178、あなたにもらった腕輪を眺め
ついにコンラートで働くことになったゾフィーさん、初めはやや緊張していたものの、色々な人と接してきただけはある。元軍人さん故か多少堅苦しい側面はあるものの、協調性も高く周りとうまくやっていけそうな様子だった。
むしろ暇を見つけてはゾフィーさんの様子を見に来るエレナさんの方が彼女の邪魔をしていたというか……。エレナさんなりに心配していたのだろうけどね。
「ゾフィー、軍服じゃなくても似合ってるー。かっこいい、素敵ー」
「お前は家に帰りなさいっ、旦那の相手でもしていろ」
「旦那は夜に会うからいいのーっ」
ウェイトリーさんのアドバイスで支度金をいくらか包んでいたので、衣類もしっかり仕立て上げてきてくれた。初対面の人は威圧感を感じるだろうが、コンラート的には威風堂々とした文官の誕生だ。人を使うのも抵抗がないから指示を出すのも上手いし、逆も然り。彼女の雇用を即決したウェイトリーさんの目に狂いはなかった。
「応接間をチェルシーが散らかしてしまって、急いで掃除するから待ってもらえないかね!」
「あそこを使うのはクロード卿でしょう。でしたら私から出向きますから片付けは後で平気ですよ。それよりチェルシーの髪が汚れているから綺麗にしてあげてください」
慌てて飛び込んでくる使用人さんにも余裕の対応。クロードさんは時に煙に巻いた言い方や、相手を揶揄う癖があるから相性が悪いかと思いきや、意外にもうまくやっている。
コツは真面目に相手にしないことだそうだ。曰く「多少遊んだりズルはするでしょうが、いざとなればきちんとやってくれるから」とのこと。
彼女は童戻りしているチェルシーにも嫌な顔ひとつ見せなかった。チェルシーは幼い童女であり、無垢に笑うだけ。攻撃的になって爪を立てないだけずっと良いといって、容態が落ち着いていることを褒められた。
「いきなり仕事量が多くてごめんなさいね。もっと人がいたらこんなに忙しくなかったのだけど……」
「忙しいのは慣れていますし、それにマルティナさんでしたか? お休みも家庭の事情なら仕方ありません。会える日が楽しみですよ」
マルティナだが欠勤が続いている。病気かと思われたが、どうやら急用とかで帝都の外に出ているようだ。数日内には必ず戻ると謝罪の手紙まで残していったので、何かあったのではと皆が心配していた。やたら思い詰めていたようでもあったし、職場復帰した暁には話を聞かねばならない。
扉がノックされると、困った様子のハンフリーが顔を出した。最近は空いた時間で皆の手足となって雑務をこなしている。
「また釣書が届いたとかで来てもらいたいそうです」
「お受けできないといって帰してください」
「それが金品も持参されていたようで、一度見た上で引き取ってもらった方がいいんじゃないかと」
クロードさんの予感は的中していた。日を置くと、段々と肖像画と釣書が送られてくるようになったのだ。しかも対象は私のみに留まらず、よりによってヴェンデルまで含まれた。脇でお茶を啜っていたエレナさんが呟いた。
「ヴェンデルくんは生まれたての赤ちゃんから三十代まで幅広め。カレンちゃんは十代前半から六十代までよりどりみどりで、年上趣味とでも思われてるんでしょうね。もってもてです」
「ぜんっぜん嬉しくないですね」
つい真顔になる。
伯との婚姻がこんなところで効いてくるとは思わなかった。もてるのは悪くないけど、量も過ぎれば浮かれるより鬱陶しくなってくる。
もはやテンプレートとなった文面で機械的にお断りしているが、厄介なのはちょっと上のランクの帝国貴族だ。これがまた絶妙に断りにくく、直筆で一文入れている。当然書くのは私だ。
釣書は一応ヴェンデルに渡したが、どれも一通り確認するとすべて返却された。
「次からはいらない。断っておいて」
いまのところ女の子に興味はないらしい。ただ夜更かしが癖になっているのでヒルさんが気にしている。
そうそう、被害といえば地味にうちの使用人が標的になった。目の前で突然具合を悪くしたご婦人を助けたら相手が商家だった、とは料理人のリオさん談。
「食材の仕入れに行ったら突然の美女でしょ。格好の割に高い装飾品を身につけていたし、不自然に寄りかかられちゃ何事かと思いますよ。通りすがりのおっさんをやたら歓待しようとするし、怖いったらありゃしません」
その後どうしたのか尋ねたが、女性を引き渡したあとは知らん顔して逃げたらしい。で、ウェイトリーさん達から忠告を受けていたので、まさかと思い至ったわけだ。いままでこんなことなかったそうだから、全員に注意喚起した。
「うぶなハンフリーだったら色仕掛けに負けてたかもしれませんね。あいつは一人にしちゃ駄目ですよ」
時期的には『魔法使い退治』で私の名が挙がった頃だ。
このようにトゥーナの土地を拝領する事実は、一部の人々にとって結構な衝撃を与えた。コンラートは新参者だしあわよくばいまのうちに取引して縁を作りたい、そんな思惑があるのだろう。
「黒いのが運ばれています。よろしいのですか」
「うん、好きにさせてください」
黒鳥は少しずつだが元気になっている。いままでゴムまりのように跳ねるだけだったが、今朝は羽を広げ飛んで見せた。もっとも力及ばず、五秒程度浮かんだ後は即座に諦めて落下してたけど。
クロに咥えられる様は抵抗のての字もない。クロもよく平然と運ぶよね、などと考えつつあくびを漏らした。
朝晩はもちろん昼寝をしているけれど、油断すると寝入ってしまうから注意が必要だ。目を擦っていると、袖の間から放たれる鈍い輝きが目に入った。ライナルトからもらった腕輪は眺めていると気分が高揚する。
……あまり会ってないけど、どうしてるのかなぁ。
「お疲れでしたら休息にしますか?」
「あああ大丈夫です! なんでもないですから!!」
「四妃様からお呼びがかかっているのでしょう。釣書は私共で対処しておきますから、一旦休んでいた方がよろしいと存じます」
四妃ナーディアとはすでに約束を取り付けており、ゾフィーさんをお供にする予定だ。
いつもならジェフにお願いするけど、今日の行き先は所謂後宮。男性禁止とまではいかないが、問題事を避けるために彼女を選んだ。
「……あなたの言う通りね。一眠りしてから準備します」
「ええ、身体は大事ですよ。私はクロード卿の元へ向かいますので、なにかあればお呼びください。ほら、行くぞエレナ」
「えっ、や……」
「やだじゃない」
エレナさんを引きずっていくゾフィーさんには、こう、なにもかも任せても大丈夫っていう安心感が備わっている。
部屋にひとりになると長椅子に横になった。宮廷に足を運ぶのは億劫だけど、四妃の故郷『山の都』に対する興味の方が勝っている。もし間違っていないのなら、滅ぼされてしまった山の都は転生者の知識を積極的に取り入れ自らの文化としていたのではないだろうか。
「……会ってみたらわかるか」
一眠りしてから考えよう。瞼を閉じて深く息を吐くと、すぐに睡魔が……。
「…………なんで?」
「なんでって言われても」
目を開けたら見知った不法侵入者がいるではないか。いつにも増してごてごてに着飾っているのは『箱』ことシクストゥスである。
青年は花束を抱えていた。なんとも珍しい紫の薔薇なのだが、綺麗に包まれたそれを私の前に突き出す。
「これ、ライナルトから」
「はい?」
ライナルトから薔薇? シスが持ってきたって事は私に?
薔薇は美しいし好きだけど、なんでまたシスが持ってきたのだろうか。
「ナーディアのところにいくんだろう。だからそれを渡してくれって伝言」
「あ、そう」
……勘違いした自分が恥ずかしくて、シスから表情を隠すように薔薇の花弁を撫でた。
「耳が早いのね。たしかに後宮に会いに行くけど、なんでライナルト様が直接渡さないの?」
「最近色々面倒でねー。いまは直接会うのは避けようっていってたら、うまい具合にきみが約束を取り付けたらしいじゃないか」
「シスが渡せば良いじゃない。宮廷内ならどこでもいけるのでしょう」
「私は皇帝の命令一つでなんでもする悪い男だぜ。どんな事情だろうとナーディアからは信用がない」
そういえば山の都に関する書籍を燃やしたと言っていたっけ。それなら確かに信じられはしないだろう。
「まぁ……言われたからにはちゃんと渡すわ。ライナルト様からって伝えていいのよね」
なんでライナルトが四妃に花束を渡す必要があるのだろう。それにいまは直接会うのは避ける? 皇帝の妃と会うのを避ける理由とはなんだろう。
「……シス?」
返事がなかった。顔を上げると目尻を下げ、下品に口元を歪めるシスが私を見下ろしている。
「ちょっと、なによ」
「いまさぁ、自分が花束もらえたかもって勘違いしただろー」
「してないし」
「またまたー。欲しかったんだろ花束、なんでナーディアなんだろうとか思ったんだろー」
「違うってば」
人を苛立たせるには絶妙な声音だ。気色悪い笑みを浮かべて、にやにやと笑いながらしつこく話しかけてくる。
「はーん? 私から言ってあげてもいいんだよ。きみにも花束をあげてやれってさぁ、認めるんならライナルトに話をしてあげるけどぉ?」
「用が済んだのなら帰りなさいな、私は準備があるの」
「へーそんなこと言うなら、なんでライナルトがナーディアに花束を贈るのか教えてあげないぞぅ。これが一度や二度じゃないってきみ知らないだろ」
顔を背けようとも、やつはわざわざ回り込んで話しかけてくる。
ここぞとばかりに活き活きと……!
「宮廷の一部で噂なんだぜー。皇太子と愛妾の禁断の恋――」
「聞かない知らなーい!! さっさと帰れー!!!」
絶対最後まで聞いてやるものか!