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4.お散歩

「奥様なんて大嫌い……!」


 蝶使いが〈透翅〉を連れて帰り、もう一度だけ顔を見に温室を訪れてみれば、遮光カーテンにしがみついた初にそんなことを言われてしまった。

 プライドを傷つけるだろうとは思ったが、ここまで嫌われてしまうとは。近づけば今まで以上に拒絶されたので、こちらとしても少しだけ傷ついた。だが、精霊の言うことにいちいち傷ついているようでは、茨の紋章を受け継ぐ者として情けないものでもある。

 まずは心を落ち着けて、カーテンの裏へと逃げる初に声をかけた。


「よくお聞きなさいな、初」


 その手に触れると、やはり震えているようだった。


「これはあなたが枯れないための行為なのよ。そのために、〈透翅〉のあの子は優しくしてくれたでしょう?」


 あなたも嫌ではなかったはずよ、と言いかけて、口を閉じた。

 そうだったからこそ、初はこんなに怒っているのだろうから。


「それなら、次からは出て行ってください! あんなに観られた状態で……あんなの……わたしは嫌です!」


 疑うまでもなく、当然の恥じらいだ。

 だが、これがあの市場で一緒に売られていた別の兄弟姉妹だったら、主人への忠誠心が勝り、こんな反応はしないはずだろう。恥ずかしいという感覚はあるかもしれないが、それが攻撃や激しい拒絶反応には繋がらないもので、主人の命じることならば、何でも従うのが良き花だと言われていたからだ。

 この子もそんな花の血を引く精霊。だとしても、初は規格外の子だということを忘れてはならない。


 〈透翅〉に吸い尽くされてもなお残っている蜜の香りをそっと楽しみながら、私は初の頭を撫でてやる。


「そういうわけにはいかないの」


 柔らかな口調を心掛けて、諭してみた。


「あの胡蝶は私の所有物ではないし、あなたはあの蝶使いの所有物じゃないでしょう。そういう場合は、トラブルを避けるために所有者が監視していなくてはいけないものなの」

「うそよ! 奥様はわたしの無様な様子を見て、楽しんでいらっしゃるのだわ!」


 それもあるかもしれないわね、と認めたくなる気持ちを抑えて、ため息を一つ。


「ともかく、次回も今日のような状況で蜜吸いをするの。でも、恥ずかしがることはないわ。人間に飼われている花の精霊ならみんな同じだから。あなただけじゃないの」

「だとしても――奥様なんて大嫌い!」


 結局、そのあとはまともに会話できずに終わった。私が悪いのだろうか。だとしても、初に頭を下げる気にはこれっぽっちもならない。


 それに、結果的に、蜜吸いを経験させたのは正しかった。


 あんなに苛々していたのに、翌日以降の初は大人しい。蜜吸いの回数が重なるにつれて、激しい気性がだいぶ抑えられてきたような気がした。

 もちろん、そう簡単に従順になったわけではなく、ただ意味もなく悪態を吐くことが減っただけだ。

 相変わらずういの方は主人である私を恨んでいたし、事あるごとに睨みつけてきた。ただ、沸き起こる苛立ちで訳が分からなくなってしまったり、使用人に辛く当たるようなことが減っただけだ。


「お嬢様は恥ずかしがり屋なのですよ」


 笑いながらそう言ったのは、初の身の回りの世話をよく頼む使用人の一人だ。年の頃は若く、それでいて気丈なところが好きな女性である。仕事着が良く似合う、可愛らしい人でもあった。

 茨の館の仕事着が良く似合う使用人はいいものだ。我が館に訪問した客人の目の保養にもなるし、それがまた私やこの館、延いては田舎で過ごしている私の一族への評価にも繋がる。


 そんな自慢の使用人の中でも、彼女は初と接する時間も長い。初の扱いが男女含めた使用人の中で誰よりも上手だからだ。


「奥様の前では”あんなこと”を仰いますけれどね、奥様のお姿が見えなくなると急に不安を口になさるのですよ。この間なんかは『嫌われなかったかしら』と呟くほどでした」

「それはいい傾向ね」


 静かに呟き、髪を梳いてもらった。

 今日はいつもとは違うことをする予定だった。初はいまだあの温室しか知らなかったが、そろそろ茨の館の庭園を案内しなければと思っていたのだ。

 もちろん、可能ならば、庭園だけにとどまらず、広い敷地の隅々まで教えてやるつもりだ。まだまだ外に連れ出せるほど手懐けられていないが、そのための練習だと思えばいい。

 不従順さが目立ち、生家の花売りさえも客を喜ばせられるか疑っていたような子だが、そんなじゃじゃ馬だろうと手間暇かけて調教すれば素晴らしい名牝めいひんにもなれるはず。少しずつだが手ごたえを感じるたびに、そう信じていったのだった。

 それに、外の空気を吸うことはいい気分転換になるだろう。自らの負の感情のこもる温室にずっといるよりはいいはずだ。そういうわけで、暇なこの一日を初との時間に捧げることにしたのだ。


 ちなみに”あんなこと”というのは、初の口にする数々の暴言だ。

 悪霊にでも憑かれたのかと疑うような言葉を口にすることがある。中には、何処で覚えたのか花売りに問い合わせたい言葉も混じっている。

 だが、そういうこともせず、初の口から飛び出す一切の暴言を私は受け付けなかった。すると、以前ならば暴言の行先は世話をしようとする使用人に向いたものだったが、最近では彼らに対しては言わないらしい。彼らの愛想を尽かせば世話をしてもらえず、自分が不快な思いをするだけだと悟ったのだろう。


 そうなると、週一回会いに来てくれる〈透翅〉に向いたりもしたものだが、変わらずに会いに来てくれるあの〈透翅〉はにっこり笑うばかりで全く相手にしない。いつもお腹を空かせて来るものだから、いかなる暴言も楽しいお遊びにしか思えないらしく、暴言を吐くその唇をさっさと奪ってそのまま貪ってしまうのだ。

 結局、勝ち目がないのだと蜜を吸われるたびに思ったらしく、前回の蜜吸いではとうとう何も言わずに〈透翅〉に自ら身を委ねていた。


 そういうわけで、暴言の被害に遭うのは私だけとなった。

 何かあるたびにぎろりと睨み、小言を口にする。回数も減り、機嫌がいい時も多くなってきたとはいえ、その爆弾のような言葉の威力はすさまじい。それでも、私はため息のみに止め、呆れた眼差しを彼女に向けていた。

 どうあろうとこの関係を崩すのだけはいけない。それに、いかなる暴言も効果がないと気づいて悔しそうに俯く初の顔を見るのは、悪趣味であろうとやっぱり楽しいというのが私の本心だった。


 そこへ、使用人の彼女の報告である。嫌われなかったかしら、だなんて。ずっと期待し続けた時が近づいてきているかもしれない。


「ですが……やはり心配です。本当に今日、あの庭園にお連れするのですか?」


 使用人に訊ねられ、素直に肯く。


「そろそろあの子がここに来て二か月だもの。いい加減、外遊びの仕方も教えなくてはいけないし、外の空気も吸わせてあげたいの」


 その言葉に使用人は静かに同意してくれたが、心配するその気持ちが分からないわけではない。私だって心配だし、世間が許すのならば一生温室に閉じ込めておこうかとまで思うくらいだった。

 だが、それはさすがに可哀想であるし、我が茨の館の評価にも繋がる。同じ頃に市場で花を買った人々が、そろそろ連れまわす頃だと目や耳で知る機会が増えてきたからこそ、私もまた焦りを感じていた。


 もちろん、苦労することは分かっていたとも。

 冷静に考えてみれば、市場であのような態度をとられてまで初のような個体を購入する酔狂な人物などなかなかいないだろう。

 ならば今更、周囲の目など気にしても仕方ないのでは、と、普通ならば思うかもしれない。長く仕えてくれた使用人だって、それこそ、私が幼い頃か付き従ってくれた人たちだって、そう思っていたとしても不思議ではない。


 しかし、私にはプライドと願望があった。自分の器量を試してみたい気持ちがあった。

 自分を買った人をあっさり信じて付き従う分かりやすく素直な愛玩精霊もいいだろうとは思うし、私だってそんな少女を買って癒されるつもりだった。

 だが、市場で目にしたあの反抗的な目は、私の心の中に眠る好奇心と支配欲を呼び覚ましたのだ。それだけの魅力が初の葡萄色えびいろの目にはあったのだ。


 反抗心を挫くのは楽しい。

 どんなに野蛮な心だと思おうとしても、悪趣味だと言い聞かせようとしても、全身を駆け巡る血が、この子にしろと私に強く指示してきたのだ。

 だから、この子にした。おきゃんでも通じるような跳ね返り娘にしたのだ。

 あの子が心身ともに服従したときこそ、私の真の評価が決まるだろう。今頃、〈待宵〉家の花売り達は、いつ取り換えの要望が来るかと待っているかもしれない。だから、驚かせてやりたい気持ちもあった。

 花売りさえもお手上げであったこの精霊少女を手懐け、鋭い部分は残しつつも私には逆らえないように整えてみせようではないか。

 そんな野望を実感しつつ、私は初と過ごす午後へと思考を巡らせた。


×


 茨の館の庭園の管理は、故郷で父と親しかった庭師の息子に任せてある。十六歳の頃、家庭の事情で私が故郷を出てこの館に越してきた頃、父の計らいで共についてくることとなってからの縁である。

 年がら年中、庭いじりが大好きな彼は、私がさほど興味を持たずに丸投げしてくるのをいいことに、我が庭で壮大な芸術世界を築こうとしはじめる。


 彼が主役として選ぶものは野薔薇である。別にそう頼んだ覚えはないのだが、茨の紋章にこだわった結果であるらしい。父も、その父も代々仕えてきた茨の紋章は、彼にとっても特別なものだったのだろうか。理由はどうあれ、彼は天才だった。此処に暮らす誰もが納得する出来であるし、同じ紋章を受け継ぐ血族たちもまた庭師の才能を褒め称えて帰るほどだった。

 だが、彼の方はどんな称賛の言葉も控えめに受け取り、やりづらそうな顔でとにかく失礼のないように振舞うので精一杯らしい。彼にとって大事なことは庭いじりだけであり、誰から褒められるのかということではないらしい。

 だからこそ、私もまた彼の生み出す世界は、この都の館に越してくる前――両親の元で暮らす未熟な小娘の時分から大好きだった。その頃はまだ彼は父親の弟子だったが、天才の片鱗は常にあったのだ。


 こうして、初と共に歩くと、その美しさも倍増する。

 無理やり連れだしたのは否定しない。初の方も温室に閉じ込められる身分を恨んでいたはずなのに、いざ、外に出されると知ると怯え始め、拒絶の姿勢さえ見せたものだった。

 用意された着替えが新しい余所行きのものであると気づいて、渋々ながら納得してくれなければ、二人での散歩は延期となっただろう。


 お転婆娘と共に繊細な美の世界を歩くのはいささか不安でもあった。

 もしも彼女が庭師の芸術を理解しなかったらどうしようという疑問がわずかでも頭をよぎったのだ。

 彼女の方はこの庭園にとてもよく似合う存在なのだが、激しい気性はモノを壊しかねない。もしも、暴れて植物の茎でも折ってしまえば、庭師の彼を傷つけることになってしまう。人の愛よりも植物の美への愛をとる彼の心を傷つけるようなことは、それだけ罪深い事だとさすがに思えた。

 その不安は初を本当に外に出していいものか悩む要因の一つにすらなった。


 しかし、いざ連れ出してみれば、そんな心配をせずに済みそうな雰囲気は生まれた。驚いたことに、初は素直に私に手を引かれ、まるで本物のお嬢様のように歩いてくれたのだ。

 それでも、人形師が魂を込めて作った生き人形のようなその容姿から、耳を塞ぎたくなるような暴言を吐くのではないかと疑ったものだが、そんな心配もなく、初の方はすっかり庭園の世界に目を奪われていた。


 使用人を数名引き連れて静かに歩けば、初は何度も足を止めて野薔薇で作られた幻想的な光景を間近で見つめ、そのままため息すらついていた。

 そうしていると淑やかなものだ。いつも黙っていれば本当に美しい子だ。静かに芸術世界に浸る我が子同然の愛玩精霊を横からまじまじと見つめ、春の市場で購入を決めた過去の自分の決定に我ながら満足してしまった。


「きれい……」


 庭園の真ん中あたりまでやってきたとき、初はようやく呟いた。


「すごくきれいですね」


 これまでの暴言を一切忘れてしまったかのように、彼女は私に同意を求めてきた。

 美しくて華やかな世界は苛立ちを抑えてくれるものなのだろうか。純粋に感動している彼女に素直に共感を示してやると、一瞬だけだが心から嬉しそうに笑ったのだ。

 しかし、直後、はっと我に返り、気まずそうに目を逸らした。


 ――まあいい。

 こんなにもあっさり懐いてしまうのも面白くない。それに、これでは庭師のお陰ということになってしまうではないか。それではいけない。初の心の扉は私自身の力でこじ開けなくては意味がない。頑なに中身を守ろうとする扉の鍵を、あの手この手で弄繰り回して開けてしまうのが楽しみなのだから。


 手は繋いだまま、初の目がまた庭園へと向く。

 唇をぎゅっと結び、さっきのような自然な笑みはもう浮かばない。それでも、足早に去りたがる様子は全くなく、私に手を引かれるままではあるが、目に映る光景の一つ一つを大切に愛でていた。

 私の方は見慣れた風景でもある。もちろん、庭師の新作なども時折公開されるが、その気になれば毎日見ることの出来る世界なのだから、初のような反応は自然にできるものではない。


 ただ、今日のところは別の楽しみを見出していた。美しい庭園に心惹かれている精霊少女はそれだけ美しかった。

 どんなに無表情を保とうとしても、目の輝きまでは隠せない。ああ、やっぱり精霊というものは、寂しい日常を癒してくれる子たちなのだ。

 初は殆ど会話をしてくれなさそうだが、つくづくそう思える時間だった。


 無言のまま庭園の西側にあるガゼボに向かい、無言のまま座った。

 立ったまま呆然と庭園を見渡している初に座るように声をかけてみれば、驚くほど素直に従った。手を繋いだまま、静かに同じ空間を共有する。時折、小鳥が歌う声が聞こえ、庭園の花々には精霊でない蝶々などがちょっかいを出しに来る。

 初はそんな光景に見惚れていた。

 人間が人間のために整えた美の世界に素直に見惚れ、感動しているようだ。

 本当はこの子もまた作り物の世界の住人のはずなのだが、今だけは観客のような気持ちでいるらしい。もちろん、むやみに意地悪をするつもりはない。こういう反応を期待して連れてきたのだから。


 ただ、少しだけ確認してみる。


「うちの庭園、気に入ったかしら」


 初はびくりと震え、答えた。


「……ええ、とても」


 やけに素直だった。


「それなら、また連れてきてあげる。今度はお菓子でも持ってきましょうか。あなたの口に合うような花の精霊のための砂糖菓子よ。食べたい?」


 初は困惑した様子で見上げてきた。

 私の言葉に棘になるようなものを感じなかったからだろう。


 ああ、そうだ。攻撃するつもりはない。服従させる気ではあるが、別に彼女のことが憎いからそうするのではない。ただ、人間と精霊は同じでないというだけで、そこにも愛は確かにあるのだ。

 初を選んだのは私であり、金を払って購入すると決めたのもこの私だ。他の誰よりも初が可愛いとさえ信じている。同じ〈待宵〉であろうと、扱いやすい子であろうと……どんなに困らされようと、時折、ふとした瞬間に初でよかったと思うようになっている。

 この気持ちをわざわざ言葉にして伝えることはないだろうけれども。


「――いただけるのなら、ここで食べてみたい……かもしれませんね」


 その表情は相変わらず素っ気ない。

 しかし、それでもその心を揺るがす寂しがりな気質は透けて見えるほどだった。コツさえ分かってしまえば、案外簡単なものなのかもしれない。

 だが、だからと言って油断は禁物だ。関係のこじれは何を生み出すか分かったものではない。火遊びもほどほどにしておかないと、燃え移ればこの身も焼け焦げてしまう危険性があるものだ。

 初が何かしらのトラブルで我が紋章に泥を塗るとすれば、それは初のせいではなく私の責任となる。それが精霊よりも自由を約束され、尊重される人間としての義務でもある。忘れないようにしなければ。


 そんな思いを抱えつつ、この場は素直に笑いかけ、初の頭を撫でてやった。

 彼女はいじらしくも不満そうな表情を浮かべたが、私の手を払いのけることはなかった。


 ただ、もう一度、その視線は庭園へと向いた。

 庭師が魂を込めて手入れをした幻想の世界がそれほどまでに気に入ったのだ。

 美しいものは人を素直にさせるが、精霊もまたそうなのかもしれない。


 そわそわしながら世界を見渡し、何度もうっとりとしているらしい初の姿を見つめながら、これから先の未来について想像を巡らせてみる。

 この庭園で自由に遊ぶこの子の姿は本当に綺麗なものだろう。いつか、この子と私が心より信頼し合えるような関係となった時にはぜひとも見てみたいものだ。蝶や小鳥を遊ぶ彼女は、寂しい心をよく癒してくれるだろう。

 そんな未来に期待と願望を寄せながら、私は愛すべき精霊少女や心のおける数名の使用人たちと共に穏やかな午後の時間を楽しんだ。

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