103、魔法使いのシクストゥス
「……へー」
気の抜けた返事になったせいだろうか。シスはあからさまにむっとした表情で額をつついてきた。
「きみはこれがどれほどすごいことかわかってないな」
「全然わかんない」
「いくら趣味が悪いとはいえ、いまの技術でこれだけ大がかりな魔法仕掛けを作るのは不可能だ。それだけは覚えておくといい」
帝国が地下の建造に関わってないのなら、所謂ロストテクノロジーなのだろう。それっぽいことを尋ねると、不機嫌ながらも答えは是だった。
「なんだよもー、頭が良いのか悪いのかわからない子だなぁ」
「エレナさん、シスが本当に失礼です」
「こいつは誰に対してもこうです」
シスは一人水路の側に侵入すると、気に食わない様子で前後左右を見渡す。続いて侵入を試みようとしたライナルトを制すると、器用にも片眉を動かしたのである。
「これは私の部屋に続いていそうだ。ライナルト、どうやら目の塔に行けそうだがどうする」
「繋がっているのか」
「これまでと違って近いのは確かだ。きみが言うところの当たりとなると……ここが正しい門の一つだろうね」
「目の塔か。……皇帝は目の塔にいるか」
「いるね、いつものように最上階だ」
目の塔に繋がっているのはともかく、それがシスの部屋に繋がっているというのがなんとも不可解だった。だがそれ以上に、シスの言葉にエレナさん達があからさまに動揺した。
「……仮に私が向こうで発見されたとしても問題はないが……お前達はどうする」
ライナルトはこのまま水路に突入するようで、エレナさん達は自由意志に任せるようだ。意外だったのはその場のほとんどが、水路の侵入するのに消極的だったことだろう。皆を代表するようにエレナさんが尋ねていた。
「シス、仮に私たちが目の塔に入ったとして、陛下に知られないとなると……無理ですよね」
「きみも知っての通りだ、エレナ。私はきみたちが目の塔に侵入したことをカールに話すつもりはない。けれどカールに「ライナルトの部下が目の塔に侵入したか」と聞かれたら、そうだと答えるしかないよ」
これにライナルトやシスを除く全員が唸ってしまった。主の護衛はしたいが、塔に入るのは避けたいのだろう。『目の塔』は帝都を象徴する建造物だが、その立ち入りに関しては厳しく制限されているようだ。基本宰相でさえ立ち入りを禁じられているのだから余程だろう。
これに対し、ライナルトの決断は早かった。
「必要なのは確認だけだろう、私とシスが行けば問題ない。……ニーカがいると注目を浴びすぎるな。現場はヘリングに任せ戻らせろ」
「殿下! それはあまりに危のうございます!!」
護衛官の悲鳴。彼としてはもっともな叫びだったが、ライナルトは引き下がらなかった。
「もし塔に繋がっているのならこの目で確認したい。お前達が入れないのなら、私が見てくるしかなかろう。……今度は捨て置かれることもないだろう」
「やだな、あのときは私生児だから放置したのであって、皇族になったきみに無礼を働くつもりはないよ」
ライナルト、やっぱり足が軽いよね。護衛官達は、ならば水路内までならと覚悟を決めたようだが、こちらはシスの一声で突っぱねられた。
「つまりボクの部屋の前に集団がたむろする羽目になるわけだ。……断固拒否するね、きみたちがついてくるようなら、ライナルト以外は全力で撒いてやるぞ」
「それなら私は行っても大丈夫?」
着いていかないと思われていたのだろうか。挙手したところで全員の視線が集まって、エレナさんにいたっては目が血走っている。叫べたら正気か、くらい問うていたかもしれない。瞳をまん丸にひらいたシスが首を90度に曲げる。普通に気持ち悪い。
「……カレンお嬢さん、来たいの?」
「案内人がいるなら大丈夫そうだし、水路と目の塔が見られるなら興味あるわ。それに私、協力はしてるけど軍属でもないし……ですよね?」
共犯者だけど正式な部下になったつもりはないし、いまのところその括りに入れるのは微妙じゃない?
これにライナルトはひととおり考えたようだが、しばらくして同意した。
「部下と呼ぶほどの立場ではありません。ゆえに断れはしないが、皇帝は察しが良い。シスは問われれば答えないわけにはいかないでしょう。ですから……」
「いいよ」
食い気味の了解はライナルトをも驚かせた。シスは首を折り曲げたまま、腕を組んでいる。
「シス?」
「だったらボクが個人的に招いたお客さんにしよう。そういう括りを保てるなら……カールは聡いけど、私のことはよく知っているから、間違ってもきみらが危惧する質問はしないはずだ」
「あれ、いいの?」
「……だって、きみ、来たいんだろう」
言うなり「行くよ」といって水路の奥に向かって歩き出す。
「行きますよ、カレン」
「あ……はい!」
続いて水路へ飛び込んだライナルトを追いかけて走り出した。護衛官がライナルトを呼ぶ声と、エレナさんの悲鳴とそれに次ぐ「気をつけて!」という叫びが背後から聞こえるが、振り返る余裕はない。
水路は案の定真っ暗で、いつの間にかシスが手にしていた硝子灯がなければ自分の手足も見えないほどだ。耳を澄ませばどこからともなく水音が聞こえてくるが、自分がどこにいるかはさっぱりわからない。天井もライナルトが腕を伸ばせば手が届くくらいの高さしかないし、息をできているのが不思議なくらいの圧迫感だ。
「ライナルト、きみは彼女の手を握って離すなよ。一度突破したきみはともかく彼女は惑わされやすい。離れたらボクでも簡単には見つけられないぞ」
「わかった。……シス、なぜ彼女の同行を許可した」
するりと伸ばされた手が私の手を掴む。これを離したら出口のない迷路に迷い込むのだろうと思えば、握り返す力も強くなるというものだ。
迷いなく進むシスがいるから不安にならずにすんでいるが、あちこちに曲がり角や十字路が目に飛び込んでくると、こんなの道を知っていたとしても不安になるだろう。ライナルトの質問に、シスは振り返らず答える。
「……深い理由はないよ。ただ、欲無しに純粋な興味で塔に行きたいと言った子は久しぶりだ。それにボクの自由はなにもかもが制限されてる。どいつもこいつも見世物みたいに扱って、腹立たしいじゃないか」
「……それは初耳だな。お前は人が全般嫌いだと思っていたが、人を招くとは思わなかった」
た」
「嫌いだ。大嫌いだよ。特にきみの祖たるシスティーナの一族なんて吐き気がするほど嫌いなのはいまでも変わってない。だからついでに、秘匿や特別が大好きなカールに嫌がらせをしてやりたいのさ」
システィーナ。どこかでうっすら見たような記憶があるような気がするけど、どこだっただろうか。シスと名前が似ているけれど……。
「……あ、初代皇帝?」
「おや、お嬢さんは勉強をしっかりする方なのかな。他国の皇帝の名前なんて、そうそう覚える必要はないのに」
「ちょっとだけ珍しかったから」
初代皇帝が女帝だったからなんとなく覚えていただけだ。それも歴史の教科書の一文にあった程度で、いまのいままで忘れていたくらいである。
「シス、随分迷いがないけど、この道を知っているの?」
「知らない。けれどこの道に限っては私は迷わない。迷いようがないからね」
なんとも頼りがいがある台詞だ。本当に大丈夫なのか心配になったけれど、肩越しに振り返ってきたライナルトは心配すらしていなさそうだった。
「心配せずとも、この場においてシスは裏切りませんよ」
カツン、カツンと石畳に足音が響く。ひんやりとした空気が鼻の奥をつき、身体から体温を奪っていく。
途中、十字路の向こうに水面が見えた。
「ここ、遺跡って言ってたよね。その上に都を作ったなんて、帝国にとってはそんなに重要な施設だったの?」
「随分突っ込むね。ま、いいけど……。そ、遠い昔、まだボクの爺さんが健在だった頃は魔法が使えるなんてごく当たり前の時代だった。離れた相手とも気軽にお喋りできたし、精霊も顕在してたようだからね」
単なるロストテクノロジーにしても、実際はもっと規模の大きなものだったらしい。下手をすれば現代日本のような夢の世界である。
「いまじゃ考えられないような生活を送っていて、ここはその中でも、技術が形として残されている。遺し通したという方が正しいかもしれないけど、ボクが生まれた頃には、魔法なんてほとんど廃れていたから真偽はわからない」
わかっているのは、この遺跡を帝国が確保したかった事実。なぜそんなことをする必要があるのか、質問はすれど涼やかな笑い声で返されるだけだ。
以降、シスは口を閉ざすようになった。ライナルトは周囲の状況を確認しているのか、それとも道順を頭にたたき込んでいるのか、同じく口数が少ない。
私もそれなりに道を覚えようと努力してみたけれど、ちょっと進んだかと思えば十字路が出現してくるので、ほとんど諦め気味である。
シスの背中とライナルトの体温だけを頼りに黙々と歩みを進めていると、どのくらい経っただろうか。
先に異変を感じ取ったのは鼻だ。水路内に漂う埃っぽい臭いとは違う、お香のような優しい香りが鼻の奥をついた。
ある三叉路を曲がると、目の前は行き止まり。ただ、その壁には不思議なことに大きな一枚鏡がかけられている。
「ここだ」
鏡に手をかけたかと思えば、その身体が一瞬で飲まれた。続いてライナルトも鏡に飛び込み、従って彼と手を繋いでいた私も中に入ることになる。
ま、魔法だー! なんて喜ぶ暇はない。
なぜならぱちんと目を開けば一瞬でどこかの広間に立っていた。それだけならまだしも、またもや不可解な物体を目にする羽目になったからである。
――石が浮いていた。
それは八面体の石だった。私の何倍もある大きな石。地面から離れて浮遊しており、淡い緑の光を発光しながら支えもなしに浮いている。岩には幾何学模様じみた紋様が彫られており、まるで文字のような印象を与えていた。
「……え、これだけなの?」
隣にはライナルトがいるが、シスの姿はない。しかも彼の部屋と言うにはあたりは殺風景すぎて拍子抜けだ。だって円状になった広場には外からの明かりも届かず、窓一つついていない。ただ八面体の石が浮かぶだけの空間だ。
ライナルトは真っ直ぐに八面体を見つめている。カレン、と小さく名を呼ばれた。
「誰も来ないとは思うが、声量には注意してもらいたい」
「ライナルト様?」
ライナルトが指さすのは八面体だが……よく目をこらすと、石はほんの少しだけ欠けていた。角のあたりにヒビが入って中を目にすることができる。
「もしかして石の表面を彫っただけじゃなくて、中は空洞なんですか?」
だとしたら随分精巧な細工である。ライナルトから手を離し、おそるおそる八面体に近寄った。近くで見ると、下方が欠けて隙間が生じている。当然だが、中は真っ暗闇でなにも見えない……はずだった。
――突然、人の眼球が出現するまでは。
左右どちらの目かはわからない。八面体の隙間にできた闇の中にひとつの眼球だけが出現したのだ。黒い瞼が何度かまばたきをして、こちらをじっと見据えているが、やがて笑うように目を細める。
『いらっしゃい』
声はどこからともなく響いていた。どこか、と探せば特定はできない。正面左右背後、何処とは特定できない位置からひっそりと耳に届いていたのである。
そしてその声には覚えがある。
「シ……」
大きさこそ特大になっているが、この『目』はあの家で攫われた際、私を助けに来た黒い男と同じものだ。だから自然と、語られずとも目の前の八面体が誰かも瞬時に理解した。
今日は驚かされてばかりの日だ。いや、あの、だって、なんとなく話の流れから、シスは人間じゃなさそうで、あり得ても精霊なのかなくらいに考えてたら……たらさぁ!!
『本体と会うのは初めてだろう。ようこそ、私の部屋へ。目の塔最下層に一般人が入ったのは私が閉じ込められて以来、数える程度だ』
「…………ライナルト様」
「まごうことなくシスです。この箱が彼の本体だ」
箱だなんて誰も思わない。




