239、変革への歪み
決闘から日を置いて、私達は再びエスタベルデ城塞都市に足を踏み入れた。
サゥ氏族がエスタベルデ城塞都市の返却に同意する形となったため、これに伴い、私たちも正式な逗留が認められる形になったのだ。
返却に際しては、キエムは氏族をうまく説得した。ほとんどの氏族が都市を後にするから、説得はかなりの日数を要するのではないかと思われたが、彼は見事に氏族達をまとめ上げた。
これによりエスタベルデは徐々にサゥ氏族が撤退し、代わりにニルニア領伯が都市入りを成す形となる。一応和睦となるため、双方に負担のない形で入れ替わる予定だ。
今回はライナルトが代理として調印式を執り行う予定だが、形だけになるだろう。なぜなら彼らの本当の目的は都市の返還や国交回復ではなく、裏で交わした密約になる。
都市入りした際には、都市のあちこちから煙がもうもうと上がっていた。鍛冶職人が炉に火を入れ、ため込んでいた鉄を打ちはじめたのである。
「ニルニア領伯達も都市入りしたのですよね。朝は随分急いでいらしたけれど、いまはどこにいらっしゃるのでしょう」
「首長邸ではないでしょうか。ニルニアの皆様方、故郷に帰れると張り切っておいででした」
「故郷に帰れるのは嬉しいもん」
にこにこ笑顔の二人ともすっかり馴染んだ。
「エスタベルデを帝国軍人が堂々と歩くって、少し変な感じがします」
街はとにかく活気づいている。キエムが炉を開放したのもそうだが、住人達は悲観せず、次を生きる道を模索している。その証拠として、ジルケさん達には「かっこいい軍服のお嬢ちゃん」と露天商からひっきりなしに声が掛かる。
「ニルニア領伯が都市に残る人には危害を加えないと約束したのが効いたのでしょうね。エスタベルデを奪われたとき、サゥ氏族の前首長は市民に手を上げなかった。ここで暴力が起こってしまったらニルニア領伯を歓迎する人はいなくなってしまうもの。公約にして正解よ」
「それでも複雑な人はいるでしょうね。住民の中には昔の諍いの時に帝国に見捨てられたって思ってる人もいるそうですから」
「ニルニア領伯達に任せるしかないでしょう。きっとうまくやってくれるはずよ」
逞しい、とはこの都市の住民達のことを指すのだろう。この先領主が変わり、街並みが移ろっていこうと、うまく折り合いをつけて生きていくに違いない。
私たちが領主邸に到着した頃、中ではちょうどニルニア領伯とそのご子息が、柱の前で話し込んでいた。
私たちを見つけたニルニア領伯は破顔し、いつになく浮かれた、そして柔らかな様子で出迎えてくれたのである。
「コンラート夫人、是非これを見てもらいたい」
「この旗はニルニアの……?」
「我が家の家紋です」
それまでホールにはサゥ氏族を象徴する旗が飾られていたが、いまやそこには帝国と、そしてニルニア領伯の象徴ともよべる旗が飾られている。サゥ氏族の象徴が撤収されたわけではないが、ここに帝国の国旗が飾られるのは壮観だ。
「ライナルト殿下のお陰をもって、我らはとうとう都市への帰還を果たした。私が生きている間にまたここに帰れようとは……」
「父上」
「殿下は自らが皇帝となられた暁には、正式にエスタベルデを任せてくださると約束してくださった。これはなんとしても報いねばならん」
キエムの前でこそ豪毅だったニルニア領伯だが、この人にとって、城塞都市を奪われてからの年月は長かったに違いない。
なにせ調印に基づく決定は一時的なもので、正式な裁可は皇帝から下されるからだ。現時点ではニルニア領伯が城塞都市に返り咲くことができるかすら定かではない。そんな帰還を待ちわびていた人に、ライナルトは城塞都市を返すと約束した。そのため感激もひとしおのようで、目を赤くしながら旗を見つめている。よくよく見渡せば、あちこちにいるニルニア家臣、特にお年を召した方々が似たような反応を示していた。
「サゥ氏族が撤退した暁には、父上の記憶の通り内装を変えましょう。ああ、ほらそこの柱の傷は修復などして……」
息子さんは父ほどの感慨はないが、喜びは伝わっている。
横筋の入った柱は誰が傷つけたのか、苦笑しながら将来を語ろうとしたところで、ニルニア領伯は懐かしそうに目を細めた。
「いや、それはそのままでいい」
「しかし玄関といえば見栄えが大事。このように目立つ傷を残したままでは……」
「いいや違う。それはサゥ氏族が傷つけたものではない。私の母が残したものだ」
「母……お祖母様ですか?」
「いまは亡き母上が、我ら兄弟の成長を残すため、兄と私の身長をここに記録した。派手な傷だからやめろと兄上はおおせになられたが、変わった母だったからな。家に帰ってくる父上が、すぐに私たちを思い出せるようにとな」
思い出を語る姿は故人を偲んでいる。たしかお母さまと一緒にお兄様も亡くされたのだったか。ニルニア領伯の脳裏には、色鮮やかに記憶が蘇っているに違いない。
「――が、いまにして思えば、あれは当てつけだな。父上は忙しい方だかったから、母は毎夜気を揉んでいた。柱に傷をつけたのは私たちを忘れるな、とでも言いたかったのだろう」
にやりと笑い、息子さんの肩を抱いた。
「お前も気をつけろ。妻を蔑ろにするとあとが怖いぞ」
「変なことを言うのはおやめください! 私は父上と一緒で妻を大事にしたいと思っています!」
親子仲が良いのは結構なことだ。じゃれ合う親子を後にすると、今度はシャハナ老達とぱったり出くわした。
「貴女方も到着したのですね。式まではまだ時間がありますよ」
「はい、この間はゆっくり見物する暇がなかったので、見学させてもらっています」
「わたくし達もです。エスタベルデは古くからある都市ですが、この建築様式はもう滅多に見られない。帰る前に、しっかり見ていくといいでしょう」
私には帝国様式と変わらずに映るのだが、シャハナ老曰く、エスタベルデの建物は、かつて帝国に吸収合併された王国が建造したもののようだ。元が一緒だから帝国様式と構造は似ているが、見る者が見れば細かな意匠は違うと語るのである。
「魔法だけでなく、建築もご趣味なんですか?」
「建築が趣味で、魔法は仕事ですね。いえ、でも治療のために学び研究するのは好きですよ」
そう言うと、人払いをお願いされた。
残ったのは弟子のバネッサさんで、彼女は私たちの話が聞かれぬよう見張りを行っている。
そこでシャハナ老は壁に手をつきながら言った。
「この数日の間に聞いた話を、わたくしなり整理しました。貴女はもうすぐ帝都に帰還されますから、その前に話しておこうと思ったのです」
彼女には魔法について教わる前に、いくらか話をしている。シスに突然送り込まれた話もそうだが、肝心のシスについて彼女はこう告げた。
「おそらく、我々が予想しているよりも早く封印が進んでいます」
重い、重苦しい溜息だった。
「封印にはシャハナ老の一派も加わっている、と聞きましたが……」
「殿下に協力を決めたからには、できる範囲で遅らせようともしていました。ですが魔法院には想像以上に熱心な者達がいるのです。彼らの情熱はわたくし達の想像の遙か上を行きます」
「寝る間を惜しんで事にあたっている、とか」
「間違っていませんね。同胞は再び魔法使いの隆盛を夢見ている。箱が封印されれば、功を示せ、また封印維持のために必要とされるでしょう。雑務に消費されるのではなく、神秘はこの世に必要だと陛下に示せるのです」
雑務……とは、例えば外灯とか、火薬もどき、だろうか。シャハナ老は肯定した。
ただ、だからこそ解せないものもある。
「……理解できない、そんな顔をしていますね」
魔法使いの隆盛はどうでもよかった。
私が疑問に感じたのは、シャハナ老は長老であり魔法使いであるはずという点だ。
彼女は注目を浴びはじめた魔法使いに喜んでいたはずだ。だから均衡を壊したエルを裏切った。あの結末が訪れてしまったのだ。
「シャハナ老は……こうして一個人として向き合うならば、複雑ですが……嫌いではありません。命令があったとはいえ、あなたは私にも親切にしてくれた。少し時間が経ったいまなら、そういう風にも考えられます」
「では、長老としては?」
「好きではありません」
「ええ、構いません。考えるのは人の営み。何かを想い、何かを得たのであれば、そのことに意味があるのですから」
……肯定しているのだろうが、彼女の言い回しはやや難解だ。
「魔法院は『箱』の再封印を望んでいました。他の派閥の方もそうなのに、どうしてあなたは外れたのです。近くでライナルト様を見てきたのです、あの方が魔法を嫌っていること、すでに感づいているのではありませんか」
今度こそ教えてもらおう。シャハナ老はライナルトではなく皇帝カールに協力するのが筋だ。
「そうですね。あの方はわたくし共を傍に置きたがらない。便利であると、ただその一点で重用されておりますが、殿下が皇位に就かれたならば、いずれ魔法使いは潰えるでしょう」
「『箱』も壊れます。壊します」
「呪いが降りかかるでしょう。かつてあれを作った者の記録によれば、『箱』は帝国を呪っていると言う。ただただ闇の塊です。解放された暁には民にどれほどの影響を受けるか、わたくしには想像もつきません」
「それがわかっていたから、反対だったのですね」
「そう、魔法使いは潰えし存在なれど、わたくし達もまたオルレンドルの守護者です。国を守る一翼として、破壊は断じて認められない」
毅然と告げた後に、不敵な笑みのままぐしゃり、と奇妙なまでに顔を歪めた。
「アレを見るまではそう信じていたのです」
しろ46さんの足癖悪ナルト(https://twitter.com/siro46misc/status/1462020242457174023)




