202、縁はまた廻る
「これはこれは殿下、コンラートにお越しいただけるとは恐縮の極みでございますが、本日はどのような要件でございましょう。ご覧の通り当主代理はただいま帰宅したところですが、急を要する話でもございましたでしょうか」
クロードさん、ライナルト相手によく堂々と言えたものだなぁ。もちろん本人も、ライナルトなら言っても大丈夫だろうって算段があっての発言だし、彼も気にする素振りはないが、実際口にするには勇気が伴う。
「悪いね爺さん。見ての通り口うるさいお供がいないだろ? ちょっと暇だから私が連れ出してきたんだよ。お忍びだから、そんなに気を遣わないでおくれ」
「ライナルト様、シスの自由にさせたんですか」
「シスがどうしてもと言うので」
「そんな言い方はないだろ? 来る必要があると思ったから来たんだよ。ところでその後ろの子は?」
「私のいとこです。今日からしばらくここに住みますが気にしないでください」
「お久しゅうございます、殿下」
ここでマリーが前に出て挨拶すると荷ほどきがあるからとその場を離れたが、本当に空気が読める人だ。もちろんライナルト達がいるからだけが理由ではないのだが……。
シスはまるで無頓着だが、ライナルトがクロードさんの後ろで佇むマルティナをちらりと見た。
「邪魔者は私たちの方らしい。事情があるようだから出直そう」
そう、マルティナの様子は一目見ておかしいとわかる。それというのも普段の教師然とした佇まいとは違い、今日の彼女は満身創痍だ。いつもとはちょっと違う普段着っぽい服装や髪はきちんと手入れされていても、目の下には隈ができていて、片目は包帯に覆われていた。片手は足を支えるための杖をついているが、どうやら折れているらしくクロードさんがかなり気を使っている。長袖のシャツで上半身は隠れているも、動いた拍子にぴったり閉じられた隙間から包帯が覗いたのを目撃してしまった。
ライナルトは気を使ったが、辞退したのはマルティナ本人だ。
「この話は殿下も無関係ではございません。もしよろしければライナルト殿下にも立ち会っていただきたく存じます」
「マルティナ君、いいのかね」
「構いません。元々黙っているつもりはございませんでしたし、こうして殿下が訪ねてこられたのもなにかの縁でございましょう」
「……ふーん? わけありみたいだけど、みたところきみ、全身傷だらけじゃないか。話しにくいのなら治してあげようか」
「お気持ちだけいただきます。ありがとうございます」
こうしてライナルト達の同席が決定したのだが、ここでさらに驚いたのはヴェンデルの帰宅だ。クロードさんが手を回したらしく、ヒルさん達が迎えに向かっていたのである。彼らの行動はウェイトリーさんも事情が不明らしく、珍しく狼狽していた。
「クロード、なぜ……あ、いえ、申し訳ありません殿下」
「今日の私たちはただの傍観者だ。気を使う必要はない、これの発言も無視してくれ」
「えー。私は大いに口を挟むぞぅ。どうみたって面白い予感しかしないじゃないか!」
「あるだけの菓子と軽食を用意してもらえるか。ああ、これの分の水分は不要だ」
今日も口に突っ込むんだろうか。でもシスは茶々を入れる気満々のようだから、ライナルトが彼の口数を減らしてくれるのならありがたい。ちなみにまったく関係ないけど、息を詰まらせないタイミングで食べ物を突っ込むのは結構難しいので、彼の手腕はかなり手慣れているのを身を以て知っている。
「ワタシにも用意してくださる。せっかくだから色々食べたいわ」
「げぇ、お前は出てくるなよ。魔力を使うだろ。大人しく仕事をしておけよ」
「小姑みたいに煩い生き物ね、いまだってしっかりやっているわ。魔力はライナルトから拝借してるから問題ないわよ」
「……可能ならば出てくるときは一言頼みたい。立ちくらみがあるのでな」
「善処するわ。ああ、皆ワタシ達のことは気にしないでね。……お前は木の実程度にしときなさい」
いつの間にかルカと黒鳥も現れて場はさらに混沌としてきた。黒鳥がお菓子を欲しがっている素振りを見せるが、ルカが押しとどめている。
手洗いを済ませてきたヴェンデルはこの場の顔ぶれにおののいたが、即座にマルティナの容体を気にかけるあたりが本当にエマ先生にそっくりだ。
それはもう豪華なメンバーだった。
中央には深刻そうな表情をしたマルティナに、彼女に付き添うクロードさん。向かいには私を始めとしてヴェンデル、ウェイトリーさんだ。さらにマルティナはコンラート出身の使用人全員の立ち会いを望んだが、これはクロードさんに止められた。傍観者兼立会人はライナルト、シスにルカに黒鳥だ。
マルティナはこの面々を見回した上で、ライナルトに頭を下げた。
「……御身の時間を頂戴しますこと、どうかお許しくださいませ」
彼女はなにを抱えているのだろう。クロードさんは始終マルティナを気遣っているが、ライナルトに挨拶しているときも目の奥は鋭い光を絶やさなかった。いつものゆるっとした雰囲気はどこへやったか、いまも警戒を崩さずに全員を見渡すと宣言したのだ。
「さて、正直なところ私が立ち会うのは場違い、もとい部外者もいいところなのだが、最初に話を聞いた身として、なにより彼女の指導役の一人として座らせてもらっている。そうだな、中立の人間が一人くらい必要だと思ってもらえるか」
「中立? それならば私に事前に相談してくれてもいいだろう」
「今回ばかりはお前も中立ではいられんからだよ、ウェイトリー」
同情的な眼差しが差し向けられると、ウェイトリーさんも何かを察したのか口を噤んだ。
クロードさんが懐から取り出したのは長方形の包みだ。中央におくと、包みを開きながら語り出した。
「これはマルティナ君の片手が塞がっているから私が代わりに持っていたものだ。つまり、彼女の所有物になる」
何事かと首を傾げていた私たちだったが、小箱の蓋が開かれた途端に呆然となった。『それ』に見覚えがあったウェイトリーさんははっきりと息を呑み、私は小さく声を漏らした有様だ。思わず自分の袖の中に収めていた腕輪と見比べたのである。
「これって……え……?」
二つの装飾品があった。
ひとつは私が身につけている装飾品と造りがそっくりの腕輪。細い鎖が基調となった職人技が光る逸品はライナルトが職人に作らせた、二つとない品物のはず。薄青の宝石が嵌まった腕輪は彼の目の色にそっくりで、だから気に入っていたのもあって……。
「マルティナ?」
「こちらはカレン様のもので間違いないでしょうか」
「え、ええ。間違いない、と思うけど……ライナルト様」
「……間違いないだろうな。図案を提案された折から見ていたので覚えている。ファルクラムで婚約の証として作らせたもので相違ない」
「私がとってきた宝石だ。普通のものはもっと色味が濃いけど、きみに合わせて探した淡い色のヤツ」
え、まって。あれは結婚祝いとしてくれたものじゃなかったの?
しかも石をシスが取ってきたって初耳なのだけど、いまはそこまで突っ込んでいる余裕はない。
腕輪が本物だとわかると、マルティナは深い息を吐いた。覚悟していた様子だが、それでもやはり堪えきれない感情を必死に抑えているためか、わずかに声が震えている。
「こちらは亡き両親の最後の稼ぎとしてわたくしに送られてきたものです。次に、こちらは――」
敷布ごとヴェンデルの前に寄せられたのは指輪だ。上品だけどシンプルで、身につけやすい銀細工。マルティナの指先が内側の傷ついた箇所を指さした。そこで気付いたのだけど、動きは一見きびきびとしていて怪我以外はなんてことなさそうだが、怪我をおして動いているのは一目瞭然だった。
「父母の所属していた傭兵団に掛け合い、買い戻してきた指輪です。運が良いことに袋の片隅に隠れ、売られておりませんでした。中の文字は削られていますが、ヴェンデル様が持っている指輪と揃いのはずです」
そこまで言ってのけると、マルティナは両手で顔を覆った。くぐもった声は行き場のない感情を持て余す苦悩に溢れており、しかし現実を受け入れるしかない有様だ。
ここまでで彼女の言いたいことは大体察することが出来た。
けれどそれを認めるには私たちには多少の時間が必要であり、結局、誰一人としてマルティナにかけられる言葉が見当たらない。
「わたくしの両親がコンラート襲撃に加担していた傭兵団の一員であったと確かめてきました。本来でしたらこうして顔向けできる身ではございませんが、恥を忍んで姿を現したのは皆さまがコンラートの詳細に詳しくないと聞き、調べてきたからです」
すべてとは言えないが、私たちの知らない真実を話すことが出来るといったマルティナ。私がおそるおそる腕輪を手に取ると感触を確かめる一方で、ヴェンデルはようやくエマ先生の形見に触れることができた。
いつも肌身離さず首から提げているのは伯の形見だ。エマ先生と対になった指輪は綺麗に手入れされており、並べれば若干色味が違うのがわかるけれど、手入れをすればすぐに元通りになる。
音もなく姿をみせたクロがヴェンデルの隣に寄り添っていた。
両親の形見を同じ鎖に通すと、カチンと金属がぶつかり合う音が小さく鳴り響くのだ。
あの頃よりいくらか大きくなった手の平の上で二つの指輪が並んで――。
「――おかえり」
泣き笑いになった少年の声が静かに全員の耳を打った。




