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3.蜜吸い

 おきゃんなんて名前は良くない。

 そう思ったために〈待宵〉の系譜にはういという名前で登録されたはずだったのだが、当人のじゃじゃ馬娘ぶりは相変わらずで、引き取ってから一か月経っても、いまだ彼女と私との間には静かな対立関係は崩されていなかった。

 あまりにも言うことを聞かない場面が多く、そのたびに「お侠な子ね」などと言っていたものだから、いつしか「お侠」でも通用するようになってしまった。

 これはいけない。この子の名前は初である。少なくとも、私が間違ってはいけない。


「そういうわけだから、貴女たちもあの子のことをお侠って呼ばないようにね」


 注意した先は使用人一同である。

 数ある中で女性に限っては複数人に初の身の回りの世話を任せていた。心優しくあの子の暴言を真に受けてしまうようなものは外し、何を言われても動じずにただ私に言いつけられた仕事のみを黙々とこなせるようなベテランや芯の強い者ばかりである。

 そんな彼女らが時折、あの子を表すときに「お侠」という名を使うことがあるのだ。あの子にも自分の名前を正しく認識してもらうためには、ここも徹底しなければならないだろう。


 幸い、使用人からの不平不満は出なかった。

 彼女たちが裏で何を愚痴っているかまでは興味のないことだが、少なくとも私や初の前でしっかり守ってくれるのならばそれでいい。


 そんなことがあった数日後、毎日しているように温室に閉じ込めた初の顔を観に行ってみれば、いつにも増して機嫌が悪そうだった。

 蜜がたまって辛いのだろうかと思ったが、そうではなかった。


「初なんてお名前、気に入りません。それなら、お侠でいいわ」

「どうせ、あなたは私がなんとつけようと気に入らないのでしょう?」


 そう言ってみれば、またぷいっと視線を逸らすのだった。


「よくお分かりですね。そろそろ愛想も尽かされたのでは? 奥様だって、お金を払ってまでこんなにも不従順な精霊を養うほど奇特なお方ではないでしょうに」

「そうね。あまりにもワガママな子は嫌いかもね」


 声色を変えてそう言ってみれば、初はやや怯えを見せた。

 どうやら想定外の反応だったらしい。


 初に関しては手ごたえを全く感じていないわけではない。

 引き取ってしばらくは敬語すら使わずに怒らせようとしてきたこともあったが、そちらは無視という形で強制した。何だかんだで寂しがりやな彼女は、ここしばらく敬語を忘れたりしない。

 手探りではあるが、こちらが〈待宵〉に関するある程度の知識を持っている限り、こちらの方が有利である。あとは時間の問題だろう。


 実際、水はよく飲むし栄養もしっかり摂っている。

 日光や月光を浴びるのも嫌ったりしないので、何者にも吸われることのない蜜をたっぷりと抱えている。名前も決めたことだし、我が館の温室にも慣れてきただろう。

 病気や体調不良なども特に見受けられないということで、そろそろ花売りに連絡しなければならないことがあった。


 〈蜜吸い〉という行為に関することだ。


 花の精霊たちは年頃になると蜜を溜め始める。甘い香りがするのはそのせいで、目に見えぬ体液のようなものだ。人間が触れたところで蜜を目にすることは出来ないが、虫や鳥、蝙蝠の精霊などが相手となると話は変わってくる。蜜は子孫を残すためのものであり、子孫を残すには彼らの手助けが必要なのだ。

 初も年頃である。そもそも、春の市場で売られる花たちは、いよいよ蜜吸いに適した体になる子ばかりだ。環境に慣れたあたりで気の合いそうな虫の精霊と引き合わせることが望ましい。


 まだ子孫を残すには若すぎるが、かといって、放置しすぎるのもよくない。

 蜜を溜めすぎることは精霊の身体にも悪いためだ。よって、愛玩用の花の精霊たちであっても、定期的に蜜吸いをさせてやる必要がある。無論、実を結ばない対策は十分とってやる。


 初が苛々している理由の半分ほどは、溜め込んだ蜜のせいかもしれないとも睨んでいた。それでは、蜜吸いを経験させてしまえば少しは落ち着くのではないだろうか。

 時間が解決してくれるという意味にはこういう面もあった。


 それに、初は寂しがりな子だ。

 周囲の人間に対してワガママを口にしながらも、その反応を決して甘く見たりはしない。

 今しがたの私の声色が気になったらしく、決まりの悪そうな顔をしながら呟いた。


「……分かりました。仕方ないからこれからも初って呼んでくださいな」


 そう言って、唇を尖らせる。

 悪戯をして怒られた子供のような顔だ。

 静かに頭を撫でてやれば、手触りの良さが心地いい。


「あなたに許可されたことだし」


 皮肉を込めて言えば、初がじっと見上げてきた。

 その葡萄色の目を見つめながら、囁く。


「そうさせてもらうわ、初」


 私の顔に浮かぶ表情を見て、初は少しだけホッとしたようだ。だが、すぐに我に返り、先程までの気丈さを取り戻した。

 腕を組んでつんとするその様子は、お姫様というよりもまるで小さな御妃様のようだ。もちろん、そんな御妃様にこの私が仕えるつもりは一切ないのだけれど。


 それよりも、少し調子に乗ればまた跳ね返るこの姿を見て、少しだけ楽しみな思いが浮かんだ。

 初めての蜜吸いの時が差し迫っている。体調を考慮するならば相手は虫の精霊になる。おそらく、その血統で大人しい性質を受け継いだ胡蝶のいずれかの品種になるだろう。

 昔から〈待宵〉には〈透翅すかしば〉と呼ばれる胡蝶の品種があてがわれてきた。本によれば、本能的にこの二種は相性が良く、〈透翅〉は〈待宵〉の支配の仕方をよく知っているらしい。


 この子は支配されるくらいならば死んだほうがマシと何度も言っているが、いざ蜜吸いの時になればどうだろう。相手が誰であろうと、花の精霊は蜜吸い相手に敵わないのが常識だった。

 花売りが紹介してくれるのはおそらく、その道のプロ。世間知らずなこの子が屈服するのにさほど時間はかからないだろう。


 だが、プライドがズタズタになるだろうということも想像できた。

 初めて経験した後は、どんな顔をするだろう。私を恨むだろうか。その時の顔を想像すると、非常に楽しみでもあり、意地悪な自分の心に気づいて僅かながらの罪悪感も抱いた。

 ともあれ、花売りにまた手紙を書かなくては。そんな思いと共に、珍しくやたらと話しかけてこようとする初の相手を一方的にやめて、温室を閉め切った。


×


 〈待宵〉の花売りが紹介してくれたのは、案の定、〈透翅〉の家柄だった。

 蝶使いがとっておきの個体を一名連れて我が館にやって来た日、そのまま温室に案内してみれば、待っていた初は目を白黒させた。

 胡蝶を間近で見たのは初めてなのかもしれない。春の市場でも虫の精霊と花の精霊の売り場はかなり離されていたので、無理もない。

 しかし、知識に乏しいにせよ、本能的な囁きには無力であったらしい。花の精霊はいつだって胡蝶に魅了されるのだという古来からの言い伝えは本当だった。一目見ただけで、初は〈透翅〉に魅了されていた。


「……これから一体、何をなさるの?」


 珍しく不安に思ったらしく、初はかなり素直に私に訊ねてきた。

 だが、素直だったからと言ってこちらの態度は改めない。いつものように私は距離を置き、蝶使いは手慣れた様子で連れてきた個体に命じる。〈透翅〉という名は透き通るように白い肌と透明に近い髪の色によるものだと聞いていたが、なるほど確かに美しいものだった。


 初の態度に恐れを感じたからだろう。蝶使いが心配そうに私を窺ってきた。何か言いかけるのを片手で制してから、初に静かに告げた。


「生家で聞いたことはない?」


 そして、〈透翅〉の両肩を背後からそっと抱いて、初に見せつけた。


「この子は胡蝶。あなたと同じ精霊だけれど、少し違う」

「胡蝶……」


 その表情から分かるのは、胡蝶という種族への警戒心だけだ。

 きっと花売りの家にまで忍び寄る数々の胡蝶に関して、育ての親から言い聞かされていた注意があるのだろう。

 花売りにとって野生の胡蝶は害虫同然だ。どんなに姿が美しかろうとせっかくの商品を台無しにする忌まわしき存在だと聞いている。彼らが愛するのはきちんとした蝶使いによって交配された、確かな血統の胡蝶だけ。この〈透翅〉もその一人ではあるが、そんな事情まで初が知っているとは思えない。


 どんな注意を受けてきたのやら、初はすっかり〈透翅〉のことを恐れ、温室のガラス張りの決して開かない窓へ背中をつけた。行き止まりと気づくと左端へと逃れ、遮光カーテンにしがみついて震え始めた。

 そんな彼女を前に動揺を見せたのはこの場において蝶使いだけだ。私はすっかり呆れていたし、〈透翅〉に至っては憐れみなど全く感じていない様子で、ただ初の溜め込みすぎた甘い蜜の香りにうっとりとしていた。


 早く吸いたくてたまらないのだろう。ならば、そうさせてやるべきだ。

 私はそっと〈透翅〉に囁いた。


「優しくしてあげてね」


 すると、〈透翅〉がちらりと私の表情を見上げてきた。透明に近い灰色の目が輝いている。嬉しくてたまらないという顔に、こちらも自然を笑みがこぼれた。獲物を前にした胡蝶の表情もいいものだ。いずれはもう一つ専用の飼育部屋を作らせて、市場で買うのもいいかもしれない。

 両肩に置いていた手を離すと、〈透翅〉はあっという間に初を追い詰めた。


「やだ……来ないでよ……」


 怯える初を乱暴に扱うのではなく、笑いかけて手を伸ばす。そのなんと美しい事。


 花の精霊のほとんどすべてと胡蝶の関係は、人間における恋愛模様とは少し違うのだと聞いている。正常に育ち、蜜を溜めこむようになった花たちは、生まれついて胡蝶に心惹かれるようにできているのだ。これは人間が徹底的に管理して反映した花や胡蝶だけではなく、月の森などの厳しい自然を生き抜く精霊たちであっても同じだ。どんなに相手を憎もうとも、胡蝶に笑いかけられれば花の精霊は逆らえない。そういうものなのだ。


 結局、初も抵抗しきれないまま、〈透翅〉に捕まってしまった。


 蝶使いは心配そうにしている。自分の胡蝶のせいで初に何かがあったらどうしようかと冷や冷やしているのだろう。それに、あの胡蝶だって彼にとってはとても大切な商品でもあるのだ。怪我なんてさせられたらと思うと、心配でたまらなかったのだろう。

 だが、彼の心配などよそに蜜吸いは無事に始まり、無事に終わった。

 生まれて初めて経験しただろうその行為の後、初は泣き出してしまい、ますます蝶使いは困惑した表情を浮かべた。ただ、私や〈透翅〉はけろっとしていた。

 初が泣いているのは、ただ悲しくて恥ずかしかったからではない。その証拠に、蜜吸いは彼女に確かな癒しを与えたように思えた。花が生き延びるのに必要不可欠な行為なのだから当然だろう。だからこそ、初は泣いているのだ。あんなに嫌がったのに、自分自身も求めていたことを知ってしまったから。


 蜜を吸ってしまえばあとはもう用はないのだろう。すすり泣く初をそのまま放置して、〈透翅〉は立ち上がった。振り返るその顔色は非常によく、目元や口元には残忍とも思えるような笑みが浮かんでいた。どうやら美味しかったらしい。


「兄さま」


 控えめながら芯のある声で〈透翅〉は蝶使いに言った。

 そこで、蝶使いがやっと我に返り、慌てたように私に声をかけた。


「奥様、これで蜜吸いは終わりです。この子で問題ないようでしたら、来週の今日あたり、また連れてまいります。明日までお嬢様の様子をみてやってください。初めての蜜吸いは、注意深くおこなっても体の負担となることがありますので……」

「ええ、分かりました。問題なければ連絡しましょう」


 連絡は蝶使いの家にすればいいとすでに聞いてある。


 淡々とやり取りをする間、〈透翅〉はもうすっかり初への興味を無くしたとみえて私たちの元へと歩いてきた。その肩にそっと触れてみれば、嬉しそうに微笑んだ。

 蝶使いも笑い、〈透翅〉に触れる。


「いかがです、奥様。胡蝶も良いものでしょう。花たちよりもお転婆なところがありますが、よく躾けられた胡蝶は人々の心を明るくします。花と違って胡蝶なら人間と添い寝もできますよ。もしも興味がわきましたら、いつでもご相談を承りますよ」


 こういう時もセールストークは忘れないのは商人貴族の鏡だろう。

 売品なのか非売品なのか分からない〈透翅〉は、怪しげな笑みを口元に浮かべる。


「そうね。いつになるかは分からないけれど、覚えておきましょう」


 そんなことを言いながら、ふと温室の端へと視線をやれば、初がさめざめと泣きながら、恨めしそうに私を睨みつけていた。

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