殴り合いになるかもって思ってたんだ。苛める割に、案外意気地ないんだね」
「実を言うと、おれが心配してるのはあっちの方なんだよな。本で思い切りぶん殴られたし、なにもなければいいけど」
「大丈夫だよ。音が派手だっただけでちゃんと加減したし、そもそもそんなに痛くなかったはずだもん。あれはどっちかというと叩かれたってことにびっくりして泣いてたんだよ」
そして意外かも知れないが、喧嘩沙汰はエミールよりもヴェンデルの方が慣れている。
「……姉さんやウェイトリーさんが知ったら卒倒ものだろうな」
「二人は過保護すぎなんだよ。コンラートじゃ取っ組み合いなんてよくあったんだから」
「それでも喧嘩なんて久しぶりなんだろ」
コンラートでも領主の実子でないだけで揶揄われることは多数あった。親の手前大人しくしていたけれど、子供達の間では隠れて取っ組み合いもしていたのだ。庭師の孫息子も同じ経緯で仲良くなったし、そういう意味でヴェンデルは慣れている。
「でも叩くのはやりすぎだから、あんまりそういうことしちゃ駄目だからな」
「わかってるよ。でも、一発で意気をくじかなきゃ返してもらえない」
「……形見なのはわかってるよ。騒いで親の争いに持って行ったらあいつらの肩身が狭くなるし、個人的な争いで納めたのは偉かった」
補足しておくとしたら、ヴェンデルはいざとなれば喧嘩に躊躇はないが、暴力を許しているわけではない点だ。友人がかつてないまでに怒っていると知ったから、エミールは喧嘩も協力したのである。
「それにこっちがファルクラム出身だからって舐められてるのは本当だし、言ってることはわかる」
「やっぱりエミールも言われてるの?」
「そりゃあ色々な。でもおれの場合は見た目がこうだから、堂々と喧嘩売ってくるやつはいない。いまだってヴィルヘルミナ様がしょっちゅう泊まりに来るし……」
そんな話をしていると、通りの向こうからやってくる人影に気付いた。目を丸くするエミールにつられて、ヴェンデルも顔を向ける。
やってきたのは二十代頃の女性だった。
「やあやあ、遅れてすまないね。他の連中が忙しいと言うから、私が代わりに来てあげたよ」
一般的な装いをしているが、立ち居振る舞いから身分の高い女性であるのは明らかだ。護衛も付けず一人でやってきたのだが、ぽん、とエミールの頭に手を置いた。
「な、な……な……!?」
唇をわななかせるエミールだが、女性はそんなことおかまいなしにヴェンデルを見た。
化粧っ気は薄いが、快活でうつくしい人である。少年達を見比べた女性は、ふむ、と首を傾げた。
「エミールの友達かな?」
「あ、はい」
「そうかそうか。あんまりお友達の話をしないと聞いていたから、本当に友達がいるのか心配してたんだ。エミールと仲良くしてくれているなら嬉しいよ」
女性のことは知らなかったけれど、親しい間柄らしい。貴人なのは一目でわかったから背筋を伸ばした。礼儀正しいヴェンデルに気を良くした女性だったが、名前を聞いたとき、僅かに眉を寄せる。
少し、辛そうな目だ。
コンラートといえば様々噂の立つ家なのは知っていたから、この人も偏見の類を信じているのだろうか。ヴェンデルの瞳が暗くなると、女性が目に見えて慌てた。
「あ、違う違う。君が思っているようなものではないから安心なさい。……君のお母上が立派な人であることは聞き及んでいる。若いのに素晴らしい人だと思っているよ」
安心していると、女性はヴェンデルに尋ねた。
「入学時期はエミールと一緒だったな。ファルクラムよりこちらは勉強が進みすぎている。難しいと聞いていたけれど、学校は楽しいだろうか」
「はい。覚えるのは好きですし、皆良くしてくれます」
素直なヴェンデルに、目元を細め嬉しそうに笑うではないか。
クスリと笑う姿が魅力的で、同時にある人物を彷彿とさせてくる。おかしいな、と内心首を傾げていたのだが、考えるより先に剣幕を立てたエミールが女性の手を取った。
「ここここんなところにいないで、早く帰りましょう!?」
「せっかちだなあ。たかが学校の通学路なんだし、あちこち見て帰ろうじゃないか」
「せっかちもなにもないですから! ……ヴェンデル、ごめん、またな!」
「あ、うん。またね」
「じゃあな少年。学業は大変だろうが、よく学び、よく遊んで励みなさい。それがいずれ君のためになる」
女性は去って行くのだが、その姿すらどこか見覚えがある気がする。
誰だっけと首を捻っていると、今度はヴェンデルの迎えが到着した。ハンフリーが待ちぼうけのヴェンデルを見つけて駆け寄ってきたのだ。
「すすすすみません! 急いできたつもりだったんですけど、待たせてしまいました!」
「気にしてないって」
帰路は寄り道を止めた。
考えたのは猫のことだ。昼休みを終えてから、無性にクロを抱きしめたくてたまらなかった。コンラート時代から可愛がっていた愛猫と一緒に遊んで、一眠りする。ウェイトリーは夜眠れなくなると叱るだろうが、そんなお小言もいまはどうでもいい気分だ。
「あのー……ヴェンデル坊ちゃん」
「どうしたの。僕の顔になんかついてる?」
ヴェンデル様ではなく、時折坊ちゃん呼びが混ざるのは癖で、申し訳なさそうにおでこを指さした。
「赤くなってますよ」
「あ、うん。ぼうっとしてたら柱にぶつかっちゃった」
「そうですか。相手に大けがは負わせませんでしたか」
嘘が通じない。
あからさまに動揺するヴェンデルに、ハンフリーが「やっぱり」と言った。
「待って。ごめん、今の無し。なにもしてないから!」
「……そういうとこ、ご兄弟なんですねえ」
「は?」
なぜか一人で納得した様子だった。腕を組み、何度か頷くと言ったのである。
「子供の争いに口を出すのも野暮ってものですから、自分は何も言いません。ただ、それを師匠がみたらばれちゃいますから、帰ったら冷やすなり化粧なりで誤魔化しましょう。ルイサかローザンネあたりなら手伝ってくれますよ」
ルイサとローザンネはコンラートから一緒についてきた女性の使用人だ。
動転するヴェンデルに、ハンフリーは懐かしいものを目にしたように笑う。
「まってよハンフリー、僕、まだ何も言ってないんだけど!?」
「誰かと喧嘩したんでしょ」
「いや、それは……」
違う、といえばよかったのに、図星をつかれて口ごもった。その姿にいっそう愛しいものを見るようにハンフリーは笑うから、ヴェンデルは居心地が悪くなってしまう。
「スウェン坊ちゃんも同じ言い訳で乗り切ろうとしたんですよね」
ぽかんと口を開ける姿を見て、ハンフリーはさらに笑った。
コンラートで亡くなった、少年の兄が彷彿とさせられたからだ。
「しょっちゅうおでこを赤くして帰ってくるから、最終的には師匠にバレちゃったんですよね。なんでも最初に頭突きをかませば相手は大人しくなるとかなんとか。……ああ、でも大丈夫ですよ、ウェイトリーさんたちには何も言ってません。自分たち全員、ちゃんと見て見ぬ振りをしてました。嫡男が喧嘩っぱやいなんて知られたら損ですからね!」
「まま、待った、それなに、僕それ知らない! その話なに!?」
「さーて、なんでしょう。とりあえず帰って宿題終わらせてからにしましょうか」
からから笑う護衛を少年が追いかける、珍妙な追いかけっこ。
少年の『平和』は今日も守られ、明日へ繋がるのであった。
1巻、即重版が決定しました。




