192、もらえなかった感情
彼に対する私の返答は、現状ひとつだけだ。
「移植と言われてすぐわかりましたと答えるのには、心の準備が必要だわ。少しだけ考える時間をもらえる?」
「おや、後回しか。意外だな、きみのことだからすぐに了解してくれると思っていた」
人を何だとおもっているのか。すぐに返事を寄越さなかったのは気に入らなかったようで、念押しするように伝えてくる。
「寄生しているそいつが魔法を使うとなると、必ず、なにかしらの形できみに影響が出てくるだろう。悪いことはいわないから、素直にこの話を呑むんだね」
「心に留めています。心配しなくても、それしかないのは伝わった。副作用がどうなるかわからないから、やるからには準備期間が欲しいだけ」
「マスター!?」
聞いた時点でそれしかなさそうとは思っているけど、副作用がどうなるかわからないし、その前にやるべきことを終わらせておきたいのだ。
シスはヒュウ、と口笛を吹いたが、ライナルトは彼ほどお気楽ではいられない。
「簡単に決めて後悔はないだろうか。私は勧めなければならない立場だが、あとから話が違うなどと言われても何も手助けは出来ない」
「簡単に決めてはおりません。ルカが反論しないのをみるにこれが一番確実なのでしょう?」
誰よりも使命をまっとうしなければならない子が泣きそうになっているのだ。最初、あれだけ辛辣で高圧的だったルカが、いまは所在なさげな子供にしか映らないのだから不思議な気分だ。
「ルカ、そうよね?」
「……とても不本意だけど、そこの箱男の案がどれよりもマシなのは事実。それにすぐに移植しないのも正解。いまはマスターに耐性が足りないから、ワタシのほうで貴女の心を守るための魔法を編まなくてはならない」
「よかった。だったらなんにしろ少し時間が必要なのね」
ほっと胸をなで下ろす。
しかしルカは私が安易に引き受ける理由がわからなかった。二人がいるのに、怪訝そうな面持ちで尋ねた。
「……マスター。貴女どうしてそんな簡単に引き受けられるの?」
「ん?」
「だって貴女、エルネスタの行いを怒っていたじゃない」
不意打ちでばらされて、咄嗟に誤魔化すのを失敗してしまった。
エルによく似た、けれども違う眼差しをもつこの子に、そういえばと思い出した。ルカは私の記憶を覗き見た。だったら知っているのも道理である。
正直、これをライナルト達の前で答えるのは気が引ける。けれどいま、この子から感じるのは人を学ぼうする真摯な姿勢だ。これをはぐらかし誤魔化すのはできなかった。
「……そこまで知っているなら、理由もわかるんじゃないの?」
「いいえ、すべては理解などできない。ワタシは確かに貴女を観察し、知ろうとつとめたけど、ワタシにとって人間の感情は複雑すぎて追いつけそうになかったから、すべてを見る前に切り上げた。でも貴女がエルネスタにとても怒っていたことだけは知っているのよ」
「へー、それは意外」
シスの野次は放っておこう。
……うん。そうだ。エルが拳銃をこの世界に広めたと知ったとき、彼女を心配すると同時にこうも思わずにはいられなかった。「なんて馬鹿なことをしてしまったの」と。
エルが名誉と栄光を求める傾向にあったのは知っていたけれど、この世界を歪める技術を広めるまで強い感情なのだとは至れなかった。技術の伝達面においてなんて特にそう。お互い考えが正反対だし、私は銃社会なんて知らない育ちだから、どうしても相容れない部分がある。あの時は彼女の身に危険が迫っていたからそれどころではなくなったのだけれど、ルカが声にする「怒っていた」はこのことだ。
だけど、だけどだ。
「あなたの言うとおり私はたしかにエルに怒っていた。だけど怒っているからといって、彼女のすべてを否定したいわけじゃない。エルとは意見が合わないことだってあったけど、それくらいで壊れる仲ではなかったと信じているし、彼女が間違ったことをしたなら少しでも良い方向に修正したい。本当は生きて一緒にそうしたかったけど、もうできないから、せめて私がと思うの」
「……それがマスターが立つ理由?」
「そう。私が何をしたいかは、あなたはもう知っているでしょう?」
怒った、嫌いだ、理解できない。だから縁を切る!
……言うだけなら簡単。けど、私はやっぱりエルを否定したくない。これはコンラートを壊すほどの技術を伝達したと知っても無理だった。
これから私がやりたいと思っている事をエルが知ったら「余計なお世話だ!」と怒っていたかもしれない。もし生きていたら顔を真っ赤にして、私たちはそれこそ派手に喧嘩をしていたかもしれないが、もう相手がいないのだ。文句を言いたければ化けて出てこればいいのに、夢にも出てくれやしない酷い友人。だから私は勝手にやらせてもらう。
ライナルトに声をかけた。
「私もただでここまで引き受ける気はありません。目を引き受けては私なくしては成り立たないものもあるでしょうし、その時は取引に応じていただきたいのです」
「いま話を聞いても良いが、それは難しいと?」
「取引とは対等な関係で成立するものです。現状、私はまだあなたに取引できるだけの材料は得ていない。ただ願うだけでは到底叶えられません」
「さて、どんな交渉を持ちかけられるか恐ろしくもあるが、楽しみでもある。……よろしい、その時はカレンの話に真摯に耳を傾けると約束しよう」
「カレン嬢、それってライナルトが皇帝にならなきゃ難しいのかい」
「そうね。だからあなたの解放に力を貸す理由にもなるのよ」
「だったらよかった。復讐なんて薄っぺらい理由だけじゃ信用ならなかったんだ。いまの話を聞いて安心したよ」
「シス、私、あなたのそういうところは嫌いよ」
「私はそもそもヒト全般が嫌いだね」
彼を皇帝に押しあげることが、私の復讐、願い、エルの祈りに繋がっている。だから彼に皇帝になってもらうのは、もはや大前提なのだ。ただ懸念があって、それがヴィルヘルミナ皇女であり、彼女が目の移植に待ったをかけた最大の理由である。
ライナルトやシスとは他にもいくらか話を詰めていったが、夕餉が近くなるとルカが鼻を動かした。
「今日は鹿肉の煮込みかしら。ご飯ってお菓子とは違う味らしいけど、どんなのかしら」
早くも食欲に目覚めつつある。夕餉に話題が移ると、小腹が減ったシスが立ち上がった。うちの厨房からなにかくすねるべく出ていったが、彼がいなくなった途端にルカが立った。
「ちょっと、木偶の坊」
「ルカ、呼び方!」
その呼び方は駄目だ。しかし少女はお構いなしに両手を腰に当てふんぞり返っている。
可愛い、可愛らしいけど……!
「貴方にお願いがあるの、すぐに終わるからきいてもらってもいいかしら」
「内容にもよるが、いまここでできるものだろうか」
「すぐ終わるわ。ワタシを抱きしめてちょうだい」
突然何を言い出すのか、ライナルトも意表を突かれ困っている。ルカは早く、といわんばかりに両手を広げる。何気に隣で黒鳥も羽を広げているけど、私はなにを目撃しているのだ。
「……失礼、意図がまったく読めない」
「いいから早く抱きしめなさいってば。そうね、父親が娘にするみたいにして」
シスを気にしている。ライナルトは迷ったが、膝をついたところで動きを止めた。
「すまないが、父親の抱擁というのが私にはわからない。指示してもらえるか」
「もう! 本当にただの木偶の坊なんじゃないの! ちょっとマスター、こっち来て!」
「え、私も?」
「いいから!」
ぷんぷんお怒りのルカに呼ばれれば、今度は母親が子にする抱擁を求められた。、かつて抱きしめてもらったようにルカを包むが、彼女はなぜか「なるほどね」なんて研究者然とした呟きを漏らす。
「ライナルト、このままワタシ達を抱きしめなさい。マスターみたいにすればすぐでしょ」
「ルカちゃ、ルカちゃん!?」
「うるさいわ」
ねえこの子本当に何がしたいの。
堪らず逃げようとしたら、その前にライナルトの腕が私たちを包み込む。
強く抱きしめられて頭の中が真っ白になりそうだった。
「ご希望通りにしたが、他には?」
「ないわ。そのまま動かないで。……マスター、ダンスの時と変わらないでしょ、いまさらなによ」
練習の時といまは状況が全然違うでしょ。
あっだめへんなあせがでてきた。
汗ばれない? 臭くなってない? ライナルトってほんのりいい香りするけど、もしかしてなにか香を焚いていたりするのかな。ぎゅってされた服越しに体温が伝わってきて、近くに感じる息づかいが近すぎる。
現実逃避しようとあれこれ考えてみたけれど、むり。いま誰かに来られたら死ぬ。
私はどれだけこの時間を耐えたらいいのだろう。
腕の中のルカは力を抜いて、小声で呟いている。
「これが抱擁ねぇ。これが、エルネスタのもらっていた……」
解放されたときはもうヘトヘトだ。ライナルトはけろりとしていて、なんだかそこが……少しもやっとしたけど、自分の心の方が大変だ。
「それで、いまのでなにかわかった」
「わかったというか、確かめたかったのよ。あ、いまのは遺跡には関係ないわよ。ワタシの知的欲求を満たすための単純な好奇心だもの」
関係なかったんだ。
「エルネスタは私に感情を共有させなかったけど、ワタシは彼女の一部だったもの。おぼろげだけど両親に抱きしめられて嬉しかった、そんな強い欠片があったから貴方たちに代行させてみたの」
ルカはなにを確かめたかったのだろう。
聞いてみたかったけれど、本人もうまく言葉に出来ないので困惑気味だ。
私は立っていられずクッションに顔を埋めて半死状態になっていると、シスが戻ってきた。
「……なに、私がいない間に面白いことでもあった?」
「なんでもないわよ。それよりその手に持ってる林檎、ひとつワタシに寄越しなさい」
「誰がやるもんか。大体その身体でいまから林檎一つ食べてみろよ、腹一杯でなにも食えなくなる」
「中身まで合わせてるわけないでしょ。そんなのいくらでも食べられるわよ」
「なんだガワだけしか作ってないのか。最高傑作を謳うわりにはしょぼいことで」
「は??」
……口を開けば喧嘩だらけの二人も、このときばかりは私の気休めだ。ライナルトの方をチラリと見ると、もう呆れて物も言えないといった様子でお茶を啜っている。一瞬視線が交差したが、向こうが口を開く前にクッションに再びどぼん。
リオさんの出してくれたシチューはとても美味しかった――はずだけど、はっきりとしないのは私の頭がポンコツと化していたためだ。
晩餐に同席したライナルトがシチューを一口、なんだか奇妙な顔をして、リオさんにあれこれ聞いていたのが印象的だった。味付けが気になったらしく、リオさんは皇太子のお呼出しに困惑気味だ。
「は、あ……。自分は幼い頃は帝国領外れの街の片隅に住んでいたことがありまして、煮込みはそこで教わりました。すぐに移ってしまいましたから記憶はおぼろげなんですが、そこの味が基本になっているかもしれません。殿下のご期待に沿えず、大変申し訳ないと……」
「不快だったわけではない。質問しただけだ、気にするな」
不味くはなかったはずだ。ヴェンデルをはじめ、クロードさんが同席した夕餉でシチューはぺろりと平らげられた。見送りにはルカも立ったが、彼女はライナルトに忠告を投げた。
「今日は早く寝てちょうだい。予想以上に動いてしまったから、活動するための魔力をほとんど貴方からとってしまった。いつになく体力の消耗が激しいはずよ」
「道理で身体が重いと思ったら、やはりか」
「マスターから奪うとすぐ倒れちゃうんだもの。でも貴方って体力お化けだし、たまに疲れるくらい構わないでしょ」
なんとライナルトから活動魔力を摂取していた。いわなかったルカもだが、察していたのに黙っていたライナルトも相当ではないだろうか。
彼は帰り際、一輪の花をくれた。
倒れる前に手ずから摘んでくれた花を、きちんと包んで準備していてくれたのだ。
花は水の注がれたコップに挿して窓際に置いた。本当は一輪挿しがいいけど、今日はこれでいい。彼の不器用さを思うとこの方が合っている気がした。
いつの間にかルカは姿を消しており、傍にいたのは丸っぽいフォルムをした黒鳥だけ。
月光に照らされた花はなによりも淡い輝きを放ち、いつまでも私の目を楽しませてくれていた。




