悪役令嬢は嵐を呼びました
幼い頃からお転婆だった。運動神経が良く、ちょこまかと走り回って猿のように木に登る。
公爵家の庭は広く、メイドが追い付けない速さで逃げ回り、勢いのまま池にダイブした。
溺れた。
当時、五歳。いくら運動神経が良くても活発でも、泳ぎは教わっていない。
水の中でもがき苦しむうちに、以前にも同じことが…と思い出した。
溺れたことがある。あの時は『学校のプールで、男子生徒にいきなり突き落とされたせい』だった。
あふれた膨大な記憶と現実の狭間で、五歳の脳みそはすぐに限界を迎えた。
目を覚ましてもすぐに気絶するように意識を失い、三カ月も寝込んでしまった。
いっそこのまま寝込んでいたかったが、庭を走り回るほど活発な性質だ。部屋の外に出たい。でも、出たら絶対に巻き込まれる。
乙女ゲームの世界に。
私、チェンター公爵家の娘パトリシアは悪役令嬢だった。
赤毛で瞳の色も赤味がかっている迫力ある美人…に成長予定。
そのことは思い出せたが、いかんせん、ゲームの内容をよく覚えていない。よくある乙女ゲームで魔法学園に入学して、三年間で攻略対象を落とす。攻略対象はおそらく七、八人いて、パトリシアはヒロインをいじめる悪役令嬢の一人で、リーダー的存在だ。
主要キャラの顔と名前はなんとなく思い出せたが、イベントは多すぎて無理。前世の私はパトリシアの婚約者、この国の第二王子であるメイナード殿下が一番好きで、そのルートばかりやっていた。おかげでパトリシアの悪行だけは思い出せたが…。
メイナード殿下は黒髪の真面目キャラで、痒くなる台詞も少ない。ぞわぞわするような台詞を聞くためにゲームをしている人も多いと思うが、私の場合は通勤電車での暇つぶし。通勤途中に恥ずかしい台詞はやばい。顔面が崩壊する。
何度もやったはずだが、転生のせいか細かな設定や台詞は思い出せなかった。前世の記憶だと確信をもって言えるが、細かなところは覚えていたり、いなかったり。学校に通っていたこと、社会人となり働いていたことは理解できても、具体的な家族構成や会社での業務がもやもやしている。
ゲームの内容もそんな感じで、半分以上が抜け落ちている。
ただパトリシアの結末だけは鮮明に思い出せた。
メイナード殿下と親しく話すヒロインに嫉妬していじめまくり、メイナード殿下の卒業イベントで断罪された。
婚約破棄されて激高し、暴れてパーティ会場を破壊した挙句逃亡して、最後は騎士たちに追い詰められて崖から転落。何故か嵐となり豪雨とドカンドカン落ちる雷の中、呪いの咆哮をあげながら。
………大変、激しい女性である。
激しすぎるよ、パトリシア。
そしてこの気質は前世の記憶があったとしてもなかなか抑えきれるものではない。
もちろんいじめなどしないし、弱い者もいじめない。絶対にしないが、おとなしく目立たないように生きられるのかと聞かれたら…、たぶん無理。
屋敷の外に出たいし、元気に走り回りたいし、学校にだって行きたい。
家柄を考えたらメイナード殿下との婚約は避けられず、婚約者となればヒロインとの接触も避けられない。
だって、私は悪役令嬢………、令嬢?
ひらめいた。
そうか、令嬢だから婚約者に選ばれてしまうし、ヒロインとも敵対してしまうのだ。
なら、令息になろう、うん、それならイケそうな気がする。
成長した後、落ち着いて考えてみると無茶な作戦ではあったが、当時五歳。前世の記憶があったとしても五歳の脳みそで、戦闘力は抜きんでて高いが、学力は平均以下。単純思考で考える前に行動してしまう。
その時は良いこと思いついた…とばかりに実行に移した。
五歳にしてメイドを振り切る脚力がある。
そして魔法も使える。
キツイ顔立ちなので、髪を切り男の子の服を着ればオッケー。まぁ、髪は切れなかったけどね。メイドに泣いて止められて、仕方なくひとつにまとめて縛るにとどめた。
服装は『溺れないように』動きやすい服から始めて、成長にあわせて『乗馬のため』『護身術のため』と理由をつけて男の子っぽい服ばかりを着る。
最初のうちは渋い顔をしていた両親だが、二、三年で父から指示が入るようになった。
「この子は武の天才かもしれん。魔力も子供にしては多い上に、覚えが異常に早い。座学は目も当てられないのに」
才能があるのならば伸ばしてやりたいと思うのが親心。か、どうかわからないけど、父の許可が下りれば母も従うしかない。
武術、魔術に関しても専門の教師がつき、体格差による不利を魔法で補う技も身につけた。
そして十歳になる頃には立派な貴族令息が出来上がっていた。
「はじめまして。チェンター公爵家のパトリシアです」
一歳年上のメイナード殿下は少し戸惑ったように『よろしく』と答えた。
「その…、今日、会う相手はチェンター公爵家のご令嬢だと聞いていたのだが」
「はい。私はチェンター家の子です」
「公爵家には確か…」
「兄が二人います」
「そうか」
「私のことは長女ではなく三男だと思っていただければ。殿下の剣となり、盾となり、必ずお守りいたします。あいにくと…、頭の出来はアレですが、身体能力と魔力には自信があります!」
「………」
混乱しているようだった。しばらく考え込んだ後。
「何故、君はそのような姿を?」
「女性らしい行動の全てが苦手で、放棄しました。今は乗馬と剣術、体術、それから魔法も教わっております」
「一人で馬に乗れるのか?」
「遠乗りもしますよ」
破滅エンドで国外逃亡もあるかもしれないからね、馬でいけるところまで行った後は、自力走行だ。脚力も鍛え、補助するための身体強化魔法も覚えた。
最後の最後、本当に頼れるものは己の身についた力のみ!
「遠乗りもできるのか?私はまだ許されていない…」
「では、殿下が遠乗りされる際にはお供しましょう」
コクコクと頷く。
「他には?剣術はわかるが…、体術とは具体的に何をするのだ?」
私自身についている護衛を呼ぶ。
「殿下が体術を見たいそうだ」
「では派手なヤツがよさそうですね」
「そうだな」
この国では柔道、空手…といった呼び名はなく、すべて体術とされているが、厳密には流派?がある。デモンストレーションならば空手のように打ち込みや蹴り技があるほうが良いだろう。
「お嬢、身体強化魔法、かけてくださいね」
「おまえに蹴られるほど鈍くない」
「だから、オレに。お嬢の蹴り、まともにくらったら骨がいかれます」
「私に技を教えたのはおまえだろう。避ければいい」
「いえ、それだと見ているほうがつまらないかと」
ちょっと考えて、確かに…と身体強化魔法をかけてやる。これで技がまともに入っても、骨折まではしない。
「では、やるとするか」
軽く体をほぐした後、護衛と組み手を始めた。
実戦ならば大技は命取りだが、他人に見せるのならば派手なほうが良い。飛び蹴りとか回し蹴りとか。大きな男相手なので、自身に風魔法を使って空を飛び、斜め上から蹴りをいれる。
護衛の男が吹っ飛んだところで終わらせた。
「こんな感じです」
殿下は目をキラキラさせていた。
「すごいな。かっこよかった!」
「実戦ではこんな派手な蹴りは使えませんが、護衛とは何度も稽古をしているので可能です。習い始めの頃は派手な技ばかりやりたがり、何度も痛い目をみました」
殿下がくるりと振り返って自分の護衛に聞く。
「どう思う?」
すこし戸惑いつつ答える。
「殿下にお見せするために派手な技で構成していたとは思いますが、それを差し引いても素晴らしい身体能力と技術かと思われます。特に体の動きを補助する魔法の使い方が素晴らしい」
「魔法、使っていたのか?」
「身体強化と防御、それに高く飛ぶため、着地の際に風魔法を使っていたようです。蹴りの威力を損なわない完璧な調整です」
その通り。パトリシアは戦闘力が異常に高い。なんせパーティ会場を一人で大破するほどで、逃亡の際には騎士が何人もやられている。令嬢としての教育しか受けていなくても、歩く破壊兵器である。
ほんと、悪い意味で強すぎる。
たぶん…、今、ヒロインと戦ったらパトリシアが圧勝してしまう。己の戦闘センスが怖い。そのうち赤髪が金髪になってスーパー〇〇人に進化しそう。
「パトリシア嬢はすごいな…」
「令嬢としては失格ですが、殿下の騎士にはなれます。同じ学園に通う際には、護衛としてお側に置いていただければと思います」
メイナード殿下は少し考えた後、頷いた。
これで婚約回避できた。と、思っていた。実際、父からは婚約したとは言われなかったし、誰からも説明がない。貴族としての教育、令嬢としての作法教育から完全に逃れられなかったが、武術訓練も続けてよし。と、言われたので我慢して受け入れた。
男装も止められなかったので、学園には男の制服で通った。
女性にしては背が高いほうだし、胸にはさらしを巻いている。きつい顔立ちなので違和感があまりなく、私を見てぽーっとのぼせてしまうご令嬢も多くいた。
わかる、わかるよ。男装の麗人ってときめくよね、是非、ときめいてくれ。そしていざという時は味方になってくれ。と、ばかりに優しくした。
「パット様、お菓子を作ってきましたの」
「私、刺繍が得意で、パット様を想いハンカチに刺しましたの」
「パット様、是非、我が家のお茶会に来てくださいませ」
パトリシア嬢ではなく、パット君はモテモテである。
中には成績優秀、特待生として入学してきためっちゃ可愛い子もいてウハウハだ。可愛い女の子の手作りお菓子、美味しい。
貴族としての付き合いや駆け引きがあるし、嫁に貰ってはやれないため自重はしているが『凛々しく優しい男』としてふるまうよう心掛けている。
ご令嬢達も絶対に自分を傷つけない『男』は、疑似恋愛をする相手として最適だ。
一線を越えても子供はできない。
いや、越えないけどっ。かっこいいパット君でいる自分も好きだが、そんな趣味はない。
誰にも言わないし悟られてもいないと思うが、普通にメイナード殿下の事が好きだった。
男装をあっさり受け入れてくれたし、強いことも褒めてくれる。
それもとびっきりあまい笑顔で。
「パトリシアが居てくれるおかげで自由に動けるよ。本当にパトリシアはいい子だね」
こんな台詞を言われたら、もうっ。
背中が痒くなるような台詞は少ないが、乙女ゲームの攻略対象となるほど凛々しい美形だ。何気ない仕草、台詞で私のハートを狙ってくる。そういった意味ではないと思うけど、信頼されているのは間違いない。
常に側にいて、どこへ行くにも一緒だ。
鎧を着た護衛とは異なり『ご学友』にしか見えず、実際、街の人達にも『貴族の息子達が遊びに来た』としか思っていない。護衛を多く引き連れた他の王族に比べると、かなり行動の制限が少ない。
「メイが羨ましいよ。私の学生時代は自由に動けなかった」
「兄上は王太子ですから立場が異なりますよ。ま、それを差し引いても私のパトリシアは優秀ですが」
「恐れ入ります」
控えめに答えつつ、心の中では『でしょ?』と大はしゃぎである。
パトリシアの武勇は王太子であるマティア殿下の耳にも届くほとだ。今やパトリシアを女と侮る者はいない。
物理的にぶっ飛ばされるから。
「王室の隠密に指導するご令嬢など前代未聞だよ」
マティア殿下にクスクス笑いながら言われる。
そう、私の能力は騎士ではなく隠密の皆様にも活用していただいている。うっすら残った前世の知識から探索、隠蔽、感知…等々、繊細な調整が必要な魔法を多く開発したが、こういった魔法は騎士道精神とはかけ離れている。
騎士は正面から正々堂々と戦うものだ。その戦い方でもパトリシアは強いが、普段はメイナード殿下の護衛なので常に探索魔法を展開し、不審な者が近づかないか警戒している。
今も隠れている護衛の位置と動きは把握している。王太子には四人の護衛騎士と別に陰に四人、メイナード殿下は陰に二人。
私が側にいる時は護衛騎士をつけていない。
メイナード殿下のパトリシアに対する信頼がわかるよね。
「私達は王太子、いずれは王となる兄上を支えるためにいます。パトリシアがいればどこにでも行けます。兄様は安心して城でお待ちください」
破滅エンドは遠慮したいが、外交のための国外行きや、国民のために魔物と戦うことは受け入れている。実際、パトリシアにはその力があった。
前世の平和慣れした記憶のせいでもっと恐怖心があるかと思ったが、戦闘に関しては強心臓。怖いと思うよりも先に体が動く。魔物を殺すことに抵抗はあるが、必要なことだとどこか冷静に受け止めている。
殺さなければ、殺される。この世界にはそういった生き物が…、人間も含めて多く存在している。
マティア殿下とは王宮内での立ち話で、公務があるからと立ち去った。
その後ろ姿を見送った後。
「兄上にはああいったが、パトリシアを危険な目に合わせたいわけではないからね」
「わかっております」
「本当は…、護衛もさせたくないけど、残念ながらパトリシア以上の適任がいない」
その通りだ。パトリシアより賢い者達は多くいるが、強い者はいない。何人かに挑まれたが、すべて軽くいなしている。
パトリシア、ほんと、最強すぎる。生き延びて、続編のラスボスとして登場してもおかしくない。
「私は殿下の剣であり、盾であることを望んでいます。殿下がご結婚された後も、護衛は続けたいと思っております。どうか末永くお側に置いてください」
「うん…、君ならそう願うと思っていたから、そのつもりで根回しはしている。ただね、結婚後も男装はちょっと外聞が悪いから」
男装したままのほうがお嫁さんに誤解されないと思うが、男装したままだとお嫁さんが私に惚れる恐れがある…か?いや、ないとは思うが、新妻が男装の麗人を侍らせていると思われかねない。
誤解されにくい服装といえば…、侍女か。メイド服ならおかしくないかな。
戦闘用のメイド服を作ってもらった。ぱっと見た感じは王宮で働くメイド達と変わらないが、見えないところでの装備が異なる。
「まず、袖に仕込みナイフとワイヤー、靴も足先に強化素材を使い、踵は蹴りの威力が増すよう重くしました。それからスカートの下ですが…」
殿下に装備を自慢…、いや確認してもらおうとしたところ、慌てて止められた。
「ま、待って、まくらなくていいからっ」
「でも、本当に凄いのはスカートの中で………」
「わかった、大丈夫、報告は聞いている」
そうか。見せたかったのに。太ももに装着した特殊警棒ホルダー。
警棒はシャキンッ…と伸びて剣になるのだ。電気を帯びやすい素材にしてもらったので雷魔法と合わせたら一振りで五人は戦闘不能にできる。
「メイド服姿も可愛らしいかと思って許可したけど…」
「ですよねっ。王宮のメイド服が可愛らしいので、チェンター公爵家のメイド服のデザインも変えてみました。同じにはできませんが、胸元とか…。この、胸を強調するようなエプロンのデザインは特に素晴らしいです、誰でも巨乳に見えます!」
「………うん」
控えめに同意された。殿下も男の子だものね。女の子に興味を持ってもおかしくないが、真面目な性格だし立場もある。
「殿下、もしかして気になるご令嬢がいたりします?」
勢いよく顔をあげて、全力で否定された。
「いない。いるわけがない」
「そう、ですか」
でも…、既に学園には通っている。ヒロインとの接触はないのだろうか?
ヒロインがどんな女の子かわからないが、きっとすごく可愛くて才能があって性格も良いはずだ。
成績優秀で学費免除の特待生とかかもしれない。勉強ができる上に、女の子らしい趣味ももっていそう。
パトリシアはあまり器用なほうではなく、刺繍を刺せば謎の物体ができる上に、いつの間にか他の布を巻き込んで刺している。詩集を読めば三秒で眠り、花を活ければ翌日には枯れる。もっとも家人の反対にあったのがお菓子作り。
カマドが爆発した。何故、爆発したのか謎だが、二度と厨房に入らないでくれと料理人達に泣いて頼まれた。
逆にヒロインは刺繍とかお菓子作りとか得意そう。見た目もふわふわした可愛らしい子…のはず。
嫉妬なんかしてはいけない。それは破滅の道とつながる。
殿下が誰を選んだとしても自分は剣として、盾として、騎士道精神で一生を捧げよう。
ヒロインがよくわからないまま、平穏な学園生活は過ぎ、殿下の卒業が近づいてきた。
殿下は一歳年上だが、私は護衛として特別に同じ年での入学を許可されていた。貴族の場合、学力は家庭教師がなんとかしてくれる。そしてこの学園の最大の特徴、魔法に関しては教わるべきものがない。
魔法の実技はメイナード殿下を抑えてトップだった。
殿下をたてるべきでは…と思ったが。
「私のパトリシアがどれほど優秀か示してほしい」
なんて言われたらね。
単純なパトリシアの脳は『殿下に期待された』とお花畑になり、張り切ってぶっちぎりトップの力を見せた。でも頭の中身はポンコツなので、乙女ゲームでは脳筋騎士ポジションってところか。
入学してすぐに騎士団長の息子に『女のくせに生意気な』と喧嘩をふっかけられたが、秒殺してご退場いただいたのでそこに収まった感じ。
ちなみに賢い側近、侍従候補達は最初から私の事を受け入れてくれた。気の弱い子が『し、死にたくない、まだ死にたくない…』と呟いていたが、失礼な。可愛い男の子を殺す趣味はない。
私が吹っ飛ばすのは権力を笠にきて威張り散らす者、魔力や腕力で弱者をいたぶる者だけ。破滅回避のために弱者を守って好感度も上げてきた。
殿下の卒業とともにパトリシアも学園を去るが、破滅エンドはない。
確信している。何故なら。
「あなたは…、どうして殿下の卒業パーティでドレスを着ないの」
母に言われて『護衛だから』と答える。
「ひらひらした服は動きにくいのです」
「でも、パーティなのよ?」
「まぁ、そう言うな。このことは殿下も了承されている」
そうなの。メイナード殿下がいいよって言ってくれたの、ほんと、大好き。
おかげで殿下とお揃いに見える騎士服っぽいものとなった。特注品のヒールブーツを履いているため足が長く見える上に背も高くなっている。我ながらかっこいい。
「殿下も何がよくてこんな子を…」
そりゃ、強いからに決まっている。
準備が整ったところで殿下が迎えに来てくれた。いつもならば私が王宮にまで迎えに行くのだが『今夜は特別』なのだそうだ。
卒業だからかな。
今夜の殿下もとても凛々しくかっこいい。
「パトリシアの男装も見納めかな。いや、結婚をしても乗馬服ならありか」
「殿下の護衛を続ける限り、男装はやめませんよ」
「うーん、では王宮内では許可しよう。公務で外に出る時はドレスだよ」
「外の方が危険は多いのに…」
「公務となれば他に護衛が多くつく」
手を差し出されて、ポケッと見つめてしまう。
「エスコートはさせてくれないの?」
エスコート…、そうなるの…か?何か変な感じもしたが、素直に手を乗せた。並んで立つと頭半分、殿下の方が大きい。
見上げると、目が合う。
「卒業後の予定は…」
「すぐに公務が始まるけど、結婚式は早めにとお願いしてある」
「そう、ですか」
メイナード殿下の結婚。相手は誰だろう?
「楽しみだね。ウェディングドレスはもう準備に取り掛かっているから。兄上よりも早く結婚するのは申し訳ないが、私が我慢できそうもない」
「殿下…、そろそろ出発されませんと」
父の咳払いで慌てて馬車に乗りこむ。お忍びではないため王家の豪華な馬車だ。
殿下が結婚されたら、私は騎馬で付き添うことになるのかな。それはなかなかに苦痛を伴いそうで、周囲が落ち着いたら隠密部隊もいいなと思っていた。
学園の卒業パーティは社交の場でもあるためとても華やかだ。学園長の挨拶や卒業生代表であるメイナード殿下の挨拶も簡単なもので、あとはダンス、会食の場となる。
ゲームではパトリシアが大暴れしたせいでトラウマものの悪夢となったが、きっと大丈夫。天候も乱れ…ないはず。
そもそもこの国は雨の少ない乾いた気候なのだ。王都は海に面しているが、少し離れれば乾燥した草原地帯が続く。山も遠く、森も少ない。その分、魔物も少ないのは助かるが、雨量が少なすぎると農作物の収穫に影響が出る。
この国を支えている大半の人が農民だ。収穫が減れば困窮により混乱が起きる。
そのため日照りの際には王宮にいる魔法師が駆けつけて強制的に雨を降らせていた。
なのに、豪雨に雷って、パトリシアの最期を壮絶なものとするためだとしても無理矢理すぎる。
心の中で何度も『大丈夫』と繰り返す。
そもそも婚約をしていない。婚約者だからと付きまとっていたわけではなく、あくまでも護衛のために側にいた。
「パトリシア、ダンスは踊れるよね?」
「もちろん。私は頭を使うことはさっぱりですが、体を使うことに関しては恵まれましたので。ダンス教師も褒めてくださいました。男性パートも完璧です!」
「うん、女性パートは?」
「できますが…」
「私達が踊らないと、他の皆が踊れないからね」
夜会では出席した貴族の中で一番、高位な者から踊ることが多い。今回はメイナード殿下しかいない。
「私でよろしいのですか?」
「他に誰がいるの」
苦笑しながら手を引かれてホールの中央へと出ると、嫌でも視線を感じてしまう。
いや、今はダンスに集中せねば。
キリッと気を引き締めたが…、近い。殿下が近すぎる。
「あ、あの…」
「ダンスを踊るのに離れてどうするの」
「しかし」
「こっちを向いて、目線を合わせる。習ったよね?」
ぶわわ…と頬が熱くなった。いや、耳まで熱く手足が震える。
「あ、あの…」
「早く結婚したいね」
「は…、あ?」
「子供は何人がいいかな。パトリシアは何人ほしい?」
「私は…、考えたことがないので。殿下の護衛騎士として一生を終えるつもりです」
「ではその辺りは私が考えよう」
「あの」
「何?」
ほんと、顔が、近い。こんなに近づいて踊っていたら誤解される。
………誰に?
殿下の婚約者ってそもそも誰?ヒロインは?
ダンスが終わったらあれこれ聞こうと思ったが、立て続けに三曲も踊ってしまい、そこでやっと自分が婚約者である可能性に気が付いた。
ダンスの後は一か所にとどまってひたすら挨拶を受ける。私も少々、混乱していたが周囲に気を配りつつ、にこやかに定型句を口にする。
今回は卒業の挨拶となるためそんなに頭を使わなくても良い。
何事もなく終わりそうだ。婚約者である可能性については帰ってから父に確認をするとして…。
とても可愛らしい少女が近づいてきた。
「ご卒業おめでとうございます」
特待生として入ってきた少女だ。私も何度か話したことがある。この子がいじめられているのを助けたことがあり、以来、とてもなついてくれた。今日も可愛らしい。そしていつも美味しいお菓子をくれ…た。
ザザッと映像が頭の中で流れる。
あれ?でも、それって…、彼女がメイナード殿下に渡すエピソード…。そう、スチールでは。
「パット様…、あの…、私のような身分の者がお尋ねするのは不敬とは思いますが、皆も気にしているので…」
下位貴族の代表として聞きにきた。
「その、メイナード殿下とパット様はご婚約されているのでしょうか?」
して…いるのか、私も聞きたい。そして婚約していた場合、婚約破棄イベントが発生するかもしれない。その可能性に血の気が引く。
大丈夫、気をしっかりもって…。
「パトリシアは卒業後、王子妃となる。今日まではパットと呼んでも良いが、明日からはパトリシアと呼ぶようにね」
「は、はいっ。失礼いたしました」
ヒロインが顔を真っ赤にして頭を下げる。それから私を見て。
「パット様のことをずっとお慕いしておりました。これですっきり諦められます。今までありがとうございました。殿下とお幸せに。微力ながら、お二人の力になれるよう、治癒師としての腕を磨きたいと思います!」
お、おう…、ヒロインだったのか。ヒロインだと思って見れば、光を弾くハニーブロンドも潤んだエメラルドの瞳も納得の輝き。おまけに声もとっても可愛い。
「君は…、私の癒しだったよ。今までありがとう」
思わずそう告げると、ヒロインは小さな声で『やっぱり、好き…』と呟いた。
こうして破滅フラグは叩き折られ、卒業パーティは何事もなく終わった。
天候も快晴のまま。夜空に星が瞬いていた。推測するに、パトリシアの魔力暴走により天候が乱れたってことか。どんだけ激しいんだ、パトリシア。天候まで操るとか、人間としての枠を超えている。
しかし、もう心配はいらない。婚約者と言うポジションには戸惑うが、破滅フラグはヒロインが潰してくれた。ヒロイン、マジ、ヒロインである。
今日からは悪役を返上した普通の令嬢パトリシア。卒業と同時にドレスで動く訓練が始まり、マナー教師と母に毎日、こってりみっちり絞られている。王宮にあがっても作法に関する教育ばかりで倒れそうだ。
慣れないドレスで転びそうになったが、メイナード殿下が危なげなく支えてくれた。
「大丈夫?」
「は、はい、なんとか」
護衛として側にいたが、殿下自身もかなり鍛えている。体格にも恵まれているため、力もかなりある。ゆえに今も護衛の人数は少ないまま。
「剣術と体術の稽古を減らされてしまいました」
「女性としてのマナーが身につくまでの辛抱だよ」
案内されて殿下の私室に入る。未婚の男女が二人きりになることは良くないが、男装時代もよく二人きりになっていた。知らなかったが十歳の頃から婚約していたため、周囲の扱いは婚約者ではなくすでに『嫁』だ。
私だけが気づいてなかった。
残念な脳みそは『聞いたまま』『見たまま』しか理解できない。言葉の裏を読むのは苦手だ。
メイドが用意してくれた紅茶を飲みながら一息つく。
「殿下はまだ剣の稽古を続けているのですか?」
「もちろん。婚約者より弱い…のは今更だが、初夜には君を抱き上げてベッドに運びたいからね。その程度には鍛えている」
「そ、そう、ですか」
「結婚式が楽しみだね」
「そう、ですね」
「ところで…、そのドレスの下にも武器を仕込んでいるの?」
「はい!」
そうなの、そこはやめられないものね。常に太ももに特殊警棒ホルダーを仕込んでいる。それ以外については開発中だ。ワイヤーや仕込みナイフをいかに美しく安全に収納し、素早く取り出せるようにするか。体格で劣るため飛び道具も欲しいし、それを補強する魔力を圧縮、増幅させる魔道具も欲しい。
嬉々として開発中の武具の説明をしていると。
「そう、じゃ、見せてくれる?」
「まだ開発途中で…」
「その、スカートの中に隠されたものを」
穏やかな口調と、穏やかな表情。以前ならば『はい、どうぞ』と言えたが、今は…。
下着の上からホットパンツのようなものを履きそれにホルダーを装着しているが、ほぼ生足である。
「………え?」
狼狽える私を引き寄せて、耳元でねだられる。いや、無理だから。そんなの、無理…。ちゅ…と耳もとで音がして、真っ白になった瞬間。
いきなり雷が落ちた。
窓の外から悲鳴が聞こえて、私達も慌ててテラスに出て確認をする。幸い怪我人はいないようだが、いきなり落ちた雷に大騒ぎだ。局地的に雨雲まで発生している。
さっきまで晴れていたのに。
ドキドキする私の心に連動するように雨雲が育っている。気のせいだと思いたいが、抑えようとしても魔力の流れが乱れたままで落ち着かない。
「あの…、すみません」
「何が?」
「今の、たぶん私です。激しく動揺するとどうやら豪雨や雷を呼ぶようで…」
「………え?」
今度は殿下が狼狽えた。
「冗談…、ではないか。いや、パトリシアの魔力量ならあり得るな」
「すみません…」
殿下に迫られた程度で落雷では、この先が思いやられる。夫婦生活も難しい。結婚相手は王族だ。夫婦生活の拒否は…、ふ、夫婦、生か………。
今までは忙しくてそれどころではなく、二人で過ごしていても殿下と護衛…といった雰囲気だった。しかし、これからは違う。
婚約者ってことはつまり、現在進行形で『恋人』でもあるわけで?
ぶわっと頭に血がのぼったタイミングで雨が降り始めた。これはもう間違いない。
私のせいだ。
「あの、やっぱり私は護衛騎士としてお側に…」
「待って。ここまで我慢してきたのにこんなことで延期なんて…」
真剣な顔で考え込んだ後、パッと笑った。
「大丈夫。パトリシアは安心してお嫁においで。きっとうまくいく。ただ…、新婚生活は王宮ではなくあちこち旅行しながらになるけど」
私達は結婚早々、新婚旅行というか視察旅行に出発した。目的地は日照り続きの町で、私達が泊まりに行くと不思議と雨が降った。
いや、不思議でもなんでもないんだけどねっ。
私を動揺させて雨を降らすの、やめて、確かに魔法師を何十人も送るよりお手軽だけど。しかも殿下の裁量で確実に降っちゃうけどっ。
「本当に私の嫁は可愛くて強くて、しかも役に立つ」
スチールではわからなかった悪い笑みを浮かべて近づいてくる。
「ほら、逃げちゃ駄目でしょ?」
「あの…、それで、何故、私はメイド服を?」
旅行の衣装箱の中に何故かメイド服が紛れ込んでいた。間違いかと思ったが、どうやら殿下の差し金らしい。
「男装もいいけど、これもいいなって思っていたからだよ。あの時はスカートの中を見られなかったけど…、今日はいいよね?」
良くない。
全力で否定しようと思った瞬間、雷の音が聞こえて雨が降り始めた。ちなみにこちらの世界に避雷針などというものはないため、安全性を考えて宿泊する場所は民家から離れた場所にしている。領主の館とか別荘とか。
屋敷の外から『雨だ!』『本当に降り始めた』と使用人と思われる者達の歓喜の声が聞こえてきた。
「ね、パティ。そのスカートをまくって、見せて?」
こうしてパトリシアは立派な王子妃となり、その気さくな性格と男装姿から国民に大変な人気者となった。凛々しく勇ましいパトリシア妃。国内最強を誇っていたが、しかしメイナード殿下には負けっぱなしだとか。
そしてメイナードは。
「パトリシアに勝てたことなんて一度もないよ。ほら、惚れたほうが負けって言うだろ?」
ほほ笑む殿下の横でパトリシア妃は真っ赤になっていたが、もう雷が落ちることも雨が降ることもなかった。
そう…、この程度では。
どの程度で天候が乱れるのかはメイナードだけが知っていることだった。
コミックライドアイビーさんにコミカライズしていただきました。ありがとうございました。