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 ジーナの“願い事”から四日後。

『ステルラ』の調香師へ依頼がしたいと約束を付けたリベリオは、さっさと契約を済ませるべく契約書を持って店へ意気揚々と乗りこんだ。

 いくら“調香師”という資格が難関であるとはいえ、商売や契約、調香にかかわる法律以外には無知だろう。そんな思いこみをリベリオはしていた。

 が、そこには先客がいて、若き調香師と話がしたいといったのにもかかわらず、その先客――服装からして大公家とつながりのありそうな高位の貴族は去ることをしなかった。


()の店の商品に用があるというのは君のことか」

「え、ええ……――そうです。マルレンディ商会の代表を務めておりますリベリオと申します」


 それどころか、その先客は『ステルラ』のオーナーだと言う。まさかと思って調香師を見ると、高位の貴族の後ろにそっとたたずんでいた。

 まさか自分は相手にしてはいけない人を相手にしてしまったのか。

 そんな不安がリベリオにはあったが、後には引けない。それに、もし相手にしてはいけない人だとしても、自分は商人。うまく(・・・)取りこめばいいじゃないか。


「初めて聞く名前だな。で、なんの商品に興味があるのかね?」


 先客――名前はポローシェ侯爵といったか。

 五十がらみの男は目を細めてリベリオをなめるように見る。

 帝国でもそうだが、貴族の連中は成り上がりの自分を見くびっている。けれど、自分には財力(ちから)がある。だから、この男だってすぐに落ちるだろう。

 そう心の中で評していたリベリオは気づかなかったが、彼はすぐ表情に出る。ポローシェ侯爵はころころとかわる表情から、彼の思惑をすでに見抜いていた。

 しかし、大公家の懐刀のポローシェ家の家長。

 こちらは一切、表情を表に出さずに、ただ鷹揚に笑っただけだった。


「えっと、あの、ここの化粧水と美容液、カモミール浸出油が評判だと聞いておりまして」

「ほう、そうなのか」

「今、初めて聞きました。うちではオーダーメイドでしか美容液も化粧水も出してないので、あまり気にしたことがありませんでした」


 リベリオは自分が主導権を持てないことが苦手だ。品物をこちらに卸してもらうためには、自分に有利でないと利益につながらない。その主導権を奪い返そうと試みたが、不発だった。ポローシェ侯爵はただ鼻で笑い、調香師も作ったような(・・・・・・)驚きしかしていない。

 しかし、一度切ってしまった手札をいまさら引っ込めるわけにはいかない。

 リベリオはもうそれをゴリ押してでも、押し通すことしか手段は残されていなかった。


「ええ……っと、この『ステルラ』には多くの貴族が通われているでしょう? その方々に聞いたんです。その、評判を」

「そうなんですか」


 もちろんこれは真っ赤な嘘である。

 リベリオの商会は帝国資本。

 帝国をあまり好かない五大公国の貴族にはあまり評判はよろしくない。しかし、嘘も方便。ある程度、貴族とつながりがあるようなそぶりを見せたが、ポローシェ侯爵が引っかかるわけがなかった。

 それに調香師の態度もそっけない。それはひとえに、彼女の謙虚すぎる(・・・・・)性格によるものであるが、リベリオにはそこまで読み取れなかった。


「しかし、浸出油だけとはおかしいな」


 それに加え、ポローシェ侯爵はなにやら書類を取りだしながら言うと、リベリオはえぇ?と驚いている。調香師も驚いていないことから、彼の言いたかったことが理解できたのだろう。


「浸出油は転売規制もあるから、それ単独で渡すこともないんだが」

「そうですね。こないだジーナさんにお渡しした浸出油は原液で割ったものですから、もはや浸出液と言えるのかどうか」


 浸出液の転売規制。

 アルコールティンクチャーと同じでハーブから成分を抽出したものであるが、単独で使われることはめったにないうえ、その用途が主にマッサージやアロマクラフトへの利用なので、大半は調香師しか使うことはない。

 しかし、自宅でも簡単にできるもみほぐしや芳香浴には使いやすいので、一般の人が買っても問題はない――のだが、マッサージやアロマクラフトを調香師抜きでしようとしてしまう人も中にはいる。

 そのため、原液を浸出させたオイルで割ったものしか流通させてはいけないのだ。

 ドーラは芳香浴用のオイルとは言ったし、マッサージオイルと同じ成分であるとは言ったものの、一言も浸出油原液だと言ってはいない。


「し、しかし、ここでマッサージの施術に使われたものと同じだと、妻は言ってたが……!!」

「ええ、そうですよ。ジーナさんはアルコールで肌がかぶれるようでしたから、万が一のことを考えて、ハーブからとれる成分を少なくしているんです。ハーブをオイルで浸して、成分を取りだした浸出油が含まれているとは言った記憶がありますが、一言もそのものだとは言っておりませんよ?」

「な、んだと……!」


 すんなりと頷いてくれるはずだった調香師さえも、リベリオに嫣然と微笑む。たとえ本人(フェオドーラ)が意識していなくても、彼にとってはその笑みは恐怖の対象でしかなった。


「だから、もしあれを大量に購入されたいというのならば、お分けできないことはないですけれど、高くつきますよ?」

「そうだな。浸出油(インヒューズドオイル)は調香師独自の想い(こころ)が詰まったものと言っても過言ではない。とくにこの『ステルラ』は一子相伝の店だ。だから、もし浸出油を安く売るようなことがあれば、彼女の先祖も許さんだろうな」

「……――――!」


 嘘か(まこと)か。

 それをリベリオに推し量る技術はなかったが、これ以上話しても無駄だとばかりの冷たいポローシェ侯爵の言葉に、リベリオは起死回生、逆転の一手をひたすら頭の中で考え続ける。


「それに私も許さない。もっとも彼女たち(・・)が調香師で、彼らが現場の決定権を握るが、調香にかかわる製作物のすべての処方箋(レシピ)の権利はオーナーである私にある。だから、いくら彼女たちが浸出油の市場での販売を希望したところで、その配合比率などの開示権は私にある。それを間違えないように」


 調香にかかわる法律――『調香典範』以外で丸め込めようとした自分が反対に、『調香典範』を使って丸め込まれた。

 這う這うの体で『ステルラ』から逃げ出したリベリオは一度出直すことにした。




「お手数をおかけいたしました」


 マルレンディ商会の主、リベリオ・マルレンディが店から出て行った後、フェオドーラはわざわざ来てもらっていたポローシェ侯爵に頭を下げた。

 リベリオからドーラに会いたいと手紙が来ていた彼女は、おそらくジーナ関連の話だろうと想像がついた。彼女がジーナ(つま)を追い返したこともおそらく伝わっているはず。だから、リベリオはなにか取引を持ち掛けてくるか、ならず者(・・・・)を使ってドーラに攻撃を仕掛けてくる可能性もある。

 そうポローシェ侯爵に相談したところ、公都(ここ)で仕掛けてくるとはいい度胸だなとだけいて、あえて『ステルラ』にいたのだ。


「いや、これぐらいならなんでも構わないさ。言い方は厳しいかもしれないが、おそらく君はあの男に太刀打ちできない。専門家には専門家を。私はそういう問題が起こったときのための要員だと考えてくれれば構わない」


 侯爵のにべもない言葉にドーラは肩をすくめる。

 たしかに同じ爵位を持たない平民という身分とはいえ、お金ならばあちらのほうがある。お金で相手を吊り上げ、なんらかの契約をさせられる危険もある。

 そういった意味ではそれを防げるのは貴族、それもかなり高位の貴族しかいない。


「それはそうと、あれは私が考えた処方箋(レシピ)ですよね。きっとこの店のことだって調べれば出てきてしまうでしょうし」

「ふっ……そうだな。だが、お前の叔母のことはこの国、いや、調香についてのモグリでなければ、知っていてもおかしくない。だから、牽制として引き合いに出すのはいいと思った」

「そうでしたか」


 叔母、エリザベータ・フレッキの名は調香師界では有名な存在である。『薔薇の魔術師』、薔薇(ローズ)を中心としながらも、ただ一辺倒なアロマクラフトを作らない女調香師の存在は五大公国の外、エルニーニ帝国まで有名らしい。

 彼女の存在をもし知らないのであれば、調香技術を扱った製品を取り扱う資格はないとポローシェ侯爵は言い切った。


「……だが、まだ安心はできない」

「というと?」

「もう一度か二度、あいつはここに来る。私もずっとここにいるわけにはいかないからそうだな、次はあえて油断を誘おう」


 私が奴ならば、まだ諦めていない。

 そう断言したポローシェ侯爵は作戦をドーラに告げた。


「もし来たら、ミールに私のところへやれ。あいつにはしばらく休暇を出すから用心棒として店においておけ。で、ミールを使いにやった後は、取引の準備があるといって、時間稼ぎを。もちろんくれぐれも書類にサインはしないように」


 出資者(パトロン)からの提案に不安そうな目で見るドーラ。

 自分は演技者ではないことをわかっているからこそ、自分にそんな大それたことができるのかと不安になる。


「大丈夫だ。帝国資本の商会はあまり五大公国で遊び慣れてない(・・・・・・・)のだろう。こちらにも後始末の準備をする手順というものがあるだけだ。後始末ができないわけじゃないさ」


 侯爵はドーラの頭をなでながら笑顔で頷く。

 その笑みはいつもの優しい、保護者のような温かみはなく、五大公の一人、エルスオング大公の側近として辛辣な腕を振るう一人の貴族としての冷たい笑みだった。

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