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188、ワタシのマスター

 柔らかくもどこか自信に満ちた声音は懐かしい。

 振り返った先には案の定、私の友人の姿を模した女性が佇んでいるが、以前にも増して存在感が強く目が離せない。髪を下ろし、繊細なレースのリボンが結ばれている。


「こんにちは、今日はとてもいい天気らしいけれど、ご機嫌いかが?」


 その立ち居振る舞いはまるでお姫様だった。ちょこんと頭を下げたものの、口角をつり上げて笑う姿は冷笑じみている。 

 

「どういう……」

「察しも悪いのね。ワタシが挨拶に来たのだから、このくらい見ればわかるでしょう」


 パチンと羽根付きの扇を広げて足元を差すと、そこには私が転がっている。

 驚いたライナルトが声をかけて肩を揺すっているが目覚める気配はなく、医師を求めて人を呼んでいる最中だった。

 花畑にいたから周囲の変化もわかりやすい。色とりどりの花壇から色が消え失せ、白黒灰色のグレースケールだけがいまの世界。まるで古い映画のような色合いなのに、ここでは私と彼女だけが色を伴っている。もう一度扇を閉じる音が響くと、椅子とテーブルが用意されていた。ご丁寧に茶器と菓子のセットまでつけて、まるで歓待すると言いたげな所作だ。

 ……眠りに落ちた自覚は無かった。ライナルトと話している途中で声が掛かって、秒どころかコンマの間に視界や意識が切り替わったのだ。突然の出来事にパニックになりかけたが、これは以前も経験している。冷静に、と自分に言い聞かせた。


「あなた、話ができるようになったの?」

「その通り。時間がかかってしまったけれど、貴女の記憶の中にある言葉をひとつひとつ解析してそれらしい発音と言語を抽出した。おかげでこうして話せてるわけね、ワタシの学習能力の高さに感謝してちょうだい」


 私の身体はライナルトに抱えられ執政館に戻っていくが、彼女を目の前にして追いかけるのは難しい。私の心配に気付いたのか、彼女は「平気よ」と付け足した。


「この花壇が気に入ったから外の風景を写し取っただけ。実際ここは貴女の意識の中ともいえる場所だし……じゃあなんであのライナルトが見えるのかって? おまけよおまけ。外がどうなったか聞かれるのは面倒じゃない」

「……原理はわからないけど、現実の私は眠っているだけと考えていいのね?」

「そうなるわね。難しく考えなくていいわ、いまのところワタシが貴女に害を加えることはないから安心して」


 席に着くと、視界が開けるように周囲に色がつきはじめた。私たちが座った地点を中心に、円を作りながら着色されていく様は圧巻だ。

 そんな光景をものともせず、彼女は手ずからお茶を淹れてくれる。その手さばきはどこで覚えたのか、爪先から姿勢までマナー講師も二の句が継げないほど完璧だ。動作は機械的な印象を受けるけれど、しかしながら表情は違う。以前とは打って変わって感情豊かで、そしてなによりお喋りだ。


「でも苦労したのよ、貴女の中にある言語ってこの世界だけのものじゃないのだもの。日本語を始めとして英語からなにからなにまで……情報量が多すぎるのよ。まったく、本当に手こずらされたわ」

「にほ……日本語!?」

「当たり前じゃないの、何を驚く必要があるのかしら。解析って言葉は貴女が言ってきたんじゃない。もちろん生まれ変わる前の記憶だって参照にしたわ」

「い、いえ当たり前って言われても……」


 相手の雰囲気に呑まれているのは否めないが、いくらなんでもこんなのは想定外だ。

 だけど先ほど彼女は言った。『貴女の属していた社会』が向こうのことだとしたら、否定するのは難しい。なによりここで日本語、英語、なんて言葉が出ればなおさらだ。考え込む私に、彼女はにっこり笑った。


「ええ、ええ、よかったわ。あり得ない、なんて言われたら、現実を直視できない間抜けと間接的に伝えなくてはならなかったもの」


 ……性格はキツめかもしれない。

 不思議なことに、口にしたお茶は香り豊かで、さらに述べてしまえば味があった。


「これ……どうやって味を再現したの」

「気付いてくれたのね。上手く再現できたかわからなかったけれど、うまくいったのかしら」


 頭が冷えてくればまわりを見るだけの余裕も生まれる。口にしたお茶は鮮やかな赤色でほんのり酸味を感じられるローズヒップ。テーブルに並べられた菓子はウエハース、マカロン、ダックワーズといまだ此方ではお目に掛かっていない種類だ。自然すぎてうっかり見逃しそうになったが、氷入りのグラスにポッキーまで刺さっていたらこれはもう間違いない。


「なんて言ったらいいのかわからないけど、あなたが凄いのだけはわかった」

「勘弁してよ。この程度で理解されてしまったら、貴女の評価に臆病者に加えて単純を足さなくてはならないわ」

 

 味もそのまま、記憶通りのものだった。

 テーブルに肘をついて、両手に顎を乗せながら様子を窺ってくる姿は、控えめにいって可愛らしい。エルではついぞ見せなかったであろう仕草には言葉にし難い衝撃があったけれど、顔に出すのは憚られた。


「美味しい?」

「美味しい。……そして懐かしい」


 何故だろう。どうも彼女のあたりは強いのに、もてなしには幼い童女みたく期待に胸を膨らませているようにも見える。この印象は間違っていなかったようで、感想を伝えれば素直な喜びを表現した。


「人をもてなすのは初めてだったけれど、成功したのならなによりね。なにせマスターとのはじめてのまともな交流だもの」

「マ」


 マスター?

 い、いや意味はわかる。意味を違えるほど耄碌してないけど、前の人生でだってついぞ縁の無かった単語が出てきたら驚く。


「意外そうな顔をしないでよ。ワタシはエルネスタの魔力で作られたモノ、いわばプログラムよ? ダウンロード先兼宿主になった貴女をマスターと呼ぶのはおかしい話ではないでしょう?」

「そうなんだけど……。まさかマスターなんて呼ばれる日が来るとは思わなくて」

「あらそう? じゃあご主人様がいいかしら。こちらだとトゥーナ公風にいえば背徳的なイメージを与えるだろうから、ワタシなりに貴女の気持ちを考慮してマスターとしたのだけど」

「マスターで結構です。配慮までしてくれてありがとう」


 マスターとご主人様ならマスターの方がいい。背徳的な印象は……ちょっとしかないけど、響き的にマスターの方が良さげである。


「色々聞きたいことがあるのだけど、まずは挨拶にしましょう。前も顔を合わせたけれど、まともに会話をするのはこれがはじめてになるのよね。貴女のことはなんて呼んだらいい?」


 呼称があれば呼びやすいと思ったのだけれど、これには首を横に振られた。考えてみれば当然で、これまで名を呼ばれる必要がなかったのだ。好きに呼んでいいと言うけれど、逆に私が困ってしまう。

 

「別においでもお前でも構わないけれど、名がある方が便利なら貴女が名付けて」

「名付けてと言われても……」


 簡単に言ってくれる。猫のシャルロッテでさえ何日悩んで命名したと思っているのか。最近なんてあの子をシャルロッテと呼ぶ人なんて皆無だし、すっかりシャロが定着して、みんな本当の名を忘れているに違いないと後悔しきりなのに!


「あなたはエルの魔力で作られたと言っていたけど、その頃の記憶はあるの」

「記憶って言い方だとまるで生物みたいね。まぁ記録としては有しているわよ。それがどうかした?」

「エルがあなたをなんて呼んでいたのか知りたかったの。もし彼女が呼び名をつけていたのなら、同じでは嫌?」

「嫌、というのはよくわからないわね。……エルネスタはワタシを作成したとき、一度だけプランカルキュールと口にした記録がある。きっとそれがワタシを指す名称ね」

「ありがとう、そこまで必要ないわ。呼び名としてはちょっと長いから、ルカでどう?」

「……それがワタシの名前? まぁ、なんて単純な命名かしら」

「あー。えっと、不満ならもうちょっと捻りを頑張ってみるけど……」

「余計な時間を取る気はないの、それでいいわよ」


 なかなか分かり難い子? の模様。プログラムって言われると機械的な印象を受けるのだけど、名前にこだわりはないのだろうか。


「……もう知っているだろうけどカレンよ。よろしくね、ルカ」

「よろしくマスター……なに驚いた顔してるの? 握手は挨拶の基本でしょう?」


 差し出された握手に応えたが、質感や手触りも生身そのものだ。いちいち驚いてはいけないとわかっているけれど、いつか繋いだエルのぬくもりが脳裏に過った。


「……何?」

「なんでもない。それより、あなたに聞きたい事はそれこそたくさんあるのだけれど、まず聞いておかなきゃいけないことがあるの」

「大体想像がつくけれど、どうぞおっしゃってくださいなマスター。今日こうして席を設けたのは、貴女と話をするためだもの」

「助かるわ。……それで一番聞きたいのはね、あなたは帝都地下の遺跡を破壊できるのかということ」

「できるわ。あなたの想像通り、ワタシはそのために遺されたのだもの」


 即答だった。ただ安堵と喜びで胸をなで下ろす前に「ただし」と付け加えられる。


「破壊は可能。だけどそのために必要な魔力が不足していると考えて」

「それは私が魔法使いではないから?」

「確かに貴女の魔力は滓みたいなものね。一般人にしたってもうちょっとあるだろうし、雑魚以下の魔力量で苦労させられたわ。あの程度で死にかけるなんてあまりの惰弱ぶりに――貴女風にいえばとても驚いたわ」


 雑魚以下でごめんなさい。


「マスターにわかりやすく言ってあげると、あれの内部に潜り込んで壊す必要がある。そのための魔力はエルネスタでなければ賄えないとワタシは結論に至っている」

「……不足量はどのくらい?」

「マスターでは一生掛かっても無理」


 ……一生レベルかぁ。

 破壊は可能、しかし出力が足りないとわかったところで続けよう。落ち込むのは後だ。


「……私では魔力が足りない。魔法使いでもないからそこはある意味納得なんだけど……。ねえ、こんなことを尋ねるのはなんだけど、どうしてシスじゃなくて私だったの?」


 これはシスも言っていたが、彼であれば「魔力量」は確実に足りていたし、ルカに対する理解も深かっただろうと思うのは素人の短慮だろうか。

 

「確かに箱を宿主としていたなら魔力も簡単に賄えるでしょう。ワタシの学習もこれほど時間をかける必要は無かった。一日足らずで終わったのでしょうけど、アレではだめよ」

「何故、と聞いても?」

「ワタシは学習する必要があった、あらゆる言語を学ぶ必要があった。元々エルネスタは自分に何かあったときに備えてワタシを用意したけれど、その場合のダウンロード先は貴女を想定していた。だからワタシは目覚めた直後、貴女にすぐさま手を伸ばしたのよ」


 手を伸ばした、とはあの……崩れた文字の羅列だろうか。あれは他の魔法使い対策で、ルカが何者かに奪われないよう仕込んだものだと思っていたのだけど、どうやら違ったらしい。人間みたく振る舞う彼女は、なぜ私が必要だったか次のように述べた。


「遺跡は精霊を閉じ込めるために作られ、そして燃料として消費している。そこには「向こう」からやってきた人々が関連しているとエルネスタは結論を出していた。バラバラの言語で作られた文字列が重なって作られた内部は、いまやなんらかの原因で外の干渉を受け付けないようになっている。それを内側から崩すために、ワタシは学習する必要があった」

※カレンが名付けてくれたらなんでもOKするつもりだった

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