166、母は強し
体調もそこそこ回復し、私も徐々に机仕事に戻りはじめた頃。
我が家は行事ごとが一気に押し寄せていた。帰ってきたマルティナがファルクラムに送った品をリストに挙げて渡してくれる。
「食品やこちらで流行の布地を中心に送っておきました。それと礼服も受け取ってきました。あとで針子が来ますので袖を通してくださいませ」
「ありがとう。小間使いみたいなことまでさせてごめんなさい」
「これもわたくしの仕事ですし、楽しんでやっております。いい気晴らしですから気になさらないでくださいませ」
時間は大分前に遡るのだが、ファルクラムでは亡きファルクラム国王の忘れ形見、つまりファルクラム領次代総督が誕生していた。性別は男の子、私にとって甥にあたる子だ。お祝い品はすでに送っていたが、ここのところごたついていたためか、しっかり向き合うことができたのは最近の話。向こうでは亡き国王陛下の御子とあって結構なお祝い騒ぎだったと聞いていた。
「しばらくは大丈夫でしょうけれど、いずれ姉さんがこちらに来なくてはならないというのは心配」
兄さんもいるから生活に不自由はさせないが、皇帝カールに近づけるのは心配だ。近づけさせない方法があるなら喜んで飛びつくが、現状なにも良い方法は浮かんでいない。
「それとリューベック家に送った使いですけれど、硬貨の返却は断られたようです。如何なさいましょう」
「……これもまた悩ましい問題ね」
こめかみを揉み解しながら答えた。リューベックさんには先の誕生祭で衣装店にて使える硬貨をもらっていたのだが、それを返却すべく使いを出したのだ。結果はマルティナが述べた通りだ。
「わかりました。リューベックさんには私が直接お返しします」
魔法院の件もあって、皇帝に近しいリューベックさんには借りを作りたくないのが本音だ。しかし受け取りを拒否されたのであれば、本人に直接渡すのが一番波風を立てない方法だろう。
私の周囲を見回していたマルティナが、窓際に視線を向ける。
「今日の黒鳥さんは日向ぼっこなんですね」
「そうなの。ご飯も水も食べないのに、光合成だけはしたがるのよね。影みたいな生き物なのに変なの」
「こうごう……?」
「間違えました、なんでもありません」
あの不思議な黒鳥は相変わらず私の周りをうろちょろしている。基本的に私から離れることはなく、目の届く範囲にいるのが常だ。弱々しかった姿はどこへやら。いまは大体寝ているか、ぼけっと座っているか、無防備に転がっているかのどれか。前述の通り食事といった行為はとらず、必要とするのは睡眠だけだ。寝ている間にこっそり離れると、いつの間にか肩に停まっているので、とりあえずわけはわからないがそういう生き物なのだとコンラート家の人々に認知されつつある。
「……眠いのでしたら、一度お休みになられては如何でしょう」
「いえ、まだ半分くらいしか片付いてないから。それにいつも以上にちゃんと寝ているのよ。寝ても寝たりないなんてはじめてなくらい」
「疲労が溜まっているのかもしれませんね。ゆっくりできる時間が取れたら良いのですけれど……」
マルティナが言うほど疲れてはいないのだけど、睡魔が顔に出るくらいには眠気にやられていたらしい。最近は油断すると眠たいのが常だから、なるべく気をつけてはいたのだけど、より気を引き締めなくてはならなかった。
「そうだマルティナ。新しい秘書だけれど、そう遠くないうちに来てもらえるみたい。よろしくお願いしますね」
「かしこまりました。同性でわたくしよりも経験豊富となれば、教わる事がたくさんありそうですね。お会いするのが楽しみですが、思ったより早かったですね。お仕事は大丈夫だったのでしょうか」
「働き始めて間もなかったみたいだから、たいした問題はないのですって。それよりも仕事中にお子さんを見てくださる方を探したいみたい。なんでも以前お願いしていた方が無理になってしまったからって」
「確か十歳前後のお子様が二人でしたか。……良いお手伝いさんが見つかるといいですね」
いまマルティナと話しているのは、新しく雇った秘書についての話だ。これは直近で決まったもので、斡旋所から紹介を受けて採用した人ではない。
知り合いからの紹介なのだが、なんと紹介者は頼れる隣人エレナさん。
お隣の夫婦がうちの監督もとい保護という名目の休暇を取っているのだが、成り行き上、エレナさんがうちに出入りする機会も増えた。彼女は気軽に話せる相手だし、顔を合わせていると自然と会話も増える。人手不足に嘆いていたところで紹介されたのだ。
「ウェイトリーさんもあんまり動けないし、慣れてる人がいいでしょう? だったらゾフィーがおすすめなんですけど……」
「ゾフィーさん? ええと、もしかしてコンラートで私とヴェンデルを保護してくれた……」
「そう、あのゾフィーです。彼女、いかにも軍人! って感じの外見ですし事実武芸も得意ではあるんですけど、あれで本職は文官なんです。あ、決して身内贔屓とかじゃなくて……やっぱりちょっとはありますけど、それでもゾフィーは優秀ですよ」
なんとゾフィーさん、元は軍属文官だったが、様々な事情があって前線に転向していた人らしい。
「事情っていうか、当時はご両親や旦那さんが相次いで亡くなってしまって、大金が必要になったみたいなんです。そのときはあちこちで小競り合いが発生してまして、前線なら働き次第で褒賞も出ますから、直近でお金が必要だったゾフィーはその道を選ぶしかなかったんですね」
ゾフィーさんが文官だった当時、愛する夫が病気にかかった。働きながら高い治療代や生活費を捻出していたのだが、悪いことは立て続けに起こるもので、義理のご両親が事故で亡くなってしまった。よりによって金貸しからお金を借りて店を建てたばかりだったようで、借金は息子であるゾフィーさんの旦那さんの元へ向かった。そのショックで旦那さんは亡くなってしまったのだが、当然といわんばかりに金貸しはゾフィーさんに迫った。
子供を二人抱えたゾフィーさん、逃げるわけにもいかず、悲しみに暮れながらも迷わず戦働きを選んだ。文官から武官へ突然転向した彼女が得た褒賞金を元に家族を支えはじめたものの、様々あって文官の道が絶たれてしまったのだ。
エレナさんは人の一生に関わるような話を簡単に説明してしまったのだが、これ、どうやらゾフィーさんの持ちネタらしく、酒と一緒に語られる話のようだ。仲間内でゾフィーの身の上を知らない者はいないと苦笑したのだった。
「剣を取って長いですけど、ゾフィーは頭もいいですし、なによりあちこち出向していた経験もあるから顔も広いし地方の事情にも詳しいです。ウェイトリーさんほどではないでしょうけど、きっと良い働きをしますよ。子供達を食べさせるためにも簡単に辞めたりしませんし口もかたいです」
自信満々に推してくれるから心強いが、ウェイトリーさんとの相性はどうなるだろう。なにせ現在、我が家のブレインは医者によって謹慎を言い渡されている。長く続く咳と体調の悪化に医者はウェイトリーさんを懇々と叱りつけ、私たちも即座に外仕事を取り上げた。いまはアドバイザーの立場で、とにかく体優先の休養をとってもらっている形なのだ。そしてこれは初耳だったが、コンラート襲撃時以降、時々傷跡が痛むようだ。傷口はとっくに塞がっているから精神的なものでないかと見立てているが、とにかく良い兆候ではない。
軍人さんがすぐに仕事を辞められるとは思えない。即戦力を求めている身としては厳しいのではないだろうか。
「エレナさん、ゾフィーさんって軍属ですよね」
「あはは。それなんですけどカレンちゃんにお話しするのはわけがあって……」
なんといまのゾフィーさん、別任務であたった仕事で大怪我を負ってしまい、その影響で身体がやや不自由なのだそうだ。魔法使いの治療のお陰で見た目に影響はないものの、走り回るのは難しく、やむなく退役。退役はかなり悩んだそうだが、体資本の仕事は難しくなったし、軍属である以上、事務方に戻っても将来的には地方に移動となる可能性がある。各地方やファルクラムへの出向が終わり、やっと家族揃って過ごせる……と決意した。
「誰よりもゾフィーの心を揺さぶったのは、子供達の涙なんでしょうけどね。旦那様やそのご両親は亡くなっちゃったし、ゾフィー自身親を早くに亡くしてますから、次、本当に命を落としたら、子供達はどうなるって考えちゃったみたいで」
収入は下がるが、ゾフィーさんは家族との時間を選んだ。
だが年頃の子供を二人抱えたお母さん。子供達はこれからお金は掛かる一方だし、ゾフィーさん自身も医者に継続して看てもらう必要がある。エレナさんたちも協力を惜しまないつもりだけれど、退職一時金が尽きてしまったらどうなるのかと心配なのだ。
「困ったときはお金を貸すとうちの旦那様が言ったんですけど、友人関係は壊したくないからって断られちゃいました。働き口は色々紹介してたんですけど、条件がちょっと合わないって……お断りされるのも多くて」
「以前こちらで見かけたときはお元気そうでしたから、そんなことになってるなんて思いもしませんでした」
「帝都からちょっと出るだけでも危険なお仕事は多いんです。中も血生臭い抗争はありますけど、まだまだ平和な方ですよ」
「……エレナさんの紹介ですし、私も少しですがゾフィーさんを知っています。お越しくださるのであれば私とウェイトリーさんとでお会いしてみますが、雇うとは断言できません。それでもよろしいですか?」
「もちろん! ゾフィーなら絶対問題ないって、胸を張って紹介できます!」
こうして即予定を空けてきたゾフィーさんと話をしたところ、なんとウェイトリーさんから即日採用のサインをもらった。そのときエレナさんが「条件が合わない」とぼかした理由をなんとなく悟った。おそらく元軍人故の本人から零れる雰囲気と、服越しでも隠せない、いかにも武人といった外見だ。個人的にはそのくらい強そうな方が舐められなくて良いと思う。
ウェイトリーさんも「身体が不自由なくらいで雇わないとは勿体ない」と褒めていたし、紹介所とは相性が悪かったのだろう。うちとしては彼女を雇わせてもらいたい。この返答を受け、エレナさんは涙ぐみながらはしゃいだ次第であった。
そのときの喜び回るエレナさんを目撃していたマルティナは、彼女の様子を思い返していたらしい。
「ご友人のために親身になれるのは、ゾフィーさんの人柄はもちろんでしょうが、エレナ様の友情によるものなのでしょうね。とても羨ましく思いますわ」
「そう、ね」
彼女が親しい人に親身になるのは理由がある。ヘリングさんに教えてもらった話を思い返していると、こんこん、と控えめなノックが鳴った。
「お話中申し訳ありません。お客様がいらっしゃったのですが……」
「予定はなかったはずだけど、どなたがいらしたの?」
今日来客の予定はなかったはずだし、約束なしのお客様は断るよう伝えていたはずだが――。
使用人さんが狼狽した様子で客の名を告げると、次の瞬間眠気はすっかり吹っ飛び、驚いた黒鳥がどこかに転がっていった。
玄関まで向かうと意外な人物を迎えることになったのだ。
「押しかけてごめんなさいね、ご機嫌いかが? あとで殿下がかわりにお詫びの品を用意してくださるから、許してくださいな」
「コンラート夫人、お久しぶりでございますわー!」
面会予約なしのお客様にはそれなりに慣れているものの、今日はまたとびきり癖のある人物だ。
トゥーナ地方領主、リリー・イングリット・トゥーナ公爵ならびにエリーザ嬢であった。




