そこにあるものは……
ミールの気迫にすごすごと下がるリベリオ。
昨日のポローシェ侯爵と相対したときと同じような怯えの色が彼の眼には浮かんでいた。それでも出ていかない。少しの間、にらみ合いが続いたが、ミールが舌打ちをすると、飛びあがって、尻尾を巻いて店から出ていった。
「ありがとうね、ミール」
一度のみならず二回も他人に頼ってしまったドーラは、ため息をついてへなへなといすに腰掛ける。ミールはかがんで、そんな彼女の頭を優しくなでる。早くに故郷から二人で出てきた二人には兄弟とも友達ともつかない絆がそこにはあった。
「いや、礼には及ばん。むしろこれが俺の仕事だ」
その言葉にドーラは思わず笑ってしまった。まさか、短期間で同じようなことを言われるとは。
「ふふふっ」
「うん? なんだ」
「ポローシェ侯爵のようだね」
今のミールの言葉は、先日のポローシェ侯爵の言葉と言い方までもそっくりだった。そう答えると、少し嫌そうな顔をするミール。
嫌いではないのだろうが、上司と同じような口調とは言われたくなかったのだろう。
「そうか?」
「うん、考え込む姿とか結構似てる気がするよ。多分、ずっと侯爵様のそばにいるからうつっちゃったんじゃない?」
「そんなもんか。ま、俺が侯爵サマを呼びにいくまでもなかったな。じゃ、状況報告しに行きますか」
「お願いします」
ポローシェ侯爵家に行くのは男の役割。
そう言わんばかりにお前は店のことをしろとくぎを刺されてしまったドーラは少しふくれっ面をしたが、それはある意味、愛嬌によるもの。
どうしても自分が報告しに行きたいとか、そういった意味はない。それを理解しているからこそミールもなにも言わない。ドーラが店に戻るのを見届けてから、彼も行くべきところへ向かった。
「っていうことがありました」
急いでポローシェ侯爵邸に行き、事の顛末を主に話したミール。彼の雇い主――ポローシェ侯爵は考えこんでいるが、打つ手がないわけではなく、ただどうやって証拠を提出すればいいのか迷っているようだった。
「そうか。だが、まだ徹底的に落とすには足りんな」
「ですねぇ」
もちろんすでに調香師に脅迫をするという罪状があるが、刑法的には弱い。せいぜい数か月の業務停止ぐらいが妥当だろう。しかし、第二の娘のような存在あるフェオドーラが精神をすり減らしていたということを考えると、ポローシェ侯爵としては生ぬるい。
だから、なにかもっと効果的――営業免許のはく奪や国外追放などの措置を取るためにはもう少し強い罪状が必要だ。
「そういえば、シーズンオフはお茶会もなにもありませんでしたっけ?」
「どういうことだ」
ミールの提案に頭の中で電卓をはじき出す侯爵。強い口調で尋ねながらも、前のめりになっているのはその証拠だろう。
彼はニヤリと口元だけ笑みを浮かべながら、ある提案をする。
「お茶会があれば仕込めるかなぁって思ったけれど、無理ですよねぇ」
「なるほどな。あるにはあるぞ」
秘書の提案に面白そうだなと頷く侯爵は、ある人物が開く茶会を思いだしていた。
「マジですか?」
「ああ。ツェンバルの野郎が開くのが明日にある。私は参加しないが、おそらく公都の商工会メンバーだから、招待状が届いているはずだ。おそらく今日の一軒で私を正攻法で落とすことはできないと踏んでいるリベリオはツェンバル男爵に縋りつくだろう。だったら、その手を使わせてもらおう」
ツェンバルの野郎――ツェンバル男爵はポローシェ侯爵と同い年の貴族で、第二級認定調香師の資格を持っている。爵位が全然違うことから、侯爵は男爵のことを歯牙にもかけてないが、ツェンバル男爵のほうは調香師の資格を持たないのに調香院の理事を務めているポローシェ侯爵のことが気に入らないようで、事あるごとに反発してくる。そのため、なにもなければただの貴族同士だが、会議では男爵にあまりいい印象を持っていないというのが実情だ。
そんなツェンバル男爵の茶会はいつも独特で、貴族同士の交流のためではなく、商人をよく招き、“投資”を試みているらしいという噂がある。
「まさか、大公殿下も巻き込む気で?」
しかしその場合、調香院内部の派閥争いという形にもとれ、そのあおりを調香院長と調香師を管轄する大公が食らう。
そうなればポローシェ侯爵も下手するとなにか処罰を食らう可能性がある。
そうミールは指摘したが、ポローシェ侯爵はへっちゃらな顔をしている。
「しかたなかろうよ。それぐらいあいつはあほなことをしでかしてくれたんだからな」
そうミールに言う侯爵の顔はすでに勝利を確信したようなものだった。
※
翌日、ポローシェ侯爵にもフェオドーラにも袖にされたリベリオは、第二級調香師とはいえ、そこそこエルスオング大公国内の調香院で影響力のあるツェンバル男爵のもとを訪れていた。
「話とはなんだ」
「ツェンバル男爵様に折りいってお願いがあります」
茶会に出席するという返事を出さずに、急きょ屋敷に押しかけてきた商人に不快感を示しながらも話を促す銀髪の男爵。窓際に立ち、太陽に照らされた銀髪はまばゆいもので、どこか支配者の雰囲気を醸しだしていた。
リベリオは男爵の不機嫌さに気づきながらも、目的のためならば気にしていられない。
「『ステルラ』の調香師、フェオドーラ・ラススヴェーテを男爵様に引き抜きしていただきたいのです」
「それは……ポローシェ侯爵にケンカを売れと?」
『ステルラ』の若き調香師がポローシェ侯爵の庇護下にあるということは当然、男爵も知っていた。もっとも彼こそがそのきっかけになる出来事を作った人間なのだから。
しかし、ツェンバル男爵の生きざまはリベリオが知るところではないし、それを気づかせるような生ぬるい性格の持ち主でもない。
「できません……――でしょうか」
「馬鹿を言え。名目ならいくらでもある。だが、忘れちゃいかんさ」
あえて弱腰に見せかけた男爵を挑発するようなリベリオだが、男爵はフッと笑う。その無敵の笑みになにをです?と訝しんだ。
「調香師の管理は大公殿下。お前には彼女を引き抜く大義名分はあるのか? 大公殿下を納得させられるような理由はちゃんとあるのか?」
「ええ。浸出油と簡易マッサージの五大公国内への普及ですね。そうすればある程度の癒しを求める人たちに行き届くと思います」
一瞬、リベリオはしまったという顔を見せた。調香師の管理はエルスオング大公という事実を忘れていたのだ。すぐにその失敗を取り消すべく、きちんと男爵の質問に回答する。しかし、男爵のほうが一枚上手だった。
彼はリベリオの表情がすぐに出るという欠点を見抜き、ポローシェ侯爵を追い落とすためにこの男を使うのは使えないということをすぐに判断した。
「なるほどな。たしかにそれは大義名分になるかもな。まあ、アポイントメントぐらいは取ってやってもいいから、自分で説得してきなさい」
「ありがとうございます」
だからリベリオの手助けはするが、自らは動かないという選択肢を取ることにしたのだが、リベリオはそれが自分にとって救世主であり、男爵こそ自分の使える主にふさわしいと誤断してしまった。





