謎解き①
「どういうことだ?」
自国所属の第一級認定調香師が、他国の調香師に『調査』されているだけでも不満を感じている院長は、さらにその不満を増した表情でドーラに問い返した。
もちろん、ドーラも説明するつもりだったので、慌てる様子もなく、テレーゼに問いかけた。
「殿下、あのハンドオイルをつけた後、日光浴などをして長時間、手を太陽光の下にさらされされたりしておりませんか?」
ドーラの質問に驚いたテレーゼは、ああ、したとも、と答える。
反対に、彼女の質問の意図が読めなかった院長は、お前、何が言いたいんだ、とドーラに突っかかった。しかし、フェオドーラはにこやかにそれを制した。
「そうだな。確かあの時は、騎士団の衛所への潜入捜査に行くつもりで、手袋もとっていたな。いつもの手袋をつけていくと、身分が高いやつって丸わかりだからな」
テレーゼはそう言えば、その後から皮膚が赤くなっていたような気がするんだよな、とも言った。
その言葉に、やはりでしたか、と呆然としたフェオドーラ。
「それでしたら、殿下。おそらく手荒れの正体は『光毒性』によるものです」
フェオドーラの言葉に一瞬、静まった後、大爆笑したものがいた。
もちろん、この中で『光毒性』の意味を知っている院長である。ほかの三人はフェオドーラの話を聞いて、黙り込んでいた。
「お前、何を馬鹿なことを言っている。殿下のハンドオイルを作ったのはあのゲオルグ・デリュータ=フォン=ファーメナ第一級認定調香師だぞ? あいつがそんな粗相をするはずがあるわけないだろうが」
確かにあいつが殿下を殺してまで、何かを成し遂げたい、とは思わないだろうねぇ、と暢気に言ったのは、宰相だった。
院長や宰相の言葉はもっともだ、ドーラも思った。
彼女だってあの話がなければ、調香師としては一流のゲオルグの無実を信じただろう。
しかし、それを覆せるはずの目撃情報があったのだ。
「ええ、私もファーメナ認定調香師の粗相ではないと最初は考えておりました」
ドーラの言葉にどういうことだ、と訝し気に聞き返した院長。一応は聞いてくれるみたいだった。
「ですが、彼は何らかの嗅覚障害を抱えているのはご存知でしょうか」
ドーラの言葉に院長だけではなく、テレーゼも宰相、将軍も目を見開いた。
「――――おそらくファーメナ認定調香師はあの部屋だけでの仕事なので、ほとんど外出されることはないですから、隠し通すことができると思ったのでしょう。ですが、今日の午前中に『利き香』をしてみたところ、答えられるべき香りの半分弱も答えておりませんでした」
それに、と一旦、区切るドーラ。四人の視線が突き刺さるのに少し怯みたくなったが、それでも自分を奮い立たせた。ここまで来て、後戻りはできない。
「つい最近まで、『修業』に来ていたエルスオング所属の調香師は、ファーメナ調香師はバルブスク調香師だけではなく、アイゼルワーレ嬢が作製したアロマクラフトさえも確認せずに納品していた、と証言しております」
彼女が述べる証言に院長はとうとう押し黙り、顔を険しくさせる。
「それは信用できるのかね?」
すでに国に帰った者の証言はあてにならない、とか言われるのかと思ったドーラは院長の言葉に、驚いた。
「――――――はい」
彼女は院長の目から視線を外さなかった。
そうか、と呟いた院長は少し考えていたが、分かった、と何か覚悟を決めたようだった。
「明日、お前さんについて行こう」
一瞬、言われた言葉が分からなかったドーラは目を瞬いたが、その意味が分かると思いっきり驚いた。
「よろしくお願いします」
ドーラの勢いのいい言葉に、鷹揚に頷く院長。周りで見守る宰相と将軍はそんな二人の様子を見て、苦笑いしていた。
一方のテレーゼはというと。
「――――――――ゲオルグはどうなる」
やはり、彼の処断について心配しているようだった。いくら一国の主として『調香典範』を学んでいても、彼を父親だと思っているのは変わらない、変えられないようだった。
それは二十日前後、接してきたドーラにも痛いほどわかるので、何も言えなかった。
「殿下――――」
「もちろん、それが本当ならば、という前提ですが、残念ながらファーメナ調香師の資格は剥奪の上、公職からの追放となります」
ドーラは言いにくそうにしたが、それをきっぱり言い切ったのは院長だった。
「まあ、本人に聞いてみないと分かりませんが、彼が殺意を持っていない限り、処分はそこまでで済むでしょう」
院長の言葉にどういう意味だ、と返したテレーゼ。彼女の手は震えていた。
「文字通りの意味です。殺意さえなければ殺人未遂罪には問えませんので。それは、ごく一般的な法の世界でも同じでしょう」
すっと目を細めた院長。先だって、ドーラはテレーゼに彼に殺意があったことを否定したが、全ての可能性を考える院長の言葉は正しい。
「ラススヴェーテ嬢、さっきは不躾なことを言ったが、私はお前さんを信用したい。いいや、信用させてもらう。かなり精度の高い調査をされているようだからな」
院長の言葉に苦笑いするドーラ。ここで習作の香水を使いました、なんて言ったらどういう反応されるんだろうな、とか思いながらも、素直に頷いた。だが、次の瞬間、その声音は一気に真剣なものとなる。
「だが、もしお前さんの言葉に偽りがあった場合、当然、エルスオング大公家に抗議させてもらう。
そして、お前さんの調香師の免許のはく奪は当然のこととしても、先日、アイゼル=ワードに『修行』に来ていたという調香師もお前さん同様に、調香師免許のはく奪、そのうえでお前さんとそいつの発言によって、こちらの営業が妨害された、という罪で大法廷に立件させてもらう。いいな?」
院長の言葉に真剣な面持ちになったフェオドーラ。
「ならば、よかろう。明日のお前さんの活躍、楽しみにしている」
緊迫した雰囲気の中、ドーラを迎え入れるための晩餐会は終了した。
どっと疲れたドーラだったが、まだやるべきことがあるのを思い出し、背筋を伸ばして部屋に戻った。
部屋の前ではクルトとルッツが待っていた。
「大丈夫だよ、フェオドーラさん」
クルトの言葉に、ホッとしたドーラはありがとうございます、今日一晩はよろしくお願いします、と言って、部屋に入った。
あの急なテレーゼのお誘いの時に、二人にこの部屋の見張り番をしてもらうように頼んだのだった。
フリードリヒとゲオルグの製作物が何者かによって細工されないように。
どうやらそれをする不届き者はいなかったようだが、まだ夜も更けきっていなく、念のため、今日、一晩だけ、二人をテレーゼから借りることにしたのだ。
部屋に入ったドーラはあらかじめテレーゼから指示されていたのだろう、メイドたちによって湯あみ用のお湯が運ばれているのを確認すると、鞄の中から粗挽きされた塩とローズマリー精油、そして乳鉢・乳棒を取り出した。
適当な量の塩を乳鉢の中に入れて、軽く乳棒でつぶした。そのあと、ローズマリー精油を数滴たらして混合した。
それをそのまま隣の浴室にもっていき、乳鉢の中身をお湯がはられている湯船の中に入れた。
そして入浴ができる格好になり、しっかりと肩までつかった。本当はクレイとかも作りたかったが、少し余裕がなかった。
いつもよりも少し短めに入浴し終えたドーラは、二人が作製した石鹸の箱を覗いた。二つとも綺麗に作られていて、不自然な分離などがないことを確認した。
その後、テレーゼのハンドオイルをまねて作ったブレンドオイルで作った香水もどきをある量だけはかり取って、例の精油を一滴加え、よく混ぜて匂いを嗅いでみた。
「これは――――――」
その香りは紛れもなく、テレーゼが持ってきたハンドオイルそのものだった。
「じゃあ、やっぱり――――でも、一体、何故?」
ドーラはその結果が何を意味するのか分からなかったが、すべては明日決まる。
そのことから目を背けてはならない、と強く自分に言い聞かせるようにベッドに横たわり、目を閉じた。
ラベンダーとローズマリーの香りは、彼女にほんの少しばかりの休息をもたらした。
[補足&TIPS]
・調香師が罪を犯すとどうなる
この作品の世界では、程度やどのように罪を犯したかによって罪状は変わってくるらしい。
今回のようにうっかり混入した、というような程度ならば、減俸処分ぐらいで済む場合もあるが、そもそも『香り』を使って犯罪したら…?
(※まだ、未確定ではあるものの、今回のケースでは、たとえ『鼻が利かない状態』であっても、『文字は当然、読めるであろう状態』であり、親告であろうとなかろうとテレーゼに危害を加えているので、かなり重い罪に問われる可能性が高い)
ちなみに、調香師のアレコレを扱うのは『調香典範』なるものではあるが、調香師を裁くのは別に調香師でなくてもいい。というか、調香師の人数的に無理。なので、通常の裁判官はある程度、『調香典範』に通じてなくてはならない(もちろん、専門的知識を得るためにアドバイザーとして調香師を頼る場合もある)。





