1.お迎え
春の市場の報せは毎年届くものだ。シンプルな便箋に、流麗な文字で挨拶が綴られている。確か、一昨年辺りから書き手が代替わりしたのだった。
いつもは読んでそのまま捨てるのに、今年はどうしてわざわざ出向こうと思ったのだろう。
ただ予定がなく、資金にもゆとりがあり、我が家は寂しかった。そういった理由が重なったからこそ、私はきっと春の市場に癒しを求めに行けたのだ。
我が月の国の春の市場では育ったばかりの精霊の子が売られている。その高貴な血統も、辿っていけば都の外れに広がる月の森という神聖なる地で暮らしていた様々な精霊たちにたどり着く。
月の森には城があり、そこには女神がお住まいになっている。彼女がいることで我が月の大地は潤い、栄え、生き物の住める場所となる……というのが我が国の信仰だった。
ともあれ、女神は精霊たちを愛しており、精霊たちもまた同様である。
しかし、いかに女神とはいえその神力は無尽蔵のものではない。さまざまな悪意が重なれば、精霊たちの棲む場所や古き血統は乱され、果てには絶滅という言葉さえよぎる。
だからこそ、国民のうちでゆとりある者が精霊を養い、守り、その血脈を絶やさないということは、女神への信仰にも関わる、とても大事なことなのだ。
春の市場、もしくは、秋の市場で何かしらの精霊を購入することは大いに推奨されている。すでに精霊を購入し、養っている者たちは尊敬されている。いつしか精霊たちの存在は、我々人間にとって地位や権威の象徴にもなっていた。
私も、そのためにいつかは購入するつもりでいたのだ。
ステータスシンボルとしての精霊は、もちろん見栄えがとても大事である。幸い、市場に並ぶ精霊たちは少年少女問わずどの子も愛らしい。生き人形のようでいて、その表情はころころ変わる。
寿命は健康ならば短くとも五十年ほど。長ければ七十年近くは生きるらしいが、その見た目からは美しさは枯れ果てず、見る者の心を華やかにさせる力は死ぬまで失わないそうだ。
姿は人間に似ている。そのため、本当に精霊かどうかを調べることもあるそうだ。しかし、そうはいっても雰囲気で分かるものなのだと市場で実際に見てみればわかった。
どの子も人間特有の影を感じない。世間知らずのまま育てられたお人形のようだ。生きている人形とはよく言ったもの。しかし、そこがまた愛らしい。
権威のための購入とあらば、見た目だけではなく中身も重要だ。
よく笑い、不平不満を言わず、主人に忠実な精霊であることは大前提となる。
先祖代々精霊たちの血統管理をし、しっかりと育成をして売り物にする花売りや蝶使いといった人々も、厳しく彼らを躾けるのだと聞いていた。
だから、市場を歩いている間、世間知らずの精霊たちに不快な思いをさせられることは一切なかった。ブースを覗けば、精霊たちはお行儀よく姿勢を正す。それは、すでに先約のついたことを意味するリボンをつけている子も同様だった。
しかし、そんな市場において、気になる子が一人いたのだ。
――花の精霊の少女である。
足を止める私を目敏く見つけた花売りが近づいてきて語りだす。
「ようこそいらっしゃいました、茨の館の奥様。お父様のお噂は先代よりかねがね聞いておりますよ。ご存知かもしれませんが、我が〈待宵〉家の今年の花たちは五代にわたる連続戻し交配によって生まれた精霊たちです。明るく朗らかな性格に、葡萄色の目、穢れを知らぬ象牙色の髪は、古き血統を守り抜く〈白銀〉家の方々が生み出す精霊たちの銀色の髪と比べるとやや光沢は堕ちるかもしれませんが、その分、身近で温かみがあると自負しております。さあさ、ぜひともご覧ください」
〈待宵〉といえば、実家の父が愛好する品種である。
実の娘である私よりも精霊少女に夢中になっていた彼の事を思い出し、虚無感に見舞われる。……だが、その一方で、並んだ少年少女の姿に胸が熱くなるような思いを感じたのだ。
多弁な花売りに促されるままに私は商品を眺めた。
十一名いる少年少女のうち、リボンをつけていない子はほんの三名だ。そのうちの二名はすでに別の客が何度も話しかけ、思案を巡らせている。
たった一人、ブースの奥で俯き気味に立っている少女だけに、お客がついていなかった。
真っすぐその子の前へと向かうと、象牙色の髪とほんのりとピンク色をした肌によく似合うレースのドレスで着飾られていた。おそろいのオレンジのリボンをすでに貰っている兄弟姉妹らしき子たちが心配そうに彼女を横目で見やる。だが、その子は他の子たちのような愛嬌を全く見せなかった。
「こら、顔をお上げ。お客様によくその可愛いお顔を見せなさい」
花売りの青年がステッキでその顎を持ち上げた。その時、彼女の葡萄色の目に一瞬だけ宿った反抗的な心を私は見逃さなかった。
この少女、どうやら他の精霊たちとは少し違うらしい。その感情を私はじっくりと覗いてみた。
「ありがとう。十分見たわ」
そう言うと、花売りは帽子を脱いで挨拶すると、ステッキを下ろした。
解放されると、少女は弾かれたようにまた地面を向き、先程よりもよりむすっとした表情に戻った。
「申し訳ございません、奥様。この子は緊張しておるのです。何しろ、初めての市場でして……」
「そのようね。でも、市場で売れる出来なのでしょう?」
「それはもう勿論のことです!」
花売りが大げさな動作で強調する。
「確かにこの子、気性に若干の問題を抱えているかもしれませんが、我が〈待宵〉家、見た目だけの出来で市場に精霊を流したりはしません。先祖代々続いてきた長きに渡る信頼を裏切るわけにはまいりませんので……」
笑いながら説明する彼の姿は、まるで寓話の狐のようだ。
しかし、その魂を芯から疑っているわけではない。この家だって何百年も続いてきた老舗であるし、こうして客として来た私の事を甘く見るような馬鹿ではないだろう。
周囲の目をはばかるようにしてから、彼は私にそっと耳打ちをしてきた。
「もし、お買い上げいただけるのであれば、それなりの補償も約束いたします。……ご購入後、扱いに困るようでしたら我が家にご連絡ください。一年後、二年後になるやもしれませんが、無料で良質な個体とお取替えいたしましょう……」
これでだいたいのことが分かった。
この子は見た目こそ合格点で市場にこそ連れてこられたものの、その気性は辛うじてお客に売れるレベルのものなのだ。とんでもない欠陥品というわけではないが、訳あり商品ということだ。
もっと探せばいい子はまだ残っている。この品種にこだわらず、ましてや花の精霊にこだわらなければ、選択肢などいくらでもある。
わざわざ今の時間に、こんな少女を掴まされることはない。
だが、いざ帰ろうと思えば、目の前で反抗的に俯くこの少女の姿がやけに目の奥に焼き付いた。
従順すぎる子に癒してもらおうと思ってきたはずなのだが、これはこれで楽しそうだ。
この反抗心を挫いて従わせるのは、どんなに快感だろう。
「分かりました」
ため息交じりに私は花売りに向かって言った。
「この子にリボンを差し上げて」
こうして、私もまた父の愛した品種を養うこととなったのだ。
×
契約を交わし、一括で料金を払ってしまえば後は速やかなものだった。
迎えに寄こした馬車が我が家に到着するまでの間は、退屈で死んでしまうのではないかというくらい長く感じてしまった。
窓からそっと覗き続け、やっと現れたと思えば、今度は使用人が長話でもしているのか、なかなか通さない。ようやく呼ばれた時には頭痛がしてきたものだったが、今は苛立ちをぶつける時間すら惜しかった。
応接間に待たせてあると聞いて会いに行ってみれば、市場で会話したあの青年と、私が購入を決めたあの少女が確かにそこにいた。
彼女の荷物はすでに受け取ってある。そう多くはないが、中には精霊が新しい家に馴染むのに欠かせない品物もある。
部屋は精霊の飼育のためのもので、精霊購入を見据えて作らせたものだった。この子が最初の住人となる。年は十三歳と聞いているから、何事もなければおよそ六十年くらいは暮らす場所となるだろう。
花の精霊なので、「温室」と呼ぶべきだ。これが、胡蝶などのあらゆる虫の精霊であれば、「虫かご」と呼ばれ、鳥の精霊ならば「鳥かご」と呼ばれる。
「やあ、お待たせして申し訳ありません」
狐のような表情で彼は言った。
「この子も新しいお城が楽しみだったようで……ええ……ちょっとやんちゃな面を見せてくれましてね」
その額には冷や汗が浮かぶ。
「そのようね」
私は静かに頷いた。
気性が荒いというのは承知済みのことだ。だが、思っていたよりもこの子の教育は手がかかりそうだ。窓からその姿が一瞬見えた時は綺麗な格好をしていたはずなのに、応接間に立つ花売りと精霊少女の姿は、どちらもすっかり汚れていた。
どうやら、今日より私のものとなる愛玩精霊は、とんだじゃじゃ馬娘らしい。
「恐れ入りますが、この子の住まいとなる温室を覗かせていただいてもよろしいでしょうか」
疲れ切った表情ながらも丁寧に彼は申し出てくる。
花を購入し、育てる者ならば、花売りにはそれなりの敬意を示すものだ。私の父もそうだった。
「どうぞこちらへ」
どんなに気性が悪かろうと、心血を注いで育てて花に変わりはない。
花売り達も商品である精霊たちに対して人間並みの情を持つわけではないだろうけれども、だからと言って大切にしていないわけではないはずだ。
つんとした態度を変えない少女の手を引いて、私たちの案内に従う花売りの表情を見ていれば分かる。
だからこそ、案内は慎重に行った。自信がないわけではない。わが茨の紋章に誓って、我が家の温室はその見栄えのみならず、心より精霊たちが落ち付ける場所として作らせた。その出来は、日々、精霊たちと過ごしてきた商人たちも納得できるはずのものだ。
思っていた通り、〈待宵〉の花売りの反応はすこぶるよかった。
温室となる部屋の隅々までを確認し、軽く断りながら触れて確かめる。そしてその度に、感心したようなため息を吐いていた。
懇意にしている職人の腕ながら誇らしいことである。
そのすべてを確認し終えると、〈待宵〉の花売りは私を振り返り、深々とお辞儀をした。突っ立ったまま腕を組む少女の頭も慌てて下げさせる。
「ご確認させていだたきました。ええ、文句なしです……!」
顔を上げると、曇りのない満面の笑みが浮かんでいた。
「この子の本来の価値に見合う素晴らしいお部屋でございます。我が家に売れ残るよりもずっとずっと幸せな日々を過ごせることでしょう」
素直に安心した、というよりもは、商品をつつがなく売ることの出来る安堵に見えて仕方がない。当然か。そのために育て続けてきたのだから、金にならねば困るはずだ。
「当然よ」
短く頷き、職人への称賛を受け止める。
「この都において質の高さを常に競う才能ある職人の作品ですもの」
それで、と私はじっと狐男を見据えた。
「その子の汚れはいつ落とせばいいのかしら。入浴の用意ならばすぐにさせてあげられるのですけれど……?」
「ああ! これは失礼しました! どうぞ、お受け取りください!」
花売りはそう言って、やや乱暴に少女を温室に放した。
精霊少女はまだ不機嫌そうだ。彼女なりに興味を引く者はあったようだが、そこへ向かう前に私たちを恨めしそうに見つめることを忘れなかった。
しかし、時間が解決してくれるだろう。精霊の正しい飼い方は心得ている。上下関係も覚えさせてしまえば、あきらめもつくはずだ。
「詳しい話は応接間でいたしましょうか。あの子にまつわる注意事項なども教えてくださると助かるわね」
「はい、申し訳ありません。少しお時間いただきます。……こら、こっちを見てないで、お前は遊んでなさい」
こうして応接間に戻ってみれば、一、二時間にもわたる説明は始まった。
花の精霊の愛好者は生家となる花売りとの縁を勝手に切れないものだとは聞いていたが、本当らしい。癖のある人物だが、それなりに誠意は伝わってくる。それもこれもプライドを持って先祖代々の仕事をしているからだろう。
購入したばかりの精霊の、お転婆どころでないじゃじゃ馬話を散々聞かされながら、私はしみじみと感じていた。
最後に、花売りは確認してきた。
「それで、あの子のお名前なのですが。お決まりでしょうか?」
「そうね。……何がいいかしら」
「お決まりになりましたら、ご連絡いただけると幸いです。〈待宵〉の系譜に書き込みますので」
確かに、とても重大なことだ。
今はまだ幼いが、あと少し成長すれば繁殖させ、最初の子たちは花売りの家に帰さなくてはならないのが掟であるのだから。
何らかの理由でそれが叶わないにしろ、少なくとも発覚するまで空欄のままというわけにはいかないだろう。確かな血統のものにとって系譜はとても大事なものである。そこに書き込まれるのが「母親の名前に生まれた年度」という味気ない名前だけなんて、誇り高い茨の館の花として可哀想だ。
しかし、候補はあるが定まらない。
名前が先か、中身が先か。そんなことを考えながら、私は花売りに約束した。
「分かりました。とっておきの名前を考えておきましょう」