242、静謐は破られ
帰りは突然だった。
「わっ!?」
視界は一転。
眩い光に包まれ、ぐるぐると目が回っていると見慣れた調度品達が目の前に飛び込んでくる。
……帰ってきた!
そう思えたのはほんの一瞬だけ。足下は頼りなく、そもそも地面がないから着地しようがない。だから私に待ち受けているのは二度目の落下だ。こんなことが起こらないようシャハナ老にもイメージの仕方をちゃんと聞いたのに――!
「っのぉ!」
咄嗟に上体を守ったから無様な落下は避けられた。それに落ちた場所も寝台だから、綿がクッション代わりになってダメージもない。
大きく息を吐きながら周りを見渡せば、帝都にあるコンラートの自室だ。先ほどまで私はエスタベルデ城塞都市にいたが、シャハナ老の手助けを受けてオルレンドルへ魔法転移を果たした。
また宙に浮かんだ状態で戻ってくるとは思わなかったけど、場所は間違えていない。シャハナ老は「一度道が作られたのなら大丈夫なはず」と言っていたけど、不安でたまらなかったのだ。これで観衆の前で姿を現していたらと思うとゾッとする。
ベン老人の用意してくれた手作り香が肺を満たす。マリーがうちに来て、香油や可愛らしい容器を活用することでご老体の趣味が広がったのだ。安堵に胸をなで下ろしていたが、その安らぎはすぐに破られた。
「マスター、戻ったわね!」
「ちょあ!? ル、ルカっ」
「おかえりを言ってあげたいけれど、話は後よ。急いで服を脱ぎなさい!」
「は?」
地面の影からにゅっと姿を見せたのはルカと黒鳥だった。ぱたぱたと小さな羽を羽ばたかせる黒鳥をよそに、ルカが寝衣を片手に迫っている。
「え、あの、事情を聞かせてよ。一体どういうことなの」
「そんなの話してる暇ないわ。いいから脱ぎなさい、服破るわよ!」
この剣幕、本気だ。せっかくの服を破られてはたまらない。ボタンを外そうとすると、今度は「遅い」と布を引きちぎる勢いでブラウスを脱がせられた。その間にも黒鳥が寝台の上を駆け回り、ルカは子供らしくない舌打ちを漏らす。
「上だけこれを着て、スカートや靴下まで脱ぐ時間はないわね。ベッドに入って下半身は隠してちょうだい。顔色は……悪いから大丈夫ね」
「ルカ?」
「変に察しのいいヤツがいるから、ワタシ達は逃げる。いいこと、ワタシは助けてあげられないから、マスター一人で頑張るのよ」
寝衣を頭から被せ、姿を現したときと同じように影に溶けてしまったのだ。
ゆっくり話をする暇なんてありやしない。私が不在の間、皆はどうやって過ごしていたのか聞きたかったけれど、それを問う暇すらなかったのだ。
なにせ呼び止めるより早く、廊下が騒がしくなっている。
ウェイトリーさんが誰かを呼び止めていた。複数人の足音は荒く、いまでこそ距離があるけど三階に上がってくるのも時間の問題だ。
急いで寝衣を着込むと、脱ぎっぱなしの服を隠し、言われたとおり布団に入った。これで傍目には起きたばかりに見えるだろうか。念を入れて肩掛けを羽織った。
大判の肩掛けを羽織って待っていると、ガチャリ、とノブが回る。
「カレン様は体調を崩しているのです、そのように勝手な理屈で入られては……」
ウェイトリーさんがピタリと静止したのは私と目が合ったからだ。明らかに焦った形相だったけれど、咄嗟に口を噤み引き下がったのは経験の賜物だ。
我が家の家令に労いを伝えるべきだが、それはいまではない。それよりもウェイトリーさんを押しのけ、入室した人物に注意を払うべきだった。
「随分乱暴なお客様ですね」
「これは失敬。女性の私室へみだりに足を踏み入れるなど礼儀に反しますが、これも確認のため。何卒ご容赦いただきたい」
「……おやぁ」
オルレンドル帝国騎士団第一隊副長、ヴァルター・クルト・リューベック。
その後ろに続いたのは同騎士団所属のサミュエル、もといザムエル・ロッシュ。
前者は悠然と、後者はなにが不思議なのか、私の存在に吃驚している。すかさずウェイトリーさんが頭を下げていた。
「カレン様、お休みのところ申し訳ございません。お客様をお引き留めしたのですが……」
「この方達をとめるのは難しいでしょう。気にしないで。……本当に失礼ですがおはようございます。リューベックさん、それにサミュエル……さんも」
「もう陽も高いですが、お休みだったのならば仕方がない」
「ずっと寝ているから時間の感覚が曖昧なんです」
「確かに顔色も悪い。医師に診せている様子がないようだが、我が家の医者を紹介しましょうか。宮廷にも務めている者だ、市井の者よりよほど信用できる」
エスタベルデを発ったのは早朝だった。いまが昼だとしたら、時間が経過している?
「必要ありません。私は生来身体が弱いのです。それに気の病と申しましょうか、世間の目から隠れたいときもあります。このうえあなたと関わりでもしたら、なんと噂されましょうか」
いまは魔法による転移の影響が体を支配している。乗り物酔いしたときみたいな感覚に襲われているせいか、演技する必要もなく、不調をアピールできていた。
早く帰ってくれないだろうか。
願いとは裏腹に、リューベックさんは一歩踏み込んでくる。あまつさえ寝台の傍らに立つと私の片手を取った。抵抗の試みも無駄に終わったので、恨みがましく顔を持ち上げれば、そこにあったのは意外にも慈しみだ。
「ただ気の病というのであれば無理強いはしませんが、噂よりも自身を大事にしてもらいたいと思うのが私の願いです」
「お気遣いは感謝します。けれど、いまは本当に静かに休んでいたいのです」
あぶな……!
肩掛けで上体を隠していなかったら、下が普通のスカートだってばれるところだった。寝衣だけじゃ誤魔化せない部分をカバーできているけど、そのせいで身動き取れない。
「私を気遣ってくださるのなら、どうして家令の制止を無視して入ってこられたのですか」
「この情勢だからこそ、と思ってもらいたい。あなたもいま、帝都の状況はご存知のはず。だというのに皇太子殿下が懇意にされているコンラートが一切姿を見せないとなれば、よからぬ企みありと邪推されもするでしょう。皇帝陛下の懸念を拭い去るのも私の仕事です」
「……そう。でしたら無駄足でしたね。当家にリューベックさんの期待されているようなものは、ひとつもありません」
「期待? いいえ、むしろよかったと安心しています」
手はすぐに解放されたけれど、今度は指が髪に触れた。この世界、リューベックさんに限らず男の人は女性を口説く際は色々積極的みたいだけど、ここはもうちょっと現代日本人を見習って奥ゆかしくいてもらいたい。
「貴女に二心あり、などと報告せずにすんだこと、自分でも呆れるほど安心している」
「……離れていただけませんか」
「これはつれない。私共はいずれ良い仲になるはずだ」
「申し出はずっとお断りしています」
「陛下は認められた。断り続けているのはコンラートだけだ」
婚約申し込み、まだ諦めてなかったのか。プレゼント攻撃は最近止んでいたけど、代わりに手紙はしつこく来るので諦めていないとは思っていたけど……。
…………ここで吐いたら少しは幻滅してくれるかな。
などと企んでみたが、いまあるのは残念ながら吐き気じゃない。嘔吐で引き下がってくれるなら喉に手を突っ込んでみようかしらと思うけれど、この人、その程度で諦めてくれそうな目をしていないから、実はちょっと怖いのだ。
「私はリューベックさんと一緒になるつもりはございません。他の方を探してください」
「断る。私の運命は貴女だ」
彼と私が主役の物語だったらきっとときめいたんだろうけどなぁ……。
断言されてしまったものの、素直すぎる心は一切高鳴りをみせる様子がないのであった。
「不調だというのであれば、どうぞそのまま療養を続けてもらいたい。貴女が休んでいる間に、面倒ごとは私が一切を引き受けましょう」
「……副長、口説くなら違うときにやってもらえません?」
サミュエルの茶々が入らなければ、リューベックさんの語りはまだ続いていただろう。勘弁しろ、といいたげに天井を仰ぐ部下に、上司たる男性は含み笑いをこぼした。
「ゆっくり時間がとれないのが残念だ。次は陛下から正式な通達があるはず、そのときは宮廷か、それとも我が家で語らいましょう」
こうしてリューベックさんは出ていったのだが、残ったサミュエルは胡散臭げに私の部屋を見回した。私とウェイトリーさん両方から「帰れ」と含んだ視線を向けられても、物怖じすらしない。
「あー……センセのお友達さん」
コンラート夫人、ではなくその呼び方の意味は何だろう。胡散臭げな眼差しはひたと私を捉え、そして問うた。
「ここ、ほんとに貴女お一人でした?」
「……どういう意味でしょう」
どきりとした。部屋を見渡すサミュエルは、椅子ではなく天井や床……特にルカの消えた場所を注視し首を傾げている。そういえばルカは「変に察しのいいヤツ」がいるといっていたが、もしや彼を指しているのだろうか。
「言葉通りの意味ですがね」
「なにもありません、この部屋は私一人だけです」
「……あのですねぇ、俺が魔法院にいたのは、なにもセンセの監視だけが目的だけじゃない。ちゃーんと魔法の才能があって、センセは押しつけられたとはいえ、弟子にできるだけの実力があったからですよ」
顎を撫ですさりながら、胡乱げに視線を彷徨わせた。
やがて、首だけが真横に振り向く。こちらをじっと見つめ、言った。
「嘘ついてますね」
今度ははっきりとした断言だった。
なにが嘘で、詳細を問い詰めるべきだろうか。しかしリューベックさんが戻ってくるのも困る。彼は何処まで気付いているのだろうか。私の髪、目の色までは気付いてないと思いたい。
一体どうするべきだろう。
沈黙を保ちにらみ合いを続けていたのだが、視線を逸らしたのはサミュエルだった。
「でもま、いいでしょ」
「……なにがでしょう」
「やだなソレ言わせます? あえて黙っててあげるんですから、だから次はもうちょっとうまく誤魔化してもらいたいですね。副長が気付いてるかどうか、俺ぁ知りませんから、そこまで助けてやるつもりはありませんが」
そして彼は机を指さした。
「ここに微かに残ってる魔力の残滓はともかく、病人の部屋に水差し一つもないってのは明らかに不自然だ。偽装はもうちょっと頑張って欲しいですね。及第点だってあげられやしない」
「……散らかっていたから片付けてもらっただけです」
「そーですねー。実際、この家は数日間、家人以外誰も出入りしてない。特におたくはどこにも行きようがないや」
「なんのことだかさっぱりわかりません。……それよりその頬は早く冷やした方が良いのではないですか。あまりに目立ちますよ」
「おっとこりゃ失礼。そちらの秘書官は可愛いのに気性が激しくて困る」
そう言うとサミュエルも出ていって、しばらくすると彼らは帰って行った、と報告を受けた。ウェイトリーさん、そして顔を出したジェフと共に胸をなで下ろしたのである。
「……一時はどうなるかと思いましたが、無事お戻りになられたようで、ほっとしております」
「ご迷惑おかけしました。本当に先ほど、ぎりぎりで戻ってきて……。それより、下で大きな音がしましたけど大丈夫でしたか?」
「たしかサミュエル殿、でしたか。マリー様があの御仁とお知り合いのようでして……帰り際も皿を投げつけようと……」
「えっ。……マ、マリーは無事ですか!?」
「クロードが取りなし、両者無事でございます。相手も怒りは見せておらず、大事にはいたっておりません」
咄嗟に話題逸らしに使ったサミュエルの頬だけど、実は殴られたみたいに赤く染まっていたから指摘したのだ。なんと本当に打たれていたらしい。
しかも下手人はマリー。足と腰をしっかり踏み込み、気合いを入れた拳だったらしい。
なんでも彼女は家に踏み入ってきたサミュエルと顔を合わせるなり激怒し、しかもサミュエルも彼女の剣幕に呑まれた。突然始まった喧嘩に騒然となり、彼女が手を出したあたりでリューベックさんが我に返ったのだった。
「……本当にぎりぎりだったのね」




