182、実りのない一方通行
宮廷のサンドイッチは美味しい。美味しいけど!!
発言しようにもうまく声にならない。呑み込む前に怒りが口から漏れていた。
「んー!」
「はい、水」
シスの差し出してくれた水でサンドイッチを流し込む。もっと味わっていたかった……じゃなくて!
南瓜を机の上にドン! と置いて彼の非常識を指摘した。
「なにするんですか!? いきなり食べ物を口に突っ込むなんて!」
「でも食いついてなかった?」
「食べたそうだったので」
「シスは黙って。……いいですかライナルト様、私は食事のお礼をいっているのではありません。見てわかりませんか。私は、いま、あなたに、怒ってるんです!」
シスは食べながら突っ込むし、ライナルトは反省の色もないどころか残りのサンドイッチを渡してくるしでまったく聞く耳を持たない。
「大体これライナルト様のお食事でしょう、私に食べさせてどうするんですか」
「そうだよライナルト。餌付けはほどほどにしなきゃ。それともきみ、彼女を肥えさせるのが新しい趣味かい。だとしたらいますぐやめるのをお勧めする」
「シス!!」
ライナルトは減ったサンドイッチをシスの皿から補充するようで手を伸ばしている。この人、体格に見合うくらいの量は食べるから足りないと思ったら、やっぱり足りないようだし!
だけど受け取ったサンドイッチを戻すのも……と、結局私が食べるしかない。
シスが場所を空けてくれたので席につくと、ライナルトの視線は南瓜に注がれた。
「それは?」
「四妃様の育てられた南瓜です。私も一個いただきました。このあと大量に送ってもらう予定ですからライナルト様もどうぞ」
「ナーディアの……。なるほど、彼女は貴方をお気に召したようだ」
「これ、ライナルト様が食べてくださいね」
話が逸らされそうな予感がしたので、すかさず念押しさせてもらう。自分でもなにをムキになっているかわからないが、一個くらい彼が食べたっていいじゃないか。
ちなみに南瓜は大きい。一抱えサイズはあるので、食べきるのは苦労するだろう。
「ライナルト様が消費してくださいね」
「一食分くらいなら」
「せめて半分は食べてください」
「……シス、カレンがなにを怒っているのかわからないのだが、お前がなにかしたか」
「私は知らないよ。それよりこれはスープにするのはどうだろう、あとは包み焼きも美味そうだ」
シスは食欲の方が勝っている様子。ろくに噛みもせず平らげると、お茶に砂糖をどばどば注いで飲み始めた。
困り顔のライナルトには少しだけ溜飲が下がったし、ここらが引き時だろうか。
「まったく……あのですね、ナーディア様が悪巧み仲間なら、はじめからそうと言ってください。私たちは何も知らずにお話しすることになって、すっごく困ったのですから」
「仲間に加えろとカレンが希望したのでは」
「そうそう、カレンお嬢さんなら上手くいくだろうって信頼の証さ」
「だからって黙って送り出す人がいますか。心構えの問題ですし、ナーディア様に信用してもらえなかったら、何も知らず帰されるだけです」
くそう、二人とも全然反省してない。いつか揃って心底驚かしてやりたいのだけど、叶う日は訪れるのだろうか。心を静めるよう長い息を吐く。
ほんと、ほんともう……いつか見てなさいよ。
ライナルトとシス相手に怒りを持ち続けるのは、はっきりいって無駄だ。シスは当然としてライナルトもどこか抜けているから、このくらいではびくともしない。
気持ちを切り替え話を聞いたのだが、なんとシスはナーディア妃の裏切りを大分前から把握していた。ただ皇帝に報告するのも癪だから黙っていたようである。『箱』が皇族に隠し事や嘘をつくのは身を裂く思いがするそうだが、意地でも裏切りの気配があるなどとは喋らなかったと言った。それ故ナーディア妃は疑われてもいないのだが、これには少しおかしい気持ちにさせられた。
なぜって、もしかしたら人が調査すればわかりそうな内容も『箱』という便利なシステムがあるために杜撰になっているからだ。これを聞くと皇帝カールがどれほど『箱』を頼りにしているのかうかがい知れる。
「勝ちの目は限りなく薄いけど、もしかしたら彼らがカールを殺してくれるかもしれなかったしね。結果としてライナルトが彼らを使うって話になったから良かったと思うよ」
軽く言ってのけるが、彼にとっても賭けだっただろう。もしナーディア妃の裏切りがばれてしまえば、おのずと『箱』の欠陥も彼らに伝わる。ライナルトが彼女との接触を控え慎重になった理由もわかった気がした。
なにかを思い出したのか、シスは歯茎を見せて笑うと、耳を疑う発言をした。
「だいたい笑えるじゃあないか。権力も女も自由に出来る男が、唯一惚れ込んだ女に影で裏切られてるんだ。あれだけ好き勝手やる男が、なにしたって振り向いてもらえない姿は本当に、どうしようもないほど憐れだよ」
一瞬自分の耳がおかしくなったのか疑った。シスはいまなんといったのか、唯一惚れ込んだ女? 皇帝カールがナーディア妃に惚れ込んでいる?
驚きで声が出ない私に、シスはおや、と片眉を持ち上げる。
「カールは山の都と帝都の地下遺跡に関連があると睨んだみたいでね。それで山の都の生き残りを訪ねたのがきっかけなんだけど」
神様関連だけで琴線に触れたわけでは無かった。このあたりは皇帝カールの近くにいたシスからしか聞けない話だ。
「……山の都の話を聞く限り、並外れた技術を有していたのは共通してそうね」
「当たり。で、あいつ昔は気軽に帝都を空けてたからね。徹底して調べ上げるために館へ出向いて、そこでナーディアと会った」
帝都の地下深くに眠っており『箱』のシクストゥスを封じ込めている遺跡。離れている上になんの関連もない国同士だけど、山の都に異世界人が関与していたといった話を聞いた後で、関係ないと笑い飛ばすのは不可能だ。
「結果としちゃカールの望むものはなーんにも出てこなかった。連れ帰ったナーディアも何も知らなかったようだし、用済みだからさっさと処分するかと思ったけど、いつまで経っても殺しやしない。それどころか熱心に通うわけだし、こりゃあ、と思うわけだ」
「話はわかったけど……その笑いはやめてよ」
ひひひ、とお世辞にも上品とは言えない笑い声が漏れた。
「山の都はカールにとっての神を冒涜する国だ。徹底して存在を消そうと躍起になったのに、肝心の直系王族だけは手元に残したんだ。普通だったら真っ先になにもかも消すのが当然じゃないか。いくら頭がおかしくったって、あいつも所詮人間だってことがよーーくわかった一件だったね」
あの皇帝カールがナーディアを帝都に連れ去った理由が、彼女に惚れ込んだから?
たしかにシスの言うとおり、なぜ彼女一人を残したかは疑問があった。美しい人だったから女好きの皇帝に目を付けられたのもわかるけれど、二十余年あまり、いつまでも手元に置いておくのは……。
どこもかしこも、宮廷事情ってなんてやっかいなの
ファルクラムもオルレンドル帝国も、宮廷というのはまるで魔窟だ。
しかし皇帝の寵愛は皇妃ではなく四妃にあること、周囲はどう思っているのだろう。ちょっぴり俗な疑問だが、シスは嬉々として答えた。
「皇妃様はそれをしってるのかしら」
「知ってるが納得はしてない。だけど肝心のナーディアがまるで気付いてない。それどころか毛嫌いしているからね。コルネリアなんかは特にそうだが、カールとナーディアが通じあえないからこそ、彼女の存在を許してる節がある」
シスは気軽にコルネリアと口にするが、正確にはクラリッサ・コルネリア・デリア・バルデラス。
皇帝カールの妻でありヴィルヘルミナ皇女の実母だ。普段は宮廷奥に籠もっているので、公務以外は表に出ないことで有名。彼女の姿は皇帝の誕生祭で一度だけ見かけた記憶がある。
「彼女がナーディアの存在を許しているから、第二妃と第三妃も容認しているのさ」
「ああそっか。ナーディア様までが入れ替わったことのない面々なのだっけ」
「そう、三妃までは後ろ盾も強力だし周囲との兼ね合いもあるからね」
この上位四人以外が最低一度から二度は入れ替わりを果たした側室になる。
そして恐ろしいことに、あの誕生祭以降側室が一人見限られているそうだ。
「皇妃様がナーディアを容認してるって、ちょっと意外だったな」
「なんでもカールの思い通りになってると思ってたって?」
「そうじゃなくて、あなたの話しぶりだと皇妃様が渋々ナーディア様を認めているような印象を受けたから。そういうのって、まるで……」
「まるでカールに惚れてるみたい?」
「違う?」
「うんうん違うから安心してくれ。あの女は単にすべてが自分に向かないと許せないだけだ。二妃、三妃も側室で横の繋がりを強化するって考えがなきゃ容認できない性格だ」
怖い、と口にする前に言われた。
「人の家庭をあれこれ考えるより、きみは自分のことを考えるべきじゃないか」
「私?」
「きみの姉さ。身内は元ファルクラム王国の側室で、現状唯一認められた正当後継者の母親だ。赤ん坊持ちの母親、しかも美人の部類。夫に先立たれた貴人となればカールの好みに外れてないし、まず帝都入りすれば後宮入りだ」
「……ああ、それ」
嫌なところをついてくる。まだ先だからと様子見していたけれど、シスがこう言うのなら、密かに抱いていた悩みは正解だった。
「帝国としては先王の子を養子にして、教育を終えてからファルクラムに送り返した方が得策っていいたいのよね」
「まあね。ライナルトにあてがう方法もあるけど、皇太子の妻にするには他の女をやった方が便利だろうし、カールの側室が妥当かな」
これはクロードさんからもいわれていた話だ。なんとか側室入りを避ける方法を模索しているが、現状難しいというのが全員の見解だ。
なにせこの方法だと穏便にファルクラムを完全に手中に収めることができる。ライナルトも否定しないし、シスの口からこんな話題が出ると一気に気が重くなった。
「ファルクラムから帝国までは距離があるし、赤ん坊を長距離移動させるのは無理よ。だからまだ猶予はあると思ってるのだけど……」
「猶予か」
シスの呟きが感慨深いものに変じていた。いつものようにふざけた様子はなく、思わず閉口してしまう程には真剣味を帯びている。
「きみ、あの黒鳥はどうなってる。解析はどこまで進んだ?」
「相変わらず足元に隠れてるけど、出てこないって事は寝てる。あれ以来なにも変化はないけれど、強いていうなら元気になったってくらい」
これにはあからさまにがっかりされた。いつもとは違う雰囲気にこちらが申し訳なくなってくるが、かといって再びあの夢に行く方法もわからない。現状ただ「待つ」のが最善手なのだ。
……先ほどまでは感情と興味が勝っていたけど、思い出すにつれて段々と眠たくなってきた。これだからライナルトの所にいると困るのだ。
「準備が整うのを待ち続けるのも無理そうだな。これはきみがくるまでライナルトとも話してたことなんだけど、箱の修復に目処が立ったそうだ」
「……それ、本当?」
「冗談でこんなこと言うもんか。いまも連中はきみの友人の死体を絶賛加工中だ。内容を詳しく聞きたいなら腑分けの手順から細かく説明するけど?」
「それはいらない。どのくらいの時間が残っているのか教えて」
前回の再現(1P漫画アート):https://twitter.com/siro46misc/status/1398918891997261833