189、この心はわたしだけのもの
燃料。
ルカが口にしたとき、彼女の答えに対し、うまい答えは見つからなかった。
ナーディア妃の話で「精霊」の存在は認識していたけど、ここでも出てきた。昔は彼らが当たり前に存在していたようだからもう驚きもしないけれど、顔を顰めたのは彼らが「燃料」の一言。それに「向こう」の人、生まれ変わる前の私がいた世界の人々が関わっている。しかもその人種や国籍はバラバラだと言うのだ。
「この世界って、どれだけ「向こう」の人が関わってるのよ」
「さあ? 詳しい事は知らないし興味はないわ。ワタシはエルネスタが遺した情報からこの答えに至っただけ。どうして彼らがこんな結論に至ったのか、精霊といえど人と同じ感情を有するものを燃料扱いしたのかもわからない。……方法を推測するに、なかなか非道なやり方で、なにがなんでも遺跡を壊させないって意志を感じるから、余程の悪意を感じるけれどね?」
「色々な魔法が様々な言語で作られていて簡単には解けないと」
「ああも頑な出来だと、執念を感じるくらいよ。だけどそれはもう終わってしまった話で、ワタシたちには関係のない話。だからあの遺跡は利用し利用されていただけのただの残骸と考えればいいの。エルネスタはそれに気付いて、気に入らなかったから壊したいと願ったのもあるみたいだけど」
エルの気持ちを代弁するルカ。彼女はどこまでエルを知っているのか。聞けば不快そうではあるが教えてくれた。
「たしかにワタシは彼女のことを知っている。だけどワタシと彼女では本質的に違うものだし、遺された記録から推測しているだけで真実に近いかもしれないというだけよ。大体ね、ワタシの作り手は、他人に自らの感情を共有させるような人間?」
「……思えない、かな」
「でしょう? 自分はただ一人だけ、コピーの存在なんて彼女のプライドが許さないわ」
では彼女の姿はなんなのか。
これは単なる制作者に対するリスペクトだと言ってのけた。
「ルカは学習……向こうの文字を覚えるために私を選んだのも、それをエルが指定していたのもわかった。だけど私は日本語以外喋れないはずなんだけど」
「喋れる喋れないは関係ないの。必要なのはかつて視覚から得た「文字」だから。貴女は覚えがなくても、ニュースやネットで様々な国の言語を見聞きし、たとえ一瞬でも発音を聞いたことがあるでしょう。ワタシはそれを覗き見て、解析して、それを知識として蓄えるの」
宿主の知識とイコールではないのはわかった。彼女の言った方法でしか他言語を知る方法がなかったのだとしたら、シスが宿主では無理だ。
「いま何を考えているか当ててあげましょうか。エルネスタが初めから箱を壊すための解を有していたのなら、すべてワタシに授けておけばよかったのに、でしょう?」
「……そうね。言語にしてもそう、ルカに伝えていたのなら宿主を私にする必要は無かった。でもそれをしなかったのは、理由があったのね」
にっこり、と出来の悪い生徒を褒め称える笑みを浮かべる眼差しが、少しだけエルに似ていた。
「しなかったというより、できなかった。すべてをワタシに流し込むには時間が足りなかったのもあるけど、そもそもエルネスタは単身で箱を破壊するなんらかの術を得ていたが正解」
「……得ていた? ルカは知らないの?」
「知らないわ。重ねて言うけれど、ワタシはあくまでエルネスタの魔力を基に作られた存在。彼女ではないし、彼女と同じ思考には至れない、無限に湧き上がる知識の泉も持ち得ない、もしものための予備の装置。だからワタシはワタシによる思考を重ねるだけで、その上で推測できるのはひとつだけ。エルネスタが「その」方法をワタシに遺していないのなら、当初予定されていた方法はエルネスタにしかできないものだったのでしょう」
彼女ほどの魔法使いだったら地下遺跡に対抗しうるだけの実力があったとルカは語る。だからこれはもしも、もしものパターン。決して代えが利かない彼女がいなくなったとき、『箱』を壊すにはどうしたら良いのか、彼女の代わりに考える『装置』を遺した。
「エルネスタがもっと前からワタシを作っていれば第二第三の方法もあったのかもしれないわね。けれど取りかかるのが遅すぎた……いえ、死ぬのが早すぎた。だってマスターがワタシを見つけ出したときは、ワタシはまだ制作途中の……それこそ卵から孵る前の状態だったのだから」
それでも必要最低限の知識と魔力を与えられていた。緩やかな微睡みから目覚めた彼女は刷り込みされていた宿主――私に手を伸ばして完全な羽化に必要な魔力を吸ったが、私の魔力があまりに微量だったせいか生命活動を削りきる勢いで吸収したのだ。私が息を止めては元も子もないと戻してくれたけれど、足りない分を補うべく、割り込んできたライナルトに刻印を刻みパスを作って、魔力だけ頂戴する方式に変えたのが真相だった。
ルカはなんでもないことのように語るけれど、つまり彼女は自立学習型の魔法生物だ。そんなことを成し得ることができるだなんて、シスからもらった本には一切書かれていなかった。試しにルカに尋ねてみても、当然とばかりに頷く。
「どんな天才魔法使いだって、ワタシのような存在を作るのに一生はかかるでしょう。それだってロクに自意識を保てない……意志のないロボットができるだけね。これはエルネスタだからこそできた偉業よ」
誇らしげに胸を張る姿は、まるで幼子だ。
私が彼女を完全に違う存在だと認識したのはこのときだったかもしれない。手を伸ばせば、彼女は簡単に触れられた。柔らかな髪は撫でる度に揺れ、白磁の頬はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「馬ッッ鹿じゃない!? ワタシは子供ではないのだけど、貴女いままでなにを見てきたのかしら!」
「あ、ごめんつい」
「つい、でやられてはたまったものではないのよ! 大体日本人だったときはろくにスキンシップなんてしなかったくせにっ!」
「そこは、ほら、育った環境があるっていうか。いやならやめる、ごめんごめん」
「嫌とは言ってないでしょう! 事前に申告しなさい」
嫌じゃないんだ。
単に素直になれないのだろうか。あの黒鳥みたいに小動物みたいな感覚があったからつい犬猫を撫でる気持ちで……って、そうだ。
「ルカって、あの黒鳥と同じ存在って認識でいいの?」
「あれのこと?」
てっきり同じだと思っていたけれど、ルカの言い様では違うモノのようだ。
「アレの目を借りることは可能だし、実際通したこともあったけど、別物だと考えて。アレはワタシからこぼれ落ちた余分なモノに貴女の魔力が混じってる。独立しているからにはエルネスタが残した何かが基盤になってるはずだけど、微弱すぎてなにかはわからないわ。マスターから魔力を吸って成長しているのはたしかだけどね」
「え、吸ってるの?」
「ワタシの邪魔にならない程度にね。悪さはしてこないしワタシを拒否しない、協力的だから放置しても問題ないけど、邪魔なら消してもいいわ」
「あ、いい、いい。なんなんだろうって思っただけだし、危険がないならそれで!」
つまりあの黒鳥はルカの意図したものではなくエルが用意したものと……。たしかに、これまでの言動がルカっぽくないものな。それじゃあ黒鳥にも名前をつけた方がいいのかしら。
「アレのことなんてどうでもいいでしょ、本題に戻らなくていいわけ!」
「そう、ね。じゃあ聞かなきゃいけないのだけど……ルカには『箱』を、遺跡を壊す手段があるとして、それには膨大な魔力が必要で私では到底補えない。けどなにか考えはあるのよね?」
「まぁね。だけどそれを話すのは……」
軌道修正を求めたのはルカなのに、ここでちょっと渋る素振りを見せる。
「ルカ?」
「そうねぇ、さっきまではそんなことなかったけれど、同じ事を二度も話すのがとても……ええと、これは……面倒。そう、面倒になってきたわ。マスターにすべてを託すのは心許ないし……」
「心許なくて悪かったですね」
「事実じゃない。ワタシに異論を唱えるより、その臆病心をどうにかしたらどうなの。終わった出来事をいつまでもいつまでも大事に抱え込んで、まったくどこからどうみても非効率だわ」
せっかく勇気を出していた最中、話を中断したのはルカなのに、なんともひどい言い草だ。けれど彼女は当然のように意にも介さずパン、と手の平を叩く。
「ちょうどいいわ、ワタシもそろそろ表に出ることにしましょう」
「へ? ルカ、それってどういう……」
「……といっても、短時間しかでられないけれど」
すべてを口にするより早く、ぐわん、と頭がひっくり返る感覚が押し寄せた。視界がぐるりと反転し、いてもたってもいられなくなって意識が閉じられていく。
……嗚呼。
なんというか、この子と私の友人は別物なのだけれど、彼女から作られただけあってこういうところが実にエルに似ているというか、らしいと言うか。
次の瞬間、ぱっと目を覚ますと脈を取るため手を取っていた白髪頭と目が合った。長椅子に寝かされていたようで、ゾフィーさんとニーカさんが何か話しているが、上手く聞き取れない。
「随分呑気な目覚めだね。きみって突然意識を失うのが得意技になってきてない?」
「……好きでそうなってるわけじゃないわよ」
シスは一言余計だが、彼女に心配いらないことを教えようとしたとき、とある女の子に気付いた。
え? だって、さっきまでは私と同年代の女性の姿だったはずだ。勝ち気な瞳、下ろした髪や豪奢なドレスも変わらないけれど、随分縮んでしまっている。私の腰ほどの身長、顔立ちも子供特有のふっくらした頬となり、これはどう見たって幼い少女だ。
「ちょうどいいところに箱男もいたわ。呼び寄せる手間が省けてよかった」
声もやや甲高くなっている。
この子は一体何処から湧いたのだろう。ルカの一声に、おそらくその出現に気付けなかったであろうシスがまともに驚き、それこそ見たことない眼光で振り返る。
「あの、そ、その姿は……」
「あなたの疑問はお察しだけど。あの姿で現れるわけないでしょう。ワタシは現世の規則に疎いけれど、そのくらいは把握しているつもりよ」
「あっ、はい。そうよね、察してくれてありがとう……?」
「どういたしまして。ほんと、ワタシって気遣いのできる使い魔よね。貴女にはもったいないくらい!」
幼い少女の姿だからか、先ほどよりも小動物っぽさが増しているのだが、それを言ったらきっと反論されるだろうし黙っておこう。それにしたって話せば話すほど、人間らしい特徴が露わになっていく子だ。ルカは自身をプログラムと言ったがあくまで比喩だろうし、学習しているのであれば、これからもっと変わっていくのだろうか?
ところでルカはエルの魔力の一部だけれど、肝心のシスにはどう振る舞うのだろう。気になっていたのだが、ルカはシスを『箱男』と呼んだものの当人を一瞥しただけで、これといって興味を示さなかった。それどころか自分の道行きを防ぐ彼に対し、野良犬を追い払うが如く、あしらうように片手を振るのだった。
制作者に対するリスペクトとこの姿なら敵対せず話せるだろうという算段。