全ての終わりとはじまり
ドーラの言葉に音を立てて息をのんだのは誰だろうか。
直接の原因を作った本人であるテレーゼか、先に真相に薄々気づいていたはずの院長か。
もしくは、弟弟子かつ同僚でありながら、ゲオルグの異変に気付いていなかったフリードリヒか。
まだ、立ち直っていないゲオルグともう一人、三人と同じ反応を示さなかったものがいた。
貴族らしく綺麗に整えられた金髪、十四歳といえどもすでにしっかりとした態度の少女――ディアーナ。
「あなたがファーメナ調香師の代わりに、このハンドオイルを作ったのではありませんか?」
ドーラが優しく尋ねると、今にも泣きだしそうな顔で、かすかに頷く。
院長もテレーゼも驚いた表情でフェオドーラを見る。
「あなた方は言ったではありませんか。『ファーメナ調香師はそんなことをするはずがない』って」
私はそれを証明したまでですよ、とドーラは笑みを浮かべる。
「だって、おかしいじゃないですか」
そう言いながら、保温箱の蓋を開けて、片方の木箱を取り出した。それを机の上に置くと、院長は綺麗だな、と呟く。テレーゼも確かに、と頷いた。香りもかなり整っている。
「ええ、綺麗なんです。こんなアロマクラフトを作る人が、あんなミスをするはずないんですよ」
ドーラの断言に、納得したらしいテレーゼと院長の視線が残りの二人に向く。
「――――――じゃあ、誰がこんなミスをしたのだろうか、という部分に戻ってくるわけです。
もちろん、バルブスク調香師という可能性だって捨てきれない」
ドーラの説明に肩をすくめるフリードリヒ。それに頷き返したフェオドーラ。
「ですが、バルブスク調香師が直接、行った場合、ハイリスクですし、共犯関係だった時でも同じです」
第一級認定調香師の責任は重大ですもんね、と院長に同意を求める。
それに慌てて頷く院長。
「なので、自分の命と引き換えにしてまで殿下に殺意を持っている、もしくは、この犯罪をうまく隠し通せる自信がない限りは不可能なんです」
そう。フリードリヒにもゲオルグと同じ条件を当てはめることができる。
認定調香師が犯罪を行うというのは、非常にリスクが高い。ましてや、『香り』のもとである精油を使って、なんて。
そう断言したドーラに頷く院長とテレーゼ。
院長はアイゼル=ワード大公国内の調香師をまとめる立場として、そして、テレーゼはまがりなりにもアイゼル=ワード大公国で適用される法律を知るものとして。
となると、残りは一人となりますが、どうでしょう、アイゼルワーレ嬢。
そう聞いたフェオドーラの瞳は、真剣なものだった。
「――――――――――はい」
ディアーナから絞り出されたのは非常によわよわしい声だった。
ドーラが初日に自己紹介した時と同じようだった。
だが、それが年下の少女だろうが、まだ『調香師』の資格を持っていない見習いの立場であろうが、関係なかった。
「あなたは何故、処方箋を誰かに確認しなかったのですか?」
ドーラの言葉に、びくりと身を震わすディアーナ。だが、その答えは返ってこず、ただ沈黙が降りていた。
「――――――ここにきちんと『アンジェリカ』と書かれているが、それでも彼女の責任だというのかい?」
その沈黙を破ったのは、それまで専門的なことには一切触れなかったテレーゼだった。
彼女は院長から受け取った処方箋を手にドーラに訊ねた。
だが、ドーラはゆっくりとかぶりを振った。院長も同じく首を横に振っていた。
「ファーメナ調香師が書かれた処方箋には『アンジェリカ』とあります。ですが、精油において『アンジェリカ』と名の付くのは二種類。
種から採取された『アンジェリカ・シード』という精油。
そして、根から採取された『アンジェリカ・ルート』という精油。
どちらも柑橘系ではないのですが、光毒性をもつ成分が含まれています。
その中でもより少ないと言われているのはアンジェリカ・シードで、肌に直接付けるものには通常そちらを使うのです」
ドーラの説明に頷く院長。
「半年前まではファーメナ調香師が直接、作られていたのでしょう。それ以前のハンドオイルにはアンジェリカ・シードを使われているようなので、光毒性がほとんどあらわれなかったのではないかと推測しました」
ドーラの言葉に頷くゲオルグとフリードリヒ。
二人の反応に、どうやらゲオルグが半年前までは嗅覚が悪くなかったのだという推論が正しくて、心の中だけでホッとしたドーラ。
「――――――ここから先も推測でしかありません。彼女はファーメナ調香師の処方箋を見たのは初めてではないと思いますが、アンジェリカを使った処方箋は初めてだったのではないのかと思います。アンジェリカと書かれていただけでは、種なのか根なのか分からなかったのでは?」
彼女はそう言うと、ディアーナを見た。微かだったが頷く少女は年相応に見えた。
「それに、ここでの彼女の働きぶりを見ていると、彼女も同じく、殿下に危害を加えようとしたのではない、と断言できます。なので、彼女はアンジェリカ・ルートとアンジェリカ・シードを故意ではなく、うっかり間違えてブレンドしたのだと、私は結論付けます」
彼女の宣言に決して晴れやかではなかったが、誰もが納得した表情になった。
「よって、アイゼル=ワード大公殿下、ならびにアイゼル=ワード大公国国立調香院院長。
この結論から、アイゼル=ワード大公家専属癒身師二名および見習い一名への処分内容を『調査』担当調香師として提案させていただきます」
ドーラは決して誰も喜ばないだろう提案をしなければならなく、今までで最も気が重く、続きの言葉が出なかった。
だが、テレーゼも院長も、今から処分を下される三人も、ドーラの言葉を待っていた。
二回、深呼吸をしたドーラはそれを言い始めた。
「まず、ファーメナ調香師。
嗅覚が異常であることを隠した状態で調香業務を行っていたうえ、見習いという立場であるアイゼルワーレ嬢の調香業務への監督が全うできていない状況から、大公家への偽証並びに調香師見習いに対する監督不十分、という理由により、第一級認定調香師の資格はく奪処分ならびに、専属癒身師からの除名処分に相当すると考えられます。
ただし、今までの功績や意図的に成分を混合させていない、という部分を考慮すると、それ以上の処罰は不要かと思います」
そこまで区切って、テレーゼと院長を見た。
院長はドーラの言わんとする意図に気付いたのか、すぐに頷き、テレーゼも少し迷っていたが、最終的にはその提案を受け入れた。
「そして、次にバルブスク調香師。
あなたはファーメナ調香師の嗅覚に何らかの障害を持っていることに気付きながら、彼の業務を止めようとしなかったこと、そして同じくアイゼルワーレ嬢に対する監督が不十分ということの二点より、書面注意の上、五割の減俸で一年間、を提案します。
本来ならば、第二級認定調香師への格下げに相当しますが、今後のことを考えると、現段階での格下げは誰もが不利益をこうむりますので、今回は特例の処分とさせていただきます」
フリードリヒの処分は難しかった。
こちらの貴族の派閥などは分からないが、貴族の調香師に対して、重い処分を二人へ一度に下すと、調香師関係者以外からの反発が大きくなると考慮した上での結果だった。
しかし、それにはすぐさま頷いた院長とテレーゼ。
「最後に、ディアーナ・メルゼント=フォン=アイゼルワーレ嬢。
あなたは見習いとはいえど、いずれは調香師となる可能性の身でした。今回、あなたが犯したことは二つ。
一つめは、師であるファーメナ調香師を止めれなかったこと。これは、師と弟子の関係もありますので、致し方のないことかもしれません。少し多めに見ましょう。
ですが、二つめ。見習いの立場ながら、誰にも相談しないまま調香業務を行ったこと。これは決して許されないことです。それはたとえ、見習いでなくても、第二級認定調香師であっても同じことです。
何のために『調香典範』――――ひいては、調香師という制度があるのかもう一度、よくお考え下さい。
それが分かるとき、あなたは本当の意味で調香師になれると思います」
フェオドーラの諭すような言葉に俯くディアーナ。だけれど、決して彼女は涙を見せなかった。
「ということで、アイゼルワーレ嬢の処分については、一年間の調香師見習い停止処分が妥当かと思います」
彼女の提案に頷く二人。こうして三人への処分が正式に決まった。
思ったよりも早く『事件』は解決した。
だが、もちろん一度に三人もの調香師を処分することになったドーラはあまりいい気分ではなかった。
解散し、昼食をとるために部屋に戻ると、一足先に戻っていたらしいテレーゼとメイドたちが彼女の部屋の前にいた。
[補足&TIPS]
・光毒性
文字通り光が毒になるもの。「フロクマリン」と呼ばれる化学物質により引き起こされる。
精油の中では主に柑橘系の精油の中に含まれるが、作中で出てきたようにセリ科の植物であるアンジェリカでも含まれている。
※アンジェリカ・シード(種)について
『フロクマリン含まれない』と作中では言っていますが、『フロクマリンが含まれている』という文献もあるので、肌に直接、塗るのは避けた方が好ましい。
近年ではこの物質を取り除いた精油も売られているが、当然、技術が必要になってくる。作品の世界ではそこまでの技術はない。





