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夢うつつ

 翌日も『ステルラ』は臨時の休業をとっていた。

 祭りは昨日一日だけだったものの、今日はシーズン終わりの夜会が待っていてその準備に半日かかるため、予約を入れられず、昨日の作業の続きをしたかったから、思い切って終日の休みにしたのだ。


 今日行う作業。

 それは浸出油(インヒューズドオイル)――ハーブをオイルに浸したものを作成することだ。

 ハーブティーのように水に溶けだす成分もあるが、体に良いとされる成分が油に溶けだすハーブも多い。そのため植物油に何日間か浸して、それをマッサージオイルやアロマクラフトに用いている。

 昨日、石鹸を作るときに使ったカレンデュラオイルもこの浸出油の一つで、カレンデュラの花弁を酸化しにくい、保存しやすいオイルに浸して抽出する。そうすることで、少し粘り気のある鮮やかなオレンジ色の液体ができ、『ステルラ』では石鹸素地、マッサージオイルに使っていた。


 この浸出油を作るときにはオイルの配合割合も重要となっていて、調香師によって変化し、そのほとんどがその店オリジナルのもののため、ほかの店や調香師に出回ることがない。フェオドーラも叔母、エリザベータから受け継いだ処方箋(レシピ)はあるが、今作っている浸出油はオリジナルのもので、カメリアオイルとホホバオイル、ひまわりオイルをブレンドしたものだ。ハーブによって浸出油の色が変わってくるので、それも一つの楽しみになる。

 ただ瓶に乾燥させたハーブを詰めて、オイルを注ぐという単純な作業であるが、できる限りオイルを空気に触れないようにしなければならないという注意点もあるため、瓶からこぼれるかこぼれないかぎりぎりのところ見分ける必要がある。

 補充しておこうと思った浸出油をすべて作り終わった後、背後からミールに声を掛けられた。


「もう準備始めなくていいのか?」

「もうそんな時間!?」

「まったくだ。お前さんがそんな風だからだれかさんも構いたくなるんじゃないのか?」


 時間に無頓着なフェオドーラに対して、肩をすくめるミール。ちょうどそのとき、玄関前に馬車が止まる音がした。今日は臨時閉店。いったいだれが来たのだろうかとドーラは思ったけれど、彼は驚く様子もない。


「だれか?」

「――――おっと、噂をすればなんとやらだ」


 彼が玄関の扉を開けると、品のいい女性が数人の侍女を引き連れてこちらに歩いてくる。瑠璃色の髪の毛、(クララ)によく似た顔立ちの女性は、お久しぶりとドーラに声を掛ける。


「こちらこそお久しぶりです、アンナ様」


 前に会ったときは(クララ)のことで精いっぱいだったアンナは、今は以前にもましてはつらつとしている。そのときは艶を失いかけていた髪の毛も今は艶が戻っている。


「その節はありがとう。おかげでクララも――いえ、彼女の叫びに気づかなかった私たちは目が覚めたわ。おかげで生き生きとした娘に会えるから、あなたに頼って正解だった」

「それは……よかったです」


 ドーラには、はたしてそれが良かったのかわからない。

 彼女、クララは恋人(ドミトリー)には二重の意味で裏切られ、信頼していた恋人の兄(アレクサンドル)には利用されていたのだから。そのとき、ドーラも裁判所で証言したけれど、あれほど後味の悪いものはなかったと思う。

 それでもアンナは首を横に振る。

 ある意味では彼女たちも利用したもの、すなわち加害者になるが、娘のクララを含めてだれもが加害者になることをよしとしなかったのだ。

 その結果というべきではないだろうが、クララの説得によってドミトリーは彼女の婚約者におさまっている、らしい。


「うん、よかったのよ。まあ、あの二人のことは致し方ないけれど、でも、クララは彼のことを許したのだから、私たちも彼に怒るのはやめることにするわ」

「そうですか」

「さ、夜会に向けて準備するわよ」


 おそらくまだ、なにかしらドミトリーに思うところはあるようだけれど、それを言うのは娘の意思に反することだからとやめることにしたみたいだった。

 店の中に落ちた重い雰囲気を払しょくするかのように、アンナは一回手をたたく。それはなんの合図だろうと一瞬、首を傾げたフェオドーラだったけれど、後ろで控えていた侍女たちは(アンナ)の命令を聞かされていたのだろう。勝手知ったる家のごとく、一斉にドーラを居住スペースに連れて行った。

 どうやら彼女――アンナは端からフェオドーラを奏するつもりだったらしい。一式を持ってきた侍女たちの手によって、人形遊びのごとく着替えさせられたドーラだった。


 小一時間ほど使って着替えさせられ、化粧まで施されたフェオドーラはいつもとは全く違うような気がしていた――いや、実際に違っていた。

 いつもは柔らかい綿(コットン)の値の張らないドレスを着ていたが、それとはまったく肌触りが違う絹で、ビジューや刺繍がふんだんに施されたものだった。

 髪の毛もいつもとは違って細かくまとめ上げられたうえ、化粧品もいつもと同じ手製のものを使ってもらったが、眉の書き方一本違い、終わったとき、鏡に映っている自分ははたして本当の自分なのかと疑ってしまったドーラだった。


「どうでしょうか?」


 これがアンナが狙っていたものなのか想像につきにくく、不安げに聞いたのだが、彼女は満足そうに頷いていた。


「あら、かわいらしい。やっぱり伯爵家(うち)のお抱え工房で作ったドレスを持ってきて正解だったわね」

「つ、くった……?」

「ええ、あなたにお礼の気持ちを込めて作らせてもらったのよ。値段とか野暮なことは聞かないで頂戴ね?」


 まさか伯爵家に縁もゆかりもない自分にここまでの大金を出してもらったとにわかに信じがたく、卒倒しそうになるが、あくまでもお礼のためだとアンナも譲らない。挙句の果てにはもちろんあなた専用のサイズだから、今日の夜会が終わったら引き取ってねとまで言われてしまった。


「はぁ、わかりました」


 しかし、それではドーラの性に合わない。なにかアンナに恩返ししなくてはと思ったが、お金で解決できるものはなにもない。だったら、自分にできること――それは、よりより“香り”を届けること。だから……――


「ありがたくドレスをいただきます。その代わり、アンナ様専用の化粧品と香水を今度贈らせていただきます」


 彼女専用の化粧品や香水を送ること。これならアンナの負担にならずに自分もしたいことができるとフェオドーラは思った。

 あら、嬉しいわね。アンナはまさかドーラが自分に見返りを渡してくると思っていなかったようで、苦笑しているが、決して嫌な雰囲気ではない。


「さ、行きましょう」


 お時間ですと侍女の一人に言われたアンナはドーラを促す。

 コレンルファ伯爵家の馬車に乗ったドーラはこの夢が覚めてしまわないことを祈ってしまった。

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