197、外伝 地獄の釜よりなお赫く/Ⅳ
胃の中身を吐き、呼吸を落ち着ける頃には一人目の遺体を漁り終えていた。ニーカにとって目を背けたくなる惨状もライナルトにとっては景色と変わらない。
「良い火種があった。油もあるし、火打ち石も私たちが持っている物より上等だ、使わせてもらおう」
そう言って二人目、三人目の持ち物を調べ出す。命潰えたばかりの肉体はまだ温かいだろうに、顔色一つ変えやしない少年をニーカは奇妙に、モーリッツすら複雑な面持ちで見つめる。
「ライナルト様、僕は、どうしたら……」
「お前達が遺体を見るのが初めてなのはわかってる。私が引き受けるから、外を警戒してくれ」
「ああ、うぅ……はぃ……」
モーリッツは我慢していたらしく、おぼつかない足取りで距離を取るとげえげえと吐き出した。
ニーカはといえば、苦行を少年にだけ課すわけにはいかないと勇んだが、最後の一歩が踏み出せない。そんな彼女に対し、まるで背中に目があるかの如くライナルトは告げた。
「無理しなくていい。君にはいざとなったら一番に矢面に立ってもらわなければならないし、自分の体を優先してくれ。こういう仕事は私がやる」
「お前……なんか、慣れてないか……」
「慣れてるわけではないさ。死体を見るのははじめてじゃないだけだ」
「怖くないの……?」
「もう動かないし襲ってこない。腐ってたら臭いがきついから嫌だけど、ただの肉袋だろう?」
貴族の子息から出るにしては物騒な言葉だった。二人目はほとんど手ぶらだったらしく、ハズレだと呟くと三人目に移り出す。邪魔になったらしい手を足でどかしたとき、たまらずニーカは叫んだ。
「やめろ! 乱暴に扱うな!」
少女の制止に少年は動きを止めたが、それはニーカの意図を理解していたよりは叫び声に驚いたと言った方がいいだろう。
「い、遺体を、乱暴に扱うな。彼らは私たちと同い年だぞ……!」
「ああ、うん。それは見ればわかるけど」
ぐるりと亡くなった三人組を見渡した。
「もしかして君は彼らの尊厳とやらを気遣ってるのか」
「そういうわけじゃ……うう、いや、やっぱりそうなのかもしれないけど……とにかく無下に扱うのはやめてくれ!」
「大声を出さなくても聞こえる」
反発することなく足蹴をやめ、泥の付いた箇所を払ってやるライナルトだが、言われたからそうしたのは明白で、ニーカの方が戸惑ったくらいだ。
三人目は色々な荷物を持っていたようで、鞄を改めるとはじめるとこんなことを尋ねた。
「彼らは私たちを殺そうとやってきたんだから、あまり入れ込みすぎるのはどうかと思うよ」
「わかってる。わかってるよ」
「私は君より傷つけるのに躊躇はないけど、技術面ではどうしても劣る。頼むから躊躇わないでくれよ」
「わかってるってば!」
忠告はいたいほどわかるつもりだ。下手に怒鳴ってこないこと、それに先のライナルトが迷いなく人を斬りつけたのを目の当たりにすると、年長者に叱られた気分になって口を噤んでしまう。
ライナルトは必要な道具を移し替えると、彼らの衣類があまり濡れていないことを指摘した。彼の指示通りニーカとモーリッツで近くを探索すると、雨除けの皮の外套がちょうど三人分隠してあった。
雷は轟々と鳴り響き雨も強くなる一方だったが、絶え間ない光のお陰で雨除けを見つけられたのは幸運だ。三人の遺体を横並びに寝かせると、雨足が弱まったタイミングで野営地から発った。
見知らぬ地で夜中の行軍など死に等しい。モーリッツから意見は出たが、夜中にも関わらず現地民の少年少女が駆けつけられたのは不安しか残らないとライナルトの意見もあって納得させられた。
「モーリッツが聞き取った会話から察するに、大人に隠れて出てきたのだろうけど、気付かれない保証はない。雨で犬が使えないのが幸運だっただろうね」
「いえ、僕のは聞きかじった知識ですから、翻訳が完全に合ってたかどうかは……」
「お前が言うのなら信じるさ」
この言葉にモーリッツは感激しきりで、殺害現場に半泣きだった気力も立ち直した。
ぬかるみに足を取られながら、道なき道を進む三人。偶然ながら人が使用した形跡のある山道を発見できたので、目印をつけた後に脇道に逸れると木の下で闇に紛れるよう身を寄せ合った。外套は三人の想像以上に防水性が高く、外套越しに座れば濡れもしないし、なにより暖かかかった。あまりに心地よすぎて一眠りしてしまったくらいだが、それでも足元までほとんどといっていいほど濡れていないのは不思議だ。これにモーリッツは雨除けの加護がかかっているかもと呟く。
「ほら、雨の中でも僕達だけの声は通じているだろう。この地方の原住民は、確か……精霊を信奉していて、まじないが盛んな地域だ。こういうのを作るのが得意なのかもしれない」
「魔法の類?」
「一応そうなる。違いまではわからないよ」
「へー……私にはあまり縁がない話だけど、あんたらは違うんだろ」
呑気なニーカにモーリッツは一睨み……したかもしれない。少年はまわりが気になってほとんど眠れていなかったから、この状況でも一休みできるニーカに含むものがあったのだ。いまはライナルトが眠りについているが、二人の会話にも目を覚まさなかった。
「まあ、お前よりは知ってるな」
「そう刺々しくするなよ。いまだって寝られないから、せめて気晴らしに話そうとしてるんだろ。だったら私とくらいは仲良くしておけよ」
「……お前は利用価値があるから助けただけだ」
「いちいちそんなこというなって。殴りたくなるだろ」
軽口をたたけるまで回復したのは、多少なりとはいえ寝られたおかげだ。殺した少年少女を思うと胸は痛んだが、いまは雨の行軍の疲れが思考を鈍くしてくれている。
「なぁ、明るくなったらどこに行けばいいんだ」
「……来る前に、ざっとだけどひととおりの地理については頭にたたき込んできた。旅人が作った適当な地図しかなかったから詳しいことまではわからないけど、さっきの街道は覚えがある」
「なら……!」
「けど方向がわからない。だけどこのあたりに生息してる植物を調べれば、帝国に近いのがどちらの方向かはわかるはずなんだ」
「一歩間違えたら森の奥深くだぞ」
「わかってる。だから間違えないように慎重にいかないと。……そういう点ではこの地域と帝国で植物に違いがあるのは助かった。ライナルト様はやっぱり運が良い御方だ」
「運のいい御方はこんな目には遭わないと思うよ、私は」
「うるさい。今考えてる最中なんだ」
モーリッツの冷たい言葉も、いまなら強がりとわかるから怒りも沸かない。むしろ遺体を前に怯えていたからこそ奇妙な連帯感が生まれていた。
単純に川を下って道なりに進む方法もあったが、川はどこに繋がっているかがわからない。危険だというのがモーリッツの意見で、さらには生活の基盤に欠かせない水がある箇所は見張られている可能性が高いから使いたくないのが三人共通の意見だった。
ニーカは肩をすくめて、深呼吸しながら辺りを見回す。見張りとはいったけれど、弱い雨が降っているし、見よう見まねがせいぜいだった。
しばらくぼんやりしていると、唐突にモーリッツに呼びかけられた。ぽかんとしていると、いらついた声が彼女を咎める。
どうやら独り言を呟いたらしく、心配して声をかけたらしい。
「私、なんていってた?」
「……聞きたいのか?」
ぶっきらぼうだが根が悪い奴ではない。ニーカが頷けば、渋々だが教えてくれた。
「人を殺したんだな、だそうだ。本当に覚えていないのか」
「全然覚えてない」
チッ、とあからさまな舌打ちをこぼされた。普段のニーカなら口より先に手が出ているが、モーリッツは状況に助けられたといっても過言ではない。
「なぁ、あの三人に襲撃を受ける前にお前達の会話が聞こえたんだけど……」
暗闇でもはっきりとわかるくらいにモーリッツの肩が跳ねた。それだけでニーカは嘆息つくと、何事もなかった風に振る舞った。
「モーリッツはバッヘムの人間なんだろ。ライナルトについてきて従者ぶってるけど、こんなところについてきて家族は反対しなかったの」
返事は期待していなかった。子供みたいな罵倒が跳んでくるのを覚悟していたら、ばつが悪そうな囁き声が聞こえてきた。
「母がバッヘムだから目をかけてもらってるけど、父は流れの詩人だ。底辺もいいところの血筋だから僕は期待されてない」
「ふーん。お父さんとお母さん、仲悪いわけ」
「悪く……はない」
バッヘム一族は一門の強大さゆえか、親族一同となってオルレンドル金庫番としての役目を果たしている。一族内に部門を設け、各人に役割を振ることで監督を果たしており、そこには男女関係なく優れた者に席を用意されている。それぞれに対し目を光らせることでお互いを監視しているのだ。
「……跡継ぎとかいわれないのか?」
「うちの一門は自由な人が多いから」
「はぁ……。じゃあお前の母さんは心配してくれてないのか」
「それはない。びっくりするくらい子煩悩だからこの訓練は反対はしたけど、ライナルト様に付くこと自体は納得してくれてる。ていうか勧めてくれたのは母さんだし……」
「一般人に混ざって軍学校に訓練しにいくのを認めたんだ……」
よくわからない一族である。だが彼がバッヘムの一員なら、ますますライナルトについてきているわけを知りたいのだが、それを尋ねるとモーリッツは口を噤む。やはり簡単に教えることはできないのかと諦めかけたところでライナルトが身を起こした。
「私の父親が皇帝カールだからバッヘムは人を付けてくれたんだよ。カールには子供がたくさんいるから彼らも人を選んでいるけれど、もしかしたら私が将来要職につくかもしれないからね」




