門外不出
翌朝、緊張していたのか、いつもよりも早く起きたドーラは着替えたあと、店先に臨時休業の看板を置きにいき、アンナたちが来る準備をした。
「おはようございます」
せっかくだからと化粧品を用意していると、アリーナに連れられたクララが降りてきた。
「今日は母のせいでドーラさんまで巻き込んで申し訳ありません」
ドーラ自身は話していなかったけれど、アンナから直接、彼女が裁判に傍聴人として参加することを聞いたようだ。いえ、問題ありませんよ、ドーラはにっこりと笑い、さあ、お座りくださいと言って、マッサージ室に案内した。
「今日、帰ってきたら、アリーナさんのマッサージを行いますね」
出かけるときに昼食を彼女は作ってくれたので、そのお礼のマッサージを約束すると、今まで以上の笑顔を浮かべて、ありがとうございますと頭を下げていた。
一昨日や昨日と同じようにクララをマッサージ台に寝かせて、マッサージをはじめた。やや緊張はしているものの、今日もクララは気持ちがいいようで、はじめてすぐに寝てしまっていた。
いつもと変わらないマッサージを行ったあと、今日は緊張をほぐすために柑橘系の精油を用いた芳香浴を行った。普段はバスソルトととして芳香浴を行っていたけど、朝の忙しくなる時間に入浴をしている余裕はない。だから、木製の洗面桶に湯をはって、そこに何種類かの精油をブレンドした。
「さあ、これで終わりです」
トリートメントの過程がすべてが終わったあと、今度はクララの化粧に移った。彼女の化粧はいつもアリーナがしているので、いつも通り彼女にしてもらうつもりだが、今日は『ステルラ』特製の化粧品を提供した。
「これは、まさか」
並べられた化粧品を触って驚くアリーナ。どうやら、クララの化粧も担当する彼女だけれど、この種類の化粧品は見たことがなかったようだ。
「ええ、こちらは来伯国産のマイカと呼ばれる雲母を砕いて得られる粉末を普段のファンデーションに混合したものなんです。舶来品ということだけあって少し値段は張りますが、肌つやは結構良くなりますよ」
その説明に顔を綻ばせるアリーナ。『肌つやが良くなる』ということにメイド魂が疼くのだろう。ドーラはその表情に申し訳なさそうな眼差しを向けた。
「そう言われると思ったんですけど、こちらはお分けすることはできないんです」
今でさえこちらの大陸では入手困難で、高値で取り引きされているのにもかかわらず、多くの貴族たちにその効果を知られてしまうと、より入手が困難になり、高くなってしまう。それに、そもそも化粧品の添加物ということで、白粉の基材や着色剤とともに配合上限が決められている。だから、調香師の資格を持つものでないと扱えないので、おいそれとマイカ自体を人にあげるにはいかないのだ。
ドーラの返答にしゅんとなるアリーナ。それだけ期待していたのだろう。だけども、調香師として妥協するわけにもいかなかったドーラは心を鬼にした。
「さあ、時間もありませんから、メイクをお願いするわ」
フェオドーラとアリーナの間に流れた微妙な空気を感じとったクララは、苦笑いしながらそう場を持ち直した。
「ちなみに、これってもしかして少し成分が違ってたりしますかぁ?」
白粉をはたいていたアリーナが匂いを嗅いでそう尋ねた。よく気づきましたね、と肯定するドーラ。
「市販されてる白粉と同じように滑石と呼ばれるものを主成分としてますが、エルスオング大公国で流通している滑石と違って、来伯国から輸入されたものを使用してます」
少し成分が違ってますし、なによりブラシにつける感触が違いますよね、とアリーナに確認しながら説明していく。
「はい。うちのと違って、すっごいさらさらしてるんですぅ」
その問いかけに思いきり頷くアリーナはこちらの説明にも目を輝かせていたけれど、先ほどのマイカのことがあるからか、あまり期待していないようだった。確かに、そのとおりなのだが。
「これで仕上がりましたよ、お嬢様」
最後のアイメイクまで仕上げたアリーナはどうだと言わんばかりに、ドーラにそのできばえを自慢した。ドーラは手広く『香り』を扱っているだけで化粧のプロではない。だから、素直にすごいお上手ですね、と彼女を褒めた。
少し嬉しげなアリーナとそれを微笑ましそうに見ているクララ。
こんな生活が続けばいいのにと思ってしまったが、世の中はそううまくいかない。ドーラが化粧品をしまった直後、店の表に馬車が到着する音が聞こえた。
「さあ、行きましょう」
ドーラは荷物を持って二人を促した。途端、クララは緊張した顔つきになり、アリーナもすっと表情を引き締めた。
裁判所はエルスオング大公邸とは別の場所だが、大公家と同じく質素をモットーとした作りになっている。
「では、後ほど」
ドーラは傍聴席の後ろの端、クララは証人席、アリーナはクララの付き添いで証人席の後ろに座ることになっている。裁判所の出入り口で二人と分かれたドーラは、空いている席に座った。
法廷内に次々と人が集まってくる。
黒服を着た裁判長や審査官たち、エルスオング大公。そして、傍聴席から見て右手に告発人であるポローシェ侯爵とミール、ハヴルスク侯爵子息のドミトリー、反対側に縄で繋がれた二人の男が入ってきた。縄で繋がれている二人のどちらかがエンコリヤ公爵だろうか。
ドミトリーの姿はあの夜会でポローシェ侯爵が最初、アレクサンドルのことをドミトリーと間違えたように、確かに似ていると感じたドーラだった。
「これよりタンジール地方における公金横領事件についての裁判をはじめる」
黒服の裁判官たちの中央に座っている裁判長がそう宣言すると、傍聴席も含めて全員が立ち上がり、一礼をした。
[補足&TIPS]
・マイカ
雲母を粉砕した粉末のこと。自然な色は白色で、現在ではカラーコーティングしたマイカも販売されている。ファンデーションなどに混合することによって、作中で述べられているとおり、肌つやがよく見えるようになると言われている。





