241、もっとも平和から遠い人たち
なにを言ったのか理解ができなかった。
おそるおそる問い返したのはたっぷり時間をかけてからだ。
「あの、いま、思わなかったとおっしゃいました……?」
それがどうかしただろうか? みたいな顔はやめてほしい。
「まさか行き当たりばったりでキエム様に持ちかけたのですか」
「行き当たりとは言葉が悪い」
「いいえ、いまの不確かな言葉は聞き逃しません。まさか勝算もないのにキエム様に同盟を持ちかけたのですか……!?」
小声でも彼の耳にはしっかりと届いたはずだ。ところがライナルトは心外だと言わんばかりで反論した。
「物事に確実なものなどひとつもないでしょう。私はサゥ氏族ならば乗ってくるだろうという可能性に賭け、そして彼が乗った。まだ結果を出せたわけでもないのだから、成功したと考えるのは早計だ」
「自信満々にニルニア領伯達を説得したと聞いていたのに……。真相を知ったら怒るかもしれませんよ」
「知られなければいい、知られなければ」
まったく悪びれない。
傍でまた一杯煽ったニーカさんがぽつりと呟いた。
「詐欺、ともとれますが」
「王に限らず為政者というのは詐欺師の集まりでな。吐いた嘘を誠にするか、それとも隠し通し本当にするか程度の違いだ」
「わからないではありませんが、その点だけは、どうにも私は好きになれません。モーリッツといい、貴方たちとは決して相容れませんね」
「お前はそれでいい」
この二人の関係も不思議だよね。ニーカさんはライナルトのなにもかもを受け入れているわけじゃない。よくある物語の主従は主のすべてを許容して同意するけれど、同じように受け入れても、ニーカさんは「好きになれない」とはっきり口にして、ライナルトもそれを許している。
……付き合い、長いのだろうなぁ。
こういうときは二人の中に入れないと思ってしまうけれど、同時にそんなやりとりを見るのが楽しくて、つい興味津々で耳を傾けてしまう。
わあ、と喧噪がいっそう大きくなった。キエムとニルニア領伯を人々が取り囲み始めたのだ。肝心の主役達はこちらのことなどそっちのけで、不敵に笑いながら拳を握っている。
どちらも顔に痣を作っていたから、この場では「顔を狙わない」ルールは適用されないみたいだった。
意外にも冷めた眼差しを送るのはニーカさん。
また一杯……待って、ペースが早くない?
「無理に見ない方がよろしいですよ。男共はああなると手がつけられません」
「ニーカさん、ああいうのって理解が深い方だと思ってました。ところで飲み過ぎじゃ……」
「行動理由も、動機も理解はしています。ただわざわざ殴り合いを選ぶあたりは阿呆です」
「……お前も手が先に出る方だろうに」
「あ?」
ぼそっとした呟きは鋭い眼光でなかったことにされた。
ニーカさんはすぐに我に返って咳払いをこぼしたけれど後の祭りである。
「カレン、飲み過ぎないように。これの二の舞になってはいけない」
「たったいま気をつけようって再確認しました」
「私は連中と違って暴れたりはしませんよ」
げに恐ろしきは酔っ払い。これでまだ我に返るだけの理性が残っているのだから、本格的に酔ったらどうなるかわからないのが恐ろしい。
ただ本人も失言の自覚はあったのか、酔いを覚ますと席を立った。すぐに戻ってくるのだろうけど、あのニーカさんがわずかでも羽目を外したのだから軽視はできない。
「成り行きといっては言葉が悪いですが、ニーカさんが浮かれるくらい、この会談は意味があったのですね」
キエムとライナルトの密約。これがどれほどの意味を持つのか、結果が出るのはこれからだけれど、あんな風に浮かれるくらい彼女は重要視していたのだ。
「カレン、帝都に戻る前に大事な話がある。今後に関わる内容だ」
「畏まりました。戻る前には少し余裕を持ってお伺いします」
念押しするからには大事な話なのだろう。
二人で遠巻きにヒートアップしていく喧嘩を眺めていたら、こんなことを尋ねられた。
「この間キエムの誘いを断っていたな」
「そうですね、行く理由がありませんからお断りしました」
「行きはしないだろうと思っていたが、やはり助かった。カレンだから約束を破りはしないだろうが、やはりああいった勧誘は気分がよくない」
「あら、平然と私に判断を委ねられたのにそれですか」
勧誘を受ける可能性がちょっとでもあったと思われたのなら心外だ。顔に出てしまっていたのか、苦笑気味に笑われた。
「より良い条件の所に行きたいと思うのは人の性だ。そういった意味でも、私はコンラートのヴェンデルに感謝したい」
「……なんでヴェンデルなのでしょう? 私、あの子の名前は一つも出していませんよ」
「見届けたい者がいるのではないか。貴方自身がそう言っていたと記憶している」
…………あれぇ?
もしかして、もしかしなくても一ミリも伝わってない?
あの状況でそれを勘違いするってあるの?
「ねえライナルト様、私、いまとても吃驚していると申しますか、なにかの冗談かしらと疑ってしまったのですけれどね」
「冗談?」
「あなたしかいないと思うのですが」
あ、伝わってない。人差しの爪先がピンとライナルトを指した。
「ですから見届けたい人が、あなた」
困惑されてしまったが、それはこちらも同じだ。いままでどれほどの選択を経て彼を選び取ってきたと思っている。ここでヴェンデルが出てくるあたり、私にとって彼の優先順位が低いと思われているのかが不思議でならない。
「あのですね、あの話の流れでどうしてあなた以外の方の名前が出てくると言うのですか。私はこれまであなたに協力したのは野心や復讐のためだけじゃありません。ちゃんと私自身が、あなたが皇位を得て欲しいと思ったからこそここにいるんです」
「……なるほど。それはカレンの真意を疑い失礼した」
「えっ、あ、いえ、そんな真面目に謝らなくても……わかってくださったのならそれで十分です。ヴェンデルを見届ける気持ちなのも嘘じゃないですし。た、ただあのときはあなたのことしか考えられなかったといいますか、あっ変な意味ではなく――」
ひときわ大きな歓声に、しどろもどろになりかけた言葉が呑まれる。よかったような、悪かったような……!
「あっニーカさんおかえりなさい!」
難しい表情をしているライナルトを置いて、彼女に話しかける。
「随分早かったですけど、酔いの方は大丈夫ですか」
「風に当たったら落ち着きました。気を緩めている場合ではなかったのに、お恥ずかしい」
「ニーカさんが頑張らなきゃいけないのはこれからです。せめていまはゆっくりお酒を飲んでも構わないと思いますよ。ね、ライナルト様」
「……そうだな。後で嫌でも忙しくなる」
「嬉しいような、悲しいような……」
……そうだ。ニーカさんたちは休んでいられるが、私はそろそろ気を引き締めなきゃならない。
なぜならこの先待ち受けているのは帝都なのだ。浮かれてばかりではいられないと気を引き締めたのだが、果たしてその考えは間違っていなかった。
後日彼から言い渡された命令だ。私をしかめっ面にするには十分だったし、これから先、動乱の予感しか覚えさせなかった。
エスタベルデ城塞都市を発つ日はあっという間にやってきて、その間際だったか。こんな会話をしていた。
「ライナルト様といて良かったことのひとつは、あなたといると退屈だけはしないだろうってあたりですね。何故ならご自身が波乱に持って行く人ですから」
「否定はしないが、ただ退屈しないという点に置いてだけはカレンも私にひけを取らないな。私からすれば、厄介事に自ら足を踏み入れるのは貴方も同じだ」
「踏み込んでもいいなぁという方に出会ってしまいましたから。それと、お渡しした腕飾りはちゃんと持っていてくださいね」
よーしよし、意地悪への意趣返しじゃないけど、ちょっとは驚かせられた。この人は案外ストレートな言葉に弱いと、最近の私は学んできたのである。
諸々客観的に見ていると、おそらく、いや確実に彼らは悪の陣営なのだと、何度目かもわからない答えにたどり着く。なぜなら皇太子を巡る争いだけで見るならばそれぞれに正当な理由があるけれど、彼の場合はその先が世界平和とは程遠い野望を抱いているからだ。
これでいいのかなぁと振り返ることは多々ありはすれども、けどやっぱり、これで間違っていないと答えを導き出すのだろう。
……これから帝都に変革が訪れる。
誰かと誰かの主張や正義がぶつかり合う殺し合いが始まるのだ。




