良いサプライズと悪いサプライズ
「さて、これで裁判は終わりですが」
そう言いながら、ドミトリーはクララの前までやってくる。
「このたびは大変、ご迷惑をおかけしました。いくら演技といえども、あなたの名誉を汚す非道な振る舞いをしたことは貴族としてあるまじきことでした」
そう謝罪をしたあと、跪いて頭を下げた。その様子を会場全体が注目していた。クララを見ると、彼女もドミトリーの様子をじっと見つめている。ポローシェ侯爵やエルスオング大公もなにも言わない。
「もちろん、このように謝罪したところで時は戻りませんし、私たちが犯したことはあなたの中から消えることはありませんでしょう。もし、私を訴えたければ訴えてくださって構いませんし、同じように名誉を汚していただいて結構です」
ドミトリーの言葉に待ちなさいよっと声をあげたのは傍聴席にいたコレンルファ伯爵夫人。普段はおとなしいクララだからそんなことをしないだろうと踏んでドミトリーが言ったのではないかと心配したようだ。しかし、そんなことは杞憂だったようでクララは、では、そうさせていただきます、とにっこりとして返した。今までも十五歳とは思えない雰囲気だったけれど、その姿は一気に大人びたようだった。
コレンルファ伯爵夫妻をはじめ、会場全体が二人の行方を見守っている。
「あなたの名誉なんていりませんし、金銭的な要求もいたしません」
クララの解答に息をのむドミトリー。彼にとっては意外な要求だったのだろうか。
「ですが、それはあなたを許しているからでも、たかが名誉だからという理由だからではありません」
私はあれから外へ出るのが怖くなりましたから、と続ける。
「初めて会ったときからあのときまで、ずっと一緒にいれると思った時間、それを返してください」
クララは涙を見せていなかったが、少し泣き声になっていた。ドーラはそのとき、気づいた。
彼女はまだ、ドミトリーのことが好きなのだと。もし、本当に顔を合わせたくもないほど嫌いならば、証人として出廷することさえ拒否しただろう。そうとしか考えられなかった。コレンルファ伯爵夫人もそれに気づいたようだった。まさか、あの子、と呟くのが見えた。
クララの『お願い』に何も言えなかったドミトリー。彼女はでも、と付け加える。
「そうですね。五年の間、たがいに好きな人ができなかったら、また話し合いましょう。今すぐは私も無理なので」
そう締めくくり、にっこりと笑うクララ。そこに涙はもうなかった。ドミトリーは虚を突かれたような顔をし、エルスオング大公やポローシェ侯爵、ミールは少し気まずそうな顔をしながらも、二人のことを見守っている。
「――――オホン。では、クララ嬢は彼の処罰を求めない、ということでよろしいのかな? 五大公国共通の貴族法で裁くだけにふさわしい罪状はあるんだが」
軽く咳払いをしてクララに確認を取った裁判長だが、クララは即座に拒否をする。
「そんなことされては困ります。そしたら、私の楽しみがなくなっちゃうじゃないですか?」
無邪気な笑顔で言われたことに少し顔を引きつらせるドミトリーだが、なにも言えなかった。
最終的に気の抜けた裁判が終わり、『ステルラ』に戻ってきたドーラたち。クララはすっきりとした表情をしていたが、『もうちょっとドーラさんのマッサージを受けたい』ということでしばらくここにいることを選んだのだ。
「まさかお嬢様がまだ、あの男を好きだったなんて、私には信じられませんよ」
アリーナがハーブティーを淹れながらしみじみと呟く。
「ふふっ、そうね。控室で待っている間、私もずっと考えていたの。私はなんでここに来たんだろうって。あの事件については確かにつらかった。でも、こんなふうになるのってまだ、彼のことが好きだからなんじゃないかって思えたのよ」
遠くを眺めながら答えるクララの姿は少女ではない、一人前の淑女だった。
「私は彼をあの証言台で貶めることもできた。『彼は本気でそう言っていたし、ゲーシャさんのことを好きそうに見ていた。それに本人に直接言われた』ってね。でも、そうは言えなかった」
彼女の言葉に、どうやらまだ好きなのは本当みたいですねぇと冷めた視線で見るアリーナ。
「で、五年間って言ってましたけど、あれどういう意味なんです?」
どうやら先ほどの裁判で言われたことに引っかかっていたらしい彼女は首を傾げながら質問した。クララはその疑問に笑って、ドーラさんならわかりますよね、とドーラに投げてきた。
「そうですね、なんとなくは。もしかして、ようやくやりたいことが見つかったんですか?」
多分、クララがやりたいのは『調香師になるため、調香院に入ること』だろう。そう聞くと、ええ、と返ってきた。
「私、ドーラさんの香水を使ったらすごい勇気が出ましたし、素直な自分になれたような気がするんです。だから、それを皆さんと分かち合いたくてドーラさんみたいな香水をつくろうと思うんです。で、そのために調香師になりたいと思ったんですけれど、どうでしょう?」
どうやら、きっかけはあの香水だったようだ。調香師試験は狭き門ではあるが、ドーラにとってみればうれしい一言だ。
「そうですねぇ、私も奥様に頼んで、お嬢様のお守りとして半分、アロママッサージの普及をしたいという理由半分で調香院に入れてもらおうなぁ」
アリーナがぽつりと言ったことに、ドーラもクララも笑う。
そして数日後。
「今までお世話になりました」
コレンルファ伯爵家の馬車が店先に停まっている。クララとアリーナを迎えにきたのだった。
「ホントですぅ。最後にアロママッサージまで受けさせてもらえて」
体調がよくなり、こうなった原因でもある事件も解決したクララ、は実家で暮らすことを選択し、ときどきアロママッサージなどを受けに『ステルラ』に来ることにした。
「それはよかったです。また、アリーナさんもいらしてくださいね」
これからはクララ専属ではなくなるかもしれないアリーナだが、ぜひ来てほしい、そう願った。
「いけません、忘れるところでした」
クララたちが馬車に乗り込む直前、そう言ってドーラは紙袋を手渡した。
「これは?」
突然の贈り物に驚くクララは中身を取り出す。可愛らしい夜鳴鶯の模様がついたコンパクトや小さいガラスケースが数種類、入っていた。
「それはクララさんの肌に合うように作ったおしろいです。材料が材料なのでそこにある分しか提供はできませんが、よろしければお使いください」
ドーラが本物のサプライズとして用意したものはマイカ入りの化粧品一式。もし調香院に入るのならばあまり化粧は強くないほうがよいが、彼女は貴族でもある。これから社交界に戻るのならば、持っていても損ではないだろう。そう思って、作っておいたのだった。
「最後まで本当にありがとうございました」
深々とお辞儀して、馬車に乗り込むクララとアリーナ。二人が乗りこみ、扉が閉められた馬車が去っていく。前に来た時よりもすっきりとしていて、馬車の動く姿もなんだか、軽いような気がした。
「お疲れさんだったな」
裁判の前日から家に戻っていなかったミールと二人、テーブルにつくドーラ。クララとアリーナ、短い間だったが、このスペースに十分なじんでいた。
「うん、ミールもお疲れ」
ドーラが裁判のことをにおわせながら労うと、まさかお前がいきなり承認になるとは思わなかったな、と呟く。
「そうね。まさか、私が重要なカギを握っていたとは思わなかったよ」
アレクサンドルのことだ。結局、彼は捕まったのだろうか。
「そういや、あのハヴルスク兄だが、捕まる前に死んでた――いや、殺されてたっていうのが正しいか」
ドーラの思考を読んでいるのか、ミールが何気なくそう呟く。
「ま、もっとも捕まったところで極刑にしかならなかったんだろうが」
彼の推察にどうして?と尋ねるドーラ。彼にかかってる嫌疑はエンコリヤ公爵の横領を促進させること、そして、他国への干渉とも呼べること。しかし、クララとドーラ、エンコリヤ公爵の証言、ドミトリーの推測しかない。唯一残っていたはずのエンコリヤ公爵への手紙も焼却処分されたはずではないかと聞くと、ミールは笑った。
「それがな、彼がアジトにしていた飲み屋の屋根裏部屋にたんまりと証拠物品が残っていたうえ、焼却処分を命じられた使用人はこっそりと隠し持っていたそうなんだ」
だから、証拠物品はあったんだ。
彼の淡々とした説明にそうだったの、としか言えなかったドーラ。
「あいつが殺されたのは致し方ないのかもしれないが、その分、カンベルタに大きな貸しができたのもまた事実だな」
ミールは息をつきながらそう言う。
「まだ明かされてないし、明かされることもないだろうが、彼を殺したのはもっとも利益を得られるだろうあの国しかないからな」
これを彼女が知ったらどう思うだろうかと思ったが、それを彼女に自分が言うのは間違っているのもまた事実。とんでもない秘密を知ってしまったなと思いつつ、次に自分がしなければならないこと、明日の来店予約のことを考え、目の前のことから逃げることにしたドーラだった。
書き手としても少し後味は悪いと思います。
本日はハッピーバースデー私、ということで、『転生ざまぁ』と同時更新しています。





