中心にするもの
二日目は次の世代に調香技術を伝えるためのセミナーが開かれ、認定調香師試験に出るようなハーブやアロマの基礎知識やアロマクラフトの講義がワークショップ制で開かれていた。
「そういえば、ラススヴェーテ嬢はたしかフレッキ調香師の姪御さんだよね?」
ドーラとともに調合技術のセミナーに参加していたゲオルギー・ハンサヴナ第一級調香師が尋ねてきた。彼はドーラよりも少し上、まだ調香師になりたてであるものの、公都で有名な香水店の息子だ。今回のフレグランスコンテストにはくじ引きで決まったものの、多くの貴族の依頼を受けているだけあって、結構な気合いを入れてきている。どうやら彼はドーラの叔母、エリザベータのことも知っているようだ。
「ええ、そうですが、なにかありましたか?」
彼とはこの調香師会議以外での接点はない。少し訝しげに尋ねると僕、ファンだったんですよと答えられた。
「『薔薇の魔術師』。ただの酒屋のボンクラ息子がはじめて出逢った香水はフレッキ調香師の香水でした。人を惹きつける香り、ただそれだけではなく、自分に自信をつけさせる香り。それをあの方の香水に感じました」
そう言ったあと、ゲオルギーはわずかに眉をひそめる。
「フレッキ調香師が行方不明になったと聞いたとき、もしかしてただ引退しただけにもかかわらず、姿を消したと大げさに言っているのだと思ったのですが、そうではなかったんですね」
どうやら彼はエリザベータについて誤解していたらしい。
「はい、私の調香師認定試験の合格発表日でした」
ドーラは淡々と説明する。ゲオルギーはそれに大きく頷く。
「そう僕も聞いてます。姪の合格と同時に姿を消した調香師、と」
彼の言葉に無言になるドーラ。叔母の失踪事件はエルスオング大公国調香院でも有名な話のようだ。それだけ手がかりがない状態では、この先、見つけられるか不安だ。
「さあ、はじまるようですね」
ゲオルギーはニッコリと笑って、前をむく。講師はエルスオング大公国調香院のツェンバル男爵。第二級認定調香師でありながらも、五大公国調香師会議でのセミナー、それも調合技術の講義を受けもつというのだから、かなり調香師として有能な人物らしい。
今回の講義は皮肉にも薔薇のアロマオイルを調合するときの話。普段は薔薇のオイル、ローズ・オイルを使うとその香りを中心にしてしまいがちなので、その香りを活かしつつも、それ以外の香りを中心に持ってくる調合技術は今のドーラにはためになるものだった。
「これは昔、私が調合したオー・ド・トワレですが、こんな香りでもローズ・オイルを使っております」
各参加者に試香紙、ムエットが配られた。すでに香りはつけられていたようで、華やかなフローラル調の香りがただよう。言われてみれば、薔薇の香りはまったくしない。
「ちなみにこの香りのレシピはレジュメの一番うしろに載っておりますので、参考程度にお使いいただければと思います」
最後にツェンバル男爵はそう締めくくった。
「楽しかったですね」
彼の講義が終わったあと、ゲオルギーが笑いかけた。はい、もう十分にとドーラはそれにつられて微笑む。それくらいツェンバル男爵の話は役にたった。
「叔母の影響でしょうか、私はいままでローズ・オイルを使うときはほとんど、それを香水の中心にくるように作製してましたが、そうでなくてもいいんだっていうことに気づけました」
「僕もです。エリザベータさんを目標にしていたのでずっとローズ・オイルを香りの中心にする、しなければならないと考えていましたが、今の話で少し、いえ結構考えが変わりました」
二人は互いに笑いあう。
お昼を挟んで今度はハーブの簡単料理セミナーに出席した。そこではゲオルギーとは一緒ではなかったものの、たまたま隣に座ったミュードラ大公国の女性と仲良くなって、あっという間に講義時間が過ぎた。
セミナー会場を出てすぐに、ひと呼吸つく。これからフレグランスコンテストの準備をしにいく。おそらく会場でオルガにも会うことになるだろう。それを考えると気が滅入るが、それでも行かなければならない。足取りは重かったが、ちゃんと前に進めた。
「逃げへんかったのね」
準備会場に入った瞬間、そこの空気が氷点下に感じるほど、冷え冷えとしていた。すでに数人の調香師たちがいたが、どうやらエルスオング大公国の調香師たちは来ていないようだった。アイゼル=ワード大公国やフレングス大公国の調香師たちはそろっているようで、その中にいたフリードリヒが一人でたたずむドーラに気づき、手を振ってくれた。さすがに今は『敵』であるアイゼル=ワード大公国の元へ行くわけにはいかない。残りのエルスオング大公国の調香師たち、ゲオルギーやレリウス男爵を待つことにした。
暇つぶしも兼ねて会場を見まわしていると、フレングスの調香師たちの中に、オルガの姿をみつける。このフレグランスコンテストに出るよう指示したのは彼女だ。一度きちんと話してみるべきか迷っていると、先に気づいたオルガに声をかけられた。こないだとは違い、ドーラは無視をせずに、きちんと正面切って彼女へ静かに反論する。
「はい。正直、あなたの挑発に乗ってまでコンテストに出場するつもりはありませんでしたが、それでも私にはあなたに負けたくないという気持ちの方が勝りました。あなたから逃げたんじゃありません。自分から逃げないことを選びました」
ドーラの言葉に静かに耳を傾けたオルガはふぅんとつまらなさそうにつぶやく。
「そぉう。ま、それならせいぜい頑張りなさいな」
私があなたに負けることはないからぁと最後に冷たく言い放つ。あんたの仲間が来たようでと言いはなち、元いた場所、フレングス大公国の調香師たちの元へ去っていった。
「遅かったようだな」
ドーラとオルガが言い争っているところをばっちり目撃したのだろう、レリウス男爵は静かに憎悪の視線をフレングス大公国側へ向ける。ゲオルギーやほかの調香師も冷めた視線で彼らを見やる。
「ええ、ですが、もう私もあの人も互いを気にすることはないでしょう」
「それはなんでだ? そもそもその保証はあるのか?」
ドーラはオルガと喋って感じたことを言うと、レリウス男爵から疑惑の視線を向けられたが、ええ、大丈夫ですと強気で笑った。微笑みでもなく、虚勢でもない、フェオドーラにしては珍しい強気の笑みだった。
ちょうどそのとき、ミュードラ大公国、カンベルタ大公国の調香院長が入ってくる。
「時間だ。くだらん争いにならないように各国のテーブルにそれぞれ六十種類の精油を置いておいた。制限時間は七十分。では、それぞれ調香をはじめてくれ」
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