168、微睡みに落ちて+新規イラスト
イラスト:https://twitter.com/airs0083sdm/status/1388325227810017282
エリーザが嫁ぐはずだったオルレンドル帝国騎士団第一隊バルドゥルに、別の女性が新たな奥方として入った。といってもバルドゥルは初婚ではないし、これといったお披露目もなかったようだ。年の差も三十近く離れている。間違っても幸せな結婚ではないだろう。
他の人も似たようなものらしい。男性達も良縁をみつけたとかで婚約中か、じき婚約だろうとトゥーナ公は語った。あのときエリーザを逃がしてあげてほしいといった青年、彼はどうなったか尋ねてみたのだが、生憎トゥーナ公は個人まで興味はなかったようだ。塔から突き落とされた女の子については慣れたもので「お金を握らせて終わり」と簡単な返答。エリーザ達はすでに顛末を聞いていたらしく、沈痛な面持ちである。
「……そういえば副長のリューベック氏はどうでしょう。あの方もどなたかと婚約を?」
「リューベック……ああ、あのいっそう頭のおかしい」
「頭の……」
「バルドゥルについていける時点でまともでないのは明らかでしょう」
どういう覚えられ方をしているのだろう。
「あの坊やはコンラート夫人がお気に入りだったのですって? だったら気をつけなさいな、あの手の男は一度こうだと決めたら諦めなくてよ」
「……そのおっしゃりようだとあの方は婚約されなかったのですね」
「大方、陛下が貴女を妻にするよう命じていたのでしょう。バルドゥルといい、あの男の周りは狂っているまでに陛下の命を絶対にしていてよ。陛下が撤回しない限りはこのままね」
しかしリューベックさんを坊や呼ばわり。トゥーナ公はまだ三十にもなっていないはずだが、貫禄と華美さは桁違いである。眩い美女は解決策を提言してくれたのだが、それがまたとんでもなかった。
「適当な殿方でも見繕ってはいかがかしら。それか複数の方と関係を持つのも悪くなくてよ」
「へ」
「リューベック家は名門軍家だもの。妻は貞淑であり家と子供を守り、男を立てて当然の家。遊び好きのふしだらな女とあれば向こうから願い下げでしょう」
「あ、ええ、と、それは……」
「なんならあたくしが遊び相手になりましょうか。後腐れのない関係でいられるのは保証できてよ」
艶然たる微笑を浮かべる唇はぷっくりと艶やかで、たとえ彼女に纏わる噂を耳にしていても、つい引き寄せられてしまいそうな華がある。
だが彼女は毒花だ。横では婚約者が毒に当てられないよう、ジーモン青年がエリーザの耳を塞いでいた。
「……せっかくですが遠慮申しておきます。あなた様は魅力的すぎて、私が夢中になったらきっと困らせてしまいます」
「あら、それはごめんなさい。殿下と一緒にいらっしゃるから、てっきり慣れていらっしゃるかと思ったわ」
――え、まって。それってどういうこと。
腰を浮かしかけたが、その直前にマルティナが新たな来客を告げた。
「歓談中失礼いたします。ライナルト殿下がお着きになりました」
ライナルトの到着である。今日はモーリッツさんがお付きらしく、ニーカさんの姿がない。入れ替わるようにエリーザ達が席を外すのだが、ライナルトにも礼を述べて出ていった。特に違和感のないやりとりだったが、彼女達が出て行ってからトゥーナ公はくすくすと鈴を鳴らすような笑い声を漏らす。
「殿下、貴方があたくしにあの子を預けたのでしてよ。少しは他人に興味を持ってくださいませ」
「その価値があれば認めよう」
「伝えていませんでしたけど、あの子の両親は貴方が紹介を頼まれた彫金師の総元締めでしてよ。価値ならいくらでもあります」
「……む」
……エリーザにあまり興味がなかったようだ。私はまったく気付かなかったのに、トゥーナ公はあっさりと見抜いてしまっていた。
ライナルトは椅子に腰掛けながらこちらに視線を向ける。
「突然押しかける形になってすまない。体調はどうだろうか」
「あ、え、ええ。はい、すっかり元気になりました。もう出歩くのも問題ないのですけど、周囲が騒がしいくらいで……」
「いまは場所を選ばれた方がいいだろう。髪は……相変わらずか」
「怪我を負っているわけではありませんし、色が変わっただけです。気になさらないでください。それより、本日はなにか大事な話があるとお見受けいたしましたが……」
「ああ、そうだ。リリー、話はすませたか」
「まだです。可愛らしいお嬢さんと席を並べたのです。親交を深める方が先に決まっているでしょう」
「まったく、その癖はどうにかしてもらえないか」
「あたくしがこういう女なのはご承知でしょう。ひとときの愛は何物にも勝る極上の美の魔法でしてよ。これ以上の刺激を与えられないのなら諦めてくださいませ。それより殿下は捜し物はみつかりまして」
「そちらはあとで来る。いまは貴方の話をしよう」
ライナルトとトゥーナ公の間には親しい者同士特有の空気がある。言葉にし難い絆のようなものが垣間見えたのは気のせいだろうか。モーリッツさんの咳払いで場の空気が引き締まったけれど、どうにも居心地が悪かった。
「急かすようで申し訳ありません。トゥーナ公のお話とは……」
「そうだった。あたくし、先日陛下にお呼び出しを受けたのですけれどね」
トゥーナ公が皇帝から呼び出しを受けたことが、どこに私に関与してくるのだろうと思っていたが、これが大ありだった。彼女は気に入らないと言わんばかりに柳眉を逆立てる。
「突然呼び出すから何事かと思っていたら相談されましたの。なんでも先日大罪人を処刑した勇気あるご婦人に報酬を授けたいのだけれど、トゥーナ公はどう思う、と」
「な、るほど」
「あたくしは帝国の忠実なる臣下ですから、もちろんそれなりの恩賞を与えるべきだと提言しました。そしたら陛下はこうおっしゃるの。では美しきトゥーナ公、そなたの領地を一部件の夫人にくれてやれと」
皇帝との話を思い出していたのだろう。声は玲瓏だからこそ冷たく響き、場に沈黙が伴った。
頭が痛くなってきたけれど、つとめて平静を装おう。
「陛下がなぜそのような提案をされたか理解に苦しみますが、トゥーナ公は、なんとお答えになられたのですか」
「あら、あたくしに嫌だと言える権利があると思って?」
これはもしかしなくても、エリーザを連れていったことに対する腹いせだろうか。話を聞いてみると、それとなく話題も振られたようなので嫌がらせを含んでいたのだろう。ところがトゥーナ公が真実憤慨している理由は別にあった。
「領地を差し上げるくらいは別に構わないのよ。けれど陛下が貴方に譲れと言った土地が問題」
「……もしや経済の主要地とか?」
「苦痛を忘れられる夢のような薬の原料よ。そこでほとんどの生産を行っているの」
「…………はい。理解いたしました」
トゥーナ公の領地は麻薬の生産が盛んだと以前述べたが、よりによってその土地を私にくれてやれと皇帝はのたまった。トゥーナ公にとってはとんでもないことだろう、たとえ悪評が付きまとっていたとしても、その植物は大事な財源だ。
麻薬の生産で一財産築いているのは……一般論として難しい話ではあるのだけど、この産業が怪我等における痛み止めの役割を果たしているのも事実。この人は医薬品以外の使い方もしているのだろうけど……。
しかし皇帝といえど大貴族であるトゥーナ公に土地を譲渡しろなんてトンデモな命令だ。一歩間違えば内乱ものだが、女公爵に突きつけられたのはいままで見逃されていた数字だった。
帝都内における中毒者の数と危険性をつきつけられたのだ。民に危険が及ぶとなれば皇帝が動かざるを得ないともっともな理由で『説得』されたのである。
「いままで口出ししてこなかったくせに、いまさら他人に渡して生産を抑えてみてはどうか、なんてあたくしが余程気に入らなかったのでしょうね。ああまでされては逆らうわけにはいかないけれど、その前にコンラート夫人の意見をうかがっておこうかしらと思って」
「私の、ですか……」
「そう。殿下お気に入りの貴女のね」
……これはトゥーナ公、そうは見えなかったけれどよほど憤慨していたのだろう。返答次第では彼女の機嫌を損ねることになる。
「私は、そうですね……」
ゆっくり喋って、ほんの少しでも時間を稼ぐ。事前相談があればなんとでも回答できたが……。
おかしいな、何故か眠い。いまはそんな状況ではないとわかっているのに、突然睡魔が襲ってきて、そっと爪先を太ももに差し込んだ。
「拒否するわけにも参りません」
「あら、お断りしてはくださらないの?」
「今回は討伐に対する陛下直々の恩賞との話ですから、公の場で断れば角が立ちますし、いらぬ疑いを買うかもしれません。いま陛下の機嫌を損ねるのは本意ではないのです」
「ま。あたくしにとっては大変なお話なのだけれど」
不機嫌そうになる美女だけれど、表面通りの感情かは不明だ。もっともらしく頷いた。
「陛下のお言葉を賜ったわけではありませんが、トゥーナ公への言い様からも、たとえ断っても別の方に譲渡せよとの命が下るのではないでしょうか。でしたらライナルト殿下と親交がある私共が受け取った方が、幾分ましでしょう」
しかし、と続けた。
「薬の生産地となればよほどの体制が整っていないと不可能です。我が家が新たに領地を賜ったところで、管理するだけの人も予算もありません」
譲渡なんて簡単に言われても、領民とのコミュニケーションも必要になってくるし、流通のノウハウだってあるから簡単に上手くいく話ではない。件の管理地を聞いても、わざわざ人を派遣し監督し続けるには面倒な場所にあった。
「ですので形だけとして私が受け取るのはどうでしょう。便宜上教えていただかねばならない数字はありますが、管理や利益はトゥーナ公のものです」
これしかないと思うのだが、どうだろうか。私の提案にトゥーナ公はしばらく考えた込んだ様子を見せていたが、やがて「いいわ」と呟いた。
「よろしいでしょう。あたくしの土地をかすめ取るような子なら潰して差し上げようと思っていたけれど、形だけでもと言えるのなら見込みはあります」
「リリー。私は彼女なら大丈夫だろうと答えたはずだがな」
「殿下はともかく、あたくしは彼女を存じ上げません。欲に目が眩まない人間はいなくてよ」
恐ろしい話をされたが、公爵の機嫌を損ねずには済んだ。トゥーナ公は紅茶を飲み干すと席を立つ。
「いまの話は少し修正しましょう。貴女が無利益だと嗅ぎつけられた際に面倒だから、いくらかは融通するわ。詳しい話はまた今度詰めましょうか」
聞きたい事は聞けた、と言っているようだった。トゥーナ公、このあとは愛人との逢い引きを控えているとのことで、颯爽と去ってしまったのである。
滞在時間は長くなかったはずなのだが、一気に疲れが押し寄せてきた。
「……嵐みたいな御方ですね」
「リリーのいるところで火が起きない方が珍しい。ともあれ、彼女とはうまくいきそうでよかった。トゥーナとしても香辛料の貿易をなくしたくはないだろうから、安堵しているはずだ」
裏を返せば、その貿易がだめになっても厭わないくらいに大事な産業というわけだ。
「あ」
さっきまで姿を見せなかったはずの黒鳥が姿を現し、ライナルトの膝に着地した。
「これが報告にあった……」
「奇怪な生き物ですな。解剖しては?」
「やめておけ。まだなにもわかっていない」
公爵がいなくなった途端、すかさず不穏な単語を口走るモーリッツさん。初対面のはずなのに、黒鳥はライナルトに懐いており、全身を擦りつけている。
……え、なに、なんなのこの鳥。いままでこんな動作を見せたことなかったのだけど。
モーリッツさんは不審そうな表情を隠そうともしないが、ライナルトがなにも言わないし、解剖は反対されたので、それ以上の進言は止めたらしい。代わりに私へ本を差し出した。
「これは?」
「シスからだ。魔法の知識があった方が良いとのことで渡された。読んでおきたまえ」
なかなか分厚い本だった。シスがどんな意図でこれを渡したのか不明だが、その疑問はもう少ししたら解消されそうだ。
「探すのに苦労したが、あとからこちらに来るよう殿下が申し渡した。奴がいつ来るのかにもよるが、しばらく滞在させてもらう」
お断りする理由はなかった。ただシスが来るとなると、やはり黒鳥や『箱』に魔法絡みといった話になる。モーリッツさんは万が一にも話を聞かれたくないようで、それならばと庭を提案した。小さいけれど屋外用の東屋もあるし、いまなら外に出ても気持ちいいくらいになる。
全員が了承して裏庭に移ったのだけれど、これがいけなかった。
「先ほどから眠たそうだが無理をしていないだろうか」
「心配しないでください。ちゃんと睡眠はとっているんですよ」
ずっと眠気が揺蕩っていたけれど、ライナルトが来てから睡魔が倍になってのし掛かってきたのだ。風にあたれば目も冴えるだろうと思っていたけれど、なぜだか眠気は強くなるばかり。椅子に座ると本を開いた。
「話を出来ないのは残念だが、部屋で休んでくれても構わない」
「ライナルト様を放っておいて休む方が無理です。それより、シスが渡してきた本が気になるんです。本の中身を私は理解できるでしょうか」
少し読むつもりで本を開くと、中はみっしりと文字で埋まっている。装丁に反し中身は古いようで、年月の経過を感じさせるインクの掠れ具合だ。
中身に触れつつ話をすれば時間も潰せるだろう。そんなつもりで目を通していたのだが、外の陽気にあてられたのか、とうとう目を開いているのが難しくなっていった。
「すみません、ちょっとだけ……なんか……」
一瞬だけのつもりで目を閉じると意識は滑らかに内側に潜り込んだ。
イラスト:しろ46(@siro46misc)
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