黒幕
エンコリヤ公爵への尋問はこれで終わったようだが、まだ裁判は続く。休憩に入る前にエルスオング大公がドミトリーに問いかける。
「そういえば、今日の裁判に証人として呼んだ人物が一人いると聞いたが」
その問いかけに、ええ、と少しためらいながら答えるドミトリー。
「おそらく私の質問には答えてくれないでしょうから、ポローシェ侯爵、代理で質問をお願いできませんでしょうか」
しかし、そのためらい以外はすらすらと言葉を続ける。どうやら事前に打ち合わせでもあったのだろうか。そして、エルスオング大公から声をかけられたのは、その打ち合わせ以外の部分だったのだろうか。
ポローシェ侯爵も分かった、とすぐにその役目を引き受ける。
裁判に直接かかわっている人たちが法廷から出て行った後、傍聴席も一気に騒がしくなった。けれども、ドーラは何もすることがなかったし、話す相手もいない。コレンルファ伯爵夫妻に声をかけようかとも思ったけれど、彼らにどうやって声をかければよいのかも分からなかったので、諦めて外に出た。
あまり自宅周辺以外は出歩かないドーラは、迷わないようにあまり遠くまではいかずに、裁判所の周囲をぐるりと回るだけにとどめた。それでも普段、見られない景色や建物を見るだけでも十分満足できた。
休憩のあとはポローシェ侯爵による証人への質問から始まった。被告のエンコリヤ公爵ともう一人の男は先ほどのことがなかったかのように大人しくしており、反対側にはドミトリーとミールが座っている。証人席にはコレンルファ伯爵令嬢クララが立っていて、その後ろにはアリーナが座っている。傍聴席では伯爵夫妻が娘の様子をハラハラ見守っていた。当のクララやドミトリーは、互いを意識しないようにしているのか、互いの顔を一切、見ようともしなかった。
「では、今からは私が質問をさせていただきます」
ポローシェ侯爵が人当たりの良い笑みを浮かべながら、クララに話しかける。クララは頷き、侯爵が問いかけ始めた。
「あなたは今回のこの横領事件を知ったのはいつごろでしょうか」
その質問に首を傾げるクララ。
「私はこの裁判に呼ばれるまで知りませんでしたし、なんで証人として呼ばれているのかさえ、いまだに理解できておりません」
クララの答えにそうでしたか、と軽くドミトリーを睨みつけたポローシェ侯爵だが、すぐに質問を重ねる。
「では、告発人であるドミトリー・ハヴルスク侯爵子息をあなたはご存知ですよね?」
その質問に会場内は緊張した雰囲気になる。
「――――ええ、存じております。元婚約者でしたので」
彼女は少しためらったが、そう答えた。その答えに全員が一様にほっとしたのが傍聴席の後ろにいたドーラでさえも気付いし、ドーラ自身もほっとした。
「では、あなたたちに何があって婚約破棄になったのか、あなたにとっては酷かもしれませんが、できる限り詳しく教えていただけませんでしょうか」
その質問は誰もがその答えを知っているはずだ。でも、侯爵があえて質問するということは、それはなにかこの先、重要なものになるのだろうか。クララもそれに気づいたようで、少し迷いながらも口を開いた。
「私は幼いときから彼、ハヴルスク侯爵子息ドミトリーと彼の兄、アレクサンドルさん、そして彼ら兄弟のご両親にお世話になっていました。いつしか私は彼のことが好きになっていましたし、昔からの風習で私とハヴルスク家の兄弟のどちらかと結婚するのではないかということが、両家の中で暗黙の了解になっていました」
そして、と言ったのち、クララはようやくドミトリーを見る。その表情はうかがい知れない。
「私が成人してから何回か夜会やエルスオング大公殿下主催の行事に彼とともに出席させてもらうことが多く、彼も私の気持ちに気付いているのだとてっきり思いこんでいました。ですが、ある日、いいえ、忘れもしません、今年のシーズン初めの夜会で私は、見てしまったんです」
そこまで言いきったが、そこからクララは言葉が続かなかった。ドーラは駆け寄りたかったが、一人の傍聴人という立場である以上、彼女の両親と同じように彼女を見守るしかない。
「何を見られたんです?」
裁判というものは無情だ。事実を述べ、罪を裁いていく。そのためにはときにつらい事や厳しいことを言われることもあるし、言わなければならない。それが身内や親しい知り合いのことであろうとも、自分のことであろうとも。
ポローシェ侯爵の言葉にクララは言葉を詰まらせたが、やがて意を決したようだ。侯爵をしっかりと見て、深呼吸をしたのち、答えだした。
「彼が、ハヴルスク侯爵子息ドミトリーがエンコリヤ公爵令嬢ゲーシャさんと一緒にいるのを」
彼女の答えになんの感情も入れず、そうでしたか、と答えるポローシェ侯爵。裁判には情はいらない。それを体現したような表情だった。
「では、そのとき、彼らから何か言われましたか」
彼はすっと呼吸して、クララに訊ねた。表情には出していないが、なにかしら思うところはあるのだろう。
「――はい。ゲーシャさんには『泥棒猫』と言われてしまいました」
その単語を答えるだけでも辛そうなクララ。その答えに会場内が同情する雰囲気に変わっている。ドミトリーの様子は、と思って見ると、表情こそ変えていないが、右手をきつく握っている。その様子には誰も気付いていない。
「確かに他家のように文章を交わさない婚約が普通なので、彼女がそう思っていても仕方ない部分がありました。ですが、ですが、そのあとに彼が言っていたという言葉が私には突き刺さりました」
『俺は永遠の愛を見つけたから、クララとは結婚できない』って、私が去った後にあの場で言ってたらしいんです、そう彼女が言うと、ドミトリーを非難する視線が会場内に広がる。だが、そこでおい、待てやと言った人間がいた。
「確かに俺の娘がお嬢さんに泥棒猫と言ったのは、俺も記憶してる。だが、ドミトリーの坊ちゃんがそんなことを言ったのは知らねぇな」
エンコリヤ公爵だった。
「ですが、あなたの知らないところでそれを言ったのでは?」
少し意地悪くドミトリーを見ながらエンコリヤ公爵に訊ねるポローシェ侯爵。それでも否定するエンコリヤ公爵。
「それもねぇ。ま、いまさら言うのもアレだが、挨拶しに来たときもドミトリーの坊ちゃんはうちの娘にぞっこんだというわりにゃ、そこまで好いておるような雰囲気はせんかったし、そもそもうちの娘が箱入りすぎて扱いに困っているようだったし」
エンコリヤ公爵の言葉にウソ、と小さく声を上げたクララ。どうかしましたか、とポローシェ侯爵は再びクララに聞く。
「エンコリヤ公爵の娘さんって、あばずれだと聞いていたんですけれど」
その瞬間、誰が言ったんじゃ、ボケがぁというエンコリヤ公爵の怒声が響いた。ドミトリーもクララのその言葉には驚いて、彼女を思わず見てしまっていた。ドーラもそういえば、と思い出した。確かに彼が言っていた。
「あなたの兄、ハヴルスク侯爵長男のアレクサンドルさんです」
そう、最初に彼がクララを連れて『ステルラ』を訪れて、事情説明をしていた時に。





