134、不意にこみ上げたなにかを
ありがたくお礼を言って退室すると待っていたのはジェフだった。
いつの間にか現れた執事さんが見学しても良い場所を教えてくれるのだが、その範囲は実にわかりやすく迷い込むことはなさそうだ。勝手に歩いていいと言われてしまい、客人を勝手にうろつかせて不安ではないか尋ねたところ、実に穏やかに言われた。
「お客様の心配は心得ておりますが、当家にて意図的にそのようなことをされるお客様はいらっしゃらないと信じております。探せばどこなりと人がおりますので、必要な際はお声がけくださいませ」
歴戦錬磨のたおやかな微笑であった。あれは客人を信じているのではなく、不埒な真似をした時点で客としてはみなさないという忠告ではないだろうか。
私にはよくわからなかったが、家の彼方此方をみたジェフの感想はただただ「呆れ」に尽きた。
「よくぞここまで、と思います」
「それはどういう意味で?」
「あちこちに武具が飾ってあったでしょう。あれらはすべて実用品です」
武器に実用品とそうでないものの違いなんてあるのだろうか。装飾の有無くらいしかわかっていないのだが、ジェフはすべて使えるものだと断言した。
「執事殿もお年を召していますが、元々は武人でしょう。手袋で隠れていたので指は見えませんでしたが、もしかしたら武人とは少し違うやも。……いえしかし……足運びや目つきが違いましたから、なにかしら芸を嗜んでいるのは間違いないはず」
「もしかして、他の使用人さんも?」
「私が見かけた範囲ではただの素人はいなかったかと」
「……そりゃあ自信満々に言えるはずだわ」
彼の見立てではバーレ家自体ががっちがちの戦闘集団とのことである。
この頃になると中庭に到着したのだが、見える範囲に衛兵はいなかった。半隠居の当主を守る手段は使用人にあるのかもしれない。
「おそろしいお宅ねえ」
「その割に平然としていらっしゃいましたが」
「だって喧嘩売りにきたわけじゃないし、向こうにしたら私なんてただの弱小田舎貴族よ。本気になるわけないじゃない。ああでもジェフが本気を出したら向こうも黙っていられないだろうけど」
「私が本気で剣を抜くとしたら貴女が害されたときのみです」
「冗談だってば」
庭を探索しているのは私たちだけのようだ。
所謂カーネーションに似た品種の花が咲いており、イェルハルド氏が自慢するだけあって見事な花弁を咲かせている。見惚れていると、奥で生け垣の手入れをしていたらしい庭師さんが話しかけてきた。
「どうです立派なものでしょう」
「ええ、花弁一枚一枚がとても綺麗。こんなに群生しているのは初めて見ました」
「そうでしょうとも、手入れでもしない限り群生するような花ではありませんからね。滅多に見かけないと思いますよ」
愛想の良い庭師さんはお年を召したご婦人だが……その、ただのご老体にしては非常に腕が太く、筋肉に自信がありそうな出で立ちである。腰には草刈り用の鎌を吊っていたが、それが非常によく似合……使いこなしていらっしゃるようだ。
「昔ご当主がお山でこのお花を見かけられましてねぇ。一目惚れされたみたいで、それ以来、このお花を我が家で育てるといって聞きませんでした。それ以来栽培させてもらってるんですよ」
そう言うと庭師さんは「よいしょ」としゃがみ込み、慣れた手つきで花を刈り取ると束にしてくれる。
「よろしければお持ち帰りになってくださいな。帰りにお渡しできるよう纏めておきますからね」
「ご当主の愛でられている花なのでは……」
「いいんですよう。来られるお客様はみんな薔薇だったり、遠くのお国からやってきたお花に夢中になられる方ばっかりですからね。綺麗と言ってくれる人に差し上げて怒られるはずありませんよ」
確かにこれでもかと言うほどのご立派な薔薇の一画や……遠くのお国?
気になったので庭師さんに教えてもらった方向へ足を向けたのだが、そこで目撃したのはお茶に続いて意外な木である。
「は――」
樹木に詳しくない私でも間違えない。これは桜の木である。
驚きに声を出せない私に代わり、ジェフは珍しそうに幹に触れ、そして上を見上げる。
「見かけたことのない木ですが、虫が多くて大変そうだ」
私の想定よりも海の向こうの国は日本になじみ深いようで、俄然貿易品に興味が湧いていた。探せばもっといいものが見つかるかもしれない。
イェルハルド氏ご自慢の庭の後は絵画類が飾ってある特別室だ。さぞ立派な美術品が飾ってあると足を運んでみたら、こちらには度肝を抜かされた。
「こ、これは随分立派な……先進的、いえ芸術み溢れた……ねえ、ジェフ?」
「……私は武芸一筋でしたので」
「あっずるい」
なんだろう、いままでこちらでの絵画といったら美しい風景画や人物が中心だったから、おどろおどろしい怪物や戦争画、多角的角度からみた、ええとその個人の視点からみた抽象的思想画というのは見たことなかったのだ。
はー……確かにこれは滅多に見られるものではないし、自慢するだけはある。芸術的価値はさっぱり理解できないが、きっと値の張る絵画なのだろうと眺めていると、後ろから声が掛かった。
「……それ面白いのか?」
なんとロビンである。決まりが悪そうに立った青年の傍らにはいつもの女性がいて「ほら」と青年を促した。
「あーその、爺さまに言われたからじゃなくて、ちゃんと謝っておかなくちゃとは思ってて……」
「ロビン」
「わかってるって。……ええと、本当にごめん。あの時はあんたがベルトランドの娘って聞いたらいてもたってもいられなくて、つい見に行っちまった。あのときはこんなことになるなんて思ってなかったんだ」
「娘ってはっきりしたわけじゃないんだけど……」
「そうなのか? ベルナルドは兄貴の娘に違いないって断言してたけど」
その辺りを知るのは当人達のみである。ともあれ、ロビンは個人的に謝罪しに来たようで、こうして改めてみるととても若い青年であることが見て取れる。
「収まるところにおさまったし、もう気にしてないから。それよりロビンさんだっけ、あなた私と同じくらいの年?」
「あー……さん付けは慣れてないからロビンで頼む。それと年は二十歳だよ」
「あら、私が十八だから、あなたは少し年上なのね」
「……年下には見えないくらい落ち着いてんなー」
想像より年上だった。傍にいる女性はロビンとは違い一歩引いた態度だが、不快さは感じないし笑顔が柔らかい。
ロビンは気さくな性格で、すぐにこちらと打ち解けた。見ていた絵画にも不思議そうな顔をしながら素直な感想を述べていた。
「芸術とかさっぱりわからないんだけど、その絵ってファルクラム貴族からしたらいいものに見えるのか?」
「……さぁ、私は絵を描かないし詳しくないから、その人にしかわからない良さがあるんじゃないかしら」
「ここに来る奴はそう言って半笑いで終わるんだよな」
芸術は人それぞれなので、うん。
暇なのか案内役はロビンが買ってくれるようである。
こうして話を聞くことができたが、イェルハルド氏の言うとおり、ロビンはベルトランドを父のように慕っている。しかし彼は不真面目なベルトランドとは正反対、根は世話焼きでいい人そうな人柄が窺えた。まるで悪い大人に憧れる少年みたいだといったら気を悪くするだろうか。
それとロビンと話して知ったのだが、モーリッツさんはライナルトと入れ替わりで帰ったらしい。急な仕事が入ったのかな。ちょっと話をしたかったから残念。
「カレンは殿下と仲良いんだっけか。殿下ってどんな人なんだ」
「ロビン、口の利き方を……」
「あ、大丈夫ですよ、ありがとうございます」
早速カレン呼びだけど、気さくで助かるのはこちらも同じ。ロビンは裏表なさそうで、気兼ねなく話せる同年代だから今後も関係を継続したい。
「どんな人、ねぇ。ロビンはライナルト様に興味があるの?」
「そりゃ人並みにあるよ。皇太子はヴィルヘルミナ皇女ひとりだけと思ってたのに、突然皇太子が現れただろ。それがファルクラムを落とした稀代の軍人だの騒がれて、女共はいつ通りかかっただの、目が合っただのきゃーきゃー騒いでる。知らないだろうけど、軍や民間でも受けがいいんだ」
「うーん? ツンケンしてそうだけど、意外と話せるというか。……あ、今日は髪の結び方が可愛らしかったかしら」
「かわ……まとめてただけだろ?」
何故全員揃って不思議そうになるのか。可愛いじゃないか、あの澄ました表情に蝶々結び。
「上じゃ色々言われてるけど、治水工事や仕事もきっちりしてくれるから受けがいい。剣もしっかり使えるって話だし――お、そういやそこの兜サンも行けるクチだよな。わかるぜ、あんたは絶対強い」
ジェフも交えて雑談に興じたのだが、そのうちライナルトに興味を示す理由がわかった。なんと現在のバーレ家、ベルトランド以外の養子二人がそれぞれヴィルヘルミナ皇女とカール皇帝に景仰気味なのだ。ロビンはベルトランドに跡目を継いでほしいので情報収集を行っているのだった。
「他の二人はなー……嫌いじゃないけど実利ばっかりで、ベルトランドみたいに遊びがないっつーか……わり、なんでもない」
女性の一睨みで慌てて姿勢を正した。なるほど彼女のような人が彼に必要なわけだ。バーレ家もなかなか大変なようで、ロビンはうんざりした表情を隠そうともしない。
彼が結構話せる性格だからか、案内がてら色々なものをみせてもらった。この間に知ったのだが、ロビン自体は当主を目指す気はさらさらなく、そのためか好きなように育ててもらったらしい。
「お袋達は当主になりたがってたけど、そのせいで死んじまったからな。剣を振り回してる方が性に合ってるしベルトランドがいたから軍属になったけど、あんな争いをするくらいなら友達と好き勝手につるめる方がいい」
彼の育ちも中々ハードなのだが、それを感じさせない淡泊さだ。
土産を受け取る頃にはライナルトと、彼を見送りに来たベルトランドと遭遇した。おや、と目を丸めたベルトランドが私とロビンを交互に見て頷いた。
「年齢が近い者同士気が合ったようならなによりだ。どうですかな、コンラート夫人。イェルハルド自慢の家は少しは楽しんでもらえただろうか」
「そうですね、見所は多かったです」
「若い者にそう言ってもらえたのならご老体も喜ぶだろう。ま、貴女が私の娘ということは置いといても、良くしてもらえたら幸いですよ」
帰りはライナルトの馬車に同乗させてもらうことになった。ジェフは私たちが乗ってきた馬車でおいかける。揺れる車体に座るのは私とライナルトだけで、彼にはまず礼をいわれた。
「カレンと会話が弾んだお陰で、想像していたよりは当主の機嫌も悪くなかった。ベルトランドと話すことができたのも良い機会でした」
「私は面会を取り付けただけですから、和やかに終わったのでしたらライナルト様のお力ですよ」
「貴方が考えている以上には好印象を与えていたと思いますよ」
こうして褒めてくれるのだから、今日の話し合いはよほど重要だったのだろう。
「そう言っていただけるのならよかった。差し支えなければ教えていただきたいのですけれど、お話は如何でしたか」
「良くも悪くも、といった具合でしょうか。ご老体自体は次代候補に従う方針だ」
「……中立は相変わらずということですね。それでよろしいのですか?」
「方針がわかっただけでも上々ですよ。一日二日で懐柔できる人物ではない」
「無駄足にはならなかったのですね」
ベルトランドは当主になる意志がない。状況的にライナルトは不利だが、不思議と落ち込んではいなかった。
「ベルトランドも今後の帝都情勢を見据える意味では私に興味を示しましたからね。お互い良い相談相手にはなれるでしょう」
「そうやってまた悪巧みするんですね」
「興味がおありですか。仲間はずれが寂しいなら迎えますが、私としては歓迎しないな」
「……いまは結構です。最近ただでさえ人に言えない秘密が増えてきて困っているところですから」
ご当主は後継の方針に合わせるらしくはあるが、色々とくせ者っぽいものなあ二人とも。
ライナルトにはベルトランドと会った感想を求められたのだが、こちらは可もなく不可もなくとしか返答できない。しかし彼には充分だったようで、特に感慨を抱くわけでもない答えに、ライナルトは話しても良いと判断したようだ。
「イェルハルドが言っていましたよ。ベルトランドが育てたわけでもないのに、貴方がたがそっくりで驚いたと」
「やだ、全然似てないのに。それでライナルト様はなんとお答えになったんですか?」
「見た目だけだと濁しておいたが、帰り際に貴方たちをみていたら、ご老体の言うことにも一理あると」
「似てませんってば!」
あんな不真面目さんと一緒にされたら困る。私だってふざけるときはあるけれど、あの人ほど度を越していないつもりだ。抗議すると普段のように静かに笑っていたが、ひとしきり落ち着いたところで訊かれたのである。
茶化すのは許さない、そんな雰囲気があったように感じる。
「それで、なにがありました」
「はい? なにか、とは――」
「気落ちされていたでしょう」
断言するのはやめてほしいけど、この場合は合っていたので声に詰まった。
あの時、屋敷でライナルトと会った瞬間戸惑ったのはほんの刹那の間だったはずだ。
嫌だなあ、なんで見抜いてくるんだろうこの人。