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6.求婚者

 あてがわれた部屋は客間で、二階にある。両親の部屋は三階で、思っていた通り、この館で現在もっとも愛されている鈴は彼らの部屋から戻ってきた。

 静かな祈りもむなしく、二階に到達するまえに彼女とはすれ違うことになった。無視するわけにもいかず、互いに夜の挨拶を交わすと、鈴の方からこんなことを言ってきた。


「旦那様がお嬢様の事を気にかけておりましたよ」


 その声は非常に控えめな雰囲気だが、その芯は針金か何かが通っているかのようだ。振り向いて首をかしげる私に、鈴は続けて告げた。


「はとこのお兄様へのお返事はいかがなさるおつもりですか? あちらはすっかりその気のようですが」

「お前に話すことでもないわね」


 表情を変えずにそう答えるも、鈴もまた表情を変えなかった。

 ただ初に何処か似ている雰囲気の目に疑問を宿し、遠慮を見せずに呟いた。


「明日は彼も此処へいらっしゃる予定です。しっかりとしたお答えを決めておかれた方が身のためかと」

「過ぎた真似はおよしなさいな」


 そう言い残し、先に切り上げた。

 鈴はまだ私を見つめている。その視線を背中で感じながら、この親族会において一番の悩みの種だったことについて思い出し、憂鬱になった。


 はとこは二つ上だ。父方にあたり、茨の紋章こそ受け継いではいないが、それなりの家柄の三男坊だ。向こうの両親は我々が子どもの時分より、彼と私や妹の誰かとの婚約を希望していたそうだが、私は年頃になると都の館を与えられ、そこで父の紹介で知り合った全く別の誠実な男性と結ばれたのだ。


 だが、夫となったその人は不幸にも病に見舞われ、共に過ごせた時間はそう長くはなかった。喪に服し、明けるまでは淀んだ空気が流れたものだが、そんな時期にも、はとこは此方の様子を窺う手紙を何度もよこしてきた。そして、喪が明けてすぐに、求婚してきたというわけだ。


 おそらく私と年の近い妹を当てにしていたようだが、うまくいかなかった為だろう。妹は大恋愛の果てに茨の紋章を引き継がずに他家に嫁いでしまったものだから。一応、末妹が残っているがあちらはすでに婚約者がいるときた。そういうわけで、未亡人となった私しか残っていなかったのだ。


 だとしても、彼の両親はともかく、大人になったはとこの気持ちが、私にはよく分からなかった。

 茨の紋章は誇り高いものだが、彼だって受け継ぐものが全く何もないわけではない。それだけでなく、はとこは周囲の期待以上の才知ある人で、自ら積み上げる力もある人だ。

 そんな彼にとって、私の受け継いだ財産、そして、夫が残してくれた財産、茨の紋章といったものが果たして魅力的なものなのだろうか、と、疑問に思って仕方がない。


 理由が何だとしても、申し出を受けて彼と結ばれるなんて、全く考える気になれなかった。


 私には初がいる。

 今の状況で初を誰かと共有するなんて考えただけで嫌だ。もう少しあの子を独り占めしていたい。だからこそ、たとえ両親の願いであっても、再婚など今はまだ考えたくない。


 それだけに、憂鬱だった。

 彼を避けるなんてことが許されればそうしたいくらいなのだが、そうはいかないだろう。来なくてもいいところを、わざわざ来ると言っているのだから、こちらとしても真面目に返すべきかもしれない。


 これまでは両親同士の話し合いだった。両親同士が話し合い、はとこが立派に育っていくにつれて、向こうもどうでもよくなったと見えて、しつこく言わなくなってきたところだった。


 それなのに、彼本人が正式に申し出てきたのは今回が初めてだった。


 何を企んでのことかは分からないが、何だったにせよ、こちらにも利点がなければ意味がない。利得は何でもいい。財産であってもいいし、地位や名誉でもいい、愛欲だってその一つだろう。だが、こちらとしては、その一切について彼に期待できるものがなかった。

 はとこの見栄えが悪いわけでもない。ただ、こちらの食指が動かないだけで、彼は何も悪くない。改善するところなど何処にもないし、それゆえに、おそらくこの判断は一生変わらないだろう。


 こんな理由をどう伝えるべきなのだろうか。

 客間にたどり着き、ベッドに身体を横たえる時刻となっても、思い至らないままだった。


 いまに明日が来てしまう。彼と顔を合わせた時に、私はどうしたらいいのか。

 いっそ、初も同席させようか。いや、もちろん、ダメだ。こんな時に精霊少女の癒しに頼るなんて情けない。そんなことを一人で思いながら、少しずつ睡魔に身を委ねていった。


×


 一応、初のドレスはこちらで用意してきたのだが、初の訪問を心待ちにしていた父がいつの間にか新しいドレスを用意していた。

 初の成長具合を事細かに聞いてきたのはこの為だったのかと感心した。てっきり、精霊少女を愛するあまりの狂気かと疑ってしまったので、わが父ながらすまない気持ちにもなる。

 それでも、用意された衣装は、空恐ろしいほどに初によく似合ったので、やはり彼は狂人の一種であると考えた方がよさそうだ。もちろん、その血をたっぷり引いて生まれた自分自身のことも忘れてはいないが。


 ともあれ、父の計らいで見事な衣装をまとった十三歳の精霊少女の姿は、親族会に出席した誰もかれもを魅了していった。

 鈴は隅っこで朗らかに初を引き立てたものだし、初も初で珍しく調子に乗ったのか、いつものお行儀の悪さとはまた違う無邪気な活発さを血族たちに見せつけていた。

 その愛らしい妖精の姿に、兄たちや弟、末妹はますます精霊飼育に興味を抱いた様子であったし、家族の中で唯一、精霊を面倒くさいものと捉えていたらしい姉も興味ありげに初と鈴の様子をみるようになっていた。


 そんな血を分けた兄弟姉妹たちの様子を見ながら、この場でもっとも目立っている初を所有している優越感に浸っていると、時計の鐘の音で我に返った。

 十二時を告げる音だ。手紙によれば、父の従兄夫妻が息子たち――つまり、私のはとこ達と共に来てしまう時刻。予定通りに馬車は到着し、予定通りの面々が来訪した。その中にはやはり、求婚してきた彼もいる。

 忘れていたわけではないが、一気に現実に引き戻されてしまった。


 両親や事情をよく知る兄弟姉妹が、温かく彼らをもてなし、最後にはとこ達に挨拶をすると、そっと私に視線をよこしてきた。

 彼らの言いたいことは分かっている。黙って歩み寄ると、はとこは余裕ある笑みを向けてきた。


 談笑が続き、明確な目的が伏せられたまま、各々が誰かしらに何かしらの話をぶつける親族会が進められる。私にとっての大きな目的の一つであり、憂鬱の種でもあった、はとこへの返答は、騒がしい館内ではなく庭園の隅で行われることとなった。

 初は結局、連れてこなかった。鈴や他の者たちが構ってくれるだろう。二人きりで庭園を歩き、そのまま当たり障りのない話を続けた。


「――そういえば、大食堂の隅にいたのが君の花かな?」


 彼に訊ねられ、素直に肯く。


「春の市場で買った〈待宵〉の子よ。とてもやんちゃな子なの」


 すると、彼は笑った。


「確かに活発そうだったね。幼い頃の君に似ている。……ああ、ご両親の手札として切られ、都の館なんかに追いやられる前の君にね」


 その素っ気ない言葉に、すっかり気分が重くなった。


「そんな言い方しないで。両親は私の為を思って都の館を引き継がせてくれたのよ」

「都に住む商人貴族との縁結びのためだろう。旗揚げの失敗で行き場を失っていたあちらの次男坊を婿に貰い、こちらで面倒を見る代わりに、こちらの長男坊の着手する事業への協力を求めた。それだけの関係だったじゃないか。なあ?」

「……優しい人だったのよ。私とは正反対で、本気で怒った顔をついに見たことがなかった。向こうのご両親の期待する道は合わない人だったかもしれないけれど、いい人だったの」


 喪が明けたとはいえ、亡くなってそう長くは経っていない。

 初が来てからの目まぐるしい日々があったせいか、彼の事を思い出しても寂しくてどうかなりそうということはなかった。ただ、懐かしさのゆえのため息が漏れるだけだ。

 この乾いた心を癒してくれるのが初の存在であり、もともと精霊を欲しくなった理由でもあった。最近では、空しい御遊びなんかでもなく、純粋に初と共に過ごすのが楽しいと思える瞬間もあるほどだ。


「まだ早いというのなら、待つよ。君の気が済むまで」

「そういうことじゃないの」


 言葉を探しつつ、私は彼に告げた。


「たとえば……あなたに思いを寄せる女性がいるとして、あなたの方はその人は友人としては悪くないけれど、想いに応えることが出来ないっていう時もあるでしょう?」


 回りくどいようで、ちっとも回りくどくない。自分でも何を言っているのかと呆れてしまった。

 ただ、上手いたとえになっていないことはよく分かったし、それでいて、ダイレクトに私の気持ちが彼に伝わってしまったこともよく分かった。


「それが君にとっての私なのかい?」

「ええ」


 素直に認めてしまえば、一瞬の沈黙が訪れ、非常に気まずくなった。

 黙っているのも辛いが、こちらから言うべきことは何もない。ただ向こうの反応を待っていると、はとこの方からやっとため息交じりの笑みがこぼれた。


「だが、心変わりがあるかもしれないじゃないか」

「気を悪くしてほしくないのだけれど――恐らく、ないわ」


 はとこの表情が一気に暗くなる。

 出来るだけ傷つけないようにと気を付けるつもりだったが、やっぱり私には難しいようだ。


「申し訳ないけれど、あなたと私は合わない。両親がそうしろと言ったならば違ったでしょうね。でも、今回は私自身が決めるようにと言われました。……ならば、答えは一つよ」

「断る、ってことか」

「……御免なさい」


 非常に気まずく、心が抉られるような空気が流れた。

 こういう場面は不慣れなものだ。避けたくなるものだし、逃げたくなるものだ。それでも、逃げてはいけない場面もある。茨の紋章と都の館を継承した者として、気高くあらねばならないのだから。

 やがて、沈黙は破られた。はとこが力なく笑い出したのだ。こちらの気分が悪くなるほどの自嘲気味な笑いのあと、彼は私を真っすぐ見つめてきた。


「教えてくれないか?」


 声だけは穏やかにも思えた。


「何がいけない? この私の何が、気に入らないんだい?」

「何もいけなくはないわ」


 どう伝えるべきか困るが、とりあえず思いのままに伝える。


「あなたがいけないとかそういうのではないの。ただ、私とは合わないと思った。それだけよ」


 すると、はとこは再び黙り込み何かを考えだした。

 こちらから何か言うべきかどうか。分からないまま困惑していると、彼は深呼吸のち、低い声で呟いた。


「……精霊少女の飼育はそんなに愉しいのか?」

「え?」

「とぼけるんじゃない。君の噂はよく聞いている。都にある茨の館の奥様は、最近買ったばかりの〈待宵〉の少女にぞっこんだと。……そうか、精霊を愛でるあまり、現実が見えていないのかな? そろそろ目を覚ました方がいいんじゃないかね、茨の姫様?」

「見えているかどうかはともかく――」


 と、少しむっときて言い返す。


「あなたがそんな根も葉もない噂を真に受ける人ならば、このお話はなおさら無理があるようだとよく分かったわ」


 噂の内容なんてどうだっていい。

 ただ、はとこの態度が気に入らなかった。


 どんな内容であれ、嫌味たらしく言われれば腹が立つものだ。言いたい連中には言わせておけばいいが、面と向かって言われてしまうと言い返したくなってしまう性分なのだ。これが見ず知らずの人間たちならば無視していただろうが、なまじ親戚で、それも年が近いとなればなおさらだった。


 彼の方はすっかり口を噤んでしまった。

 返す文句も見つからないのだろうか。だが、呆れたように目を逸らすと、腕を組み、そして話を変えた。


「少し移動しないか」


 そうして、庭園のさらに奥へと進んでいった。

 迷宮をイメージして作られたその空間は、幼い頃には兄弟姉妹のいい隠れ家にもなったものだ。はとこも遊びに来たことがあり、共に嬉々として追いかけっこをした。懐かしい。あの頃に戻りたくなる瞬間もある。そんな迷宮に彼は入っていく。黙ってついていくと、彼は振り返りもせずに静かに語りだした。


「……子どもの頃、迷宮に暮らす怪人の話をしたことを覚えているかい?」


 さっきのことを忘れたかのように、彼はそう言った。その態度に少し安心し、私も答える。


「懐かしいわね。この迷宮のどこかに子どもを食べる怪人がいるというお話でしょう? その話をいやいや聞かされて、私は無様に夜泣きしてしまったの」

「そうか、それは見たかったものだね」

「冗談じゃないわ。あなたに見られなくて本当によかった」


 そう言って笑い合うと少しは気分が落ち着いた。気まずい空気も和らいだだろうか。彼のプライドが少しでも回復するといいのだけれど、と、お節介なことを思っているうちに、迷宮のちょうど真ん中に辿りついた。そこだけは広い空間になっている。子どもの頃はゴール地点と呼んでいた場所だ。


「実はね、迷宮の怪人は本当に存在するんだよ」

「え?」


 また変な冗談を。

 そんなことを思ったのも束の間、振り返るはとこの顔を見て、呆然とした。今まで見たことのないような、初めて見る表情だったからだ。

 何と表現すればいいだろう。怒っているという単純なものではなかった。


「ただし、望んでいる生贄は子どもじゃない。まだ若く、魅力的な淑女の血と肉だ」

「……ねえ、何を言っているの?」

「こういうことさ、茨姫!」


 直後、時間が止まってしまったような感覚に陥った。


 一瞬、何が起きたのか、本気で分からなかった。

 目の前にあるのは、幼い頃に何度も遊んだ親戚の彼の顔。一瞬だけ見せた恐ろしい形相はとっくに消えていて、笑った表情は昔よく見た子どもの頃のものと何も変わっていない――けれど。


「あ……」


 激しい痛みが生じていることだけは、よく分かった。

 声が出ず、呼吸が止まりそうになった。地面に倒れ伏してしまうと、もう起き上がれない。必死に腹部を抑えていると、べとべとになった。目に映る赤と、見上げた先で光る銀色の輝き。

 はとこの笑みと護身用の短剣。その刃が真っ赤に染まっているのを見つめているうちに、何が起こったのかをだんだんと理解していった。


 ――どうして。


「実を言うとね、昔から気に入らなかったんだよ、君の事」


 彼が短剣を振りかざす。


「子どもの頃からいつもそうだった。自分以外のすべてを見下すようなその顔と態度。他人を支配するのがお好きな御妃様。おれの気持ちを知っていながら、ずっと君はそうだったね。……見下して」


 そのまま太ももに突き刺し、引っこ抜く。


「馬鹿にして」


 二回、三回、悲鳴が喉につっかえて出なかった。


「蔑んだ目で、このおれを見ていた」


 短剣を抜くと、彼はさらに振りかざした。

 狙うのは足ではないだろう。痛みと混濁した意識の中、目の前の事態を把握するので必死だった。何が、どうして、こうなったのか、考えようとする力と、逃れようとする力が生まれたが、体は動かなかった。


「だから、君が悪いんだよ。君が、君が悪いんだ……」


 このまま、私は終わってしまうのだろうか。

 脳裏に浮かんだのは初のことだった。彼女はどうなってしまうのだろう。初の今後は……。思考が止まりかけ、見えるのはもはや赤い穢れの混じった銀色の輝きばかりだ。


「さらばだ、私の婚約者」


 冷徹な声が聞こえてきた。

 もう終わりだ。振り上げられる短剣が、私の脳天を狙っている。避ける暇も、気力もない。ただただ、自分の死を思った。


 そんな時だった。


 遠くから誰かの怒声が聞こえた。男ではなく、女。それもまだまだ子どもっ気の抜けない少女のもの。直後、ぼやけた私の視界に映ったのは、白い人影。イノシシのように飛び込んできて、そのまま武器を持った大人の男に体当たりをかます。

 それから間もなく、今度は別の誰かの足音が聞こえ、迷宮の壁に反響する激しい悲鳴があがった。


 鈴の声だ。何故だかそれは、よくわかった。


 それでは、目の前の人影は。短剣をいまだ持ったままの大の男に飛び掛かり、泥だらけになりながら取り押さえようとする小さな猛獣のような少女はいったい誰なのか。

 その正体に気づいたとき、血の気が引いた。腹からの出血のせいだけじゃないだろう。


 ――初……。


 声は出ず、名を呼べない。ただ、焦りだけがあった。

 相手は短剣を持っているのに。怪我でもしたら。心配はあれども体が動かない。そのまま視界すらもぐらりと揺らぎ、やがて、何も見えなくなった。

 見えないし、聞こえない。私の周辺が、ただの暗闇になってしまった。

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