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141、お酒の力

「貴兄が後見人だろうに対応が遅いな」

「それについては詫びさせてもらおう。お前が対応するとは意外だった」

「なに、アルノーの妹を無下に扱おうと思わんだけさ」


 仲がいいのか、悪いのか。皇女は不敵に笑いを零すと、用事は済んだとばかりに話しかけてきた。


「私としても君に興味はある。いずれ話したいと思っていたし、いずれ時間を設けさせてもらうよ」

「お会いできる日を楽しみにしております。それと、ありがとうございました」

「……安易に礼を言ってはいかんよ。私はそこのやつ同様、決していいやつではないからね」


 入れ替わりになったライナルトとヴィルヘルミナ皇女の背を見送ったのである。彼の視線は私の手元に移るのだが、ちょっと笑ってグラスを掲げてみせた。


「ご安心ください。ただの果実水ですから心配いりません」

「なるほど、ヴィルヘルミナにしては気が付きますね。相変わらず葡萄酒は苦手ですか」

「皆さま帝都の葡萄酒は飲みやすいとおっしゃいますが、残念ながらいまだに飲み慣れません。いまは少し酔いが回ってきたようですが……」

「カレン?」

「大丈夫です。酔いといっても知れていますし、緊張の方が上回っていますから失態は犯しません」


 なにせ慣れないお酒をほぼ一気飲み。仕方ないとはいえ、ほとんど空きっ腹の胃には負担が大きい。これが自宅だったら椅子に埋もれてジルを弄り倒すなり、寝台へ直行なりする場面だが、いま述べたように理性が勝っている状態だ。これ以上飲んだら危ういが、頭がふわっとする程度ですんでいる。ライナルトの顔も直視できるのだ。


「ええと、先ほどは失礼しました。お顔もろくに見ないで……」

「ようやく怒りを解いてくださったようでなによりだ」


 怒り?

 なんのことだかよくわからないのだが、ライナルトは不思議そうに顎に手を当てた。


「バーレの件で怒りが解けていなかったのでは。それで目を合わせてくれなかったのかと思いましたが、違いましたか」

「え? あ、ああー……はい、まあ……その……」


 あの日は妙な態度を取ってしまった。以降、それで私が怒ったのだと勘違いされていた模様。そういえばバーレ以降直接は会っていなかったし、そう思われるのも無理はない。肝心なのはライナルトが気に留めていない点で、これ幸いにと言葉を濁したのだった。


「拗ねられてしまったので、いつ笑ってくれるかと考えていましたよ」

「ライナルト様はよく私が拗ねるとおっしゃいますけれど、そうそう拗ねたりはしておりませんからね。私が拗ねたところで生意気だと言われるのがおちです」

「そうですか?」


 そうですよ。

 お酒の力を借りてとは些か情けないが、普段通り話ができるのは幸いだ。

 ライナルトはひっそりと周囲に聞かれていないかを確認すると、そっと声のトーンを落とした。


「皇帝陛下の対応だが気にされないように。あれはいつもの気まぐれのように思える。むしろ、ああいう態度を取った後はより一層注意してもらいたい」


 ヴィルヘルミナ皇女と似た話をするのだから、皇帝の対応が如何ほどだったのかを物語っている。


「おそらくは後日呼び立てが入るだろう。以前忠告した話は覚えていますね」

「はい、しっかりとこの胸に刻んでおります」


 皇帝カール相手には拒否や理解を示してはいけない。あの日の言葉は忘れていないし、難しい内容だからこそ緊張が解けずにいる。ライナルトは頷き、続けた。

 

「よろしい。なるべく同席して差し上げたいが、ほとんど不可能に近いだろう。呼び立て後は、私の執政館に寄られるといい。問題が起きても対応が出来るだろう」

「お仕事の邪魔にはならないでしょうか」

「おや、いつ私が貴方を追い返すような真似をしたでしょうか」

「……そうでしたね。ライナルト様のご厚意に失礼を言ってしまったようです」


 心配してくれているのだろう。気にかけてくれるのは助かるが、しかしこうも念押しされると逆に不安になってくる。ほんと、なんでこんな事態になったのか理由が全く不明だものなぁ。


「無理をされないか心配だが、あとはモーリッツや貴方の友人エル・クワイックに任せるとしよう。帰りはまっすぐ帰られることをお勧めする」

「ライナルト様、心配しすぎです」

「失敬。気にかけたいと思う人がさほどいないものでね」

「ライナルト様にそうまで言っていただけるのなら、私は幸せ者ですね。ええ、ご忠告通り寄り道はいたしません。我が家には可愛い義息子と弟、それに可愛い犬猫や心配性の家令もいますからね」


 ライナルトにこういった台詞をさらりと吐かれると、果たして素で言ってるのだろうかと疑わしい瞬間がある。淡々としているし、リューベックさんのように感情豊かになられるわけでもないので、素なんだろうなとは伝わるのだけど……。

 

「ああ、ヘリングから動物を飼い始めたと聞いた。そのうち会いに行っても?」

「ライナルト様がうちに来られるのは緊張しますが。……ええ、もちろんです。逃げられない保証はありませんが、どの子も大変可愛らしい子達ですから披露しがいがあります。動物に興味おありなのですか」

「飼ったことがないのでね」

「あら、お馬を可愛がってる印象があったから意外でした。使用人もいらっしゃいますし、お庭があれば散歩も難しくないではありませんか?」

「馬は必要ですから。小動物を飼えないことはないが、飼い主が私では可哀想でしょう」


 返事に困る一言だった。ライナルトはいつものように微笑を浮かべると「それでは」と行ってしまう。すぐさま多数の人に囲まれてしまったから、かなり時間を取らせてしまったのだろう。

 ……しまったな。咄嗟の言葉にそんなことないです、と言えなかった。

 彼はただ跡を継ぎたいわけではない。兄妹仲良さげに見えてもヴィルヘルミナ皇女とは皇位を巡る敵対関係で、皇帝カールとは帝国の要である『箱』で相反する思想がある。知られてしまってはいつ排斥されてもおかしくないし、今後を見据えた上での発言があった気がしたのだ。

 否定しないのは彼の言葉をそのまま認めるも同然なのに。

 まったく私は気が回らない。せめてうまい言葉でも言えたらよかったのに。


「カレン」

「あ、ごめん。考え事してた」

「疲れてるのはわかるけど、ぼーっとするのは帰ってからにしてよ」

 

 いつの間にか戻ってきていたエルの声で我に返った。

 ニーカさんやモーリッツさんはいつの間にか人の輪に加わっているようで、各々会話に興じている。


「エルはライナルト様に挨拶した? 長老なのだし、ここでご挨拶しておけばいいかも」


 せっかく二部に出席しているのだし、彼女の評価を人々にとって好意的なものに変えていきたい。しつこくなるのは気が引けたけれど、一部でリューベックさんと一緒にいたサミュエルさんの発言が気になってしまって、つい口出ししてしまうのだ。

  

「あー……そうね。前会ったからいいわ」

「エル。せめて殿下とにこやかに挨拶すれば、変な印象も払拭できる。少しだけでもいいから……」

「嫌というほど顔を合わせてるから結構よ。それに出席しただけでも大目に見てって……。ほらほら、噂のコンラート夫人と話したそうにしてる人がチラチラとこっちを見てる」


 ヴィルヘルミナ皇女やライナルトが話してくれた効果なのだろうか。普段ではお目にかかれない貴族の令嬢や、あるいはヴィルヘルミナ皇女の側近といった人々が話しかけてきたのだ。

 彼らのおかげで冷たい視線に晒され続ける事態は避けられたのだが、これがもう大変だったと言わせてもらいたい。

 いつだったかクロードさんが二部は悪意が強すぎると語っていたが、まさにその通り。どの方も笑顔であり、皇帝陛下を称えるのは共通しているが、会話の合間に意味深な目線や、ヴィルヘルミナ皇女或いはライナルトの話題を持ってくる。やはり皇帝の「後継二人」発言を重く捉えている人は多かったようで、ライナルトへ便宜を図ってもらいたい旨の発言が見受けられた。次点で多かったのはやはり香辛料貿易、そしてモーリッツさんへの紹介にあやかりたいといった内容。最後に関してはアーベラインとしてより、バッヘム一族へといった内容だ。

 ちなみに彼らを相手にするうちに、エルは適当な理由を付けて姿を消してしまった。次は意地でも連れ回したい。 

 そうそう、二部は当然ながらリューベックさんも参加されていた。モーリッツさんはなるべくガードしてくれたのだが、どうしても隙は生じてしまう。他の参列者と話に移ったときに新しいお酒を勧められた。


「こちら皇女殿下からいただきましたので、飲み終わっていないうちにお酒を変えるのは、ちょっと……」

「他の方と杯を交わすうちに中身が減ったのではありませんか。私とはまだ酌み交わしてくださっていませんが、私はカレン殿にとって一杯の酒を交わす価値もない男でしょうか」

「そういうわけでは……」

「ではどうぞ一杯。陛下が直々に選ばれた銘柄です、味は保証いたしますよ」


 せっかく酔いも覚めてきていたのに困ったが、受け取らねば失礼にあたる。新しいグラスに手を伸ばした瞬間、助け船を出してくれたのはまさかの人物だ。


「おうやリューベックの若いの。久方ぶりだね」

「これは……。イェルハルド様」


 バーレ家当主イェルハルド。二部開始時姿は見えなかったが、どうやら遅れての参加のようだ。ご老体は近寄ってくるとさりげなく「おすすめだ」といって給仕から盆を差し出させた。バーレ家ご当主とリューベックさんであれば、年功序列的にもイェルハルド氏のお酒を受け取るのが優先だ。

 覚悟を決めて一口いただいたら、中身は意外にもアルコール分が相当低いお酒。微かにお酒の風味はあるが、ほとんど葡萄の果汁のような……。


「リューベックの。夫人に大事な話があるのだが外してもらっていいかね」

「残念ではございますが、大事な話と言われてしまっては引き下がるしかありませんな」


 こうしてリューベックさんを追い払ってくれたのだから、感謝してもしきれない。


「やれやれ、若いお嬢さんがお酒に強い例は滅多にないというに。夫人、若い男には気をつけなさい。特にリューベック、あそこは代々悪い男ばかりだよ」

「……身に沁みて実感しているところです。ありがとうございます、イェルハルド様」

「なぁに。儂は貴女のおじいちゃんらしいからね。孫に話しかけて文句を言われるはずなかろうさ。それよりもだ、しばらく儂の相手をしてくれないかね」

「喜んでお相手つとめさせていただきますが、私でよろしいのでしょうか」

「もちろんだとも。それに貴女とは前の話の続きがあったろう。ほら、海の向こうの国の話だ」


 嬉しい申し出だった。飛びつかない理由はなかったが、イェルハルド氏とお近づきになりたい人物は多いだろう。事実遠巻きにご老体を見つめる人は多かったが、本人は何食わぬ顔である。


「必要な者には元々会っているし、いまさらこの場で酒を酌み交わす必要もない。陛下の誕生祭だからと老体に鞭打って出てきたが、若いのが五月蠅くてかなわんのだよ。バーレについては古くさい爺じゃなくて、娘息子達に相談してもらうべきだというのにね」

「私としては断る理由はございませんが……」

「なら付き合っておくれ。ここは人の顔色をうかがう連中ばかりで、面白い話題などありはしない」


 バーレ家だが、どうやらイェルハルド氏を除き全員参加を辞退したので、そのためご老体自ら出張ったらしかった。ベルトランドはともかく、こんな大事な催しに他二人が出ない理由はなんなのか、ご老体は語ろうとしない。


「我が家は色々あるのさ、色々とね」


 後からモーリッツさんにご教示願ったところ、出席するより各方面の「お祝い」と称した夜会に出席することで味方作りに奔走する方が効率が良かったのでないか、との話だ。私の予想では、ベルトランドだけは単純に「面倒だから」で参加しなかったと考える。もし彼が二部に出席していたら、きっと他の二人も顔を出していたに違いない。うん、あながち間違っていない気がする。

 だけどこうした行動を目の当たりにすると、イェルハルド氏はなんとも自由なお人だ。陛下の誕生祭に出なくても平然としていられるのも、それだけバーレ家の力が強い証拠だった。

 イェルハルド氏の姿を見たからか、切り替えの早いモーリッツさんはこちらに近寄ろうともしなくなった。きっとお役御免で晴れやかな気持ちになれただろうに、またもや声かけに辟易したニーカさんに攫われたので心の中で合掌を送る。

 私とニーカさんが出席した時点であの人に平和はないのだ。

 ……今度好物を調べて礼品をお贈りしておこうっと。



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