すべての真実
今日はコレンルファ伯爵夫人、クララの母親アンナが訪れることになっていた。普段はアロママッサージのため来店が多いが、つい先日、クララのことで相談したいことがあるとアリーナ経由で手紙をよこしていたのだった。
「アリーナから聞いたけど、クララがだいぶ元気そうね」
応接室に入ってきたアンナが開口一番にそう言った。
「ドミトリーのことがあってからふさいでて、私たちでもどうしようもなかったから、アレクサンドルに任せて正解だったわ」
彼女は心底、この結果に満足しているような顔つきだった。だけども、ドーラはいいえ、と告げた。
「もちろん、ハーブティーとバスソルトの結果は少しずつでも、出ていると思います。ですが、まだアロママッサージについては今日始めたばかりですので、これからどのくらい症状が改善されるかはわかりません」
フェオドーラの言葉にそう、とだけ呟くアンナ。彼女はかなりドーラのことを信用しているのか、その疑問には納得がいかないらしい。
「まあ、あなたの腕ならばあの子の症状も治せると思うから、期待しておくわ」
あくまでもドーラの腕前が一番だと信じているアンナは笑ってそう言う。で、本題なんだけど、と話題を変え、一通の封書をお付きのメイドから受け取り、ドーラの目の前においた。
「私のほうもなんとかしてあの子の不安を取り除くことができそうなの」
どうやら治療開始前にお願いしたことを本当にしてくれたようだ。その割にはあまり浮かない顔つきだったのだが。
「でも、あの子にこれ以上、負担はかけたくないんだけど。かけさせたくないんだけど」
アンナが顔を覆いつつそう嘆く。どういうことなのだろうかと逡巡していると、見て頂戴とその封書を渡された。
ペーパーナイフで丁寧に封を開けると、そこに入っていたのは証人出廷を命じるものだった。そこまで読んで気付いたのだが、その封書に使われていた封蝋の紋は裁判所事務官のものだった。
どうやら裁判所はクララを何かしらの裁判への証人としても出廷を求めている。ということは、まさかと思いあたる。
「ドミトリーさん関連の裁判でしょうか」
ドーラの推測にそうよと嘆くアンナ。彼の姿や性格は知らないが、娘の件に対して母親にまで心配させているこの人物を一回、見てみたくもなった。五大公国や帝国では、貴族に関わる裁判へはよほどのことがない限り、一般の傍聴は認められてない。多分、ミールならばクララのことも知っているくらいなのだからあとからでも聞いてみるかと心に留めた。
「で、そんな場所に行けばあの子は絶対に不安になる。だから、落ちつかせるためのなにかいい香りのものを作ってほしいの」
どうやら今回の相談は今の治療とは別途のものだった。そうですね、と少し考え込むドーラ。本当ならば、落ち着くためならば目に見えるものが一番好ましいが、裁判には派手なものは向いていない。だから、香りを身にまとっていくというのは、非効率的でありながら、効率的な手段だった。
「わかりました。香水とかいかがでしょうか」
良い香水は長持ちする。だから、朝着けたとしても、そこそこ持つ。それに香りが変化するのも楽しみになるだろう。アンナはその提案に目を輝かせた。
「いい提案ね」
そのあと、彼女とどんな香水に仕上げるのか打ち合わせをした。
「では、こちらを明日の夕方にお届けいたしますね」
裁判が行われるのが明後日。ならば、明日の夕方までに仕上げなければならないだろう。ええ、よろしくね、伯爵夫人はドーラの手を取って固く握りしめた。その力はドーラへの信頼度と同じものだろうか。アンナたちが帰っていったあと、彼女は注文伝票と睨めっこしていて、次の来客に気づかないほど熱中していた。
「原告、ハヴルスク侯爵子息ドミトリー、裁判の名目はエンコリヤ公爵の横領への訴追」
夕方、ポローシェ侯爵邸から帰ってきたミールをつかまえて、応接室につれていった。彼に例の裁判について尋ねたところ、真っ先にその名前があがった。しかし、彼は原告がクララの元婚約者だという。しかも、婚約破棄関係での裁判かと思ったら、全く別のものだった。しかし、そのエンコリヤ公爵という名前、どこかで聞いたことがあった。
「エンコリヤ公爵領は昔からそんなに肥沃でもない土地だ。だけども、ここ数代の暮らしぶりがかなり身の丈にあってないことからポローシェ侯爵とハヴルスク侯爵が合同捜査を行なっていた」
この前の夜会で聞いた横領事件というのはどうやらこのことだったらしい。そして、自分も少し巻き込まれていたようだった。
「で、密貿易か公金横領のどちらかと考えられていたが、複数人の内偵で架空視察や備品の水増し請求などでの横領だった。それらの証拠をすべて揃えてまとめたのがハヴルスク侯爵子息ドミトリーだ」
ミールの淡々とした口調に嘘でしょと呟くドーラ。ただ、そこで一つの疑問がわき上がる。
「でも、なんでそれがクララさんが裁判へ証人として呼ばれることにつながるの?」
そう。言いかたは悪くなってしまうが、クララはドミトリーと口先だけで婚約していた関係。それにもかかわらず、その約束を真実のものだと思い込んでいた。
そこを突くと、ミールは苦々しげな表情になった。
「俺もあとから、ほんの数時間前に聞かされた話だが、ドミトリーはこのエルスオング大公国内の貴族すべてに対して一芝居うったようだ」
彼のその言葉にドーラもおもわず顔をしかめてしまった。
「クララ嬢と婚約破棄をしてエンコリヤ公爵令嬢ゲーシャと婚約したのはすべてはこのためだったんだ」
[補足&TIPS]
・日本でのアロマテラピーの歴史
さんざんカタカナばかり使っていますが、別に西洋の特権ではないのです。冬至に入る「柚子湯」や五月五日に入る「菖蒲湯」も香りを楽しむもの。それに香道も精神的なものが入ってきますが、香りを嗅いで、情景などをかんしょうするもの。なので、敷居が高く感じるのは仕方ないかもしれませんが、そこまで気張る必要はありません。





