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231、魔法使いの視界

 これはまったく予想していなかった。

 

「よかったらこの果物はいかが? いまが旬だから瑞々しくて美味しいよ」

「ありがとう。だけどさっきご飯を食べてしまったからお腹いっぱいなの。また機会があったら寄らせてもらいますね」

「そうかい? だったらこれはそのまま持っていって、お腹が空いたらたべておくれ」

「いいえこれから予定があるしそういうわけには……」

「まあまあまあまあ、そう言わずに!」

「あ、ちょ……」


 青果売りのおばさんにぐいっと果物を押しつけられる。相手が手を離してしまうから落とすわけにもいかず掴むと、止める間もなく去ってしまうではないか。


「ええ……」

 

 困惑しているここは城塞都市エスタベルデ。人目を避けた路地の角で、私はジルケさんにハサナインさんを伴って散策していた。いたはずだった。

 二人は主に護衛が役割だけど、今日は軍服ではなく、城塞都市に合わせて服装も変えている。元々こちらに馴染みがあるためか違和感なく着こなしていて、同じ装いでも服に着られている私とは大違いだ。

 周囲を見渡していたハサナインさん。おばさんが消えていった角から人が現れたのを見ると、ジルケさんに合図を送った。


「場所が割れたな。ジルケ、先に目立たないところに向かってくれ。適当に話をして散らしてくる」

「了解。……カレン様、人気者ですねぇ」

「不可抗力です」

「わかってます。でもこれは……ちょっと困りますよね。こっちも都市に詳しいわけじゃありません。マイゼンブーク様にいくらか内部の構造を教えてもらいましたが、それでも限界が……」


 こうして人目を避けるのは本日で三回目。今朝方、先方の許可を得て城塞都市入りしたのだが、まだ昼にもなっていないというのにこの有様だった。ライナルト達は昼過ぎにこちらに入るから、それまでの間の短い観光のつもりが困り果てた事態になっている。

 こうなった原因は、当然ながら先日寄越されたキエムからの手紙だ。 彼は帝国、もといライナルトが設けた会談の席に着くことを了承した。指定されたのは数日後になるのだけど、そこに私の同席が希望されていた。

 相手方の思惑が不明のためシャハナ老は反対したし、彼女に同意する人は多かった。しかしキエムたっての希望だし、機嫌を損ねるのはよろしくないとマイゼンブーク卿が発言したことで私の同行も決定したのである。


「これほど好意的な文を寄越すのです。であれば無視すれば非礼で返すことになるのだから、このまま帰すなどあり得ない」


 私が帝国側の魔法使いであることなど承知の上で、『白い髪の命の恩人』でご指名されたのだ。要約すると、門を開いておくので時間まで好きに見学していいとまで記してあった。

 様々協議を重ねたのだけど、結局は私の「行く」の一言で収まった。どのみち同行は決定しているのだ。一見お好きにどうぞと記してあるが、わざわざ送られてきたのだし、これはキエムの要望を叶えるための都市入りになる。

 当然護衛が必要になるも、あからさまな帝国軍人を引き連れて入るのは目立ちすぎる。そのため護衛はヨーに馴染みのあった二人で継続。あくまでも見学の体裁なので、私含め三人とも着替えて都市入りだ。都市内に詳しいマイゼンブーク卿がどこかから私たちを見ていてくれているはずだが、いまのところ姿は確認できない。


「都市内について詳しく聞いておいてよかった! 行き止まりにあたってたら目も当てられやしない!」

「ごめんね、ジルケさん」

「謝らないでください。誰も想像できませんよこんなの!」

 

 細路地を通過すると、大きな通りに出た。商店街からは離れたが、都市の人が生活をメインにする一帯のようで、裸足の子供が駆け回る姿が確認できる。彼女は私に頭から羽織を被せ、そのまま何食わぬ顔で隣に腰掛ける。

 しばらくすると、通りを何人かが通り過ぎていく。誰も彼も反物や果物、もしくは壺なんて持っている。誰かを探しているようで、ヨーの言葉で話しながら目の前を通り過ぎていく。

 彼らは私に気付かない。ジルケさんがこっそり耳打ちしてきた。


「さっきのおばさんは元エスタベルデの住人でしょうね。大方噂を聞いてやってきたんでしょうが、あの人達は純粋なサゥ氏族の人でしょう。見つかったら面倒ですよ」

「……あの壺も私に渡す気なんですか、彼ら」

「どう考えてもそうだと思います」


 また時間をおいて、ハサナインさんが姿を現した。合流地点を決めていなかったから相当探しまわったようで息切れを起こしていたが、こちらを発見するなり白い歯を見せてくれた。


「上手いこと言って撒きましたから、しばらくは大丈夫でしょう。ここで大人しくしておけば、時間までゆっくりできるはずです」

「お手数おかけしました……」

「最近暇だったから刺激になってよかった。それに久しぶりにヨーの言葉を話せた。すっかり忘れてると思っていましたが、意外と通じてくれるみたいです」


 ……で、どうして私たちが、もとい私が城塞都市エスタベルデの一部住人に追いかけられ、あまつさえ果実を貢がれたかなのだけど……。


「白髪にここまで拘りがあるなんて知らなかった」

「あたしもです。ハサナインもよね?」

「ですね。珍しいくらいには聞いていましたが、ここまで盛り上がるとは思わなかった」

「ちょーっと髪がチラ見えしたら目の色変えてきたものね」


 そう、髪。私の白髪。

 帝都にいた習慣で目の色は普段通り誤魔化していたのだけど、髪は隠せばいい程度の認識だったのだ。ヨーでも少し珍しいだろうくらいの話だったから気に留めずにいたら、喉を潤すつもりで寄った店で、スカーフの隙間から垣間見えたらしい髪の色を聞かれた。世間話程度のつもりで地毛であることと、観光でエスタベルデを訪ねたと話せば、突然飲料代を返却されたのだ。

 お金は受け取ってもらえないし、とにかく、何故かやたらとありがたられる。わけもわからず店を出たのだが、それからしばらくすると他の人が駆けつけ貢ぎ物の嵐が始まった。

 うちの野菜を持っていって、果物を食べて、装飾品を持っていって。宿がないなら泊まっていって……。困ったことに全員本気で言っているのが伝わるから、こちらもどう返せば良いのかわからない。護衛二人の協力を経て商店街を脱したのであった。

 

「白髪が幸運の証ねぇ……」

「喜んでもらえたらそれだけで益があるとか。傍にあるだけで幸運を招き、立身出世も思いのままだとか、そういう言い伝えがあるようだ」

「だから最初の店はお金を返したわけだ。他の人も……」

「喜んでもらえたらなにか益があるかもしれないってことだろうね」


 ……そういうことだよねぇ。

 それで喜んでもらおうとあれこれ世話を焼こうとしたのだ。申し訳ないけれど、こちらは事情がさっぱりわからないので、突然の出来事に戸惑うばかりだ。


「お二人は知らなかったのですか?」

「生憎、ヨーはヨーでも端の出身です。中央の事情はわかりません」

「それよりマイゼンブークさまはご存知だったのかしら。あの方、事前に都市の構造を詳しく教えてくれたのよ。ここはあたしたちよりも長いし、予測できなかったのかしら」

「わかっていたら忠告してくれたのではないかな。もしかしたら噂くらいは知っているかもだけど、サゥがここまで信じ込んでいるとは思っていなかったと考えるのが妥当だ」

「そっか。あの方、お顔は怖いし態度も悪いけど、そういうところはきちんとしてるものね」

「うん。だから仕方ないよ」


 下手に身動き取れないから、座りながら往来する人々を眺めるしかない。

 私の記憶にあったのは夜の城塞都市だが、ここは昼と夜とで違う顔を見せる。帝都は比較的どこも街が綺麗に整備されているけれど、エスタベルデは生活感に溢れている。全体が活力に満ちていると言おうか、人々の話し声もあちこちから溢れ、時に大きな笑い声が響くのだ。

 地べた売りの露天商の数も多い。エスタベルデは基本的な建築様式が帝国のものだから違和感が付き纏うが、色とりどりの布地で建物の彼方此方を飾って異国情緒が強い。夜より昼の方が香をふんだんに焚いていて、しかも好きなお香をそれぞれ焚くから、場所によってはお香がミックスされたひどい匂いになる。 

 それと目立つのは家々の窓から紐に繋げた籠。

 通りをパンや生鮮食品を売る人が練り歩くのだが、欲しい物を売っている売り子が通りかかったら窓から声をかける。お金を入れて籠をおろせば、商品を籠に入れて取引成立だ。でも値段交渉がうまくいかないと、二階三階や地上とで派手な言い争いが発生する。さっき見てきた。

 帝都も一画によっては喧噪に溢れているけれど、こちらはもっと力強い。人々の笑顔は力強く、見ているだけで元気になってくる街並みだった。


「……キエム首長はこれを見せたかったのかしら」

「そこはご本人に聞いてください。あたしたちみたいな下っ端じゃわかりません」

「ぼやいてるだけですからー」


 なお、先日のライナルトとの脱走はバレた。

 私の帰宅までは順調だったのだけど、野生の勘が働いたニーカさんが起き出し、ライナルトの天幕で張っていた。そしてライナルトが私が抜け出したこともばらして、芋づる式にお縄になったのだ。たぶん彼はひとりでお説教を受けたくなかったのだろう。おかげで朝ご飯がたいへん味気なかった。

 このため二人のガードも大変固くなり、私もどうやって気付かれず再度抜け出すか、頭の片隅で試行錯誤している。

 もしジェフがこの場にいたら、出し抜いてやろうなんて考えなかっただろう。二人を侮っているのではなく、知らない土地で目新しいものに触れているこの状況に静かな興奮を隠せないのだ。


「……座ってるだけなのも暇だし、もう少し休んだら首長邸に向かいましょうか」


 それとこちらにきてから、シャハナ老の教えによって魔力の扱いが上達した。

 練習の甲斐もあってか目を凝らせば、空を覆う薄い糸が目に入る。

 うっすらと、しかし網目状に細かく走る糸はエスタベルデの上空全体を覆っている。

 常人には見えないであろうこの糸が外部の魔法使いを拒むヨーの『呪術』だとすぐに理解したのだけど、同時に表情も曇った。

 ……普段からこんなものが見えているのだとしたら、魔法使いって相当大変なのではないだろうか。


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