転生令嬢と数奇な人生を【コミカライズ連載中】

皇位簒奪

240、宴の最中

　彼女が見せた感情は複雑すぎて一言では表せないが、微かに怯えの色が混じってる。師の話を聞いていたバネッサさんは難しい面持ちで腕を組んでいた。

「あの、シャハナ様は一体なにを見たと……」

「言えないのです」

「え？」

「あれについては、部外者に勝手に話せない制約がわたくしのみならず、長老全員にかけられています」

　シャハナ老は自らの胸に手を当て申し訳なさそうに首を振った。

「ですがいずれ貴女も相見える機会があるでしょうから、こうして言っておかないと。……ただ、貴女に害が出るものではないはず。少なくとも、わたくしが見た時点ではそうでした」

「制約って魔法ですよね。だとしたら、いまのは大丈夫なんですか」

「ぎりぎり、でしょうね。ですが『箱』へ……特に貴女が『塔』の地下に赴くのであれば、覚悟しておきなさい。ごめんなさいね、本当ならすべてを伝えてあげたいけれど、これが精一杯なのです」

「わかりました。なにがあるのか想像もつきませんが、シャハナ様の言ったことを忘れずに塔へ行きます」

　余程のものがある、と。

　それだけ教えてもらえただけでも十分なのだろう。追求を免れたからなのか、シャハナ老はほっと安心した様子だった。なにがあるのか気になるけれど、魔法の制約がかけられているなら無理強いは出来ない。

　……でも「特に」私は、と言うのは――。

「それとですが、帝都にお戻りになる前にもう一度だけお時間をもらえますか」

「あ、はいっ」

「もう一度わたくしと魔法のおさらいをしましょう。わたくしにできることは少ないですが、貴女の手助けになるかもしれない」

「見ていただけるのはとても嬉しいです。ただ、教えてもらったことをすぐにものにできるかはわかりませんが……」

「そんなことはありません。わたくしから見たら、貴女は覚えの良い方です。教えたことは数日で身につけますし、魔法に対する造詣も深い。本当に一般の方だったのか不思議なくらいです」

　なんと過分なお褒めの言葉をいただいた。

「これが『箱』の借り物ではなく、純粋な魔法使いであったのならと思います。人が『箱』の力を宿し、呪いを受けずにいるのは並大抵の魔法使いでも難しい」

「遺品の力があるからです」

「だとしても、貴女がこうして自力で立っていられるのは、彼らの教えを理解できている証拠です」

「そ、そうなんですか。光栄です……」

「従来、神秘を学んだことのない方が魔法のありよう、魔力の流れを知るのはとても難しいのです。そういった点で、貴女は確かに彼女が認めた友人だったのだと思い知ったくらいでした」

　シャハナ老は私の飲み込みの速さに驚いているが、それはほら、たぶん、ファンタジー小説やゲームに、漫画といった日本文化の賜物だ。シスからもらった魔法の基礎本や教えてもらった知識は大体そのあたりの知識で置き換えていたから……。

　こうして思うと、なにが役に立つのかわからないものだ。

　それを思うと、なにも知らなかったのに一から全てを学んで身につけたエルは本当に凄かった。

「おそらく『箱』の援助は期待できないでしょうが、貴女ならば隠れ忍ぶくらいならば魔法院の者の目は誤魔化せるでしょう」

「シ……『箱』が私たちの敵に回るということは……」

「まだない、と思いたいですね。あの者もあの者なりに抗っているのでしょうから、せめて邪魔は入らないはずです。それにそもそも、あれが完全に再封印されていたら、ここにいる者達はとうに息をしていないでしょう」

「それを、ライナルト様には……」

「とうにご存知です。わたくしからお伝えしました」

　残り時間を踏まえれば、ライナルトはどこかで発起し皇位を確実なものにしなければならない。

「帝都に残った門下生にはアーベライン殿と密な連絡を取り協力し合うよう伝えてあります。貴女に託す手紙にも再度その旨を明記しておきますから、万が一にも邪魔にはならないはず」

「ありがとうございます。手紙は必ずモーリッツさんにお渡しします」

　そしてシャハナ老はバネッサさんにも告げた。

「バネッサ。貴女もいい加減にしなさい。妹弟子と話す機会はもうあまり残っていないのですよ」

　この言葉には一瞬頭が真っ白になった。

　妹弟子って誰のことと思ったからだ。

　私も吃驚しているが、バネッサさんも驚きに目を丸めている。唯一驚かなかったのは発言した本人で、それこそ不思議そうに言ったのだ。

「どのような切っ掛けであろうとも、一度でも教えを授けたのならば、それは縁が結ばれたということ。人智を超えた力を有し繋がったのであれば、それはなおさらでしょう。彼女はわたくしの教え子です」

　大真面目に言うではないか。バネッサさんはなにか反論しようとしたが、師の様子にすぐに勢いはなくなった。

「……同じ師を仰ぐ者としては健闘を祈ります」

　なんとも複雑そうな面持ちである。シャハナ老が咎めても、精一杯といった様子だ。

「……はい、ありがとうございます」

「でも、なんで貴女だけが殿下に目をかけてもらえるのか。それだけは納得してませんから」

「バネッサ！」

「知りません知りません！」

　うーん、これはなにを言っても無駄だろう。

　ライナルトにはよくしてもらっているけど、どうして親切にしたいと言ってもらえるのかは、私自身も不思議だし……。

「そうだ、シャハナ様。人払いのあるうちに相談したいことがあるのです」

　ここで彼女に相談したのは、シスに言われた予言……チェルシーの話だ。彼女がいずれ死んでしまうと言われた逸話を説明すると、彼女は驚きに目を見張った。

「『箱』……いえ、箱の素体になった者がそう言ったと……」

「本人は覆せないと言っていましたが、できるのならその人には生きていてほしいのです。予言が覆ることはあるのでしょうか」

「いまさらになって精霊としての側面が現れた……？」

　が、シャハナ老は違うことに気を取られているらしい。なにかを考え込んでいるようで、代わりに返事したのはバネッサさんだ。

「無理でしょうね」

　力強い断言だった。なぜそうも言い切れてしまうのか、彼女は理由を述べる。

「師や兄弟子達ほど『箱』に詳しいわけではありませんが、精霊としての側面という話が事実なら断言できます」

「……それは、どうしてでしょう」

「わたしもほんの少しだけなら精霊の血を引いてるから。そういった点で嘘をつくことはできません。彼らはそういう存在だと昔から伝え聞いています」

　バネッサさんが精霊の血を引いている？

　これに対し、シャハナ老は間違いないことを保証してくれた。

「嘘ではありません。バネッサは確かに失われた神秘の流れを汲む者です」

「遠い先祖にひとり混じってるだけだから、誰かより優れてるとかはないけれどね。いい、貴女だから話したのであって、このことは他の人に話したりはしないでね」

「わたくしからもお願いします。僅かたりとも精霊を祖先に持つ者は珍しい、この子のように魔法の才が発現した子はなおさらです」

「むやみにお喋りする気はありませんが、精霊を祖先に持つ人はそんなに重要なのですか」

「見出された時点で国に登録されるのが通例なのです。例外はありませんから、奇異の目で見られることが多い。なるべくなら、せめてただの魔法使い同士としてふれ合わせてあげたいのです」

　色々話し込んでいたら、時間の経過は早い。

　あっという間に調印式の時間はやってきて、特に邪魔がはいることもなく、厳かな雰囲気の中でキエムとライナルトはエスタベルデ城塞都市の正式な返還と密約を交わしたのである。

　さて、めでたい席となれば開かれるのは宴だ。

　オルレンドル人とサゥ氏族、お互い肩を寄せてとまではいかないが、それぞれが気持ち良く酒杯を煽ったのは確かだった。サゥ氏族の中にはキエムから詳細を聞いているのか、不安そうな面持ちの人もいたけれど、彼がライナルトと仲良く話している姿に安堵を覚えた者も多かったし、なにより首長であるキエムが彼らを鼓舞すればすぐに元気を取り戻した。

　サゥ氏族の作るお酒はとにかく強い。

　酒豪も多いが、何杯も煽り続ければ気持ち酔い始める者も多く、私はそんな周囲をそっと観察し続けた。お酒は飲みたかったけれど、居眠りした失態を思い返すと一気は怖い、そんな気持ちの表れで舐める程度の寂しいお酒だ。

　……ヨー連合国と国交を再開したら、これ輸入してくれないかなぁ。

「どうしたどうした、まったく飲んでおらんがサゥの酒は苦手か。この私の氏族が腕によりをかけた酒だぞ、もっと飲んだらどうだ」

「あ、いえ……。とても美味しくいただいているのですが、なにぶん私には酒精が強くて……」

「なにを言う。このくらいならば若造でも容易いぞ。祝いの席だ、ほら、もっと飲むがいい」

「いえいえいえあの、そんな注がれたら……！」

「おい野蛮人、我が国の女性に無理強いを働くな。頑丈が取り得なだけの貴様と違い、帝国人は繊細なのだぞ」

「ほぉぉぉう？　野蛮さなら田舎者の貴殿とて大して変わらぬだろうに、よく言った」

「抜かせ、教養ならば貴様より余程積んでおるわ」

「臆病者が言いよるわ」

「臆病者かどうか、いまこの場で試してみるか」

　ほどよく酔ったキエムとニルニア領伯がバチバチにやり合いはじめた。

　しかもサゥ氏族、ニルニアの皆様方は互いに思うところがあるのか、喧嘩を後押しする野次が飛び交う始末。周囲の注目は拳を握り始めた両者に集まるのだった。

　これ、移動してもばれないな。

　そろそろとライナルトの近くに移動しても咎められる気配はない。というかほどよくお酒が入って、皆が思い思いに飲み始めているのだ。ニーカさんも「どうぞ」と迎えてくれたし、盛り上がってきた男衆について尋ねた。

「あれ、いいんですか」

「長年溜まった鬱憤は簡単に晴れるものではない。長である二人が止めるつもりがないのであれば、それなりの考えがあってのことでしょう」

「ここで暴れさせておくことで、今後の喧嘩防止も兼ねる……とかでしょうか」

「ニルニア領伯は単純に殴りたいお気持ちもあると思いますよ」

　ぐい、と酒杯を煽るニーカさんも気持ち良くのんでいらっしゃる。厳かな首長邸とは思えないほど騒ぎが大きくなってくると、個人の声は簡単に呑まれてしまう。

「……いまさらこんなことを言うのもなんですけど、うまくいってよかったです」

　キエムがライナルトの話に乗ってくれたからよかったけれど、うまくいかない可能性は十分にあった。彼らの下調べが功を奏したのだと思っていたら、何故かニーカさんは乾いた笑いをこぼし、次いでライナルトがこういった。

「まったくだ。こんなに上手くいくとは思わなかった」